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陽だまりの種  作者: ハギ
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第四章 降り止まない雨

『結果』


 ――どのくらい時間が過ぎただろう。

 暗い世界に一筋の光が入り込む。そしてゆっくりと、暗黒の世界は見覚えのある鮮やかな世界へと移っていった。

 まだ頭はぼーっとしている。眠い。

 朝の冷たい空気が少しずつ僕の眠気を取り除く。

「ふぅ……」

 ひとつため息をついて自分の手を見る。

「生きてる。また来たんだ」

 時計を見る。日付は2003年12月23日。やっぱり僕はまた、戻ってきた。今日という日に。

 体を起こし、ベッドから立ち上がる。いつも通りブラインドを上げ、窓をこれでもかという程まで開ける。冬の冷たい風が部屋の空気と混ざっていく。静かな朝だった。

 着ている服を着替え、部屋を出た。冷たい階段をトコトコ降りる。そのしばらく先にある扉をゆっくり開いた。

「おはよう」

 そこにいるはずの二人。

「おはよう、陽介」

「うん」

 そこにはやっぱり二人がいた。父さんと母さんが。朝起きれば、こういう風景はまず当たり前なのだろう。でも僕には幸福そのものだった。朝起きれば誰かいる。そんな“当たり前”が、僕には泣きそうになる程うれしいことなのだ。

「もう少し待ってね、すぐご飯にするから」

 キッチンからはいい匂いがした。リビングの椅子に腰掛け、父さんが見ているテレビを一緒に見る。朝のニュース番組をやっていた。

 父さんはテレビを熱心に見ていたが、それほど興味はなさそうだった。テレビの中では、毎日のように日々の生活では知らなくてもいいようなことを特集している。父さんはそれをただ遠目で眺めるだけだった。

「ご飯できたわよ」

 僕と父さんはゆっくり腰をあげてダイニングにむかった。二日前にも食べた母さんの手料理が、妙に久しぶりに思える。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 一年前までは当たり前だった三人での食事は、本当に楽しかった。二日前はあまりの嬉しさのせいか、あまり覚えていない。それに比べ今回は、いろんな話ができて本当に楽しかった。

 リビングのテレビは誰もいないリビングで、一人黙々と話し続ける。

「続いて天気予報です。今日の天気は日中は晴れ、夕方からは雨か雪に……」




『死の宣告』


「父さん、母さん、ちょっといいかな?」

 朝の食事がひと段落ついて、母さんはお茶をいれていた。

「なぁに?」

 母さんが反応する。もしここで言わなければ、二人はまた同じように“運命”を辿るだろう。

「今日なんだけど、絶対外に出ないで」

 父さんはテレビを見たままで、何も言わない。母さんは驚きと困惑の表情を見せていた。

「どうしたの? 外に出ちゃいけない理由を教えてくれないと」

 母さんの意見はもっともだ。

「今から言うことに嘘はないから、信じてくれる?」

「わかった」

「実は今日、父さんと母さんは死ぬんだ」

 一瞬テレビ以外の時が止まった。広い部屋にテレビの音だけが響いている。

「陽介、そんなこと言うものじゃ……」

「嘘じゃないって言ったでしょ?」

 母さんの言葉を遮った。

「今日、父さんと母さんが夕方に買い物をして車で帰ってくる時に、交通事故にあって死ぬんだ。嘘なんかじゃない」

 静寂があたりを包んでいた。

「どうやって信じろと言うんだ?」

 父さんが口を開いた。

「たとえそれが事実だとしても、急に“今日あなたは死にます”って言われて信じることができるか?」

「でも本当なんだ! 信じてよ!」

 父さんも母さんも、半分呆れたような顔をしていた。確かにそうかもしれない。そんなことを言われたって実感がわくわけがない。どうすれば、二人は信じてくれるのか。

「わかった!」

 母さんが手を叩きながら言う。

「時間をずらせばいいんでしょ? それか事故が起きる場所を避けて外に出れば、大丈夫なんじゃない?」

「だめなんだ」

 そう、二日前は時間も場所も違う状況だった。にも関わらず、事故は起きたのだった。

「じゃあ今日は車で外には出れないな」

 父さんも顔を渋くして言う。

「今日はごちそうの買い出しとか、陽介のプレゼントとか、いろいろ買わなきゃいけないものが多いのよ」

 母さんもそれに便乗した。

「そんなものどうだっていいだろ!!」

 部屋に響く自分の声が、ひどく悲しく聞こえた。

「そんなものより、命の方が大切じゃないか」

 本心だった。もう、ひとりは充分すぎる。

「……本当なのね?」

 母さんは僕の顔をのぞく。僕は小さくうなずいた。

「全部話すよ。今まであったこと」

 長い僕の話を、飽きもせず二人は聞いてくれた。二度事故がおきていること、松崎さんのこと、西尾のこと、父さんと母さんがいなくなってからの一年弱にあったことすべてを話した気がする。

「そう、辛かったのね」

 母さんは泣いていた。テレビを見ていた父さんも、途中からテレビを消して僕の話を聞いてくれた。

 そして僕の言葉に従うと、二人は約束してくれた。




『子供な大人』


 気の抜けたインターホンの音が響く。

「はいはい」

 呼ばれていないのに母さんは返事をして玄関に向かう。

「あらぁ、……」

 話し声は聞こえるけど、内容まではわからない。

「……ってね、陽介ー! みんなが来てるわよ!」

 そう、これから僕は裕也たちと遊びに行くことになっている。

 今度こそ、父さんと母さんを見殺しにするわけにはいかない。もう同じ過ちは、二度と繰り返したくない。

「心配しなくても大丈夫よ」

 母さんが優しく言う。

「お父さんもお母さんも、自分の身におこることがわかってるのに出かけるようなことはしないわよ。安心して行ってらっしゃい」

「でも……」

「ほら、みんな待ってるわよ」

「……わかった。くれぐれも気をつけてね」

「はーい!」

 母さんはこういうところが子供っぽい。それだけに心配ではあるけど、でも大丈夫だろう。

「じゃあ行ってくるよ!」

 玄関には、いつもの三人がいた。

「よう、陽介!」

「やほー」

「おはよう、陽介君」

 そして当たり前のように僕も返事をした。

「あぁ、おはよう。じゃあ行くか!」




『行き先』


「さぁ〜て、まずはどうするかなぁ〜」

 裕也はまだ眠そうだった。

「もう11時すぎてるのにまだ眠いの?」

 千春の呆れた声。

「実は朝帰りなんだろ?」

「あら、やらしー」

「裕也君、本当なの?」

 僕たちの視線が裕也に向けられる。

「本当なわけないだろ?」

「わからないよなぁ」

 いつものやり取りのおかげで、少しだけ心の荷がおりた気がした。

「あのなぁ、おまえら少しはまじめに考えろよ」

 しばらく考えても答えが出てこない。

「陽介、行きたいとこない?」

「別に」

「結恵ちゃんは?」

「みんなが行くところならどこでもいいよ」

「よわった」

 本当にこんなで一日すごせるのか心配になる。

「じゃあさー、」

 千春が口を開いた。

「とりあえずお昼にしない?」



『さっちゃん』


「いらっしゃいませ」

 僕たちはとあるお店に入った。

「こんにちは」

「あらぁ、みんな久しぶりね! いらっしゃい」

「さっちゃん久しぶり!」

 お店で迎えてくれたのは僕たちが“さっちゃん”と呼んでる、このお店の女店長だった。

「千春ちゃん久しぶり! あんまりみんなが来ないから、嫌われたかなって思ってたんだから」

 そんなことはまずない。ここは家族でお店をやっていて、僕たちのお気に入りの店だった。僕たちは奥の方にある席についた。

「じゃあ、なににする?」

「実はね、さっちゃん、今日は陽介の誕生日なの」

 千春がさっちゃんに言った。

「あら、本当? よーちゃんおめでとう!」

 よーちゃんというのは僕のこと。この人はみんな“ちゃん”をつけて人を呼ぶ、ユニークというか、飛び抜けて明るい人だった。

「ありがとね」

「じゃあ、よーちゃんはスペシャルセットね」

「そんなメニューあったっけ?」

 裕也の言う通り、そんなメニューはなかったはず。

「よーちゃんのために特別メニューを作ってあげるの楽しみにしてて」

「マジ!?」

「マジ」

「解毒剤用意しないと……」


 ――ガツッ


「痛ってぇー!」

 さっちゃんは小さい下敷きみたいなもので僕を殴った。

「みんなはどうする?」


「じゃあ注文を繰り返すね。千春ちゃんと結恵ちゃんが愛ちゃんセット、ゆーちゃんが将太ランチ、よーちゃんがスペシャルセットね。では少々お待ちください」

 そう言うとさっちゃんは厨房に入っていった。このお店は店長の子供の名前がついたメニューが人気で、僕たちも大好きだった。


「おまえ、本当に解毒剤用意しとかないとやばいんじゃない?」

 裕也が隣で言う。

「ほんと、なにされるかわからないよ」

「陽介あんなこと言っちゃったもんねぇー」

 それを言うなよ、千春さん。

「でもさっちゃんは優しいから大丈夫だと思うよ」

 結恵の一言に僕と裕也が反応して、

「それはない」

 声が重なった。

「だーれーがー?」

 鬼の形相が脳裏に浮かぶ。

「な、なんでもありません!」

 また僕と裕也の声が重なった。結恵と千春が僕たちの前でくすくす笑っている。

「はい、三人の分ね。よーちゃんはもう少し待ってね」

 あの笑顔が逆に怖い。

「なにが出るかねぇ」

 裕也は楽しそうに僕を見ている。こいつ、いつか復讐してやる。

「おにーちゃん!」

 そこにいたのは、これまた大きなハンバーグ……って。

「ふぇ?」

 ついつい気の抜いた声を出してしまった。

「これ、おにーちゃんのだよ!」

 声の主はメニューの名前に使われている愛ちゃんと将太君。

「これが!?」

 そこにあるのはこれでもか! と言わんばかりの大きなチーズハンバーグ。

「どーぞ!」

「あ、ありがとう」

 みんな大爆笑していた。とてつもなく大きく、誰が見ても不格好そのもの。

「うらやましいよ、よーちゃん」

 ふざけたように裕也が言う。

「交換してやろうか?」

「とんでもない。さっちゃんが心を込めて作ったんだから」

 裕也は終始にやけていた。




『サービス』


「どうだったかしらん?」

 例のブツの原因が来た。

「ありゃないでしょ、いくらなんでも!」

「当たり前じゃない。子供たちがああしたいって言うから、その通りに作ったのよ」

 まぁ子供だから仕方ないか、ってそういう問題じゃない。

「お詫びってわけじゃないけど、これはサービスね」

 テーブルに置かれたのは、クレープを何重にも重ねたものに生クリームが塗られたもの。

「まさかと思うけど……」

「お誕生日ってことで、バースデーケーキ作ったの」

「すげぇ〜!」

 みんなは楽しそうにしているけど、当の僕は半分呆れていた。

「……よく作るね」

「まぁね。ほめ言葉として聞いておくわ。ごゆっくり」

 それを言うとさっちゃんは厨房に戻った。

「せっかくだから、食べようか」

 僕たちは時間をかけて、ゆっくりそれを食べた。



「あら、もう帰っちゃうの?」

 さっちゃんはやたらオーバーに悲しんでいる。

「また来ます」

「じゃあ今から予約入れていく?」

「それはちょっと……」

「冗談よ。ありがとうございました」

 僕たちは店を出た。

「さて、」



『記念写真』


「これがいいんじゃない?」

 千春と結恵が楽しそうにプリクラを撮る機械を選んでいる。千春の強い希望でプリクラを撮りに来たのだ。

「じゃあこれにしよう!」

「はいよー」

「りょうかい」

 僕と裕也は生返事を返す。

「おふたりさん、やる気なさすぎだから」

 実際そうだった。どうもこの雰囲気は慣れない。

「ほら、早く!」

 千春に腕を引かれて大きな箱状の機械の中に入る。

「これがいいかな?」

 結恵と千春が箱の中にある画面を見てなにかを選んでいる。

「いくよー」

「やるか……」

「よし!」


 画面に今撮った写真が映る。

「なにこれー!」

「ぎゃははは!」

 僕と裕也がお互いの顔をいじくりまわして、ものすごい顔になっていた。

僕は目尻と口元が異常に垂れ下がっているし、裕也は鼻の穴が三倍くらいに広がっているように見える。

「ひーひー」

「腹痛てぇー」

 僕たちが大爆笑しているのを、千春と結恵は半分呆れ、半分面白がって見ていた。

「ほら、次!」


「できた!」

 箱の横から一枚の小さな写真がたくさん写っているものが落ちてきた。

 それを千春が手際よくはさみで四等分する。

「はい、陽介」

「さんきゅー」

 渡されたあのふざけた写真には“祝・17歳”の文字が書いてあった。




『わかれ道』


 それから僕たちはカラオケに行った。ひたすらバカみたいに騒いで、歌って、踊った。退室時間になって、外に出てきた僕たちは、千春と結恵の希望で買い物に行くことになる。

「どこにしようか?」



 結局ショッピングモールで買い物をすることになった。

「この後どうしようか、あたしは行きたいところあるんだけど」

「私も、ちょっと……」

「じゃあわかれるか」

 千春と結恵の希望に裕也が提案した。

「陽介、おまえどっちと行く?」

 僕は……

「ごめんね、付き合わせちゃって」

 僕の隣を歩いているのは結恵だった。


 ――ほんの二、三分前


「陽介、おまえどっちと行く?」

 正直なところ、僕はどっちでもよかった。たまたま出した手によって決まっただけのこと。要するにジャンケンでこうなっただけ。

「じゃあ陽介は結恵ちゃんと一緒ってことで」


 そういえば前も同じ状況になったっけ。そんなことを思い出していた。

「陽介君?」

「ん? ごめん、なに?」

「ううん、なんでもない」

 僕たちはほとんど話さなかった。お互い話すことがないわけではない。ただ結恵は元々静かな性格だし、僕は僕で少しずつ音をたてて近づいてきているあの瞬間が気になってきていた。

 ただこうしていると、付き合っていた頃を思い出す。一緒に帰ってる時も、大抵こんな感じだった。

「陽介君?」

「……」

「陽介君!」

「ごめんごめん、なに?」

「ここだよ」

 結恵が指さした先には小さな店があった。僕たちは店の中へと入っていった。




『みんなへのプレゼント』


「なに探してるの? クリスマスプレゼント?」

「うん。妹たちのとか、いろんな人たちの分だよ」

 結恵は小さな店の中を行ったり来たりしながらプレゼントを探していた。

「これとかは?」

「うーん、ちょっと……」

「じゃあこっちは?」

「あっ、かわいい」

 そうしてかごに商品が積まれていった。

「ちょっと待っててね」

 結恵はレジに向かった。僕はその間にメールを打っていた。

「ちゃんと守ってるかな」

 こればかりは、どうしても気になって仕方がなかった。


 “ちゃんと約束守ってる? なにもない?”


 送信ボタンを押すとほぼ同時に結恵が戻ってきた。

「ごめんね、行こう」

 僕たちは歩きだす。

「!」

 携帯がふるえていた。

「買い物終わったら正面出口に集合だってさ」

「じゃあ行こう」

 メールはもう一件、父さんからだった。


 “母さんと家にいる。大丈夫だ。”


 思わず一息ついた。とりあえず、まだ大丈夫みたいだ。

 そうこうしているうちに正面出口に着いた。千春と裕也の姿はまだ見えない。

「ちょっと早かったかな」

「そうだね」

 しばらく僕たちは無言だった。まわりの慌ただしい雰囲気と、僕たちのまわりは空気の流れが別物のように感じた。ゆったりとした、そんな感じ。

「陽介君」

 ふいに結恵が僕を呼ぶ。

「なに?」

「えっと、誕生日おめでとう」

「あ、ありがとう。なんだよ、急に」

 僕は半分笑いながら言う。あまりに唐突すぎる言葉が不自然で、それが面白かった。

「えっ、あ、まだ言ってなかったなって思って」

「そっか」

「陽介君、今、彼女とか……いる?」

 二度目のあまりに唐突で不自然な質問。僕は半分驚き、半分笑いながら答えた。

「いや、今はいないよ」

「そっか、好きな人とかは?」

「……まぁいるにはいるね」

 さすがに変な嘘はつきたくはない。

「あのね……」

 結恵がさっき買ったものを入れている袋に手を入れてなにかを探している。

「ごめーん! 遅くなっちゃった!」

 千春と裕也が走ってきた。結恵は慌てて手を袋から出した。

「遅い!」

「ごめん、レジが混んでてさ。行こう!」

 僕は結恵に視線を戻して、

「さっき、何言おうとした?」

「えっ!? な、なんでもない……」

「そっか」

 この瞬間から、事態は加速度を増し、運命という道を突き進んでいた。空は今にも涙をこぼしそうな、厚い雲で覆われていた。




『秘密と決心』


 僕たちは学園の近くを通っていた。隣には裕也が、前には千春と結恵がいた。

 実はこの近くにあいつの自宅がある。実際に目の前まで行ったこともある。白い二階建ての古いアパートの一室。二回も元凶を作った男が住んでいる。

「陽介、ちょっといいか」

 裕也は小声でそう言い、千春や結恵から少し距離を置かせた。

「なんだよ」

「ちょっと聞きたいことがある。おまえ、好きなやつはいるか?」

 昨日聞いた裕也のあの言葉が、頭に浮かんだ。

「……」

「どうなんだ?」

「いや、いない」

「そうか」

 裕也は大きく息を吐いた。息は白く、広がってすぐに消えた。

「俺は、結恵ちゃんが好きだ」

 予想が当たってしまった。こんなことを言うということは、つまり。

「明日、告白しようと思うんだ。プレゼントも買った。千春も知っている」

 大きな選択が迫っていた。

「どう思う? いざとなると緊張してさ……」

 一番の親友か、それとも。

「……」

 考えていた。今日このままいけば、間違いなく僕は結恵に告白されるはず。でもそれは、裕也にとって過酷すぎる現実だった。

 かと言って今日、僕が彼女にNoと言ったとしても、次の日に告白された裕也と結恵が付き合うとは考えられない。

 僕は、僕のとる道は……。

「裕也、」




『親友』


「おまえ、今日いってこい」

 裕也の目が、これ以上ない程開いていた。

「おまえ、今日って!」

「そうすれば明日は一緒にいられるじゃないか」

「そりゃそうだけど……」

「クリスマスイブは一緒の方がいいだろ? だったら今日しかない」

 そう、これが最良の手。

「でも、どうやって……」

「千春に協力してもらう。任せておけよ、親友! 心の準備はいいか!?」

「ち、ちょっと待てよ!」

 裕也が僕の上着の袖を掴んでいた。

「怖じ気付いたか?」

「……いや」

 裕也は大きな白い息を吐くと、

「よし」

 と気合いを入れた。僕は千春にメールを送る。

「自分の気持ち、ちゃんと伝えろよ」

「わかってる」

 携帯が震える。千春からのメールだった。


 “おっけー”


 僕たちはあの公園の近くにいた。ここから僕と千春、結恵と裕也の二方向に別れる。つまり、ここでうまくやればチャンスが生まれる、ということ。

「ねぇ陽介! ちょっといい?」

「おぅ! なんだ?」

「あっ、二人は先に帰っててくれない?」

 結恵が不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」

「陽介に相談! 悪いんだけど、二人にはまだ聞かれたくないんだ」

「そう……」

 心なしか、結恵の顔から悲しみに似た感情が伝わってきた。

「じゃあな! 結恵! 裕也!」

「バイバーイ!」

 二人は家がある方向に歩いて行った。

「うまくいくかな?」

「裕也次第だな」

「うん」

「頑張れよ、親友!」

 二人の姿は次第に小さくなり、しばらくして見えなくなった。

「さて、帰るか」

「ちょっと待って!」

「えっ!?」



『雨の中で』


「なんだよ、ここで裕也を待つのか?」

 千春は首を横に振る。

「さっきの相談があるって言ってたの、本当なの」

 僕には何のことかさっぱり見当がつかない。

「相談?」

「うん……」

 あたりは暗さを一層増していた。

「あたしね、四人でいるのすごく楽しいんだ。それがね、ある人がいるからだって前から気づいてたの」

 つまり千春は恋心を抱いているのだということに気付くのに、時間はそれほどかからなかった。

「でも怖くて言えなかった。今の関係が崩れちゃいそうで、もうずっと話せなくなるんじゃないかって」

 千春の表情は見えない。下を向いたまま、言いにくそうに話を続けた。

「でも今日、裕也に言われてわかったの。恐れてたら始まらない。だからちゃんと自分の気持ちを伝えようって決めたの」

 裕也に言われた? それじゃあ、つまりそれって……、

「あなたのことが誰よりも好きです。わたしの側にいて下さい」

 信じられなかった。実際辛い思いをしていたのは裕也だけではなかったんだと、今さら気付いた。

「千春……」

 どうして今まで気付けなかったんだ。どうして気付いてやろうとしてやれなかったんだ。一人だけが、辛い思いをしているわけじゃないのに、あんなに一緒にいたのに、どうして僕は気付いてやれなかったんだ。

 あまりに鈍感で、自分でもあきれてしまう。

「好きな人がいるの?」

 千春が僕を見る。いるにはいるが、それはもう、戻れない選択肢。

「いや、いない」

「じゃあ……」

 決断しなければいけなかった。結恵が僕と千春の関係を知れば、僕のことを諦めるかもしれない。でも、こればかりはわからなかった。

「陽介」

 千春は待っていた。僕は、僕は……。

「僕は、」

 その先を言おうとした時、僕の体に千春の体がぴったりくっついていた。千春の細い腕が、僕の上着の袖をしっかりと握っていた。

「わたしには、あなたしか……いないの」


 どくん。


 そんな千春は見たことがなかった。千春のこんな姿を見たら、男は例外なくイチコロだろう。そう、例外なく。

「だから、だから……お願い」

「……わかった」

 涙ぐんだ目を千春は僕に向ける。

「千春の側にいるよ」

 これでいい。これでいいんだ。

「ありがとう、陽介」

 僕と千春の距離は、もうなかった。千春の暖かさを、全身が感じていた。

 千春はまだ泣いていた。よほど不安で、そして僕のことを想っていたのだろう。

 ふと体が離れる。

「えっ!?」

 僕の目には、千春の顔しか映っていなかった。混乱している中で唯一わかるのは、唇のあたりに柔らかな感触と暖かさを感じたことくらい。

 千春は恥ずかしそうに下を向いた。そして、また僕との距離をゼロにした。全身で感じる千春の体温。そうして初めて、彼女がこんなにも女の子であることを実感した。


 ふと上げた視線。その中で、僕の目は見ていた。彼女の、結恵の姿を。



 暗い雲が、声をあげて泣き始めた。




『悪夢』


「結恵……」

「えっ!?」

 千春が振り返る。その時には、結恵は走り出していた。

「結恵!」

「行かないで!!」

 僕の先の行動を、千春が制した。

「もう、どこにも行かないで」

 どうしようもなかった。しばらくそのまま立ち尽くしていた。これこそ僕が望んでいた状況。思い通りの状況なんだ。それなのに、胸のあたりのモヤモヤが取れない。

 千春も、それ以上何も言わなかった。


「!」

 ポケットの中の携帯が震えた。父さんの名前が画面に表示されていた。

「もしもし、父さん?」

「陽介! すまん!」

 何のことだかさっぱりわからない。

「俺が、もっと……」

「父さん?」

「でなければ、母さんは……」

 悪寒が全身を逆撫でにした。

「父さん! 母さんがどうしたの!?」

「母さんがいないんだ。靴がないから多分、外に……」

「くっそぉ!!」

「陽介! 父さんも探す。とりあえず合流して……」

 その父さんの声は、僕に届くことはなかった。降りしきる冬の雨の中を、僕は走り出していた。



『正夢』


 雨は強さを増していた。容赦ない寒さが、体をギリギリにまで追い詰めていた。

「母さん、どこに行ったんだ!」

 路地を右に左に曲がり、走る。でも、母さんはいない。

 家の近くから少し離れたところまで、くまなく探す。でも結局、母さんは見つからなかった。

「くそっ!! いったいどこに行ったんだよ!」

 いつの間にか、僕は公園にいた。雨はさらに強さを増して、走り疲れた僕の体にうちつける。父さんから連絡があってから、十分以上時間が過ぎた。

 とりあえずもう一度周辺を探してみよう、そう思って頭をあげた時だった。

 人影が見える。前の道路の右側を、人が歩いていた。見覚えのある姿に、安堵を覚えた。

「母さ……」

 人影の後ろから黒い車が迫ってきていた。ものすごいスピードで、巨体をうならせていた。

「逃げて!! 母さん!!」

 人影は大きく上に跳ね上がった。大きく弧を描き、一回地面で跳ねて、完全に沈黙した。

 黒い車は、猛スピードで僕の脇を通過していった。


 雨が強かった。初めはゆっくり、徐々にスピードをあげて人影に駆け寄る。

「うぅ……」

「母さん! 母さん、しっかりして!」

 まだ意識があった。でも足や腕はいろんな方向に曲がって、明らかに骨折している。それだけではない。体のいたるところから血が流れ出ていた。

「陽介、ごめん、なさいね。お醤油、切らしちゃって」

「どうして、どうしてなんだよ母さん! それくらい……」

「近く、だから、大丈夫かな、って……思ったのよ」

「あれほど、言ったじゃないか」

「ごめん、なさい」

 母さんは泣いているように見えた。雨のせいではっきりはわからない。

「おい! 事故だ! ひき逃げだそうだ! むこうで男がひかれたとさ」

 誰かの声が耳に入った。

「陽介、お父さん、は……?」

「まさか、父さん!!」

「陽介、見てきて」

 今にも消えてしまいそうな、そんな声。

「わかった! すぐに戻ってくる!」

 立ち上がって、さっき声をあげたと思われる男に近づいた。

「すいません! さっきの事故ってどこですか!?」

「えっ!? ここをまっすぐ行ったところだよ」

「ありがとうございます!」

 走りながら携帯を出す。

「すいません! 救急車二台お願いします! ひき逃げです! 場所は……」

 何分か走ったところで数人の人だかりができていた。

「すいません!」

 割って中に入る。中心にある人影。そこに横たわっていたのは紛れもなく、父さんだった。

「父さん!」

「あ……う……」

 意識が朦朧としていた。見た感じで母さんよりも様態が悪いことがわかる。

「父さん! 父さん!」

「あ……よう……すけ」

 ほんの少しだけ、意識が回復してきた。

「父さん!」

「ようすけ……かあ……さんは?」

 簡単なうそでよかった。でも、どうしても本当のことが口から出てこなかった。僕が目線をそらしたのことで、父さんは事態を悟ったようだった。

「そう……か。はあっ、すまな……かっ……た」

 時間がゆっくり流れていた。父さんの全身の力が一瞬で抜けたように見えた。

「父さん?」

 返事はない。

「父さん! 父さん!」

 反応がない。

「父さん、そんな……」

 しばらく呆然としていた。また、変えることはできなかった。あの言葉が、僕の頭の中を支配していた。


“運命”


「すいません」

 僕は顔をあげて、周囲の人だかりを見る。

「父をお願いします」



「陽介」

「母さん」

「やっぱり、お父さん?」

 僕はうなずくしかできなかった。僕の顔は涙と雨のせいでぐちゃぐちゃで、泣いていたせいでまともに声も出せなかった。

「そう、やっぱり」

 僕の涙は止まらなかった。

「男の子が、泣いてちゃ、かっこわるいぞ」

 こんな状況でも、母さんは僕のことを気遣ってくれる。母さんもそれ以上何も言わなかった。

 雨の中から、赤い光が見えた。



『三人』


 母さんを救急車に乗せたとほぼ同時に、パトカーも到着した。中から出てきたのは、松崎さんと二人の警官。

「○○署の松崎です」

「……」

 返事すら、できなかった。

「すいません!」

 救急車の中から声が聞こえた。

「行って下さい。搬送先が決まったら携帯に連絡を下さい」

 紙に11桁の数字を書く。

「わかりました」

 救急車はすぐに僕の見えないところまで走っていった。

「失礼ですが、同乗しなくてよろしかったのですか?」

 松崎さんが聞いた。

「やらなければ、いけないことがあるんです」

 ちょうどその時、僕の脇をもう一台の救急車が、母さんを乗せた救急車を追うように走り去った。

「やらなければならないこと、ですか?」

「はい。一緒に来ていただけますか?」

 救急車が、僕の乗るパトカーの脇を通っていった。



 パトカーから降りてすぐに視界に入る、ついさっき通ったあのアパート。その前には、黒い壊れた車が一台停まっていた。

「一緒に来て下さい」

「わかりました」

 僕と松崎さんと一人の刑事は、ある部屋の前で止まった。


“103 西尾”


 僕は一息つくとドアを叩いた。

「おい、あんた! 出てこい!」

「ここの人が犯人なんですか?」

 松崎さんは状況の飲み込みが早かった。

「おい! いるんだろ! 出てこいよ!」

 明らかに人の気配があった。多分、松崎さんもそれは気付いたと思う。

「西尾さん、警察の者ですが、開けてもらえませんか?」

 返事はない。

「合い鍵です!」

「よし!」

 部下の警官が持ってきた鍵で、勢いよく扉が開く。中で小さくなっていた男を掴みあげた。

「おい、あんた!」

「ひぃ!」

 やっぱり西尾だった。頬に大きなほくろのある、この憎い顔は間違いない。そして黒い車の中にも、この顔があったのを僕は見ていた。

「怖かったんだ……」

「どうして! どうしてあんたはそうなんだよ!」

 松崎さんと部下の警官が、僕を止めに入った。

「落ち着いて下さい!」

「何度も、何度も、どうしてなんだ!」

 その言葉の意味を知る人は、ここにはいない。

「あんなところで……」

 西尾は頭を抱えながら言う。

「まさか、あの後も……なんて、怖かったんだ。俺は、さ、三人も……」

「さ、三人!?」

 血の気が引いて、一気に冷静になった。こいつがひき逃げしたのは、状況からして父さんと母さんだけかと思っていた。

「あんた、もうひとりひいたのか……」

 あの救急車だ。パトカーの中にいる時にすれ違った、あの救急車に乗っていた人が被害者に違いない。

「でも! あの女の子は違う! 急に飛び出してきて……」

「女の子?」

 あの時間帯に、しかも冬の雨が降る日に外に出る人は少ない。実際母さんを探している時、ほとんど人は見かけなかった。

「あの女の子って……」


 その時。


「!」

 携帯が鳴った。

「陽介……」

 裕也だった。いつもの、力強い印象はどこにもない。

「どうした?」

「俺が、どうして……」

 裕也は泣いていた。

「おい! 裕也! どうしたんだ!?」

「……」


 時間が止まったような感覚だった。持っていた携帯が、重力に逆らわずにまっすぐ落ちて、一回跳ねて、止まった。



『夜の病院』


 僕は松崎刑事の運転する車に乗って、病院に向かっていた。三人の被害者は、みんな同じ病院に搬送されたらしい。

「……」

 松崎さんも僕も、終始無言だった。西尾は部下の警官によって逮捕され、連行されていった。

「ここですね」

 僕たちは車を止めると病院の中に入っていった。


 白い壁に囲まれた廊下を左にまがった。人影が見える。

「陽介!」

 僕に飛び込んできたのは、千春だった。彼女は、そのまま僕の胸の中で泣いていた。

「陽介……」

 裕也が一瞬僕を見て、すぐに目線をそらした。


 長い時間が流れた。冷たく重い時間が、僕たちに重くのしかかってくる。僕たちは何も話さずに、ただずっと座っていた。

 ふいに、白衣を着た男性が僕たちの前で止まった。僕たちは、無言のまま頭をあげる。

「まことに残念ですが、三人ともお亡くなりになりました。我々も全力を尽くしたのですが……」

「そう、ですか」

「そんな……」

「ウソ、だろ?」

 あげた頭を、僕たちはまた下げた。僕は立ち上がって、フラフラ歩いた。

「陽介?」

 僕に気付いた千春を、裕也が制したのが横目に映っていた。

「どうして、また……」

 流れる涙が止まらなかった。夜の病院には、人はほとんどいない。待合室のような場所にひとり。

「どうしてなんだ……父さんと母さんだけじゃなくて、結恵までも……」

 三人目の被害者となった女の子。それが結恵だった。後悔と悲しみと怒りと、いろんな感情が僕をぐちゃぐちゃにしていた。

「くそおっ!」

 壁を思いっ切り殴った。

「くそおっ! くそおっ!」

 こんなことをしてもどうにもならないことくらい、知っていた。僕は、知っていた。

「くそぉ……」

 そして崩れた。

 運命は、過酷すぎた。




『訪れる時』


 僕はひとり、家にいた。どうやって帰ってきたのかも、覚えていない。気がついたら、僕は広い家の中にひとりいた。

 時間は、日を変えようとしていた。

 暗い家の中で、僕は自分の部屋に入った。暗く、冷たい部屋。

 僕はただ、ずっと立っていた。なにをするわけでもない、何かを考えるわけでもない。ただただ、立っていた。


 しばらくたって、僕はゆっくり腰を降ろした。

 どうして、こんなことに……間違っていたのだろうか。そんなことを考えていた。

 ふと急に世界が回るような感覚に襲われた。一日騒いで、走って、泣いて、疲れたのかもしれない。僕はそう考えた。

 そして世界を暗黒が制していった。

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