魚卵
毎日って訳じゃないけど、ちょくちょくはひふ弁当に通う習慣ができてしまった。
お弁当屋の女の子が休み時間に入るぎりぎりくらいの時間に。
俺のもくろみどうり、たまーにお茶に誘ってもらえる。
たまーにね。
女の子に誘ってもらえるのはそれなりに嬉しい。
たとえそれが彼氏持ちの少々ダサ目の女の子でも。
なにせお弁当屋の女の子は頭がいい。
物事に対する観察眼が鋭い。
話しごたえがある。
ときたま恐ろしく毒を吐くときもあるけど、この子は男を立てることを知っている。今どき珍しいよね?
だからかな、話しているうちになんか良い気分になっていく。
あの子がモテるというのはあながち嘘じゃなさそう。
けっこうあの子と嬉しそうに話す男を目撃した。
そしてそいつらとなんとなく顔なじみになってしまった。
商店街の畳屋の三代目とか、鉄工所の若い工員とか。
あいつら俺も自分らの仲間と思ってるかな?
はっ、冗談じゃない。
俺は、違うからな。
お前らはただの客だけど、俺は友人。
たまにお茶する仲だ。
ふふ、まあ、イケメンスーツ男から見たらどんぐりの背比べ、みんな一緒に見えるだろうけど。
あの子…大学出て、企業に就職してもう少しセンスを磨けば、玉の輿とかも狙えたんじゃないか?
ああ、あの男と結婚すれば充分玉の輿か。
いや、もっと上、もっと上を狙えた。
ん?いや、違うな…
あの子の良さはあの野暮ったさから生まれる安心感だもんな。
つまりあの野暮ったさが彼女の最大の魅力なんだから洗練されたらかえって武器を失ってしまう…
…はは、余計なこと考えてんな、俺。
お、そろそろ出かけなきゃ。
今日は兄貴の家で一緒に飯を食うことになっている。
二歳になる姪っ子が俺を待っている。
そんなに遊んでやってるわけではないのにマヤは俺に懐いている。
「ちゃたろーちゃたろー」と追いかけてこられるとこっちも悪い気はしない。
ほんと、女に弱いね?俺。
けれどこの日の訪問はマヤと遊ぶよりは兄貴と話すのがメインになった。
そしてそれは少々俺の心に引っかかる話だった。
兄貴の家に遊びに行った翌週『どーでもいいじゃんそんなこと』の担当者に呼び出され午前に出版社に行き、帰って来てからはひふ弁当に寄る。
ラッキー。
遅い時間帯だったので今日は彼女に誘ってもらえた。
担当の高野さんにに昼誘われたけど、断って帰って来て正解だったな。
あの娘と二人でお茶する場所はいつも商店街のコンビニ前の歩道のベンチ。
…だれ?ここにベンチ設置したの。
区?商店街の組合?
どっちか知らないけどありがとう。
昼下がり、お弁当屋の女の子とベンチに座りコーヒー飲みながら、ああ、あのイケメンスーツ男は都会のど真ん中の高層ビルで今頃あくせく働いてんだろうなぁと思う。
まさか自分の彼女が青空の下、しがないイラストレーターと並んでコーヒー飲んでるとも知らずに。
うん、なにやら気分がいい。
いいねぇ、5月の青空。
今日は彼女がいつもより可愛く見えるし…
そんなふうにお弁当屋の女の子との交流を楽しみながら、舞い込んでくる小さな仕事をコツコツこなしているうちにいつの間にか季節は進んで梅雨に入っていた。
あんまりしつこいと嫌われるし、自分にぞっこんだと勘違いされるのもやだから、ここ半月ほどはひふ弁当に行ってない。
正直言うと飽きた、弁当。
それに多分これがあの日泣いていた本当の理由だろうな、と思う話も聞けたから。
ってなわけで俺の知的好奇心も満たされた。
うーん、今日は夕飯何食おうかな。
ああ、そういえば最近コンちゃんに連絡取ってなかった。
何してるんだろう、あの人。
連絡してみるか…
佐太郎「コンちゃん元気?今日待ち合わせて夜一緒にメシ食わない?」
コンちゃん「面倒くさ」
佐太郎「じゃ、うち来ない?」
コンちゃん「会社帰りに寄り道するのめんどくさい」
佐太郎「じゃ、俺がコンちゃんち行く」
コンちゃん「ヤダ、アンタ絶対白飯炊けって言うから」
佐太郎「炊いて?」
コンちゃん「めんどくさい」
佐太郎「炊いて?」
佐太郎「炊いて?」
佐太郎「炊いて?」
佐太郎「炊いて?」
佐太郎「炊いて?」
コンちゃん「しつこい!」
佐太郎「八時すぎくらいに部屋に行くからコンちゃんも寄り道せずに会社から帰ってきて」
コンちゃん「あほ、来るな」
佐太郎「おかずは買ってくよ、何が良い?」
コンちゃん「あー明太子とか、イクラとか、ウニとか。あとサラダ?」
佐太郎「オケ、じゃあ夜に」
コンちゃん「佐太郎ww(怒)」
よし、約束を取り付けた。
うーん、なーんとなく軽いイタリアンやワインの気分だったんだけど…
まあ、いいや、コンちゃんのご飯で。
酒はきっと常備してあるだろう。
しっかし明太子、イクラ、ウニって…
また高級なものを…
まあいいか、原稿料振り込まれたばっかだし。
今日は特別特別。
あーこっちの駅のさかな屋の方が良いもの置いてありそうだな…
魚卵系はこっちの駅前で買って、女子の喜ぶサラダはコンちゃんちの駅のクイーンズ伊○丹で買って行くか。
ハハ、妙にマメだな今日の俺。
…
歴代の彼女にはこんな強引な誘い方できなかった。
特に恵子は甘えさせてくれない女だったし。
コンちゃんは変な人だけど、この世で一番俺が無理を言える人間かもしれない。
母親よりも。
うん、気のおけない女友達がいるっていいもんだ。
あ、そうだ駅前のさかな屋六時までだったな。
先に魚卵買っておこう。
月、金で。




