企画を立てるが上手くいくかなんて知りません。
「ラジオの企画もう少し続けて欲しいということだった」
「ねぇそれって判断材料が足りないという事?」
「そういうことだな、あと何か別の企画も考えてくれということだった」
「そういうの向こうが考えませんか普通」
10回ほど撮ったものを送り、返ってきた回答は現状維持ともう少し企画を考えてくれというものだったが、なんとかとりあえずこの仕事はまだ続けられるみたいだが、それを差し引いてもなんとも適当すぎる企画だろうか。
「まぁ言っても仕方があるまい」
「とはいってもねぇ」
「ラジオの企画なんてメールとかですかね」
「イヤだからだれがメールするのよ」
「聞いてもいないしな」
「校内放送だったら、校長とかにお話をきけるんですけどね」
「先生も生徒もだれ一人いないのよ」
「何かお勧めスポットとか」
「聞いてくれる人あってのそういうスポットだと思いますよ」
結局のところ聞いてくれる人一人もいないラジオ放送、いや映像も撮ってはいるし、流しているのでテレビ放送だがそれにしたって今のところ無意味な放送をしているのだと今さらながらに思う。
「ネット放送とか?」
「いやこれテレビの企画ですから流石に不味いでしょう」
「そうだな」
「八方塞がりってやつ」
三人寄れば文殊の知恵という言葉もあるが、どうしようもないものはどうしようもない。
気がつけばこの話をして数時間、放送室近くの教室で作戦会議をしているが一向にいいアイディアなんて思い浮かばず閉塞感というかやりきれない空気が漂うばかりだ。
「聞く人がいないって事が問題よね」
「問題というか問題以前と言う感じもしますね」
誰も聞かないラジオ放送、そもそもこの企画だってテレビの仕事ではあるがそれも放送されるのかも分からないという企画に意味があるのかとか考えてしまう。
「ナナなんかいい方法ないの?」
「あったらとっくに出していますわ」
「切れないでよ」
ナナさんも考えすぎて少しイライラしているようだ。
それはそうと、たまにキレる天使ってどうなんだろう?
「ヒナ何かいいアイディアない?」
「あぁそうですねぇもういっそのこと自作自演にしますか」
そのナナさんの声の雷から逃れるように、アミさんがこちらに振って来た。
「自作自演?」
「はい、持ち割りで二人がラジオを行って残り一人がメールを送るというのはどうです」
「それ楽しい?」
「楽しいかどうかはこの際、数回やってみてそれ送れば後は向こうの判断になるんじゃないですか」
「そうですわね、まぁやってみる価値はあるでしょう」
ものは試しということで、自作自演の回を数回つくることになった。
「まぁだめなら後は百物語とかですかね」
「いやヒナ、百回もできるかどうかわからないって」
「数回試しながら何か別の企画も平行して考えていくことにしよう」
どうなるかなんて知らないが、まぁ誰も見ない、聞かない放送であってもそれでも私達がやる事は結局のところ、つまるところ今のところラジオ放送をするだけなのだから。
それは変らないということだ。




