嗜好品の現状
此処にペットボトルのお茶、ミネラルウォーター、缶コーヒーがあるとすれば、どちらを選ぶだろう?
私は迷わずミネラルウォーターを選ぶ人間だ。
何故かと問われれば、ペットボトル等の物は総じて不味いからだと言いたい。
そう、言いたいのだ。
この機に、なかなかそれを言えない風潮社会に物申すこととす。
と、前置きはこのくらいとして。
本題は嗜好品に対する意識の欠如を問題として考えている訳なのですが、先程のペットボトル飲料についてもそうですが、酸化防腐剤が必ず入っていて、不味く無いわけがない。
緑茶は酸化防腐剤が無くては変色、酸化による味の変質が現れるため使用しなければ為らないのも分かるのだが、如何せん不味い。
ペットボトル、缶、紙パックでの飲み物が好まれるのは、持ち運び、保存等の利便性。そして、価格帯だろう。
だが、少し高いかもしれないが、お茶問屋に行き、(スーパー等はお茶に酸化防腐剤の他に旨味成分が入っている物も在るため、此処では茶問屋を推奨する事とする。)煎茶を買って湯呑みにお茶の葉を入れ、お湯を注ぎ、暫し待ってから飲んでみよう。そうすると、葉が開き薄く色付き、見た目も楽しめ。お茶の本来の美味しさが分かる筈だ。
これは、下手に急須で淹れるよりも無難に飲める方法で、器具を必要としない所が例に挙げた理由である。残った葉は棄てるのだが、物によっては葉も食す事が出来る。
私の住む東北では、農作業の間にお茶を飲み、おにぎりであったり、団子を食べて、水分補給と塩分補給を行いながら、井戸端会議になるのが常で、お茶を飲むためではないので味は二の次である。因みに来客が来たとしても、出されるお茶の味に差わない。これは、もう、普段飲んでいる物がそうだから、そういった味がお茶だと思っている訳だ。
そういった習慣があるため、お茶に対する意識は低く、お金を出してまで飲むという考えが少ないと言うのが、そこに住んでいる私が感じるところだ。だが、それが珈琲になると話が変わってくる。珈琲は家ではなく、喫茶店の様な落ち着いた空間で飲む。楽しむ物である。と、言う認識が強い。これは、珈琲自体が高級な物であったために、今日、両者の確執は埋めがたい。
で、ある筈の珈琲も、缶コーヒーやコンビニコーヒーによって、安く飲め、何処にでもある物へと移行しつつあるのだ。
こう言った現状を見るにつけ、いくら嗜好品だからと言って、個人の趣味趣向の問題であり、他人がどうこう言う問題ではないと、そう、思っていた訳だが、それこそが、日本人の閉鎖的価値観として、良くない物だと思い至った。
日本人の、黙して語る。良いものは細く長く続く物だ。と、いう考え方、日より見主義なたち位置でしかない思想が、多くの伝統文化を蔑ろにし、新しい物ばかりを持て囃すミーハーぶりによって、守るべき文化を窮地に追いやっているのである。
だからこそ、今一度問いたい。
ペットボトル、缶、紙パック、それらの飲料物を本当に美味しいと思って飲んでいるのか?と。
もし、そうではなく、惰性で飲んでいるだけであるなら、美味しいと思うものを探して欲しいと、強く願うものである。
もし、一人一人が、美味しいと思うものを見つけ、それを飲み続ければ、多くの、個人で経営している農園が助かるのではないかと、常々思うとるわけです。
ただ、ペットボトルだって、そういった潰れそうな農園から安く茶葉を仕入れ、ある意味、農園にいる方々を守っているわけですし、否定ばかりは出来ません。
普段ペットボトルや缶紙パックの飲料を飲んでいるであろう、皆さんに、たまにでも御茶を飲んで頂きたい。美味しいものを知っていて飲むのと、知らずに飲んでいるのとでは、見えるものが違ってくる。
そういった事柄はなにも、嗜好品に限ったものではなく、あらゆる事に置き換えることができ。
私達は情報社会において、情報に踊らされる盲に成ってはならないのだ。
私達の棲む国は豊かだ。だからこそ、食の発達、浸透は目まぐるしく、多国籍料理をここまで身近に食すことが出来る。
それなのに、嗜好品に関して言えば、本当の味と言うものを度外視した、一定価格以下の物が蔓延り。
私達はそれを享受して仕舞っている。
無意識のうちに隷属させられているようで私はそれが腹立たしいのだ。
今回、お茶をメインに書きましたので。
おすすめのお茶の紹介をさせて頂きます。
『土佐茶工房 森木翠香園』
ここは、煎茶、番茶ともに美味しいものです。
ですが、初めての方には
『福寿園』の玉露棒茶、なんてどうでしょう?
価格も手頃なものから、上質なものまで。
飲みやすく、普段使いにはもってこいです。