君にも別れを
新しい部屋を借り引っ越すにあたり、迷っていることがある。
あの子に挨拶に行くべきか否か。
あの日あの子がドラッグストアで買った物がちゃんと手元に戻ったかが少し気になっているんだよね。
あんまり気が進まないけど、行っておくか…
そう思ってはひふ弁当に顔を出したときの女の子の反応が面白かった。
「あっ、きっ、きっ、き、木月さん!」
「最後の弁当買いに来た。俺引っ越すんで」
「えっ、は?最後って、引っ越すって…」
女の子はカウンター内であたふたして後ろを振り返り「おばちゃーん、少し席外す!レジお願い!」と叫ぶ。
おばちゃんはそれに対して「私はボンボンよりその子のほうがいいと思うよ」と答えた。
おお、おばちゃん、俺の味方してくれてる。
おやっさんはムスッとしたまま唐揚げ揚げてるけど。
女の子はカウンターの一部を上げて中から出てきた。
彼女は俺の手をを引っ張り店を出て、お弁当屋が一階に入っているビルの横の人目につかない階段に連れて行った。
「木月さん、この前はすみませんでした。私、木月さんのズボンにコーヒーこぼしちゃって!
クリーニング代払います!」
あー、ちゃんとそれに気づいていたんだ。
「大丈夫、洗ったら染み落ちたから。気にしなくていい。
君の方は大丈夫だった?
彼氏に誤解されて怒られなかった?買った物手元に戻った?」
「あ、はい。
猫をベットホテルに連れて行った帰り取りに行ったらベンチに置いてあったし、祥ちゃんにはなんも言われなかった」
「へえ、歯牙にもかけてもらえなかったんだ?俺。
君にだけじゃなくあいつにも。」
少し皮肉を込めて笑ったら「あ…や、や、あの人元々私のことがどーでもいい人なんで…」と女の子は小さく手を振り言い訳した。
いや〜その割にはずいぶん勝ち誇った後ろ姿でしたけど?
「あの…木月さん、引っ越すって…?」とおずおず女の子が聞いてくる。
「…うん、埼玉の方に。いろいろ思うところがあって…生活立て直す為に」
そういったら女の子はすごく申し訳なさそうな顔をした。
あ、バカ。
勘違いすんな。
お前が原因じゃないぞ?
…
まあ、遠因の一つではあるか。
俺はやっぱりこの子が好きだったな…
少し困った彼女の顔を見てそう思う。
だからこそあいつがこの子を連れ去ったときあんなにバッサリ大きな刀で切られたような気がしたんだ。
潜在意識の奥にあった思いがいろいろ飛び出してくるくらいその傷は深かった。
結果俺は今までの生活を変える羽目になった。
うん、この街を去る前に君やイケメンスーツ男にもちょっぴり復讐をしてやろう。
俺は人気のないビルの奥まった階段の踊り場で彼女の両肩を掴み、顔に唇を近づけた。
そしてその唇を彼女の顔のどこにも触れず…ま、かなり至近距離までは接近したけど…耳元まで持ってゆき「唐揚げ弁当一つお願いします」と囁いてからパッと手を離した。
これにひどく驚いて彼女の体は硬直したし丸い目はますますまん丸くなった。
それを見て「ん、なに?弁当注文しただけですけど?」と首を傾げて冷笑したら「わ、わ、悪者!嫌い!」と叫んで彼女は店に飛んで戻って行った。
はは、純情ですねぇ?
純情な男をあざ笑っていた割には。
あー最後の弁当は食べ損なうハメになったな。
いや、俺も大人しく君のふった男リストに入るわけにはいかないんで。
このくらいの意地悪は堪忍しておくれ。
話しやすい近所の客として記憶に残るより、嫌われても一匹の雄として君の記憶に残りたいのだ、俺は。
もう夜中に歩く君を見守ることはできないけど…
幸せになりなよ?小悪魔狸ちゃん。




