PBA805便
多少は本格的に話が進みます。航路や通過ポイント、果てまたは舞台である国の歴史まで調べることに…orz
執筆完了まで3か月ほど経ちましたが、読んで頂けると幸いです。
最近格納庫には二人のお邪魔虫が増えた。一人は実地訓練でもう一人は見物人。
前者はロンドンデリー本部 研究開発セクションから来たクレイ・ジーニアスという自称流体学の神童。
幼い頃から世界で有名な多くの理科学工学系大学の博士号をガバガバ取り、とんでもない数の特許を持ち、NASA(アメリカ航空宇宙局)及びTsAGI(中央流体力学研究所 ロシア)の航空機研究セクション及び流体力学セクションスタッフ全員を自らのひらめきと自説で泣かせたという20代の若造。
(あくまで頭が悪 ✗そうな ○い筆者の設定)
後者は会社について興味津々な魔女のアラディア様である。
彼女は備品である機体を観察したり、機長に詳しい説明を受けたりしていた。
観察するのは整備が完了した、もしくはその後あまり触っていない機材で、整備員の邪魔は極力避けている。そしてクレイ・ジーニアスとアラディア様、機長は科学と魔術、実運用というお互いが深く知らない知識や術、経験で議論に花が咲くことが多かった。
何故本部研究開発の彼が格納庫の整備セクションにいるかというと、数日前に彼がこの格納庫で吐いた一言が原因だった。言うには
「ボクが~飛行機を作れば~試作や試験なんて~面倒な事などしなくても~、要求仕様に見合った~低コストで高性能でメンテも楽な~寿命の長い~機体が出来ちゃうよ~」とのこと。
その発言にカチンときたのがここの格納庫の主、おっちゃんである。
「現場を知らねー若造めが、少しここで鍛え上げてやらぁ!」と当の本人を呼びつけ、整備、機材備品管理等をやらせている。確かに来たばかりは工業規格で決まったネジ一本の型番すら分からないし、機材を持ち上げたり台車でそれらを運ぶ事すら出来ない貧弱素人だったが、暫く作業しているうちにここのしきたりを覚え、おっちゃんに改善案を多々出して作業効率をどんどん上げていった。おっちゃんも当初は使えない奴だと思っていたようだったが、呑み込みの早さや作業の態度に対し、だんだんと評価を上げていった。
そんな中、また女社長はロシアのヤコブレフ設計局へ我儘を言い始めた。先日購入し現在運用中のYak-130、10号機~13号機に対しロシアのサリュート社が新規開発しているエンジン、SM-100を現在使用中のエンジンであるイーウチェンコAI222-25、その偏向推力仕様であるAL222-25UVTのノズルをくっつけて提供しろと駄々をこね始めた。既にそれは最終テスト中で量産も始まっており提供できる状態ではあった。とは言えそれはいくら何でも度が過ぎるというもの。しかしSu-35SUBMKの抱き合わせ購入の件もあり、仕方なくエンジンを各支部のハンガーに送っていた。今はその換装真っ最中である。換装作業をアラディア様、クレイ・ジーニアス、機長の三人が見学をしていた。
「うふふ、エンジンがニョキニョキ動いてかわいいです!」と小動物を見る様にアラディアは喜んでいた。
「偏向推力ノズルはも~う戦闘機の~デファクトスタンダードで~すね~」
「はぁ、ヤコブレフの連中も災難だな。」と機長は呟く。
しかしこのエンジンは今のAI222-25より推力が500kg x 2上昇し、運動性も格段と上がっている。
なぜ女社長はこんな事をさせたのかというと、A・S・ヤコブレフ記念試作設計局と共同開発だったアエロマッキ社の同型機であるM-346中等練習機に性能、特に推力に大きく差を付けられて大層ご立腹であったからだ。
流石イギリスに住んでいるだけあって、何処ぞのT●P Gearのジェレなんとか・クラー●ソンの如くパワー至上主義で変にマニアックな嗜好なのだろう。そして無駄に出費し、じんぺーさんに怒られる事になるまでがテンプレートである。
もう冬が近づいている日々を送っている中、アフリカのコンゴ民主共和国政府軍と反対勢力の内戦が国連事務総長のあっせんにより休戦が決まり、急遽国連特使が派遣され一時休戦合意の為の調印式の行われたという報道が流れていた。現在このコンゴ民主共和国は他アフリカ国家の例に漏れず内戦の他に難民、飢餓、疫病、痩せた土地による植物資源後退等の問題を抱えていた。反面豊富に埋蔵されていると考えられる地下資源、例えば各種金属鉱物、石油などの期待もあり、早期終戦とその後の経済回復等が国際社会から期待されていた。
そのニュースの翌々日、Peace Bird Air Companyへいつもの特別高速運輸の依頼が入った。
依頼主はWHO(世界保健機構)。機構の目的は今回の休戦に際し、衛生面、特に疫病対策と治水に関して一時的な活動許可を得る為に一枚噛んでおこうという狙いだ。これは短期的な人道支援活動という意味合いだけでなく、長期的にも将来の政治安定、経済発展や治安維持などの足掛かりにもなる。但し現状、現地はまだ”休戦”状態であり、国連職員一行を乗せたチャーター機ですら危険を孕む飛行になるのは想像するに難くない。そこでこの会社の出番となった訳である。そしてその乗客は…
「あんた、ワルタガードさん!」と機長は驚いて第一声を上げる。
「おお、機長!君か!先日は世話になったね。宜しく頼むよ!」ワルタガードは軽く会釈をし握手する。
彼は今回の飛行に関する手続きを事務所で行っていた。依頼書提出、飛行に関する誓約書へのサイン、耐身体負荷試験への同意書、出国手続き諸々。どうやら元WHO職員であり、その手に関して経験豊富な彼を公式のWHO特別使節として一時的に復帰及び任命をした様である。これは本当に特例中の特例だった。
「機長さん、お知り合いですか?」と書類作成のお姉さんが訪ねる。
「ええ、この間アラディア様をジュネーヴ観光案内した時に知り合ったんです。」と軽く説明をする。
「うふふ、機長さん?アラディア様はやめてくださいね?うふふ?また呪いを掛けちゃいますよ?」と気付かない位置から現れたアラディアに釘を刺される。
「いや、だってホウコウに聞かれたらまた殺されかけるので。」あの観光後の月曜早朝、機長はホウコウが持ってきたサンダーで裂かれる寸前に陥ったのだ。原因は当のアラディアが日曜日に機長の看病の為やってきたのだが、そのまま機長が寝ているベッドに突っ伏して月曜まで寝てしまっていた所を、美味そうな肉を持って見舞いに来たホウコウにそれを見られたからである。
「でも指輪まで頂いた仲なのに他人行儀なんて悲しいです。うふふ」と一瞬だけ顔を逸らした後、再び機長の方へ顔を向き涙を少し溜めてつつ悲しそうに微笑んだ。左手には目薬が握られていた。この人、絶対からかっているだろ!と心の中でツッコむ。
それを聞いた事務所のメンバーは、心の声だったりヒソヒソ声だったりで指輪だとっ!?とかいつの間にそんな仲に、とかオレ、今度の仕事が終わったらアラディアさんにアプローチしようとしたのに、とか女性を弄んだ挙句に泣かすなんて機長さん最低です等あちこちで聞こえはじめる。そしてワルタガードまで
「機長くん、女性を泣かすのは紳士としてどうかと…」と悪乗りをする。
「いや、ワルタガードさん!?あんたも絡んで俺の事からかってるでしょ?!」と機長は焦りながら非難をする。
「機長さん?酷いです。うふふ。私を弄んでいたのですね?うふふ。月曜日の朝まで看病で付き添ったのに。うふふ」と棒読みで非難まで始める。事務所内は既にヒソヒソ声で無くはっきりと、しかもピシッ!という擬音まで聞こえそうな雰囲気で、朝まで!?とか添い遂げた!?とか女性を弄んだ挙句に添い遂げておいて捨てるなんて機長さん最低です!もぎ取った方がいいです!!等今度は無い事まででっち上げられて事務所メンバーから非難され始める。
そしていつものパターンの如くタイミング良く事務所の扉がバーンと開けられる。
「あラディあサまヲハズかシメたのは、まタシテもおまエカ!!!!」言うまでもなくホウコウである。
蒼い顔をしつつ、こいついつもタイミングよく現れるよなと思う。
「みんな、何か勘違いしてるからな?でっち上げもいい加減にしろよな?俺何も悪いこと言っていないし、していないからな?!」
「私、余りにも悲しくて今晩から機長さんが買ってくれた大きなシャチのぬいぐるみを抱き締めて食べられちゃうと思いながら泣いて寝てしまいそうです。うふふ」
シャチのぬいぐるみを買ってもらっただと?!とか食べられちゃう?!とかシャチの如く激しく抱いて食べて弄んだ挙句に捨てるなんて機長さんクズです!!!ゴミ くコ:彡 (烏賊)です!!!とか…この言葉でホウコウという名の火に油を注ぎ始める。
「げっぉ」ホウコウのいいパンチが機長の鳩尾に入っていた。
「ツgiわ、ドこがぃィ?」どうやらホウコウによる死刑宣告のようだ。
「も、ドこモ…要り…ん」機長の口から泡がでる。という古典的な表現だ。
「をマえは、そノティどでワしナなぃ」
「はっはっは!皆愉快で結構!これだけ元気なメンバーなら安心して頼めるよ。」とワルタガードは笑いながら関心をする。機長は、あんたも火に油を注いだ一人だからな?と恨みを込めて思う。その瞬間だった。
「騒がしい!いい加減にしな!!」女社長の一喝が飛ぶ。その一言で場の空気が急に真剣なものに戻った。
どうやら会議室でじいさん、じんぺーさん、クレイ・ジーニアスのしていた会議が終わったようだった。
「もう飛行事前段階に来てるというのに、だらけていられる余裕があるのか?既に危険に片足を入れている状態で、しかも乗客の前でこんな無駄話をしていられるのか?」女社長の声は何時にも増して冷徹だった。
そして事務所内にぴしっという女社長による機長への頬打の音が響く。
「機長、おまえ、自分の立場を忘れたか?乗客の命と安全は最優先だ。それなのに飛行6時間前を切っているのにふざけていられるのか?」再び、今度はもっと大きな音を響かせて頬を叩く。機長は頭を正し、女社長の目を正眼する。
「すみません、私がふざけたお話をしたばかりに…」アラディアが謝罪をする。
「アラディア、アンタは黙ってな。アタシはコイツと話をしているんだ。」その声でアラディアも少し俯いて沈黙する。
「答えな。そんな態度で安全に乗客を目的地まで運べるのか?」冷徹に機長へ問う。
「すみません。」機長は声を静めて謝る。
「アタシは謝罪を聞きたいんじゃない。やれるかどうかと聞いているんだ。」
「今の気持ちと態度では業務に臨めない。反省と緊張を持つために機体点検してきます。」そう言って事務所を出ようとした瞬間、
「駄目だ。今のおまえが診たら、正しく整備された機体がトラブルを起こす。」と断られる。機長は俯きながら
「分かりました。周囲を走って来ます。」
「行け。」女社長は再び冷徹に指示をだす。今回は恨みも憎しみも無い真剣な態度だった。
「済まない、女社長殿。私が彼と…」ワルタガードも謝罪をしようとするが、
「ワルタガード氏、ステライルコックピットというお言葉をご存知ですか?」静かに女社長がワルタガードに聞く。
「いや、初耳だが?」
「ステライルコックピットというのは飛行準備から離陸後10000ftまで、飛行に関する会話以外は禁止するという規則です。この規則は1979年に制定されました。規則になった理由はとある旅客機が着陸準備中に付近の小型機を見失い衝突したという事故があったからですが、その原因の一つとして旅客機のクルー達が着陸準備中に集中せずジョークを言い合い、小型機を見失った為と言われています。」
「…」それを聞いたワルタガードも彼女の真剣さに対し無言になる。
「その後も似た様な事例の事故がいくつか発生しました。そして今のこの事務所の雰囲気はまさにそれです。ですが、あなたは乗客なのでそういった事は気にしないで頂きたい。しかし…」彼女は事務所全員の方向へ向き、
「お前達はここのスタッフであり、アレ同様に既に自分の業務に集中しなければならない段階だ。なのにそれを怠りふざけていられる状況なのか?こんな状態で彼を無事に目的地に到着させることが出来るのか?我々が機を飛ばす空域は他の民間機とは違い、場合によっては戦闘状態すらなる非常に危険な所だ。その為には普通の民間旅客会社とは比較にならない程の準備と注意が必要だ。民間航空会社ですらその程度の事で事故を引き起こすというのに、お前達は本当に彼を無事に目的地へ到着させられるのか?誰か答えろ。」女社長の静かな叱責に皆沈黙する。
「誰も答えられないのか?では今回のフライトはキャンセルとする。とても彼を安全に目的地へ到着させられるとは思えない。心の中ですら答えられない者は今すぐ帰り、二度とここへ来なくていい。以上だ。」女社長の叱責はここで止まる。彼女は自分の席に就き、自分の業務を再開する。まずは
「話の通りです、ワルタガード氏。申し訳ありませんが、今回のフライトはスタッフ不足という当方の都合の為キャンセルとさせて頂きます。非常に申し訳なく思います。」と最頭を下げて謝罪をする。皆は俯いたり考えたりしていた。しばらくの沈黙の後、
「ごめんなさい!」最初に彼女に謝ったのは魔女のアラディアだった。女社長は暫くじーっと彼女を見つめて
「さっきも言ったように謝罪はいらない。自分の業務をこなせるかどうかだけ答えろ。アンタの業務は何だ、アラディア?やれるのか?」鋭く質問を飛ばす。
「私の業務はテラピーです!やってみせます!」と大声で答えた。
「では今すぐ業務に戻れ。」と手を組みながら指示を出す。その声に皆も少しづつ反応をしだす。各々が姿勢を正し、自分の業務とやる事を答えた。
「さて、ワルタガード氏。如何いたします?これでも依頼をしますか?」女社長は自分の責任を持って彼に問う。
「もちろん依頼をさせてもらう。私は私なりに果たさねばならない責務があるからね。」と彼自身も姿勢を正し、女社長に再び依頼をする。
「分かりました。では運行管理係、ワルタガード氏を事前耐身体負荷検査施設へご案内し検査を行え。アラディア、アナタは検査終了後に行うテラピーの準備を始めなさい。各々も自分の業務を再確認したら直ぐ始めなさい。」そして一つため息をついた後、窓際へ歩き、駐機場周辺を走っている機長を見つめた。
「まさかアレを叱責する日が来るとはね…」と小声で呟いた。
確かに今回は女社長の言う通りだった。自分はこれからワルタガードを機に乗せて危険地帯へ飛び込み無事に目的地へ届けるのが役割だ。あんなやり取りをする余裕など無い。機長は莫迦の如く無心に駐機場周辺を走り続けた。多少凸凹のある駐機場はマラソンしにくく、何度か脚を引っかけそうになる。格納庫を見れば既に最終チェックに入っているPeace Bird 8号機、Su-35SUBMKがあった。機首にあるIRSTと右エンジン下にある101KS-N光電ポッドのカメラが機長を睨んでいるように見えた。これからお前はこの8号機を飛ばすのだ、お前が過ちを犯せば乗客は死に、機もろとも粉々にされるのだと、何かそう言われている気がした。暫く機長は走りつづけたが、流石に気分は落ち着いてきた。流石に息が切れて、格納庫隅の柱にヘタレて座り込む。
「ホウコウから聞いたよ。アイツもべそを掻きながらこっちに戻って来やがった。」とおっちゃんは機長の横に座り、ジュースの入った紙コップを渡す。
「らしくないな?少し前だったら感情もへったくれもなく、はい、か、いいえ位しか答えなかったお前さんが女社長に叱られるなんて。」
「…」
「あのお姫様も少しは変わってきたってことか…」おっちゃんはぼそりと呟く。
「なぁ、なんでじーさん達やアンタはお姫さまって呼ぶんだ?」前々から思っていた疑問をおっちゃんにぶつけてみる。
「知らないのか?いや、俺も知らないな」随分曖昧な答えだった。そういう事なら深くは聞かないほうがいいと機長は考える。
「それより、気は晴れたか?」まだ息が荒い機長に聞く。
「ああ、もう大丈夫だ。」
「だったら、そろそろ飛行前の離陸前の重量とかの計算をしておこうか。機長、飛行計画書を貰ってきて一緒に計算をしてくれ。」
「分かった」といい、機長は事務所の書類作成のお姉さんの所へ向かった。
格納庫に戻ると、デッチ、ふっ切れたホウコウ、他数人の整備員が8号機を取り囲んで各外部機材取り付け部や各ハッチを開けて内部装置の点検をしている。クレイ・ジーニアスはここではまだペーペーなので整備記録などの書類がある棚に向かっている。偶に整備員に呼び出されて雑用もこなしている。
近くのPCが置いてあるデスウでおっちゃんは重量計算シートを広げていた。
機長は飛行計画書を渡し、飛行ルートから必要燃料などの情報をおっちゃんに話していく。
コンゴ民主共和国はジュネーブ国際空港から5800km離れており、Su-35SUBMKの外部燃料タンク2本積みの状態でも航続距離が足りない。その為、途中の空港で一度給油をする必要があった。取りあえずこのジュネーブ国際空港では燃料は機内、増槽ともに満載、経由地でドロップタンクを外し、機内燃料だけ満載にするという計画だった。。フェリー重量(外部装備無し)+外部装備のR-73短射程赤外追尾ミサイルx2+Kh-29カメラ誘導式短射程対地攻撃ミサイル+101KS-N光電ポッド+ECMポッド搭載状態から燃料消費率考慮しを重量計算する。同時にこれが離陸重量となるので、離陸速度、滑走距離、フラップ角等の計算も同時に完了する。
「V1(離陸決心速度)は滑走距離をマージン込みで800mとすると凡そ230km/hといったところか?VR(機首上げ速度 回転ではない)は250km/h。フラップは15°くらいでいけそうか?」とおっちゃんは計算結果を示す。
「まぁ、そんなところですかね?」と機長も同意する。
「ほんと~うで~すか~ね~?」そこで首を突っ込んできたのはクレイ・ジーニアスだった。
「今日は~おいか~ぜなので~フラップを18°にして~揚力をかせ~ぐのがお薦めで~す。」と意見をする。
「なんだと、このやろう!」おっちゃんがその反論に噛みつく。
「この計算は俺と機長がプリフライトシートを元にしてだしてるんだ!昨日今日のぺーぺーが出しゃばって意見をするんじゃねぇ!」
「僕は~そのシートを元に~考えて~もう少しマージンを載せたフラップ角の方が~短距離かつ高効率で~上がれると思うので~す。」と悪びれる様子もなくケロッとした顔で反論をする。
「フラップ角は取り過ぎると加速が鈍くなるんだ!揚力は強くなるがV1になる滑走距離が長くなるんだ!」とおっちゃんは怒鳴りながら畳み込む。
「そんなのは~知っていま~す~。だけど早くランディングギアを引っ込めた方が加速が良くなると~思ったので~す」クレイ・ジーニアスのその言葉でおっちゃんは彼の胸ぐらを掴んだ。
「いいか?こいつは俺と長い飛行経験を持つ機長とで決めた結果だ!まだ経験の浅いおめぇが口を出せることじゃねぇ!なあ!機長!」
「おいおっちゃん、落ち着けよ。俺もそうだが今日は皆おかしいぞ。」と機長が二人を宥める。
「しかしよぉ!」「しかしで~す」同時に二人がハモる。
「クレイ・ジーニアス、あんたの言い分ももっともだと思う。だけど今回はおっちゃんと俺が決めたんだ。ちゃんと俺が責任を持って飛ばすから安心してくれ。」とお互いの言い分を引っ込めるよう機長が宥めた。
「ふん、そういうこった。」とおっちゃんは意気込んで答える。
「すみ~ませ~ん、わか~りました~。」
「まぁ、おっちゃんも彼は心配しているから意見してくれてるんだ。余り怒るなよ。」とおっちゃんを諭す。
「わぁ~ったよ。」とおっちゃんも引っ込む。ふぅ、と機長はため息をついた。今回は飛行前の雰囲気が悪すぎる。ここでの飛行前準備が大体済んだので、機長は事務室に向かっていった。
事務室に入ると、先程とは違い何時にも増して緊張感が高かった。これが事務所本来の雰囲気なのだ。
機長は珍しく女社長と話したいことがあり、辺りを探す。
「あれ?姐さんは?」と書類作成のお姉さんと運行管理係に聞く。
「ああ、休憩室じゃないか?」と運行管理係が教えてくれる。
「珍しいな?機長。あんたが姐さんを探すなんて。」確かに滅多にはしない事だった。
「いや、一寸気弱になっている気がしたので少し気晴らしに話を、とね」少し苦笑いをしながら答える。
「え?機長さん?!自虐気質だったんですか?!!!」書類作成のお姉さんが素っ頓狂な声を上げる。
「いや、そういうことじゃなくて。」と機長は呆れつつも慌ててツッコミを入れる。
「だって、いっつも怒られてばかりじゃないですか!?わざわざ怒られに行くんなんて!」
「あー、さっき言われたばかりでしょう?もうボケ嚙ましている時間は無いでしょ?それに怒られに行くわけでもないですよ。」と彼女に現状を思い出させる。
「あ、そうでした。すみません。」と流石に反省をした。
「じゃ、休憩室見てみます。」と機長は向かっていた。
話の通りに女社長は休憩室で紙コップの美味しいとは言えないコーヒーを飲んでいた。椅子に座り背もたれに首まで預けて眉間を指で揉んでいる。
「大分疲れているんだな、アンタ。さっきは悪かったと思ってる。」と機長は再び謝る。
「いや、そんな事はいい。謝罪が欲しいわけでもない。飛行当日、しかも直前までだらけていられたら困るだけだからな。それよりオマエから声を掛けてくるなんて珍しいな?」とその状態のままで女社長は答えた。
「いや、一寸アンタと話をしてみたいと思ってな。」
「話?それこそ珍しいな。雪でも降るか?」目だけを機長に向けて答える。丁度そのタイミングでアラディアも休憩室に入ってきた。
「お疲れ様です、女社長」とアラディアも声を掛ける。珍しく紙コップの紅茶をとってくる。
「アラディア、乗客は休んでいるか?」
「ええ、今は香油を焚いてベッドでリラックスして頂いています。」と彼女にとって本来不味い筈の安物紅茶を啜る。
「そうか。耐身体負荷検査も問題は無いわけだな?」と再度女社長は訊く。
「問題ありません。」澄んだ声でアラディアは答えた。
「わかった。で、機長。話は何だ?アラディアには席を外してもらった方がいいか?」
「いえ、構いません。」と機長は答える。
「さっきと口調が違うな?アンタでいいし、素の話し方で構わない。」
「わかった。話は二つ。まずは今日は会社全体の雰囲気がおかしいし、俺自身もどこかに不安がある。」機長は珍しく今の心情を吐露する。
「なるほどな?お前がそんな心配までするようになるとは…今まで思ってもみなかった。今までは機械の如く我関せず、はい、いいえだったのに。気弱にさえなるとはな。」皮肉を込めて少し笑う。
「昔から気弱になった事は何度もあるが言わなかっただけだ。最近そういうことを言うようになったが、それは二つ目の方で話した方が良さそうだ。まずは最初の件だ。アンタはどう思う?」少し真剣味を帯びて機長は訊く。
「あのぅ…それは私が…」と今度はアラディアが申し訳なさそうに話に入ってくる。
「いや、アラディア。アナタが原因という訳ではない。本当は皆緊張しているしストレスも溜まっているんだ。相当のプレッシャーが掛かっているはずだ。」と首を正し答える。少し長い時間その姿勢だったようで首が痛かったらしい。
「さっきも言ったように、ステライルコックピットはストレス、特に重圧や長時間勤務等の状態で更に負荷が掛かると、雰囲気を変えようとする時に起こりやすい。それは正常な反応だ。しかしやり過ぎると気を散らせて取り返しのつかない失敗に繫がる、という訳だ。連中だってプロだから少し気を引き締めれば元に戻るさ。」
首をコキコキとしながら女社長は答える。それをみてアラディアは彼女の後ろに回り、軽く首と肩へマッサージを施す。
「いや、俺が話したいことはそういう事じゃない。嫌な空気が渦巻いているというか…」と本音を漏らす。
「ふむ、魔女殿の様に予感ってやつか?」
「俺は魔女ではないが、何か嫌な感じがする。いつもより危険な…それに加えこの雰囲気だ。さっきも格納庫でおっちゃんとクレイ・ジーニアスがやりあっていた。」沈んだ声で機長は先程の話をする。
「危険はいつもの事だろう?今更恐れるのか?それにこういう日が偶にあってもおかしくは無い。心配しすぎる方がよっぽど危険だとアタシは思うが?」機長が考え過ぎ無い様、女社長は落ち着けさせる。
「その危険はいつもとは違う意味の…そして今日だけ、で済まない気がする。今日から始まる、もしくはもう既に始まっているような…」
「それはどういう…」
「あのぅ、私もそう感じています。機長さんと同じものかどうかは分かりませんが。」アラディアも話に入ってきた。
「実は今まで黙っていましたが、あの日女社長さんと出会って私は女社長さんにとって重大な何かに関わるのではないか?とずっと感じていたんです。因果というかなんというか…」
何処か心配げにアラディアも話す。
「アタシにとっての重大な…ねぇ…?だとしたらそれはたった一つしかないが、それに対して何らかで関わる機会があるとは思えないけど?」一つため息をしながら女社長は答えた。
「随分思わせぶりな答えだな?何かあるのか?」機長としてはそれは訊きたいことに関わりがあるのかもしれない。
「いや、やめておこう。話す必要は無い。アンタはあくまでこの会社の備品、機材だ。それに向かって事情を話すなんて傍から見れば可笑しい奴だろう?」躊躇いはありつつも皮肉に答える。
「備品…か…どうして俺は備品なんだ?俺は何なんだ?」前々から思っていた疑問を少し強めにぶつけてみる。
「備品は備品。機材は機材。それ以上でも以下でもないさ。余計なことは考えるな。アンタは役割を果たせばいい。その責任を取る為に私がいる。それだけだ。」
「分かった。今は訊く時ではないんだな?」
「もしそんな時が来たとしたら、魔女殿の予感が的中したという事さ。」女社長は肩をすくめる。
「では二つ目の質問だ。なんでアンタはお姫様と呼ばれるんだ?誰かが揶揄しているのか?」
「…アンタ、誰からそれを聞いた?」鋭く低い声で女社長は訊き返す。
「え?おっちゃんはいつもこっそり呼んでたぜ?さっきもそう言っていたし。他の連中で呼んだのは聞いたことないが。」
「じーさん辺りから聞いたのか…?いや、しかし…」何か小声でぶつぶつと言い始める。
「機長、おっちゃんは何と言っていた?いつの話でもいい。教えてくれ。」先程より真剣に女社長は問う。
「え?{あのお姫様も変わってきたってことか}ってついさっき。まるで昔から知っているように話していたぜ。」少し面食らったように答えた。
「どういうことだ?そんな頃…面識なんて…」
「女社長さん、お姫様なんですか?先程の事と何か関係が?」アラディアも気になって質問をする。
「…悪いが二人ともそれは忘れてくれ。今後も聞かないで欲しい。」
珍しく女社長が懇願する。
「え?そういう事でしたら…」とアラディアは機長と顔を合わせて答える。
「しかし…まさかアイツの情報が…もう少し調査が必要か…」またぶつぶつと呟く。そして、
「私はそろそろ業務に戻る。お前たちはもう少し休憩していていい。但しアラディア、二人っきりだからと言っていちゃつくのはやめろ?あと機長、お前はココの機材、備品であることを忘れるな。それと暫くしたら出発時間だ。」と少し意地悪く女社長は釘をさす。それを聞いたアラディアは
「女社長さん!私、まだ!?」プリプリとアラディアは怒り出す。
「皆から聞いたよ?アラディア。機長におねだりとはな?流石は魔女殿、男を惑わすのはお手の物だ。アハハハ!それに機長、お前も100₣の指輪のプレゼントに気前良く応じるとは変わったもんだ…ただのポンコツロボだと思っていたのにな…」と最後にからかって女社長は休憩室を出ていく。
「もう!」とアラディアは更に頬をぷくーっと膨らます。そしてお互い顔を見合わせる。二人とも少し恥ずかしくなり、頬を赤らめた。直後に再び女社長が首を出し、
「何度も言うがステライルコックピットを忘れるな?」と一言付け加え今度こそ去っていく。
「しかし、アタシも変わってきたのか…アレとあんな話を交わすとはね…」席に就いた女社長は呟いた。
時計はもうすぐ07:00。既にPeace Bird 8号機は駐機場で第一エンジンの始動および電子系装備の起動が済んでおり、これから第二エンジンも始動させるところだった。第一エンジンの圧縮空気が第二エンジンへ送られ、タービンが回転をしだす。 正面にいるおっちゃんが人差し指を上げながら右腕を上方向に上げならくるくると回す。エンジン始動のサイン。機長は左コンソールにあるエンジン始動スイッチを入れる。タービンから始動音が3度聞こえ、その後安定した音になる。周囲動翼の動きも確認し、左右後ろと整備員がOKを出す。その光景をハンガーからアラディアとクレイ・ジーニアスが見ていた。彼はそれを見つつも整備記録の棚を漁っている。
8:00少し前には完全に発進準備が完了し、管制塔へ発進要請をする。滑走路は方位23。
「PBA805便、こちら管制塔。EZS308便(EasyJet・Swith308便)の後から誘導路へ進入。三番目だ。」それを聞いて機長は今日は混んでいると感じた。その情報は駐機場出入り口に立っているおっちゃんにも届いている様で、今は停止のサインを出している。正面左右のMFD(マルチファンクションディスプレイの右に気象レーダー、左は各計器類を表示させている。しばらく時間があるのでやきもきしながら待っていたが、ふと先程のおっちゃんとクレイ・ジーニアスとの言い合いを思い出し、左MFDの表示を離陸設定計算機に変更した。再び機体と装備重量を入力し、フラップ角と離陸速度と距離を再計算した。計算結果と同時におっちゃんから誘導路進入OKサインが出る。慌てて機長は機体を誘導路へ踊りこませる。
「!?」計算結果はクレイ・ジーニアスが言った通りフラップは18を示していた。15の場合、片方のエンジンが失火した場合、V1の位置が伸び滑走中止の判断をする時間が短くなると表示された。機長は慌ててフラップを15から18に設定し直す。その気配を感じたのかワルタガードがどうかしたかね?と聞いてくる。機長は問題無い事を彼に伝える。フラップが18に設定されるとは少しだけ伸びて下方に垂れ下がる。それを見ていたおっちゃんは目を閉ざし、横を向く。Peace Bird 8号機は誘導路から滑走路に入り、そのまま問題無く離陸した。
離陸後、進路を方位1-5-0へ向ける。左手下には大噴水から水が噴き出すところが見えた。
その光景をずっとアラディアとクレイ・ジーニアスは格納庫で見ていた。
コンゴ民主共和国はアフリカ大陸の大西洋沿岸にあり、ジュネーヴ国際空港から凡そ5800kmの位置にある。但しこの距離はリビア上空を飛ぶ場合の最短ルートであり、政治情勢が非常に不安定なこの国の上空を飛ぶにはリスクがあり過ぎた。またSu-35SUBMKの航続距離は2本の増槽を搭載しても4200kmであり、一度何処かで給油をしなければならなかった。運行管理係が作成したフライトプランはジュネーブ国際空港から距離3700kmにあるナイジェリアのマラム・アミヌ・カノ国際空港でテクニカルランディング(乗務員、機材の変更をしない離着陸)で給油及び増槽の取り外しを行い、そこで一時保管。そして2800km先にある目的地、コンゴ民主共和国の首都キンシャサにあるヌジリ国際空港へ向かう、というものだった。総飛行距離は6500km、飛行時間は7時間である。
現在の位置はフランスから地中海へ入った辺り、SID:EBORA(この場合、飛行経路上の通過ポイント)からUM2という飛行ルートを通っている。北上すれば近くにカンヌやモナコといった有名どころがある。暫くはこのルートの上、地中海上空だ。独特な蒼の海が眼下に広がる。そろそろ時間を稼ぎたいので飛行高度を高めの45000feetを取り、速度は超音速巡行飛行でM1.2で飛行することをLFFF(フランス高高度航空管制)に申請をする。LFFFはその申請を許可し、その設定をコンピューターに入力し飛行を開始する。
「ここまで来ると、飛行機が全自動計器飛行で勝手に飛んでくれるので暫くヒマになりますよ。ワルタガード特使。」機長は自分がリラックスできる状況になったことを伝える。
「ステライルコックピットではなかったのかね?」ワルタガード特使は冗談交じりで機長に聞く。
「あれは10000feet以下、離着陸時等の時の話ですよ。流石にずっとではこちらも参ってしまいます。」と機長も軽口で返す。これから長時間飛行するのにリラックスした会話すらできないのは流石に苦痛だ。
「なるほど、集中が必要な時のルール、という訳か。」少し安心したようにワルタガード特使は納得をする。
「そんなところですね。」
「では少し話をしようじゃないか?機長。それとワルタガードと呼んでくれ。」暇をつぶす為にワルタガードものってくる。旅客機なら離陸後には機材の娯楽システムを使ったり、自分の端末で仕事やエンタメアプリなどをするのだが、戦闘機にはそんな時間潰しの設備などない。戦闘機の搭乗員は四六時中レーダーやら何やらで警戒していたり、今の様に暇になってしまったら食事を採ったり居眠りするというイメージの方が強いだろう。
「じゃ、遠慮なくそう呼ばせてもらいます。ですが俺は話題なんかもってませんよ?」つまらない返事が機長からくる。こういったところは朴念仁というかロボットの様だと言うか…
「では私から。楽しい話とくそ真面目なつまらない話、どっちがいいかね?」その声にはワルタガードのニヤつく声が混じっていた。
「どっちも興味をそそりますね。では楽しい方からといきましょう。」
「機長、きみは美味しいものは先に食べてしまう方かね?」意外そうに思ったようだ。
「いえ、どちらかというと後にとっておく方ですが?」
「では何故?」
「もしかしたらこの先、危ない目に遭うかもしれないので先に楽しい思いをしておこうかと。」と機長は冗談交じりに返す。
「ふふふ、なるほど。」それを聞いたワルタガードは苦笑いをする。
「では早速だが機長、アラディアさんとはどこまでかね?」
「ぶをっ?!!」唐突な話題に機長は噴き出した。そう来るとは思ってもみなかった。
「さっきの話だと…きみは事務所中の女性全員を弄んだ挙句、今度は彼女に手を出し捨てたそうじゃないか?」先程よりも随分曲解誇張されていた。
「ちょ!?なんでそんなことになってるんですか?!!手を出した覚えなんかないですよ!」機長は焦りながら弁解をしだす。
「先程の事務所の皆さんの話だと、そうとしか考えられんが?」
「いやいやいや、おかしいでしょ!どこをどうとってもそうならないでしょ!?さっきだってホウコウに殺されかけたし!」その一言は余計な引き金だった。
「ということは、ホウコウさんをキープしつつアラディアさんに…」どんどん勝手な憶測が追加されていく。
「アレをキープどころか付き合いたいなんて、デッチ以外いませんよ!」ホウコウはアレ呼ばわりされた。きっと今頃は格納庫でくしゃみでもしているだろう。しかもアレは付き合っているというのかどうかすら…
「そもそも彼女とは会ってまだ一か月経つかどうかですよ!アンタと会ったあの数日前ですからね?!いきなりなんてそんな訳無いでしょう?!」とうとう機長は敬語を捨てた。なんというか、事務所の連中と同じ匂いがする。
「んー、つまりきみが女性と付き合って弄んだ挙句に捨てるサイクルは凡そ50日位という事か…ちょっと酷くは無いかね?」もうワルタガードはノリノリで機長を弄っている。
「勝手にそんなサイクル作らないでください!他の女性陣に手を出すどころか、姐さんには恐らく嫌われているというか憎まれているんです!」きっと傍から見れば機長の弁明は楽しいのだろうか?
「それは女社長殿を軽々しくポイしたからではないかね?彼女、プライドは高いだろうし。」
「あの人をポイ出来る人間がいたら凄いですよ!ってか、あの人と付き合おうなんて勇気があり過ぎでしょ!」とうとう機長は女性陣の本音を出してきた。もしカンパニーラジオでこの会話が聞かれていたら、帰った時どうなるのか。
「だが私が見るに…彼女のような人は人前では毅然としているが、見ていない所ではきっと不安で支えが必要なタイプだと思うがね?…なるほど、きみはそこへ付け込んだ訳か…見かけによらず中々テクニシャンだな。いやきみなら転がるかもしれん…優しそうに見えるしな。」そら恍けてワルタガードは続ける。
「ツッコミが追い付かないですよ!なんで勝手にアンタ、人の事、ある事無い事分析してでっち上げてるんですか!真面目に姐さんとは付き合った事なんかないですよ!」
「真面目に付き合った?不真面目に付き合った事はあると?」
「無いですよ!姐さんは、何故か俺の事を本気で憎んでいますよ。親の仇の如くね。」機長は少しむくれた。
「ふむ、気になる話題だがお楽しみは後に取っておこう。で本題だが…」
「今までのは予行か何かですか?!」しかしよくもツッコミについてくるな、とワルタガードは心の中で笑う。真面目な性格なだけにこういう時に隙を突かれると案外弱いようだ。
「先に言っときますけど、書類作成のお姉さんにも手は出していないですからね。あの人の本命は運行管理係ですからね。」釘を刺すべく機長は声のトーンをさげる。
「はっはっは、流石に分かっているよ。これだけ節操がなければそうなって当たり前だろう?」いくらなんでも揶揄い過ぎだろうと機長は思った。それと節操はありますよと付け加えておく。
「で?」ワルタガードは機長を追い込む。
「で?って何です?」なんとか恍けて回避しようとする。しかし逃げ場が無いのは確かだ。
「釣れないな、機長。当然、アラディアさんの事だよ?指輪を買ってあげたんだろう?」
「えぇ、まぁ…」なんとか曖昧に誤魔化そうと努力する。
「指輪をつけてあげたんだろう?」
「う…」
「しかも右手の薬指に。」とうとう追い込まれる。
「…」言葉が出ない。
「もう正直に伝えるべきではないのかね?機長」とうとう誘導までされ始める。
「ぐ…」
「はっきりさせたほうがいいと思うんだがね?」
「あ、あン時は魔女の何かの儀式の一つかと思っていて…」あたふたと機長は答えるがワルタガードは簡単には逃がさない。
「機長…君のアラディアさんへの想いはその程度かね?指輪を買って右手の薬指に付けてあげて、しかも大きなぬいぐるみを二個もプレゼントして彼女をその気にさせておいてそれとは…ちょっと彼女を弄び過ぎではないかね?なんなら私が彼女と付き…」
「ちょ!?アンタ突然なに言っているんだ?!」機長は慌てて遮る。今日何度目の狼狽だろうか?
「あんなキュートな女性を弄んだ挙句そのままにしておくなんて酷い話だろう?だったら私が誠意を持って…」
「弄んでないし、はいそうですという気もないですよ!」
「はっはっは!もう少し本音を出してみてはどうだね?」愉快そうにワルタガードは機長に促す。
「どーいう意味です?」機長は質問を低い声で返した。
「気持ちというものは、言葉にして出さないと本人には伝わらないものだよ?」
「あのですねー!」だんだん頭痛がしてきた。追い込まれた挙句に返す言葉もない。知恵熱が出始めている。
「ではやはり弄ん…」言わせねぇよと機長は遮る。
「でません!プレゼントしました!しましたよ!ですがですね!流石に好意が無ければそんなことしませんよ!多少は…」と言い淀む。
「ふむ、多少は?」
「今んトコは好意です!こ・う・い!」赤面をしながら答えを返す。
「恋?」
「なにボケてんですか。」
「つまらん返事だな…もう少し乗客を喜ばしてはどうだね?」
「男がコイバナして乗客を喜ばせてどーすんですか?!」
「いいエンターテインメントだと思うんだがね?」
「勘弁してください。」呆れてものが言えなくなってきた。
「弄んでもいないし、ちゃんと好意はありますよ。でも知り合ったばかりで急にとは…」
「一目で堕ちる恋もあるというのだがね」中々に追跡が厳しい。
「はぁ、ったく。ちゃんと好きですよ。ただまだ知り合ったばかりで白黒って訳にはいかないでしょう?」
「はっはっは、なるほど。そうだろうね。」その返事と同時にLFFFから無線が入る。
「PBA805便。こちらLFFF。管制をDAAA(アルジェリア高高度航空管制)に引き継ぎます。周波数はそのまま。さようなら、良い一日を。」
「LFFF、こちらPBA805便。LFFFからDAAAへの管制移管、了解しました。さようなら、良い一日を。」と機長は慌ててLFFFへ返答をする。終わった後、ワルタガードから質問が来る。
「こうやって管制の移管をするのだね?」
「ええ、場所場所で航空管制は変わりますし、場合によっては通信周波数も変わりますよ。」
「ふむ。ところで機長、この無線周波数の横にCompanyとあるのは?」
「ああ、これはCompanyへの直接無線です。」そこで機長は気付く。その周波数がONになっていた。
「あー機長、すまん。さっき地中海に入る時にどうやら間違えてこれを弄ってしまったようだ。」つまり今までの会話はCompanyへ筒抜けだったらしい。
女社長から「ほぅ、備品がアタシをそう考えていたとはな?」
書類作成のお姉さんから「機長さん?女性には言っていい秘密といけない秘密があるんですよ?」
ホウコウから「ヤはリ、アらでぃア様ヲもテあソンでイタのカ」
アラディアから「うふふ、機長さん?もう少し女心が分かるように、後で強力な呪いを掛けてあげますね?うふふふ。」
アフリカ大陸に入り、アルジェリアにあるウェザーステーションSID:CSOから飛行ルートUM998で国内を縦断。既にサハラ砂漠のど真ん中で視界は砂丘。右手方向に見える山々はホガール山地だろう。そしてニジェール上空のSID:NEBRAで飛行ルートUG858に入る。ここも砂漠地帯であり、太陽からの光が砂漠で反射し視界はかなり眩しい。右手にはやはりアイル山地が広がる。暫く北上すると直ぐにナイジェリア国内上空へ入る。既にサハラ砂漠をほぼ超えており、この辺りから緑がちらほらと見え始める。そしてフライトプラン通りに離陸後3時間程でナイジェリアのカノ州にあるマラム・アミヌ・カノ国際空港へ到着した。着陸時の滑走路は進入方位は24。計器進入方式での着陸だが戦闘機であるSu-35SUBMKは視界が広い為、機長自身の目による有視界飛行方式による確認も行っていた。砂埃で若干視界が悪いものの機体は滑走路上のタッチパッドへ綺麗に接地した。
着陸後、誘導路を経て1番駐機場スポットの奥に誘導される。ここで増槽を外し、それをこの空港で保管する。増槽内の燃料を優先して使用した為、機内タンクの消費は少なかった。そのまま機内燃料を給油しフルにする。
その合間にワルタガードも機長も所用を済ませる。機には一寸した荷物スペースがあり、機長はそこからゼリー状飲料パックを取り出す。
「ワルタガードさん、これが本航空のサービスである機内食です。」と皮肉を込めてそのパックを渡す。
「これはとても楽しめそうな食事だね…少々寂しいが。」少しがっかりしながらワルタガードはパックの蓋をこじり上げ、中身をチュウチュウと吸い出す。レモン味で飲み易いと言えば飲み易い。
「なにせ機内には生理用設備がほぼ無いので、どうしても必要栄養分と水分だけを摂るしかないんです。」
「だが、あと3時間くらいで到着だろう?我慢は出来るよ。」とワルタガードは軽口で返す。
「因みにそのパイロットスーツは従来のおむつ式とは違い、機外へ排泄することが出来ますよ。」
「それは初耳だった。ではもよおしても大丈夫だな。」
「脱いだ後はクリーニングですがね。」
「クリーニング料金は費用に含まれているのだろう?」
「それは書類作成のお姉さんか出納帳のじんぺーさんに聞いてください。」先程の仕返しか機長は意地悪く返す。
1時間程休憩し、その間機長は機体の外部点検を行っていた。機上にはうっすらと埃が積もっており、しかし掃除用具は無く、また砂漠の砂は目が細かいので下手に拭いたりすると機体に傷がついてしまう。本当はそれを何とかしたかったが今は放置するしかない。機内の各部装置に異常は見られなかった。その作業に凡そ1時間程度かけ、補給も同時に完了させた。そろそろコンゴ民主共和国首都にあるヌジリ国際空港へ出発する時間である。
「ではワルタガードさん。そろそろ時間ですし、準備が整いましたら出発しましょう。そう言えば今更ですが体は痛くないですか?何せ窮屈で乗り心地が悪い戦闘機です。辛いようでしたらもう少し時間を取ってマッサージでもしましょうか?」
「さっき十分に伸びをしたり、体を動かしたからね。大丈夫だ。」ワルタガードは体を動かしつつ準備は整っていることを示す。
「分かりました。では乗機してください。」ワルタガードは後部席に付けられた梯子を登り、シートに座る。機長がワルタガードのシートベルトをを締め、ヘルメットについている酸素マスクのホースをコンソールにある吸気口に取り付ける。彼の固定状態を確認し、そのまま器用に自分の席に就く。自身の機上着席状態を確認し、機体の始動を始める。機の周囲にはマラム・アミヌ・カノ国際空港の誘導員が機外の状態を確認してくれる。主電源をいれ、APU始動。発電機が動き出し、各アビオニクスの電源が入る。機上コンピューターが各システムを自動チェックする。航法装置、無線、機体制御系、エンジン系、そして火器管制系。同時にAPUの圧縮空気が第一エンジンに流入し、独特の甲高い音を出しながらコンプレッサーが廻り出す。機長はスロットルがアイドルの位置であることを確認し、MFDのモードをエンジン計器に切り替えスタート準備をする。第一エンジン始動回転数に達し、始動スイッチを入れる。2~3度スイッチを入れるとエンジン排気口から熱を帯びたジェット排気が噴き出す。後部にいる誘導員がOKのサインを出す。同時に機上コンピューターから機体に異常無しのインジケーターがMFDに表示される。そのまま第一エンジンの圧縮空気を第二エンジンに送り、こちらも始動させる。第二エンジンの始動スイッチを入れ、数秒後には同様に排気ノズルから熱いジェット排気が噴き出す。両エンジンの始動が完了し、各動翼のチェック。水平尾翼、垂直尾翼、エルロン、エルロンを兼ねたダブルフラップ、前縁フラップ、垂直尾翼のブレーキモード。動作に問題は無く、正常に作動している。機外翼端灯を点け、その後フラップを18の位置まで下げる。離陸準備が完了する。
「DNKNコントロール(カノ管制)、こちらPBA805便。出発準備完了。駐機場1番スポットから誘導路への進入許可を願います。」
「PBA805便、こちらDNKN。誘導路進入許可します。滑走路は方位24のため誘導路を右折してください。」
「DNKN、こちらPBA805便。誘導路進入開始。」
「PBA805便、こちらDNKN。滑走路24に進入して待機して下さい。」指示通りPeace Bird 8号機は滑走路24に進入し待機する。機長はトゥブレーキを踏みスロットルを20%の位置にする。
「DNKN、こちらPBA805便。滑走路24に進入。離陸準備完了。離陸許可の指示を待ちます。」
「PBA805便、こちらDNKD。滑走路上クリア。離陸を許可します。」
「DNKN、こちらPBA805便。了解。こちらも滑走路上を視認、クリアを確認。離陸開始します。」
機長はスロットルをミリタリーMax(アフターバーナーを用いないスロットル最大位置)にいれる。トゥブレーキをリリースし、Peace Bird 8号機は滑走を始める。やはりいつも通り、最初はまるでイヤイヤをするように機種を上下に揺らすが、直ぐに滑らかに速度を上げていく。空を飛ぶ悦び。コイツも知っているのだろうか…
「V1(離陸決心距離、この位置を超えると離陸中止できない)…、ローテート(機首上げ位置 回転でもポテトでもない)。」機首が上がり、数秒も経たずに主脚も地面から離れる。安定した上昇速度になり、着陸脚、そしてフラップを収納する。
「DNKN、こちらPBA805便。離陸完了。」
「PBA805便、こちらDNKN。航空管制をDNKKへ移管します。チャンネルはそのまま。さようなら。良い一日を。」
「DNKN、こちらPBA805便。DNKN、航空管制移管了承しました。さようなら、そちらも良い一日を。」
機長は最後の交信をし、航空管制をFIR:Kano(ICAOcode:DNKK)へ繋いだ。その後SID:DETAR、KANOを経て、飛行ルートUR986上を航行する。高度は先程と同じ45000feet、速度もM1.2を取る。
「さて、またオートパイロットになりましたので2時間一寸はヒマですね。」機長はぼやく。
「では先程の話の続きを…」どうやらワルタガードは徹底的に機長を弄る気らしい。
「いえ、そろそろ今回のフライトについて本当の事を話して頂きたいですね、ワルタガードWHO特使。いや、元WHO派遣団長。」機長は鋭く返す。そろそろ事実が知りたかった。いつもの事だが、今回は何時にも増して大きな謎があった。いくら実績があったとしても、退いた職員を特別に復帰させ、特使として派遣するのは特例と言えど不思議な話だ。
「…機長、君はこの愚かな一家が犯した贖罪というつまらない話を聞きたいのかね?」少し沈んだ声でワルタガードは訊き返す。どうやら話すにも億劫というか悲しみの様なものが含まれていた。
「聞いておかないと、後々の業務の判断に支障が出る…様な気がするんですよ。特使。」当初は先程の言い返しのつもりだったが、大分根が深い話だとは理解していたつもりだった。そしてこの先の判断に影響が出そうな話題でもあると考えていた。
「わかった。ではつまらない方の話題を話そう。」覚悟を決めてワルタガードは語りだす。
「先日のキュートで徳の高い魔女殿の洞察力には驚いたよ。流石だと思った。しかしそれは一時凌ぎでしかなく、恒久的な解決策ではない。」
「というと?」機長は質問を返す。
「今、アフリカの諸国家に大至急必要なモノ、それは水だけではなく、政治体制の立て直しとそれによる公共サービスの提供、紛争の解決、作物の恒常的収穫による食糧確保、疫病対策、教育、そして鉱物資源の産出と経済政策。そのどれもが優先事項だ。しかしそれ等を同時に解決するのは不可能で、解決にあたっての時間も数年程度では効かないだろう。」
「そうですね。」機長は相槌を打つ。
「まず脚架かりとして最初にあげるとしたら、私は水、つまり治水を選ぶ。何故なら水は食料確保、疫病蔓延に対する予防が期待できるからね。人間最初に必要なモノは水と喰いモノ、そして健康だ。」
「…」
「それらが確保されて初めて、共同体が出来、そして政府が発足し、そこから公共サービスも充実し経済も回りだす。」
「確かにそうですね。ただ紛争に関しては政府による軍事力が必要とも思います。やはりどれもが優先になると俺は考えます。」
「まぁ、そうだろうね。ただ私が出来るのは元WHO職員として疫病対策と治水だけだよ。だからそれを急いで行う。」
「なるほど。で、一時凌ぎというのは?」
「水に対しての恒久的な解決策は上下水道の完備だ。しかしその両施設の建設、運用には先進国の協力が必要。言わずもがなこれらは最先端技術であり、その建設と運用には実績を持つ国々の技術提供があって初めて効果が発揮される。」
「井戸水、地下水では駄目と?」
「少量のくみ上げなら地下水でも何ら影響はないだろう。しかし後に農業用水としての灌漑や更に工業用として使えば、その貯蓄はあっという間に無くなり土地は痩せ食糧危機状態へまた戻ってしまうだろう。他にも地盤沈下や樹木の後退による砂漠化も進んでしまう。それを防ぐ為にはその凌ぎの間に治水を行わなければならない。」その話を聞き、機長はキャノピー越しに眼下の景色を眺める。既に周囲は荒れ地ではなく、緑地が増え始めていた。
「更に言えば上下水道が完備されれば飲料水も確保され、疫病予防にもなる。赤痢の様な菌は汚染水が主な経路だからね。但しタダで問題解決とはいかない。」
「それはどういう事で?」
「濾過に使う堆積物の処理、特に下水処理場の廃棄物だ。これらの処分には場所が必要で、やはりここも先進国の技術提供や場合によっては処分費用を払っての依頼になるかもしれない。何事も簡単にはいかないね。」ワルタガードは少し嘆息を出す。
「ある程度は納得できます。が、ワルタガード特使。何故貴方なんですか?」機長にとってここが本題だった。恐らく彼の悲嘆の原因であり、この先の判断の重要な要素になるかもしれないと思っていた。
「やはり君はお堅いな。ワルタガードでいいよ。」
「ではワルタガードさん、教えてください。何故アンタなんですか?WHOだって職員は沢山いるし、当然こういった重要な任務を負う役職の人間だっているでしょう。言っては何ですが、アンタは既に退職した人間だ。本件に関わる事は出来ない筈と俺は考えています。」機長の本音が出た。
「ふふ、手厳しいね。普通に考えればその通りだ。更に言えば、もし私が君の立場だったらもっと何かを企んでいるかもしれないと考えるがね?」少し含みを込め、ワルタガードは返す。
「で、本当の所を話して頂けませんかね?」機長は真剣に問い返す。
「聞かないで欲しい、とか誤魔化したいとは言えないだろうね。」
「アンタの命、規定による乗客の命に係わると考えているんで。」機長の目の先に見えるのはただの緑の土地ではなく、危険地域であった。自然と目つきは鋭くなってくる。声にもその鋭さが含まれていた。
「分かった、話そう。」観念しつつもワルタガードは機長の話し出した。
「私の祖父はベルギー出身で政府の行政機関に務めていた。そして私が生まれて暫くしてスイスへ移住した。いつの事だったか…」
「ベルギーと言えばチョコとワッフルですね。もっとも、パティシエによる高級品ですが。」
「カカオはガーナや赤道ギニアとかの西アフリカで栽培されているね。ただ児童労働による栽培というのは残念だが。それすらどこの国も同じか…」
「…」ここにもアフリカの闇の一つがあった。いや世界中にこのような闇がある。
「話がずれたね、続きを話そう。」
「ベルギーとコンゴ、どんな関係が?」機長は質問をした。
「そうか、異国の古い話だからね。知らないのも当然だな。」
「すいません、生憎不勉強なモノで。」少し皮肉気味に機長は謝る。
「いや、謝るようなことじゃない。この件は褒められた話でも無いしね。」
「それで?」
「かつてコンゴはベルギーの植民地だった。」ワルタガードは話を続ける。
「当初、コンゴはベルギー国王レオポルド2世が支配をしていた。しかし彼が敷いた圧政は結果として残虐なものとなり、国際世論から厳しく批判された。その為支配権をベルギー政府に移譲し、ベルギー領コンゴが誕生した。1908年の事だ。このベルギー領コンゴは1960年の独立までベルギー植民地評議委員会が統治していた。」
「で、アンタの祖父は?」機長は凡そ予想がつき始めてた。しかし確認の為問いかける。
「祖父が属たのは、そのベルギー領コンゴ植民地評議委員会。議員の一人だったんだ。」
「なるほどね。」納得がいった。
「1960年の独立の直前、ベルギーはまだコンゴ領を手放そうとは考えていなかった。とある教授はコンゴの独立には30年はかかるだろうとさえ言われ、それすらも理想主義とされた。しかしイギリスやフランスがその周辺領土の独立について検討を始めると、コンゴ領内にも独立の機運が高まった。当然各地で独立運動が高まり、1959年の暴動がきっかけでベルギー政府も独立について検討しなくてはならなくなった。暴動の直後、ベルギー政府は独立運動の各党のリーダーを招集し、独立についての会議を行った。そしてその場で6か月後にコンゴ領は独立することになった。」
「な、たった6か月後に?!幾らなんでも早すぎる!!」流石に驚いた。準備期間が全く足りない。
「しかし予定通り6か月後にコンゴ領はコンゴ共和国として独立した。そして予想通り国内は混乱に陥った。どんな莫迦でもそうなる事は分かりきっていた。当然祖父もね。そこから現在もその混乱は終息していない。」
「…」
「祖父は独立については賛成だった。ただ嘆いていたよ。自分たちがもっと早く独立について真剣に考え、時間を掛けて民族間の和解や政府の樹立について検討していればこんな事にはならなかっただろう、とね。死の間際まで自責の念に囚われ嘆き、悔やんでいた。更に追い打ちを掛ける出来事があった。」ワルタガードは過去を想っていたのだろう。
「それは?」
「ウランだ。」その一言に機長はドキッとする。
「ウラン?あの?」
「そう、ウランだ。機長、マンハッタン計画というのをご存知かな?」悲しみを帯びた声でワルタガードは問う。
「ええ。原子爆弾についての計画…ですね。」呆然として答える。
「1942年に発足したアメリカ合衆国の原子爆弾に関する計画だ。完成した2種類の爆弾、ウランを爆薬としたモノは日本の広島に、ウランから原子炉で生成されたプルトニウムを爆薬としたモノは同じく長崎に投下された。」
「…」機長もその知識については持っていた。幾つか資料を読んだり写真を見たことがあった。凄惨な物だった。しかし、何時、何処でそれを見たのか思い出せない。
「時期を考えて欲しい。1942年、何処があそこを統治していたのかな?」
「まさか!」
「そう。ベルギー政府はアメリカとイギリスに、ベルギー領コンゴの産出ウランをとある会社を通して独占に輸出していたんだ。この件はベルギーには旨味は無かったらしいが。凡そその会社から何かを頂いたんだろうね。勿論当事者はベルギー領コンゴ植民地評議会だ。祖父はこの件には反対だったようだが。」
これがワルタガードの悲しみと憂いだったのか。だがその重みは当事者であるワルタガードしか解らないだろう。
「祖父はその事も強く嘆いていた。アレのせいで日本の投下された2つの地域の住民は凄惨な死傷と破壊の体験をした。祖父は被害の写真やレポートを読んでいた。その後は最悪の大量破壊兵器として世界中に出回り、いつそれが再び使われ、もしかしたら世界が滅ぶかもしれない。そして祖父がそれに関わったのは紛れもない事実だ。悔やんでも悔やみきれないだろう。」
「でもそれはアンタのじーさんの行いでは…」なんとか宥めようとするが、機長にそんな力はない。
「その後、祖父はコンゴ共和国に対して最大な様々な尽力を最大限注いだ。なんとか内戦を停めたい、なんとかウランの輸出を停めたい。だがそんな祖父の行動はベルギー政府にとって邪魔なモノ。独立後もベルギー政府としてはなんとかしてコンゴと繫がっておきたいからね。そして祖父は弾きモノにされ、スイスに移った後に父と幼い私の前で息を引き取った。」
「…」
「父も祖父の贖罪の意志を受け継ぎ、国連事務局へ就いてコンゴ共和国、後のザイールの平和の為、尽力を尽くした。在籍中、残念な事に1961年にコンゴ動乱解決に意欲的だった第2代目国連事務総長、ダグ・ハマーショルドがコンゴ動乱の停戦調停に赴く際、チャーター機の墜落事故で亡くなってしまい、さらに混迷を極めたりしたがね。それでも父も諦めなかった。」
「…」機長は返す言葉も無かった。
「父が在籍中、私は世界にある幾つかの大学で政治や経済、民族学に、果てには生物生態系や地質学等役に立ちそうなものはなんでも学んだ。そして辿り着いた結論が…」
「治水だったって訳ですね。」これが答えだったのかと機長は理解した。このような背景を持っていたら命を懸けて、いや、子孫を含めた一家全てを掛けてコンゴ民主共和国へ尽くすだろう。
「ああ。そして私はWHOに入り、各最貧国での調査、分析を行った。私の結論としてはその答えは間違えていないと信じている。しかし幾ら各国や国連関連組織へ訴えても、現地活動をしても、人、活動費用、現場での安全、何もかもが足りなかった。そうこうしている内に父も嘆きながら亡くなり、その後私も職務から退かなくてはならなくなってしまった。」
「そして今回、コンゴ民主共和国で大きな変化があり懇願して例外的に特別大使としてやってきた訳ですか。参ったね、こりゃ。」機長は後悔した。確かに面白くない話だ。人道的という意味ではなく、彼自身の任務の判断に大きな影響を与えるからだ。
「ワルタガードさん。再び伝えておきますが、私の業務は貴方を無事にコンゴ民主共和国ヌジリ国際空港へ連れていくことです。不可能な場合、貴方の絶対安全が優先されます。その為の判断をするのは俺です。」機長はこの先に待つであろう危険への対処に対してワルタガードへ釘を刺しておいた。
「わかっている・・・わかっているよ。」呻くようにワルタガードは答えた。
現在PBA805便はコンゴ共和国を抜け、コンゴ民主共和国にあるSID:AMROD付近を飛んでいた。速度は時速800km/h、高度は8000m(約24000feet)。後は右へ旋回し、飛行ルートUV30を経てヌジリ国際空港へ降りるだけである。その時だった。機首のN036レーダーが未確認の飛行体を捉えた。方位は3-3-0。距離は400kmをきっている。数は2機。こちらへ向かってくる。PBA805便へ無線が入る。
「SID:AMROD付近の航空機、PBA805便。貴機はコンゴ民主共和国の領空を侵犯している。直ちに当方へ従属せよ。繰り返す。PBA805便、直ちに当方へ従属せよ。」
その無線で機長は驚く。「領空侵犯?何を言ってるんだ?」未確認の飛行体による無線が理解できず機長は無線周波数を国際共通周波数(121.5MHz、243MHz)に合わせ返信をする。
「3°41'10"67S,20° 、5'14.08"E付近の未確認飛行体へ、こちらPBA805便。当機は正式に承認された飛行計画に則り、コンゴ民主共和国首都ヌジリ国際空港(FZAA)へ飛行中。ヌジリ国際空港へ確認を願います。繰り返します、こちらはPBA805便。当機は正式に承認された飛行計画に則り、コンゴ民主共和国ヌジリ国際空港へ飛行中。ヌジリ国際空港へ確認を願います。」
そこまで言ってから機長は気付く。最初の警告指示で相手が何処の所属か明言されていない。IFFにも応答が無かった。嫌な予感がし、機長は追加で相手を誰何する。
「3°41'10"67S,20°、5'14.08"E付近の航空機へ、こちらPBA805便。貴機はコンゴ民主共和国空軍機ですか?繰り返します、貴機はコンゴ民主共和国空軍機ですか?」
相手から返答がない。暫くして別周波数より返答が返ってくる。
「PBA805便へ。当方に従属せよ。指示に従わない場合、貴機を撃墜する。繰り返す。PBA805便へ。当方に従属せよ。指示に従わない場合、貴機を撃墜する。」一方的に宣言し無線を切る。これで機長は正体について凡そ察しがつく。
「はぁ、またあいつらか。」
「あいつらか」
機長とワルタガードがハモる。
「おや機長?彼らとお知り合いかね?」皮肉を込めてワルタガードは質問をする。
「冗談じゃない。あいつらとお知り合いなんて御免被りますよ。そういうワルタガードさんこそお知り合いで?」うんざりしながら機長は返す。
「ご冗談を。彼らとお知り合いなんて御免被るよ。」やはりうんざりしながらワルタガードも返した。
「おや、気が合いますね。」
「全くだ。」二人揃って笑い合う。
前方にいる正体不明の飛行体は恐らく正規のコンゴ民主共和国空軍機だろう。しかし彼らを向かわせる、あいつらとは金でコンゴ民主共和国空軍を飛ばしてくる黒幕の事を指していた。
いわば、毎度毎度Peace Bird Air Companyに邪魔をしてくる、日本で言うところの特撮番組の悪の組織で、接近してくる未確認の飛行体は毎度やられ役で登場する怪人のようなものだ。
「さて、どうしたものか…」機長は真面目になり慎重に現状を整理する。正体不明機と接敵するまで約10分程。まずは現状をカンパニーへ伝えることにした。
「カンパニー、カンパニー、こちらPBA805便、機長です。緊急事態宣言。PAN-PAN、PAN-PAN、PAN-PAN。現在位置はSID:AMROD付近。未確認の飛行体からの従属指示を受けました。繰り返します、当機PBA805便は未確認の飛行体から従属指示を受けました。距離390km、接触まで凡そ12分と推定。」
「PBA805便。こちらカンパニー。未確認の飛行体の従属指示警告を確認。コンゴ民主共和国空軍か?」運行管理係が問う。
「カンパニー、PBA805便。現状では確認不可。IFF応答無し。当機への警告時にコンゴ共和国空軍と明瞭な発言は無かった。繰り返す。IFF応答なし。警告時にコンゴ共和国空軍と明瞭な発言は無かった。また現在の距離では視認不可能。」機長は情報を出来るだけ正確に伝える。
「機長、運行管理係だ。コンゴ民主共和国空軍の戦闘機機材はMig23、Mig23UBの計2機のみだ。確認できないか?」運行管理係は確認を促す。しかしレーダーの情報では機種の判別は出来ない。
「カンパニー、こちらPBA805便。機長だ。レーダー及びIRST、視認による判別はこの距離ではまだできない。」
「機長、こちらカンパニー。未確認飛行体は現在も接近中か?もしコンゴ民主共和国空軍だとしたら装備ミサイルはR-3、もしくはR-60、射程距離は8~15kmと考えられる。射程距離までどのくらいの時間がある?」
「カンパニー、こちらPBA805便。凡そ10分といったところだろう。」カンパニーラジオから何か音がした。返答する人間か代わった様だ。
「PBA805便、こちらカンパニー、女社長だ。状況は把握した。採る事が可能な選択肢を上げろ。」
「PBA805便、機長よりカンパニーへ。現時点で採れる選択肢は2つです。一つ目は離脱し安全な空港、コンゴ共和国の首都ブラザヴィルにあるマヤマヤ国際空港(FCBB)へ退避する。二つ目は未確認飛行体の指示通り従属することです。」機長は回答する。
「よりベターな方法は?」女社長が問う。
「一つ目の離脱です。」機長は冷静に判断はだった。いや冷徹と言っても良かった。
「今なら最重要の規定である一番目の乗客の安全と、機材の安全確保が可能です。」
「女社長より機長へ。了承した。離脱を許可する。」女社長も冷静に答えを出す。この判断が一番危険が少ない。しかしワルタガードが割って入ってくる。
「一寸待ってくれ?この飛行機はこういった時の為に武装をしているのではないかね!?」
機長はその問いにこう答えた。
「ワルタガード特使。相手は武器を持ち、当機に使われる可能性が非常に高いです。」
「しかし、この機体は最新鋭機なんだろう?!戦闘になってもこちらが有利になるのではないかね?」
「機材の新旧より重要なのは、相手が武器を持っている、という事実です。判断を間違えれば貴方の命を危険に晒すことになります。それと本機の装備はあくまで緊急時の自衛用であり攻撃に使う訳にはいきません。」
「これだけの装備を持ち、契約を交わしたのにこの程度の事でUターンするのは納得できない!!」ワルタガードは強い語調で自分の我を通そうとする。それに対し機長は現状を踏まえた上で更に冷徹に説明をする。
「ワルタガード特使、よくお考えください。現在、本機はWHOのチャーター機として飛行しています。もし仮にアレらを攻撃をすればコンゴ共和国軍空軍機への攻撃と判断され、国際問題になるかもしれません。いえ、ほぼそうなるでしょう。状況をご理解ください。」
ワルタガードはこの答えに対し歯ぎしりをする。目的地までもう直前。一家に長年継がれてきた、世界に対する贖罪の機会が目と鼻の先で失われてしまう。彼の目からじわりと涙が出てくる。
「機長、頼む!私をヌジリ国際空港へ連れて行ってくれ!これは私が絶対に果たさねばならない責務なのだ!」ワルタガードは叫ぶ。しかしカンパニーラジオから宥めるように女社長の回答が来る。
「特使、申し訳ありません。しかしよくお考えを。貴方の命を危険に晒すことは絶対にできません。仮に機材が破損してもです。どうかご理解ください。またチャンスは来ると私は信じています。」
「それでは駄目なのだ!この二度目の機会を設けるのに二十年以上費やした!!ここでキンシャサに降りれなければ私の人生、命が全て無駄になってしまう!!コンゴ民主共和国の為に!世界平和への過ちの贖罪の為にどうかキンシャサへ着陸してくれ!!」
「特使…」機長も女社長もその反応に言葉が出ない。しかし、情で彼の意見を飲む事は絶対にできなかった。
「ワルタガード特使、申し訳ありません。」女社長は再度謝る。
「そうか…どうしても駄目なのか…」ワルタガードの声に震えが加わる。。恐らくその目に涙が溢れているのかもしれない。
「再び聞きたい。どうしても駄目なのか?」完全に涙声になってワルタガードは問い返す。
「残念ですが…本当に申し訳ありません。」女社長にとっても無念の謝罪だった。しかし彼の命には代えられない。
「分かった…ではこうするとしよう。」涙声でワルタガードは決意をした。何やらゴソゴソとやっている。
「機長、これが見えるか?」ワルタガードは右手に銃を握っていた。キャノピーとメインコンソールの隙間から銃口を彼に向ける。機長は少しだけ驚きながらも答える。
「本気ですか?」事態はハイジャックに変わった。しかし現状を公用無線で発信すればワルタガードの立場が悪くなる。その為航空管制との無線を切った。
「特使、そんなものを突き付けても無駄です。私はただの会社の備品です。それを使ったところで貴方がこの機を操縦し、現状を打破するしか方法はありませんよ?操縦しますか?」そうまでして彼はキンシャサへ行きたいのか…機長は辛く思う。何とかしたい、だがこれは譲れない。
「分かった、ではこうしよう。」ワルタガードは銃口を自分の顎に当てる。もし引き金を引いたら彼は確実に死ぬだろう。そして断れば引き金を引きかねない。彼はもうやけくそだった。自分の何もかもを顧みないつもりだ。機長は本当に困り果てた。大きなため息をつき、カンパニーへ再度連絡をする。
「カンパニー、カンパニー、こちらPBA805便。機長です。スコーク7500発生。繰り返します。スコーク7500、スコーク7500」その無線を聞いたカンパニーからざわついた声が入ってくる。
「機長、女社長だ。どういうことだ?事態を報告せよ。」機長はカンパニーラジオで詳細を説明しようとした。その瞬間、機長はビクッと反応した。この会話はコックピットボイスレコーダーに録音されている。下手な伝達をすればワルタガードがハイジャックした事が露見してしまう。よって、一つ一つ丁寧に言葉を選んでカンパニーへ報告する。
「現在、ハイジャック犯は、銃を、ワルタガード特使に突き付けています。繰り返します。ハイジャック犯は、ワルタガード特使の、顎に、銃口を、突き付けています。もし、引き金が、引かれれば、特使は、確実に、死亡すると、思われます。」これは機長が出来る最大限の譲歩だ。
「それで?ハイジャック犯からの要求は?」女社長が質問する。
「こちら機長。ハイジャック犯は私の話には応じないと言っています。ワルタガード特使経由で、彼の口から要求を伝えると言っています。」女社長は大きなため息をついた。否応なくこの話に乗せられる事になった。
「ワルタガード特使、ハイジャック犯の要求をお伝えください。」その答えと同時に機長はワルタガード特使へMFDのコンソールからサインを表示させる。内容は{余計な事は言わず、簡潔に}だ。
「わ、わかった。犯人の要求は飛行計画通りにコンゴ民主共和国のヌジリ国際空港へ着陸せよ、だ。」ワルタガードの声は震えていた。
「特使、間違いはありませんか?」女社長は再度確認をする。
「あ、ああ。間違いない。要求はヌジリ国際空港への着陸だ。」それだけを言って、彼は沈黙をする。
気付けば未確認の飛行体は既に150kmの位置まで接近していた。あと5分ほどで接敵状態になるだろう。
外から接近する危険、内側で発生した危険。乗客の命の安全、機材の安全確保。どれも秤にかけるのは難しい。時間は刻々と過ぎ、女社長も機長も考えあぐねていた。答えは既に一つに絞られてはいるが、これは一番リスクが高い解決策だった。そこでワルタガードが俯きながら一言呟く。
「機長、私をヌジリ国際空港へ連れて行ってくれ…頼む!」泣き声が混じった呻き。女社長は一つため息をつき、機長にその答えを言わせることにした。
「機長、こちらカンパニーだ。現状での最適案を提示して欲しい。」
「分かりました。案は三つ。一つは全速力で安全圏への離脱。しかしこの場合、ハイジャック犯がワルタガード特使を射殺すると思われます。」
「犯人が特使を射殺をする可能性は?」
「相手は本気です。」
「では次の案を聞こう。」
「次案は未確認の飛行体への従属です。しかしこの場合、従属後のワルタガード氏の命の保証ができません。」
「無いな。で、最後の案は?」
「三つ目ですが…交戦の意志があるかを確認し、会敵する場合は無力化して実質の撃墜状態にすることです。」
「出来そうか?確率はどのくらいだ?」女社長はもうそれしかないだろうなと思いながらも質問する。
「リスクは高いです。確率は40%を切ると判断しています。」機長は自分の答えに覚悟を決めた。
「わかった。では機長、3つ目の案を実行せよ。責任は私が取る。」女社長も覚悟を決め、宣言をした。
その答えを聞き、ワルタガードは一瞬我を忘れたが
「機長!女社長!感謝する!本当にありがとう!!」喜びの涙声で感謝をしていた。
「そうと決まったからにはワルタガード特使、覚悟を決めてください。これから実戦になります。最大限の努力はしますが命の保証は一切できません。」
「わかった!」ワルタガードの覚悟は決まっていた。機長を信頼し、例えどうなろうとヌジリ国際空港へ辿り着いてみせる。
機長も必ずワルタガードを無事にヌジリ国際空港へ連れて連れて行ってみせると心で誓う。
「PBA805便よりカンパニーへ。一度無線を切ります。状況が定まったところで再度連絡を行います。」
「こちらカンパニー、女社長だ。彼の為に頼む。」
「こちらカンパニー、運行管理係だ。ヌジリ国際空港へ到着したら連絡をしてくれ。健闘を祈ってるよ。」
「ありがとう。」機長は最後の交信を絶った。そしてワルタガードへ注意事項を話す。
「ワルタガード特使、まずシートベルトが十二分にしっかり締められているか確認してください。同様にヘルメットもしっかり被っているか、ベルトは正しく留まっているかの確認もしてください。またマスクを装着、マスクの酸素吸入パイプがコンソールの酸素供給口へ繋がれているかの確認もお願いします。格闘戦状態になる事が予想されます。その場合、身体に大きなGが掛かります。凡そ8~10Gは覚悟してください。耐Gスーツにより血液が脚へ流入し無い様締め付けますが、それも補助的な物です。HUDにG値が表示されますので、膝に力を込めて筋肉で血管を締めてください。後は…祈るなり何なりしてください。」
「わかった。最後のは誰に祈ればいいかな?」ワルタガードは少し気分がほぐれたのか、冗談を返す。
「そうですね、散々からかわれたので、魔女の女神殿はいかがです?」機長は小声で笑う。
「それなら安心だ。」
「それとステライルコックピットも忘れずに。」
「了解した。」
既に未確認の飛行体は30kmの位置まで接近していた。方位は3-3-0。ヘッドオン。再び警告の無線が入る。
「PBA805便。貴機はコンゴ民主共和国へ領空侵犯をしている。直ちに当方へ従属せよ。繰り返す。貴機はコンゴ民主共和国へ領空侵犯をしている。直ちに当方へ従属せよ。」それに対し、機長は返信をする。
「こちらPBA805便。当機前方の未確認の飛行体へ。貴機はコンゴ民主共和国空軍機か?返答願う。繰り返す。貴機はコンゴ民主共和国空軍機か?返答願う。」再度誰何する。しかし返答は返ってこない。今度はヌジリ国際空港へ該当機へ問い合わせをする。
「PBA805便よりヌジリ国際空港(FZAA)へ。当機前方、30km地点にいる未確認の飛行体より従属指示を出されている。あれはコンゴ民主共和国空軍機か?確認を願いたい。」当時に機長はPeace Bird 8号機を戦闘状態へ設定する。ECM、ECCMをON、FCSをON、左側のMFDにストアされている装備が表示される。ステーション2と11のR-73短射程赤外線ミサイルがウェイクアップする。モードを近射程銃撃モードへ設定。対ミサイル欺瞞装置(チャフ:金属片拡散弾 フレア:発火式発熱発光弾)ON。そのタイミングでヌジリ国際空港から返答が来る。
「ヌジリ国際空港よりPBA805便へ。該当機を確認できない。2次レーダー上に表示されていない。貴機は確認しているか?」この返事で相手は不明から脅威へ移行した。
「こちらPBA805便。ヌジリ国際空港へ。該当機は既に本機レーダー範囲20kmのにいることを確認している。また幾度かの従属指示が出ている。そちらで確認できない様なら、本機は適切な対応をとる。」
「PBA805便。こちらヌジリ国際空港だ。勝手な真似はしないでくれ。現在こちらで呼びかけをする。」
「もう遅い。推定のミサイル射程圏内だ。」機長はそう答え
「会敵宣言」宣言をする。
まず敵対攻撃意志があるかどうかを確認するために、機を左下へバンクしながら降下する。左側にしたのは他の飛行機がいないと判断した為だ。そして未確認の飛行体はそのまま右へバンクしながら旋回し、後方についてくる。未確認の飛行体の赤外線ミサイルシーカー追尾の警告音が機内に鳴り響く。念押しで今度は右へ旋回しながら弱降下する。7Gが二人に掛かる。ワルタガードの呻き声がヘルメットから聞こえる。やはり未確認の飛行体は遅れず付いてきた。警報音もなりっ放しである。これで未確認の飛行体を敵機と機長は判断する。
「ワルタガードさん、お分かりの通り敵機と判断しました。これより戦闘に入ります。」
「覚悟は出来ているし、機長、君を信じている。」
「ありがとうございます。では。」返事と同時にミサイルの警報音が発射されたそれに変わる。機長は反射的にミサイル欺瞞装置を2カートン分射出する。尾部のテールから後部空中に花火のような火球が拡散する。同時に布のような金属片がヒラヒラと舞う。機長はスロットルを絞り、機を自由落下状態へ。スロットルを開けっ放しにすると欺瞞効果が薄れるからだ。機体はだんだん重力による加速で降下していく。機長が旋回時に見た機影は情報通りMig-23が2機だった。ミサイルを回避されたと判断した敵機は一機が8号機の真後ろへ、もう一機が後方のサポート位置へと付く。機長は推力を戻し、左の小旋回をする。真後ろの敵機はその後ろへ付く。少しだけ旋回半径を大きくするために機長は操縦桿を戻す。直ぐ後方の敵機は機関砲で狙いを定める。敵機のHUDは機銃モードになっており、そこに漏斗状のマークが現れる。そのマークと左右翼端が重なった時射撃すれば命中することになる。それを逆手に利用し機長は機を上下運動させたりや旋回をきつくしたり緩めて誘っている。真後ろの敵機がそれを逃がさず、追従する。マークと翼端がとうとう重なる。その瞬間だった。真後ろの敵機はがくんとバランスを崩し速度がみるみる低下しだす。きつい旋回をずっと続けたために、飛行の為の運動エネルギーを完全に失ったのだ。Su-35SUBMKはその運動エネルギー消費がMig-23とは比べ物にならない程低い為、ずっと旋回状態を保っていられるのだ。そのまま機長は武器を機銃モードに切り替える。エネルギーを失った敵機はただふらふら飛ぶ紙飛行機も同然。あっという間にHUDのファンネルが敵機を捉えた。これで実質撃墜となった。燃料も恐らく残っていないだろうから、もう基地へ帰投するしかない。後は更に後ろについていたもう一機だけだ。
2 vs 1では多少分が悪かったが、1 vs 1ならば腕の差を機体性能が完全にカバーしてくれる。機長はスロットルをミリタリー推力最大にし、緩く上昇しながら左旋回を行う。後方の2機目は同様にアフターバーナーを使っての最大推力で追いすがろうとするが、先程の旋回で元々の運動エネルギーを失っており、またSu-35SUBMKの推力についてこれず、のたのたと上昇するのが精いっぱいだった。しかも直ぐに上昇できなくなり反転下降しながら旋回をする羽目になる。完全に後部上方をとった8号機は急旋回と降下を開始し、まるで猛禽の如く2機目に襲い掛かる。2機目も既にふらふら状態になっており、あっという間に機銃キル状態にされてしまう。
「PBA805便より、不明機、いや敵機2機へ。戦闘を継続するなら今度は撃墜する。繰り返す。戦闘を継続するなら今度は撃墜をする。」無線を聞いた敵機2機は機をロールさせ、交戦意志が無い事を示す。機長はふぅとため息をつく。ワルタガードは大丈夫だろうか?
「ワルタガードさん、大丈夫ですか?」息も絶え絶えに返事が返ってくる。
「あ、ああ。何とか大丈夫だよ。どうなった?」
「もう終わりましたよ。」と機長は微笑んだ。
30分後、ヌジリ国際空港がみえてくる。滑走路は一本。進入経路は06/24 計器進入装置がある。自動操縦による誘導が可能だ。
「ヌジリ国際空港(FZAA)、こちらPBA805便。着陸進入パターンの許可を願う」
「PBA805便、こちらヌジリ国際空港。進入いつでもOKです。滑走路方位は06。」
「こちらPBA805便、了解。と、その前にご挨拶をしないとな!」先程の未確認の飛行体について機長はおかんむりであり、今後この国を飛行する際にもメンツを潰される真似はされたくない。そして恐らくここの管制もあいつらとグルだと考え、警告を与える事にした。本来はICAO(国際民間航空機関)に定められたルールへの違反だが、その前の空港や航空管制の対応の方が問題だったために、あんなハイジャックまがいまで起こったのだ。
「ヌジリ国際空港より、PBA805便。何をする気だ?」丁度その頃無線に出た職員はマグカップのコーヒーを啜り始める。同時に機長はスロットルを最大、アフターバーナーも最大に開く。高度は1400feet、速度は時速500km。バンク角は尾翼の社章が良く見える20°。管制塔との距離200mを切って真横を横切る。
ビリビリと管制塔は振動し、その男はコーヒーをこぼした。
「くそっ!」管制塔の男は怒鳴る。
「機長、お遊びが過ぎるんじゃないかな?」ワルタガードは呆れていた。
「なーに、ほんの軽い挨拶ですよ。」まずは機体の性能を示した。これで簡単には勝たせはしないゾ♡という意思表示だ。
「ヌジリ国際空港、こちらPBA805便。着陸アプローチ。VFRで着陸する。」
「PBA805便、こちらヌジリ国際空港。了解。勝手にしろ!」さっきの事で管制官もむくれていた。
「ヌジリ国際空港、こちらPBA805便。了解。」愉快そうに機長は返事をする。
フラップはフルダウン。飛行速度は180km高度は20m。滑走路上のタッチパッドが見える。ゆっくり進入し…しかしこのまま進入すると15m程度高くタッチパッドを過ぎることになる。
タッチパッド少し手前に着た瞬間、機長は推力をミリタリー最大にあげ、操縦桿思い切り引き、AOAを着陸最大角度より大きめにとる。尾部のテールは滑走路ギリギリに近づき、機首は首を上げた状態となる。そしてすぐに操縦桿を戻すと機体はパタンと水平に戻り、そのままタッチパッド上にトスンと墜ちる。管制官はそれを唖然と見ていた。ワルタガードは大笑いをしていた。機長は恣意的にこれで警告をしていた。これだけの腕のパイロットが相手になる、戦闘するなら覚悟をしろと。やっと憂さ晴らしも出来たので大人しく一番最初の入り口から駐機所に進入する。誘導員の指示に従い、駐機場へ駐機した。キャノピーを開ける直前にワルタガードへ
「もう銃は要らないでしょう?ちゃとロックして私に渡してください。」少し微笑んで機長へ銃を渡した。
駐機場の係員がわらわらと8号機へ寄ってくる。両エンジンをカットし、電源を落として付けられた梯子で機から降りる。ワルタガードは結局息も絶え絶えだったらしく、装備も重かったので係員の力を借りて、機から降りてきた。地面に着いた瞬間、その場でへたり込んだ。
「ワルタガード特使、大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね。」
「それならよかった。」と同時に救急車がやって来て、ワルタガードはタンカに乗せられた。機長はワルタガードに手招きされ、弱弱しく右手を差し出した。機長は返して右手で握手をする。
「機長、ありがとう。これでほんの少しだがこの国を変える足掛かりができる。そして私の一家の贖罪も少しだけ果たせる。まだまだやるべきことは沢山あるが、機長、君のおかげだ。命を賭けてくれて本当に感謝する…」
最後はまた涙声になっていた。弱弱しく上げられた右手だったが、握られたその手は熱く、力強かった。
「タンカを救急車に乗せろ!」係員が叫ぶ。
ふと気づくと救急車の脇に女性が立っていた。日本人だろうか?彼女は機長へ軽く挨拶し、自分は疫病対策研究所からやってきたNGOだと伝えた。
「ワルタガードさんを連れてきてくれて本当にありがとうございます。彼の力でWHOが再び動いてくれれば、この国はもっと良くなっていきます。本当にありがとうございます!」彼女もまた涙声になっていた。
そして救急車に同乗して去っていった。
それはこの国が如何に荒廃し、様々な問題を抱えていることを示していた。
機長は握られた右手を呆然と見つめ、その熱を再び感じていた。
「機長、ハイジャックがあった様だと言う報告がありましたが…」係員が問いかけた。
「ハイジャック?ああ、犯人ならさっきのゴタゴタの最中に何処かへいったよ。」その答えに係員はなるほどと笑いながら
「その銃は?」と最後に問いかけた。
「これは特使の護身用さ。」と彼へ笑いかけた。
幾許かの後、ニュースでコンゴ民主共和国で初めての民主による選挙が行われた事を知った。
機長は現在リビア領海上を珍しくPeace Bird 11号機、 Yak-130を飛ばしていた。いや、正確にはリビア領海上からマルタ島へ引き返していたと言うべきか。引き返した理由はまたあいつらが出てきたからだ。どうやら先日のお礼参りらしい。
今回はリビアの政権安定の為に派遣された視察団の先鋒が乗客だった。彼はアジアから来たと言っていた。
機材が11号機なのはどうやら費用を安くさせ、そのお釣りは自分の懐へ入れるつもりだったらしい。
「機長!何故君は引き返したのかね!?こんな事で引き返されたら、私のメンツに拘わる!」うんざりしながら機長は返事をする。
「最初にサインして頂いた契約書の通り、規定第1項に於いて、貴方の命と安全が最優先だからです。」
「しかし、私が聞いた限りでは前回のフライトでは相当な無茶をしてやり遂げたそうじゃないか!私の場合と何が違うのかね!?差別なのか?!もしそうなら謝罪をしろ!!」その言葉に対し、機長は心の中で呟いた。
{アンタは自分の命の安全と危険の天秤に、安全側へ自分のメンツを置いた。しかしあの人は、いや、飛び込む事を選んだ人達は危険側に紛争がある国々への貢献と自分の命を置いたんだ。}後部乗客のピーチクパーチク五月蠅い小言を聞きながらさっさとマルタ島へ降りたいと思っていた。
そして今回引き返した事で費用の一部と違約金を払わされた。
毎度の如く、お金に関しては貧乏くじをひいた女社長だった。
飛行機あるある事件の内の一つと、戦闘機のお話なので地味~なドッグファイトを入れてみました。
メインの機体であるSu-35SUBMKについて解説します。
まずこれは半分架空の飛行機です。実際にSu-35Sという飛行機はロシアで配備されていますが、
複座練習機であるUBというモデルは今の所有りません。またBMという大規模改修はロシアの最新鋭戦闘機Su-57に搭載される予定の高性能エンジンであるイズデリエ30(製品30)と空母運用用練習機Su-33UBという機体の大面積翼を使った改修機という意味です。(Su-33UBはSu-34と同じように世界的に珍しい横並びの複座機です)。Kはただ単純に輸出機を意味していますが、何やらの差はあるのでしょう。
Su-27に在った特徴的なエアブレーキを排除し、そこに燃料タンクを追加、エアブレーキは垂直尾翼動翼を内側へ曲げることで実現しています。また、元々は無かった増槽の配管が追加され、航続距離が延びた設定になっています。
ロシア語で鶴と呼ばれるこの美しい戦闘機、Su-27。その上位版ですが、検索で写真を見られてみては如何でしょう?惹かれると思いますよ???(ホントか?)