旅立ちへ
当初の目標である5000万リルには程遠い軍資金を見て、俺は小さくため息をついた。
店を開くにしても、主な流通先はグレインさんしかないわけで、遠い、遠い話だ。
まず大きく不足し始めたのは米と醤油。この二つをどうにかしない限り、お先は真っ暗だ。
「それならば、エイルズウェルトに寄るといい」
俺が、材料の不足を愚痴ってみたところ、グレインさんからはエイルズウェルトという場所が示された。
地図で言うと、ここが北方都市だから……この国レスタルの中央都市の名前らしい。従って、俺たちはここを南下していけばいいらしい。
グレインさんは続ける。
「俺のところには米は在庫がないものの、醤油ならばある。それを渡してやりたいのも山々なんだが……幾分、こっちも商売があるからな。今の在庫じゃ心許ない。それに、米が必要ならばエイルズウェルトに立ち寄った方が遙かに早いからな」
とのことだ。
「さしあたって、これをもっておくといい」
そう言ってグレインさんが俺に手渡したのは、片手で収まるほどの小さめの笛だった。
形としては、ハンドガンみたいだ。銃口もあれば、引き金もある。
「これはメイとルイ用に作られた笛のスペアだ。ここの引き金を押すことによって、余程遠い距離以外は反応してくれる。もしも宝珠玉やアリゾールのストックが尽きたとしたら、これを思いっきり鳴らすといい。一日以内に彼らに食料をもたせて君の元へ向かわせよう。その場合は、ご褒美として照り焼きアリゾールでも振る舞ってやってくれ」
グレインさんから手渡された笛を、俺はルーナにさらに手渡した。
ルーナは少しだけ嬉しそうに「はいっ!」と快活な返事をして、それをキッチン棚の下にしまい込んだ。
「でも――」
――と、疑問を禁じ得ないルーナが、笛を片付けた後にグレインさんに言葉を投げる。
「運龍ってのは、そこまで耳がいいものなんですか? 確かに、獣人族も悪くはない方……人間族のおおよそ50倍はあるとは言われていますが、それ以上があるとは私も聞いてないんですが……」
もふもふの両耳をぴこぴこと揺らすルーナに、グレインさんはふと考えた後にゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「いや……正確には、『聞く』というよりかは『視る』と言った方が適切かもしれない」
「……はぁ」
「運龍の運龍たる所以はその頭の良さと視野の広さだ。身体の体表で感じるんだよ。その笛の音をね」
「そんなもんですか……」
「君たちも、卵が還れば実感するだろうさ」
グレインさんは、そう笑って温かい毛布にくるまれた卵を一瞥した。
俺は、それを見てから一礼。
この卵は、グレインさんから貰った大切な卵だ。
爬虫類の卵は基本的には柔らかい。本来ならば地面の下で地熱により温めているうちに卵がかえるってのがセオリーだからだ。
だが、グレインさん曰く、運龍の卵はそんなにやわなものではないらしく、通常の旅に同行させる分には全く問題がないらしい。
これで懸念事項はほとんど取り除けた。
ルーナは、「よいしょー」と、まるで鞄を持つかのように軽々しくキッチンの一式を片手に持った。
おかしい。冷蔵庫、電子レンジを含めてキッチン台もすべて……何キロあるんだろう。悠々と持ち上げたルーナは、このたびにおいては必要不可欠すぎる要因になっている。
運龍の卵は、毛布にくるまれた後には一番壊れる可能性の少ない食器棚のあるキッチン下の最上段に収納された。
卵が孵化するまではおおよそ一月。普通の爬虫類動物に比べたら遙かに短い期間だ。
「では、ありがとうございました!」
俺がグレインさんにぺこりとお辞儀をすると、それにつられるようにルーナも小さくお辞儀を返した。
「あぁ。今度来てくれたときには宝珠玉を看板メニューにこさえて待ってる。困ったときにはいつでも連絡してくれ。いの一番に駆けつけよう」
グレインさんが腕を組んで笑うと、隣にいたリーシアさんは丁寧にぺこりとお辞儀をする。
「この度は本当に申し訳ありませんでした。主人にもこっぴどく叱られて……」
と、最初にリーシアさんって、卵を悪の実として食べさせようとしてたんだっけ……。
「ま、まぁ、問題ないですよ。こうして、誤解も解けたわけですし……ね?」
俺の苦笑いにもにた返答にリーシアさんは再び申し訳なさそうに礼を返した。
「よし、じゃ、行くかルーナ」
俺の一声に、ルーナは待ってましたと言わんばかりに「はいぃっ!」と威勢のいい声をあげた。
俺たちがこの北方都市ルクシアの出口を離れるまで、グレインさんとリーシアさんはずっと手を振ってくれていた――。
「そういえば、タツヤ様」
「どうした?」
北方都市ルクシアを出ると、そこは延々とした一本道だった。
「先ほどグレインさんからいただいた世界地図には、ここからエイルズウェルトまでの道のりも大体は把握できますね」
「……どのくらいかかりそうだ、とかは分かるか?」
「そうですねー……大体、二月……ほどでしょうか」
「ふ、二月か……」
「私ならばこのまま一直線に走り抜けたりすれば一月ほどで中央都市に着くことは出来ますが」
と言われて、ルーナがさっき照り焼きアリゾールをここまでもってくる際のスピードを鑑みてため息をこぼしてしまった。
百パーセントついて行ける気がしないな。
「……それから一つ提案があるのですが」
そう言うルーナの耳と尻尾は、どうやら……不安、というか恐怖のような……そんな複雑な感情が読み取れるような動き方をしている。
「大円森林ヴァステラ……ここは少し迂回致しましょう」
ルーナが片手で器用に示したのは、北方都市から中央都市へと向かう際にそびえる巨大な森だった。
大円森林……ヴァステラか……。
「むー……」
その地図の中で黒く塗りつぶされたその森林を見つめて、ルーナは苦虫を噛みつぶしたような表情で歩みを進めていた――。




