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陽だまりの種  作者: ハギ
7/14

第六章 変わる運命

『日常』


 ――どのくらい時間が過ぎただろう。

 暗い世界に一筋の光が入り込む。そしてゆっくりと、暗黒の世界は見覚えのある鮮やかな世界へと移っていった。

 まだ頭はぼーっとしている。眠い。

 朝の冷たい空気が少しずつ僕の眠気を取り除く。

 いつも通りブラインドを上げ、窓をこれでもかという程まで開ける。冬の冷たい風が部屋の空気と混ざっていく。静かな朝だった。

 僕の中に、昨日の記憶が残っていた。最後に千春が言った言葉も。

「よかった……」

 時計に視線を送る。


 2003年12月23日


 やっぱり戻ってきた。もうこれで三回目。僕がこれを繰り返すことに、何の意味があるのだろうか。あと何度戻ってくるのだろうか。なぜ戻ってくるのだろうか。疑問は尽きなかった。

 ただすべきことはわかっていた。たとえ間違った行為だとしても、父さんや母さん、結恵を守ること。僕はそのためにこの時に戻ってきた、それが僕の使命に思えた。


 着ていた服を着替えると、部屋を出た。階段を降りて、扉をあける。

「おはよう、陽介」

 母さんの声。まだこうして話せることが信じられない。

「おはよう」

 父さんはリビングでテレビを遠目で見ていた。

「おはよう」

「うん」

 素っ気ない返事。毎朝どこでもあるような、ごく日常的な風景。過去に経験した、今日以降を除いて。

 父さんは相変わらず興味なさそうに、遠目で朝の情報番組を見ていた。

「ご飯できたわよ」

 僕と父さんはゆっくり腰をあげてダイニングにむかった。テーブルには、二日前と同じメニューが並んでいる。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 それでも十分だった。ひとりだった時間を考えれば、そんなことはどうでもよく思える。ただ今がずっと続けばいいと、叶わない願いを心の中でひそかに祈っていた。

 リビングのテレビが、ひとりでぶつぶつ喋っている。

「続いて天気予報です。今日の天気は日中は晴れ、雨や雪の確率は0%でしょう……」




『信じる』


「父さん、母さん。ちょっといい?」

 朝食の片づけも、ひと段落したようだった。

「なぁに?」

 父さんはテレビを見たまま。

「今日は絶対外に出ないで、家にいてほしいんだ」

 父さんは反応しない。母さんは呆気にとられた感じだった。

「どうしたの? 陽介」

「わけを話すよ。実は……」

 僕は“また”自分が経験したことを話した。

 そのうち父さんもテレビを消して、真剣に聞いているように見えた。


「……ってわけなんだ」

 今回の母さんは泣いていなかった。父さんも、真剣な表情を崩していない。

「どうやって信じればいい?」

 父さんは二日前と似た質問をしてきた。

「それはあまりに常識とかけ離れているだろ? そんなこと、すぐには信じられない」

「それはそうだけど、事実なんだ!」

「陽介……」

「嘘じゃない! 本当なんだ!」

 明らかに父さんも母さんも信じていない。

 確かに僕の経験は常識からかけ離れすぎていた。父さんと母さんが信じられないのも無理はない。でもここで説得できなければ、まず確実にふたりは死んでしまう。またひとりで一年をすごさなければならない。

 僕にとってこれ以上ないほどの苦しみだった。

「今日は買い物とかもしなきゃいけないのよ?」

「命とどっちが大切なんだよ!」

 こらえきれなかった。自分の言うことを信じてくれない親が、彼らを説得できない自分が、みじめで悲しくて、おろかに思えた。

「そう、わかった」

「えっ!?」

「陽介はきっと辛かったんだよね。陽介を信じる」

「母さん……」

「お父さん、今日は家にいるってことでいい?」

「仕方ないな」

「ありがとう。父さん、母さん」

 さっきの言葉を訂正したい。みじめで悲しく、おろかなのは僕だけだった。ふたりは僕のことを信じてくれた。それなのに僕はふたりを疑い、おろかだと思い込んでしまった。本当に情けない。

「なにか外に用事があるなら、全部やるから」

「わかった」

「しっかりやれよ、我が息子よ」

 このふたりの子供で本当によかった。



『迷い』


 気の抜けたインターホンの呼び出し音。

「はいはい」

 母さんは必要のない返事をしながら玄関に向かう。

「あらぁ、……」

 話している相手はあの三人だろう。そして僕は迷っていた。

 もし僕が出かけても、ふたりは約束を守ってくれるだろうか。逆に僕が行かないとして、結恵を守ることができるだろうか。

「……ってね、陽介ー! みんなが来てるわよ!」

 そう、これから僕は裕也たちと遊びに行くことになっている。

 今度こそ、父さんと母さんを見殺しにするわけにはいかない。僕のすべきこと、それは……、

「心配しなくても大丈夫よ」

 母さんの声に、少しだけ温もりを感じる。

「お父さんもお母さんも、自分の身におこることがわかってるのに出かけるようなことはしないわよ。安心して行ってらっしゃい」

「でも……」

 僕の頭の中で、過去に見た映像が流れた。

「ほら、みんな待ってるわよ。結恵ちゃん、守らなきゃいけないんでしょ?」

「わかった。でも約束は必ず守って。それで前回はだめだった。多分家にいれば、大丈夫だから」

「はーい!」

 まるで小さな子供のような明るい返事。

「まじめに大丈夫なの?」

「ずいぶん心配するのね。信頼できない?」

 まったく、この人は大人なんだか子供なんだか。

「……わかった。頼むよ」

「いってらっしゃい」

 玄関には、いるべき三人がいた。




『初対面・再会』


「どこ行こっか?」

 僕たちは学園の方向に向かって歩いていた。僕たちの家がある住宅街と、いろんな店がある繁華街のちょうど中間に学園があった。だから遊びに行く時にも学園のすぐ近くを通ることになる。

「陽介、行きたいとこは?」

「別に」

「結恵ちゃんは?」

「みんなが行きたいところならどこでもいいよ」

「まいったな」

 二日前にも同じ会話があった。そして、あることに気付いた。ここは、そうだ。

「裕也」

 呼ばれた裕也が振り返る。

「ちょっと用事があるんだ。先に行っててくれないか? 後から追いつくから」

「すぐ終わるのか?」

「少しかかるかもしれない。後で行き先教えてくれ」

「わかった」

 それだけ言うと目的地に向かった。


 静かな通りには車一台走っていない。その中を、僕はゆっくりと散歩するように歩く。細い路地に入り、しばらく歩いて僕は止まった。白い二階建ての古いアパートの前で。

 一階を進み、そして止まった。視界に入るのは103の数字。


「はい!」

 若い男の声が返ってきた。

「はい! ん? 何の用?」

 出てきたのは白いシャツとジーパンを身につけている、頬に大きなほくろのある男。そう、ここは今まで一連の元凶だった西尾のアパート。

「……」

「用がないなら閉めるよ?」

 こいつが、すべての原因。

 怒りを抑えるのに必死で、最初の問いに返事すらできなかった。

「西尾さん、ですね」

「そうだけど。君は?」

「佐野といいます」

 目の前にいる男は頭をかきながら、ひとつため息をついた。

「で?」

「今日、車での外出を控えてほしいんです」

「は?」

 どうもこの人をバカにするような態度は気に食わない。

「今日、あなたは車で人をひき殺します」

「俺が!?」

 西尾は笑いながら言う。

「ははは、そんなわけないだろ」

「でも、嘘ではないんです」

「……んなこと言われたって、信じられるわけないだろ」

「でも、事実なんです! お願いします! これ以上……苦しませないで下さい……」

 西尾は半分あきれたような表情で、

「わーったよ。車で外出しなきゃいいんだろ?」

「はい! お願いします! ありがとうございます!」

 僕は頭を何度も下げた。これで、変わるかもしれない。今までのような、辛い経験をしなくていいかもしれない。

 胸はかすかに見えてきた希望でいっぱいだった。大きな息を吐きながら澄んだ空を見上げた。

「!」

 携帯がふるえた。裕也からメールが届いていた。メールに書いてあるさっちゃんのお店に、足早に向かった。



『大切な場所』


 ほとんど人が通らない住宅街の、ほんの少し向こう側。そこに、小さな山があった。

「いつもと変わらない、な」

 あの場所にはたくさんの思い出が詰まっている。楽しいことも、苦しいことも。

「そういえば、あの場所だったよな」

 ふと昔のことが頭をよぎった。



 それは一番大切な場所に広がる朱の光。


 いつかの、あの屋上の時と同じ。いや、それ以上の温かさ。

「あ、あのね、えっと」

 彼女がいた。夕日のせいか、頬が少しだけ同じ色に染まって見えた。

「なに?」

「……」

 下を向いたまま彼女は答えない。そしてしばらく、その時間が続いた。

「ありがとう」

 今までに見たことのないほどの笑顔。その表情に、どうしてか胸の鼓動が高まる。

「えっ!?」

 そんな言葉を聞くなんて、夢にも思っていなかった。

「初めて会った時、陽介君が話してくれなかったら、ずっと誰とも話さないままだったかもしれなかったから。そのお礼、ずっと言ってなかったでしょ?」

 確かに。いや、でもそれは。

「いいんだよ」

 既に過去のこと。だから、

「そんなこと、気にしなくていいんだ」

 それに、あれは僕が好きでやっていたことなんだ。だから結恵が僕に改めてお礼を言う義務も、する必要もない。

「ふふ」

 どうしてだろうか。目の前の少女は小さく笑っていた。

「やっぱり陽介君なんだ」

 言葉の意味が理解できない。彼女は何が言いたいのだろう。

「そんなあなたがいたから、ずっとそばにいてくれたから、私は私でいられたの」

 やっぱりもう一度、一から国語の勉強をするべきだろうか。

「だから、これからもずっと、そばにいて下さい」

 えっ!?

「ずっと、……一緒にいたい」

 やっぱり、僕の心臓はどうかしている。さっき以上に、鼓動が全身に響く。

「結恵」

「ひとりはね、苦しくて、暗くて、何も、見えなくて」

 彼女の言葉は何回も途切れながら、それでも僕の中に落ちてくる。彼女は、結恵は、今にも倒れてしまいそうなほどに頼りなく見えた。

「だから、だからね……」

 どうしてこんなにも、目の前にいる少女を見て心が苦しくなるのだろう。どうしてこんなにも、抱きしめたいと思ったのだろう。どうしてこんなにも、

「だから、陽介君は私にとっての“光”なんだよ」

  


笑顔でいてほしいと、思ったのだろう



「陽介君が、」


 やっとわかった。これが、人を好きになるということ。


「誰よりも、好きです」



 思えば僕は、本当に結恵に惚れていたのだろう。彼女が僕によせる想い以上に、僕にも彼女が必要だったんだ。あの時も。そして、今も。

「必ず、助けるから」

 そうと決まれば、早くさっちゃんのお店に向かわなければ。



『繰り返し、変わるもの』


 それからは二日前とまったく同じだった。さっちゃんは例のとんでもないスペシャルセットで迎えてくれて、あの山積みにしたクレープで作ったケーキもどきをサービスしてくれた。お店を出る時も、同じように大げさに悲しんで、僕たちの笑いを誘った。

 そして同じように千春の希望でプリクラを撮った。僕と裕也は同じようにお互いの顔をこれでもかというほどゆがませた。

 それから同じようにカラオケに行って、退室時間が来るまでバカみたいに歌って、踊って、騒いだ。

 そして同じように千春と結恵の希望でショッピングセンターに向かっていた。

 ここまでは同じだった。二日前にあったことと、違うことはなかった。でも微妙に、二日前とは違う時間が流れ始めた。


「陽介」

 隣にいる裕也が僕を呼ぶ。

「なんだ?」

「おまえさ、好きなやついるか?」

 もう少し後にこの話が来ると思っていたから少し驚いたけど、案外落ち着けていたと思う。

「あぁ、いるよ」

「そうか」

「裕也はどうなんだ?」

「俺も、いる」

「そうか」

 言葉に詰まった。裕也の気持ちは知っていた。でも、裕也のことを考えると躊躇しないわけにもいかない。

「陽介」

 裕也を見る。

「もし同じ人を好きになっても、馴れ合いはなしだからな!」

 意外な言葉だった。そしてこの裕也の言葉で、僕は決心できた。裕也のためにも結恵を守ることを。それが、僕にとっての最良の選択に思えた。

「当たり前だよ。裕也より先に彼女作ってやるさ」

「なに!? 生意気な小僧め!」

 ありがとう、裕也。




『ふたり』


「この後どうしようか、あたしはちょっと行きたいところあるんだけど」

「私も、ちょっと……」

「じゃあわかれるか」

 千春と結恵の希望に裕也が提案した。

「陽介、おまえどっちと行く?」

 僕は……



「ごめんね、付き合わせちゃって」

 隣を歩いているのは結恵だった。


 ――ほんの二、三分前


「陽介、おまえどっちと行く?」

 正直なところ、僕はどっちでもよかった。たまたま出した手によって決まっただけのこと。要するにジャンケンでこうなっただけだった。

「じゃあ陽介は結恵ちゃんと一緒ってことで」



「別にいいよ。何探すの? クリスマスプレゼント?」

「うん! みんなの分買いたかったから」

「そっか、大変じゃない?」

「うーん、ちょっと大変だけど、でもプレゼントあげた時のみんなの嬉しそうな顔見ると、こっちも嬉しくなるから」

 いつかと同じ無邪気な笑顔。この笑顔を守ってみせる。そう、改めて心に決めた。




『まだ』


「ここだよ」

 結恵が指さした先には小さな店。僕たちは店の中へと入っていった。


 小さな店の中を行ったり来たりしながらプレゼントを探す。

「これとかは?」

「ちょっと……」

「じゃあこっちは?」

「あっ、かわいい」

 そうしていくらか時間がすぎて、かごにプレゼントが積まれていった。

「ちょっと待っててね」

 結恵はレジに向かった。僕はいつかと同じように、その間にメールを打っていた。

 やっぱり心配だった。


 “ちゃんと約束守ってる? まだ大丈夫? なにもない?”


 送信ボタンを押すとほぼ同時に結恵が戻ってきた。

「ごめんね、行こう」

 僕たちは歩きだした。

「!」

 携帯がふるえていた。

「“買い物終わったら正面出口に集合”だってさ」

「じゃあ行こう」

 メールはもう一件、父さんからだった。


 “母さんと家にいる。まだ何もない。大丈夫だ。”


 そう、ここまではまだ大丈夫。問題はここからだった。母さんと父さんを信じていないわけではないけれど、やっぱり経験からして不安だった。少しの油断が最悪の結果を招くことを、十分すぎるほど知っていたから。

 そうこうしているうちに、正面出口に着いた。千春と裕也の姿はまだ見えない。

「ちょっと早かったかな」

「そうだね」

 しばらくベンチに座った僕たちは無言だった。まわりの慌ただしい雰囲気と、僕たちのまわりは空気の流れが別物のように感じた。ゆったりした、そんな感じ。



『種』


「陽介君」

 ふいに結恵が僕を呼ぶ。

「なに?」

「えっと、誕生日おめでとう」

「あ、ありがとう。なんだよ、急に」

 僕は半分笑いながら言う。

「えっ!? あっ、まだ言ってなかったなって思って」

「そっか」

「陽介君、今、彼女とか……いる?」

 以前と同じ、あまりに唐突で不自然な質問に僕は笑いながら答えた。

「いや、今はいないよ」

「そう、なんだ。好きな人とかは?」

「いるよ」

 迷いはなかった。想いを知ってるのに、相手に言わせるのは卑怯な気がしていたから。

「今、となりにね」

 結恵が僕の方を見る。

「えっ!? えっ、あの……」

「結恵は?」

 下を向いた結恵の顔がどんどん赤くなる。そしてやっと出たような声で、

「私の、好きな人は、今、となりにいます」

 かすれるような小さな声。それが、彼女の精一杯の勇気だったんだろうと思った。

「そばにいてくれる?」

「……はい」

 いつにも増して、最高の笑顔を僕に見せてくれた。

「ずっとだからね?」

「はい!」

 眩しすぎる笑顔とはこのことか。しかしこの笑顔はずるい。

「あっ!」

 突然思い出したように、さっき買ったプレゼントが入った袋に結恵は手を伸ばした。

「プレゼント、渡したくて……」

 でもなかなかプレゼントは出てきてくれない。結恵が袋から手を出そうとした時、袋はバランスを失ってベンチから落ちた。

「あっ!!」

 中身が少し飛び出した。そしてその中のひとつの箱が、僕の足下で止まった。

「ごめんね」

 結恵が謝りながらプレゼントを拾う。僕もそれを手伝った。

「ねぇ、」

 僕の声に反応して、結恵が顔をあげた。

「これ、もらっていいかな?」

 それは僕の足下に転がってきた小さな箱。一緒にプレゼントを買ったから、中身も知っていた。

「でもそれ、種だよ?」

「知ってる」

 どうして僕がこれを選んだのか、自分でもよくわからない。ただ、形が残るものよりも、命があって、育っていくものの方がいいような気がした。

「いいけど、どうして?」

 僕は言葉に詰まる。

「なんか、なんとなく」

「そっか」

 ちょうどその時、ふたりが戻ってきた。

「ごめーん! 遅くなっちゃった!」

 千春と裕也が走ってきた。

「遅い!」

「ごめんごめん、レジが混んでてさ。行こう!」

 傾き始めた夕日が、僕たちを照らしていた。




『四人のうちのひとり』


「本当に!?」

「……うん」

 千春の声に結恵が答える。

「うーん、結構お似合いかもな」

「おまえの負けだな、裕也」

「くーっ、ちくしょう!」

 僕と裕也はそんな会話をしていた。

 なんとなく僕がこっちに来る前と似ていた。僕と結恵は付き合ってるけど、四人でいる時は微妙に違う。この時だけ、僕たちふたりは友達として、四人のうちのひとりとなる。それが、妙に懐かしかった。

 でも、その懐かしさに浸っているわけにもいかない。刻々と、運命の時は近づいているのだから。

 僕はもう一度父さんにメールを送るために携帯を持つ。


 “どう? 大丈夫? 絶対外には出ないでね”


 そう打って送信ボタンを押した。

 僕たちは学園の近くを歩いていた。まだ日が少し高い。これならまだ時間はあるはず。

「ちょっといいかな?」

 三人が振り返る。

「また用事か?」

「ああ、すぐに終わる。すぐ追いつくよ」

「わかった」

 そして僕は三人と別れた。


 昼間に来た時よりも早く、目的地に向かった。細い路地の先にある、白い二階建ての古いアパート。

「さて、いるかな」

 103号室のチャイムをならす。中から返事はなかった。

「いない?」

 僕は急いで表に引き返す。

「ない」

 昼間来た時にはあった黒い車が、そこにはなかった。あれは間違いなく西尾の車だった。

「ウソ、だろ」

 嫌な予感がした。過去にあったできごとが、僕の頭の中でフラッシュバックしていた。

「まずい、戻らないと!」



『種まきし者』


「はあっ、はあっ」

 息が切れる。なかなか三人には追いつかなかった。

「ふーっ」

 一息ついてまた走り出した。止まるわけにはいかない。もし少しでも遅れたら、また……。そんなこと、絶対に止めてみせる! 決意を心に僕は走った。

「!」

 前にみっつの人影が見えた。前からも後ろからも、黒い車は来ない。

「おっ、早かったな」

「はあっ、まぁな」

 まだ大丈夫だった。誰も死んではいない。

「走ってきたの? 彼女想いだねぇ」

 千春の言葉は重かった。

「……よかった」

「えっ!?」

「いや、なんでもない」

 思い過ごしだったのかもしれない、そう思った。あとは僕が気をつけていれば結恵を事故から守ることができるし、父さんと母さんは家にいるから大丈夫。これでやっと、誰も死なずにすむ。

「ふーっ」

 一息ついて、やっと心が落ち着いた。今までの悲しかった過去も、これでもう一度やり直せる。

「じゃあね」

 急に千春が裕也の腕をつかんで僕たちから離れながら言う。

「お、おい! なんだよ、急に」

「ちょっと裕也に相談。 ふたりは先に帰ってて」

 これも千春流の心遣いかもしれない、そう思って、

「わかった、じゃあ」

「またね!」

 そして僕たちは別れた。

「さて、帰るか! 送ってくよ」

「ううん、まだ帰らない」

 僕にはどうしてだかさっぱりわからない。

「種、せっかくだから植えていこう」

「あ、そっか。で、どこに?」

 結恵はいじわるそうに、

「どこだと思う?」

 まるでわからない。

「どこ?」

「ついてきて」

 結恵の後を追いかけた。


 見慣れた景色の中を進み、木に囲まれた階段の前で止まった。

「ここか」

「そう。行こう!」

 長い階段をかけあがる。しばらくは木のトンネルが階段を囲んでいて、そして少しすると光が入り込む場所にたどり着く。ここは僕がこの町で一番好きで、一番大切な場所。

「きれいだね」

「ああ」

 夕日に照らされた海が町のむこうに見える。いつ見ても、ここからの景色は心が和む。その朱は、いつかの彼女の告白の時を思い出させた。

「ここがいいかな」

 結恵は大きな木のすぐ下を指さす。

「よし」

 僕が浅く掘った穴に種を置いて、埋めた。

「大きくなってね」




『変わる時』


 僕たちは木のトンネルを抜けて、いつもの目線の高さに戻った。

「じゃあ帰るか」

「うん」

 この場所は割と僕たちの家とも近い場所にあって、帰るのにもそれほど時間はかからない。

「陽介!!」

 玄関で誰かが叫んでいる。それが誰だかわかるまでにそれほど時間はかからなかった。

「父さん、何してるんだよ! あれほど外に出るなって……」

「母さんの姿が見当たらない! もしかしたら……」

 そんな、まさか。僕の顔はきっと青ざめていただろう。

「すまん、俺がもっとしっかり見ていたら……」

「くっそぉ!! 探してくるから父さんは、」

「陽介君」

 ふいに結恵が話しかけてきた。

「お母さん、あそこにいるよ」

「えっ!?」

 結恵が指さした先には、確かに庭の手入れをしている母さんがいた。

「父さん!」

「いやぁすまん、てっきり外に出たものだと……」

 騒ぎに母さんも気付いたみたいだった。

「あら、どうしたの? こんにちは、結恵ちゃん」

「こんにちは」

「父さんの早とちりさ。何でもないよ、母さん」

「そう、ならそろそろ家の中にいた方がいいわね」

 母さんはちゃんとわかっていた。

「そうしてもらえるとありがたいな」

 僕の声に母さんはうなずいて、家の中に入ろうとした時だった。

「そういえば、裕也君と千春ちゃんは?」

 母さんが尋ねて、結恵が答えた。

「途中で別れました」

「大丈夫なの?」

 その可能性は、ないわけじゃない。

「いや、わからない」

「……」

「……」

 まずい。

「陽介!!」

「母さん、結恵を頼む!」

 走り出すのと同時に携帯を取り出した。裕也に電話をかけるが、なかなか出ない。

「早く出ろよ! くそっ!」

 もう一度かけてみる。

「……、もしもし」

「裕也! 今どこだ?」

「なんだよ、急に」

「いいから早く!!」

「学園のすぐ近くだけど」

 もし西尾が戻って来たら、最悪の結果もありえる。

「裕也! 車に気をつけろ!」

「車ぁ? うわぁ!!」

 最後の方が、なにか大きな音で遮られた。

「裕也?」

 返事がない。

「おい! 裕也!!」

 何も聞こえない。

「裕也!! くそぉ!!」

 僕は学園にむかって走った。



 しばらく走った先で、人だかりができている。

「すいません!!」

 それをかきわけて進んだ先に、ふたりが倒れていた。

「うっ……」

 思わず目をそらした。すぐに裕也は手遅れだとわかった。

「よう、すけ」

「千春! 大丈夫か!?」

 かろうじて意識はあるようだ。

「千春……」

「よかっ……た、最後に、ゆ……」

 そこで千春は力を入れることをやめた。

「千春?」

 まったく反応はない。

「ウソだろ? なぁ、目を開けてくれよ、千春!!」

 安らかな顔だった。




『憎い男』


「千春……」

 何が悪かったのか、何を失敗したのか、わからなかった。ただ目の前で、裕也と千春が犠牲になった。その事実が、重くのしかかってきた。

「あぁ……」

 振り返ると、黒い車から出たひとりの男の顔。

「おい! あんた!」

 見覚えのある、どこまでも憎い顔だった。僕はその男の前に歩を進める。

「ひぃ!!」

 僕が胸ぐらを掴むと、男は情けない声を出した。

「てめぇ、あれだけ言ったろ!!」

「す、すまない。まさか……ほ、本当に、こうなるなんて……」

 言いようのない悔しさが、どこからともなくあふれてくる。

「どうして! どうしてそうなんだよ、あんたは!!」

「申し訳ない、本当に……」

 西尾は涙で顔をボロボロにしていた。

「……」

 次の言葉がない。西尾に対する恨みよりも、裕也や千春を守ることができなかった自分自身への情けなさで、どうにもできなかった。

「どうして、なんだよ」

 僕も西尾も、その場に力なく崩れた。




『叶わない望み』


 やがて救急車が到着して、裕也と千春は病院へ運ばれた。が、あの様子では助からないだろう。救急車に乗っていた隊員も、半分諦めたような表情をしていた。

 日が沈み始めた頃、西尾は部下と一緒に来た松崎さんが警察署に連れていった。

 僕はひとり、家に戻った。


 玄関の扉を開けると、母さんが飛ぶように僕のところに来た。

 僕が首を横に振ると母さんはすべてを悟ったように

「そう……」

 と言うだけだった。僕は父さんと結恵を横目に2階へあがっていった。

「陽介君!」

「今はひとりにしてあげて」

 結恵を制する母さんの声が、静かな家の中に消えていった。


 薄暗い部屋の中で、僕はいつかと同じように白い天井を見上げていた。父さんも母さんも結恵も、死ななかった。でも……。

「どうして、なんだよ」

 結局今日、誰かが死ぬことに変わりはなかった。

「もう、誰も死んでほしくないのに。どうして……」

 無力だった。どこかで千春と裕也は大丈夫だ、なんて勝手に僕は決めつけていたような気がした。僕の甘さが、勝手な思いこみがふたりを殺したのだ。

「裕也、千春……。ごめん」

 謝ったところでふたりが生き返るわけはない。そんなことわかってた。わかってたけど、それしかできなかった。

 溢れてくる悲しさを止めるだけの余裕は、なかった。



『どうして』


 日が完全に沈んで、あたりは僕の心の中みたいに景色を変えた。


 ドアをノックする音が、静まり返った部屋に響いた。

「陽介」

 母さんの声。

「結恵ちゃん、帰るから送ってあげて」

「……」

「……陽介」

「わかった。今行く」

 体を起こしてベッドから降りた。いつになく体が重い。

 階段を降りていった先に、結恵と母さんがいた。僕たちは無言で玄関まで来ると、

「気をつけてね」

 母さんが一言だけ言った。

 結恵は深く頭を下げて、僕たちは家を出た。


 冬の空気は針を刺すような冷たさだった。家を出た後も、僕たちは何も話さなかった。静かな住宅街に、僕たちの足音以外聞こえてくるものはない。

 いつもの公園まで来た時、静寂は破られた。

「陽介君」

 僕の前で結恵が立ち止まった。

「裕也君と千春ちゃん、本当に……」

「あぁ、死んだよ」

 隠せるわけでもない。僕ははっきり言った。

「もう、四人でいること、ないんだね」

「あぁ」

 辛い現実だった。僕がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならないはずだったのに。

「どうして?」

 結恵は僕に背を向けたまま続ける。

「どうしてなの? どうしてふたりが死ななきゃいけなかったの!?」

 振り返った結恵の目は、涙でいっぱいだった。

「どうして?」

 それは、

「ねぇ、どうして!?」

 結恵は僕をつかみながら見つめていた。わかっている、彼女は答えがほしいわけじゃない。

「ごめん……」

 掴んでいた手を引き寄せる。一瞬後に、僕は結恵を抱きしめていた。

 辛いのは僕だけじゃなかった。むしろ親しい人の死をある程度経験した僕より、初めての結恵の方が、ずっとずっと辛いはずなのに、僕は……。

「どうして、陽介君が謝るの?」

「……」

「陽介君は悪くない。悪くないんだよ」

 違うんだ。僕のせいで、ふたりは死んだ。

 言いたかった。感情に任せて、すべて話したかった。でもすべてを話したら、もう結恵とは一緒にはいられない気がした。結局僕は臆病で、なにもできない愚かな存在でしかなかった。

「ごめん……」

 それしか、出てこなかった。


 結恵を家まで無事に送り、帰路についた。夜は深さを増していた。

「ただいま」

 リビングに入ると、父さんと母さんが座っていた。

「おかえり」

「上にいるから」

 それだけ言うと、僕は二階へとあがった。また僕はベッドの上で横になった。

 僕はこれからどうすればいいのだろうか、いつこれが終わるのだろうか、あれこれ考えていた。


 ふと気がつくと、体にだるさが残っていた。どうやら眠ってしまったようだ。

 体を起こそうとした。が、まだ強烈な眠気がとれない。

「うっ……」

 そのまま、世界はまた暗闇に戻っていった。

ちょっとマンネリ化してきたかなぁと反省してます。それでも読んでくれている皆様には本当に感謝しています。ぜひ第七章も読んでくださいね。

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