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陽だまりの種  作者: ハギ
3/14

第二章 繰り返された過去

『目覚め』


 ――どのくらい時間が過ぎただろう。

 暗い世界に一筋の光が入り込む。ゆっくりと暗黒の世界は、見覚えのある鮮やかな世界へと移っていった。

 まだ頭はぼーっとしている。眠い。

「んっ……」

 朝の冷たい空気が少しずつ僕の眠気を取り除く。

 カレンダーには、印がついていない。昨日とは違う姿を僕に見せていた。寝ぼけた眼でカレンダーをもう一度見る。

「なっ……!?」

 慌てて時計を見る。時刻は6時25分。日付は2003年12月23日と表示していた。

「えっ、えぇー!!」

 確か昨日は2004年12月22日だった。でも目の前の時計は2003年12月23日を表示している。カレンダーも2003年のもの。

「そ、そんなバカな……」

 あり得ない。この状況を飲み込めない。誰がこんな状況を理解できるだろうか。

「えっ……と、だからつまり……」

 落ち着け、落ち着け、陽介。ゆっくり考えてみよう。もし、この時計が正確だったとしよう。もしそうなら、僕は一年前の僕の誕生日、つまり過去にタイムスリップしたことになる。

「そ、そんなバカなことが……」

 ダメだ、信じられない。でも部屋の様子は昨日と少し違うし、時計もカレンダーも……。信じられないが、現実であることは間違いなさそうである。

「夢……でも見てるのか?」

 混乱が止まらない。まるでわけがわからなかった。

 とりあえず一年前の今日、起こるはずのことは、結恵に告白されて、それから……。

「ま、まさか……」




『再会』


 僕は部屋を飛び出した。そう、今日が本当に2003年12月23日なら、まだあの人たちがいるはず。

「父さん! 母さん!」

 リビングの扉を開ける。そこには見慣れた顔があった。間違いなく、僕の両親だった。

「なんだ、朝っぱらから騒がしい」

「何かあったの?」

 懐かしい声。僕はしばらく全てを忘れたように立っていた。喜びと、懐かしさと、嬉しさと、よくわからない感情で頭がいっぱいだった。

「陽介?」

 包み込むような優しい声。母さんの声だ、間違いない。生きている、二人はちゃんと生きている。

「どうしたの? 目が真っ赤よ」

「な、なんでもないよ。変な夢を見ただけ。おはよう、父さん、母さん」

「うん」

「おはよう、陽介」

 聞きなれた声。この声を聞きたくて、何回僕は涙を流しただろう。

「着替えてくるね」

「ご飯すぐにするからね!」

 階段をドタバタかけあがり、急いで部屋に戻る。部屋はまだ冷たかった。

「ははっ、ふぅーっ」

 うれしいのに、ただひたすら涙が流れる。顔はバカみたいににやけていた。

「生きてる、生きてるよ……」

 手で一度だけ目を覆った。



「夢なんかじゃないよな」

 頬をつねってみる。はっきりとした痛みと、頬の感触が手に残る。

 “現実”間違いなくリアルだった。今僕がいる“ここ”は、2003年12月23日の佐野家なのである。


 しかし疑問が残る。

 ――そう、昨日は2004年の12月22日だったのに、今日は一年前に戻っているという点。

 この時代にはタイムマシンもないのだから、過去に戻れるわけがない。ましてや夢を見てるわけでもなさそうだ。

 それに昨日の夜。あの時の胸の痛みは一体なんだったのだろう。

「陽介!」

 母さんの声。

「早く降りてらっしゃい」

「今行く!」

 考えても仕方ないか。そう自分に言い聞かせて部屋を出た。


「陽介も17歳かぁ〜、もう大人だな」

 父さんは上機嫌だった。

「プレゼントなににしようかしら」

 母さんはさらに上機嫌だった。

「別にいらないよ、17歳にもなって子供みたいな扱いして」

 僕は……やっぱり上機嫌だった。こんな言い方だけど。

「17歳になっても陽介は私たちの子供なの。子供をかわいがるのは、悪いことじゃないでしょ?」

 確かに。

「代わりと言っちゃあ変だけど、おいしいものが食べられればいいよ」

「若いな、食欲に負けるとは」

 父さんの一言に少し顔をしかめる。

「モノより思い出がほしいんだよ」

「なかなかうまいことを言うな、息子よ」

 “息子よ”というのは父さんが気分がいい時によく言う言葉。聞き飽きた父さんの口癖も、この時だけは聞いただけで涙が出そうになる。

「今日予定はあるの?」

「今日は……」

 去年はどうしたんだっけ?


 インターホンの音が響く。

「はいはい」

 呼ばれているわけでもないのに、母さんは返事をして玄関に向かう。

「あらぁ、……」

 話し声は聞こえるけど、内容まではわからない。

「……ってね、陽介ー! みんなが来てるわよ!」

 そうか、そうだった! この時はあの三人と一緒に近くの街に出かけて……そう、一日買い物やカラオケやいろんなところに行って、そして……結恵に告白されて。そして家に帰った時、あの知らせを聞いた。事故で、二人が死んだという、あの知らせを。今日また、同じ過ちを繰り返すわけにはいなかい。

 玄関に歩きながら考える。僕がすべきことはなにかを。

「おはよう」

 三人が玄関にいた。

「ああ、おはよう」

「大丈夫か、陽介。気分でも悪いか?」

 いいわけがない。父さんと母さんには会えたまではいいが、なにもせずにいたら同じことを繰り返し、彼らは死んでしまう。だから、僕は……。

「ほら、行こうよ陽介!」

 ごめんよ、千春。

「わりぃ、今日は少し気分が悪いみたいなんだ。三人で行ってくれるかな?」

 仕方がない。いくらああ言ったところで、父さんと母さんは僕のためにプレゼントを買いに行くだろう。その子供を想う優しさが、自分たちの命を失うことになるとも知らずに。

「陽介君?」

 結恵、ごめん。君の大切な、勇気を出してくれたあの時を……両親のために消してしまって。

「悪い、ほんとごめん」

僕は頭を下げた。

「いいって、気にすんなよ。体調が悪いんじゃ、仕方ないだろ?」

「まぁバカでも風邪はひくからねぇ」

「お大事に。元気になってね、陽介君」

 本当にごめん、みんな。


 扉が閉まった。僕はしばらく動くことができなかった。扉が閉まるあの音が、妙に耳の中に残った。


「あら、みんなと行かなかったの?」

 驚きとなにか違う感情が混ざったような声。聞かないでくれ、母さん。

「ちょっと気分が良くなくてね」

「みんなと行けばよかったのに。あんなに楽しみにしてたじゃない」

「それはそうだけど……」

 静かな時間が流れる。

「今日は父さんと母さんと一緒にいるよ」

「そう、じゃあ今日一日はゆっくりしてなさい」




『決断』


 それからしばらくは、久しぶりの親子水入らずだったと思う。というのも実のところ、嬉しさのあまりかよく覚えていない。

 気が付いた時には日が傾き始め、母さんはなにかの支度をしていた。

「ちょっと出かけて来るわね」

 

「どこに行くの?」

「今日のごちそうの買い出しと、ついでに年末の分もまとめ買いしてくるの」

 こうなることは知っていた。だから、

「一緒に行っていい?」

 母さんは一瞬目を丸くした後、笑って言う。

「いいけどどうしたの? 今日の陽介は何か変よ」

 そりゃそうだ。これから始まることをすべて知っているのに、平静を保てるほど僕は大人ではない。

「たまにはそういう気分になるものなんだよ」

 そう言って僕は立ち上がった。父さんは車を玄関の前まで移動させ終え、僕たちを待っている。

「ほら、早く!」


 車が向かった先は大きなショッピングモール。クリスマスイブの前日で、休日のショッピングモールは、人で溢れていた。ここには去年の僕たちも来なかった。あの三人とも会わないはず……だった。

「おい、陽介!」

 聞き覚えのある声。

「ゆ、裕也!?」

 そんなはずはない! でもそこには間違いなく橘 裕也がいた。でも今日、彼らがここにいるはずはない。なぜなら去年の、僕たちはここには来なかったのだから。

「き、来てたのか」

「まぁな。体は大丈夫なのか?」

 おっと、そうだった。

「だいぶ良くなったよ。あいつらはどうした?」

「あぁ、さっき小物売ってるとこにいたよ。どうも俺には合わない場所だったんでね」

 確かに裕也にはそんな場所は似合わない。想像しても、やっぱりどこか変だった。

「陽介」

 父さんが呼ぶ。

「せっかくだから裕也君たちと一緒にいたらどうだ?帰る時に連絡するから」

 決断にそれほど時間はかからなかった。

「そうさせてもらうよ。いいだろ?」

 裕也もそうだった。

「もちろん、じゃあ行くか。失礼します、おじさん」



「陽介君! 大丈夫なの?」

 僕を一番に見つけたのは結恵だった。

「あぁ、もうだいぶ良くなった」

 千春が結恵の後ろから言う。

「仮病でもしてたんじゃないの?」

 一瞬びくっとした。心を覗かれてるような感覚だった。冗談とわかっていても。

「つ、使う理由がないよ」

 ちゃんと平静な顔をしているだろうか。それだけが心配で仕方がなかった。

「それもそうね。この後どうしようか、あたしはちょっと行きたいところあるんだけど」

「私も、ちょっと……」

「じゃあわかれるか」

 千春と結恵の希望に裕也が提案した。

「陽介、おまえどっちと行く?」

 僕は……



『女の勘』


「ごめんね、付き合わせちゃって」

 僕の隣を歩いているのは結恵だった。


 ほんの二、三分前のこと。


「陽介、おまえどっちと行く?」

 正直なところ、僕はどっちでもよかった。たまたま出した手によって決まっただけのこと。要するにジャンケンでこうなっただけだった。

「じゃあ陽介は結恵ちゃんと一緒ってことで」



「陽介君?」

 結恵が僕の顔をのぞき込んでいた。

「ん? ごめん、なに?」

「ううん、何でもない」

 僕たちの会話はほとんどなかった。結恵は元々静かな方だし、僕は僕で考えることが多すぎた。なぜみんながここにいたのか、この後に事故が起こるのか、父さんと母さんを助けられるのか、そもそもなぜ僕はここにいるのか。

「陽介君?」

「……」

「陽介君!」

「ん? なに?」

 しまった。またやってしまった。

「考えごと?」

 なにげない一言。でもこの時の僕の顔は、いつものものとはまるっきり違うものに見えたに違いないだろう。さっきの千春といい結恵といい、心が筒抜けになっているのかと疑うほど彼女たちは僕を驚かせる。これが女の勘のすごいところだと、改めて思う。

「ちょっとね。で、どうしたの?」

「ここだよ!」

 結恵が指さした先にはそれほど大きくない店があった。

 僕たちはその店へと足を踏み入れた。




『プレゼント』


「何探してんの?」

 結恵はいろんな小物を見て歩いていた。

「妹たちのクリスマスプレゼント。どれがいいかな?」

 結恵は三人姉妹の長女。14歳と11歳の妹がいて、よく妹たちの話は聞いていた。

「これとかどう?」

「あっ、かわいい!」

 あれこれ話して、プレゼントを決めた。

「まだあるの?」

 結恵はまだ何かを探してる様子だった。

「えっ!? う、うん」

「そっか、大変だな」

「うん。でも渡す人の喜ぶ顔が見れると嬉しいから」

 彼女は無邪気で、これ以上ないような笑顔を見せる。僕が彼女と一緒にいる長い時間の中でも、この笑顔はなかなか見れない。他人がいれば、それはなおさらのことだった。




『笑わない転校生』


「今日から一緒に勉強する黒川結恵ちゃんです。みんな仲良くしてね!」

「はーい!」

 結恵が僕たちと知り合ったのは小学校の高学年の頃。転校生として僕たちのクラスに来た結恵は、本当に仮面のような表情の子だった。

「よろしくね!」

 反応はない。

 転校生というのは、クラスでみんなの注目を集める。結恵も例外ではなかったが、結恵に集まる人の数はすぐに減った。彼女が無表情で、何も話さないからである。

 それは今の結恵からは想像できないこと。今の彼女は学園のみんなに好かれ、静かではあるけど明るかった。しかし、彼女がこうなるまでにはかなりの時間がかかった。


「どこに住んでたの?」

 僕の質問に彼女は答えない。比較的家が近いこともあって、僕は彼女と一緒に帰っていた。と言うよりも僕が彼女に付きまとっていた、という表現の方が的確だった。

「好きな食べ物なに?」

「家ではどんなことしてる?」

 しかし、僕がそうしていたのにも理由があった。



「実はね、前の学校でいじめられてたらしいの。家ではいい子なんだけど、話してくれなくて。私もどうしたらいいのか悩んでてね」

 そう話していたのは結恵のお母さんだった。

 結恵の様子を見て、ある日僕が帰るついでに結恵の家に寄って聞いたところ、そういう返事をもらった。

 僕がそれを聞いた時には、ショックが大きかった。今まで自分が経験したことがないことを、彼女は経験していた。

 その時初めて、彼女が話そうとしない理由がわかったような気がした。

 結恵が転校してきてから、しばらくした帰り道のこと。この時の僕は、もう疲れていた。これでダメだったら諦めようかとも思っていた。

「ねぇ、結恵ちゃん」

 やっぱり彼女に反応はない。

「怖いの?」

 ビクッと彼女は全身の動きを止めた。

「そうでしょ? みんなと話すのが怖いんでしょ? また前の学校と同じようにならないか、怖いんでしょ?」

 彼女は止まったまま、ただじっと聞いていた。

「怖いかもしれないけど……」

 言うべきか言わぬべきか、僕は迷っていた。

「僕がずっとそばにいるよ! 僕が前の学校みたいなことさせない!」

 こんな告白みたいなことを言う恥ずかしさで、僕の頭の中はいっぱいだった。

「だから……」

 そこから先を言えなかった。彼女が泣いていたから。大粒の涙を流して、泣いていたから。

「大丈夫だから」

 彼女は声をあげて泣いた。僕にしがみつきながら泣いた。話すことができないほど、表情を変えることができないほど、彼女の傷は深く、誰にも頼れなかったのだろう。

 本当に無責任な言葉だった。ずっとそばにいるなんて、到底無理な話である。でも、当時の結恵にはそれで十分だったのかもしれない。




『運命』


 僕の携帯が音をあげながらふるえていた。折りたたまれてる携帯を開けて、画面を見る。父さんからのメールだった。

「父さんから、そろそろ帰るってさ。みんなに伝えといてくれる?」

「うん」

「じゃあ」

「うん、またね」

 そして僕たちは別れた。


 メールに書いてあった場所に着いても、父さんと母さんの姿は見えない。

「仕方ないな」

 近くのベンチに腰をおろす。

 ふと、こっちに来る少し前に裕也と話していたことを思い出していた。


「陽介、運命って変えられると思うか?」

 唐突に裕也は話しかけてきた。

「なんだよ、いきなり」

「いいから答えろよ」

「わからないな。運命ってものがあるのかすら、わからない」

「そうか……」

 裕也は少し不満げだった。

「おまえはどうなんだよ」

 僕は裕也に質問を投げ返した。

「俺はな陽介、運命ってものは変えられないって思うんだ」

 特に僕は反応しない。

「俺たちが運命を変えたと思っても、実際は変わる運命だったのかもしれない。だから……」

 裕也は少し言いにくそうにしながら、

「だから……もしおまえが両親のことで後悔してるなら、そう考えるのもありだと思うんだ。それなら、諦めやすいし、楽になれるかもしれない」

 と言った。

「ありがとう。大丈夫だよ、裕也」

「そうか」



「運命……か」

 もし父さんと母さんが死ぬ運命なら、やはりそれは変えられないことなのだろうか。

「陽介、おまたせ」

 後ろから両手いっぱいに買い物を済ませた母さんが話しかけてきた。

「遅いよ、相当待ったんだから」

「ごめんね。行きましょう! お父さん先に行って車で待ってるはずだから」

 それもすぐにわかるだろう。運命が変えられるものなのか、変えられないものなのか。運命が変えられるものならば、僕しか変えられないのだから。




『違う道・違う運命』


「さて、今日の夕食は楽しみにしててね」

 母さんが得意げに、楽しそうに言う。

「どう思う? 父さん」

「ん? 今日は胃薬を準備して、覚悟して食卓についた方がいいと思うぞ、息子よ」

 父さんも楽しそうに笑っている。

「あら、二人してお母さんのこといじめるのね。ひどいわ」

 そんな会話の中で、僕は笑っているわけにはいかなかった。

 たった、一年前のこと。

「父さん! 母さん!」

 暗い部屋には、ふたつのベッドの上に白い布で顔を覆われた二人が横になっていた。

「救急車が着いた時には、もう手遅れだったそうです」

「そう……ですか」

 それ以上なにも言えなかった。その後医者がいろいろ言っていたが、ほとんど覚えていない。ただ目の前の事実を受け入れることに、僕は精一杯だった。

 しばらくしてから、警察の人が来た。50代くらいの、見るからに温厚な雰囲気を醸し出している人だった。

 松崎と名乗るその警官から、僕は事故が衝突事故であること、事故が家の近くで起きていたこと、相手の過失が原因であること、相手が若者であること、相手が奇跡的に軽傷で済んだことなど、他にも二、三教えてもらった。

 その後も、あの松崎という警官にはお世話になった。自暴自棄になりかけてた僕を励ましたり、事故のことを教えてくれたり、一緒に食事をしたり。仕事の範囲をこえて接してくれたあの人には感謝している。

 そして決して忘れはしない、あの男。裁判所の後ろの席から見た、西尾と呼ばれた、頬に大きなほくろがある男。あの男のせいで、あの男が酒を飲んで車を運転したせいで、事故は起きた。父さんと母さんが死んだ。それが悔しくてたまらなかった。

 しばらくして、西尾と会う機会があった。

 あの男はただひたすら謝るだけだった。僕はそんなあいつを目の前にして、罵ることも泣くこともしなかった。この時は、すべてがどうでもよく思えていた。



「父さん、次の道を左に曲がってくれないかな?」

 今通っている通りを真っ直ぐ進むと、一年前に事故が起きた現場に行ってしまう。それだけは避けなければいけない。

 僕の声に父さんが反応する。

「なんだ、用事でもあるのか?」

「うん、ちょっとね。すぐ終わるから」

 ひとつ、交差点を過ぎた。

「別に後でいいだろ」

「今じゃなきゃいけないんだ!」

 まずい……。

「だからって……」

 早く、早くしないと! 交差点が目の前に迫ってきている。

「いいから! 早く!」

「わ、わかった」

 車は信号を左に曲がった。これで事故は起きないし、父さんも母さんも死なないはずだ。

 僕は座席に座った。疲れが一気に体に流れ込んできたような、そんな感覚。安堵感に包まれる。

「ふーっ、これで」




『抜け殻』


 暗い。

 ここはどこだろう。何も見えない。何も聞こえない。何も感じることができない。

 前にも似た感覚があった。あの日の夜のような、同じような感覚。

 何も考えられない。何かをしようとも思えない。

 違うのは、今度は真っ暗であるということ。

「……」

 なにか……音?

「……け」

 やっぱり音だ。

「……うすけ」

 ん?

「陽介!」

 あっ、呼ばれてる。

「陽介!!」


 どこだ、ここ。なにか白いものが見える。壁と天井。

 妙な臭い、それとあの声……。

「陽介!」

 視界を少し右にずらす。

「……千春」

「よかった、気がついた」

「おまえ、どうして……ここは?」

「病院だよ。今お医者さん呼んで来るから」

 そう言うと千春は部屋を出た。

「そうか。ここ、病院か」

 病院? なんで僕は病院にいる? 怪我をした? 病気か? いまいち状況が理解できない。

 千春と医者が病室に入ってきた。

 医者は僕を見ると、体を見たり触ったりした。

「もう大丈夫でしょう。大きな怪我もありませんし」

「よかった……ありがとうございます」

 千春は医者に頭を下げた。僕は体を起こしながら訪ねる。

「あの、先生、一体なにが……」

「そうか、君は何があったか知らないのだね」

 首を縦に振ると、医者はゆっくりと話し始めた。

「君は交通事故に巻き込まれて、奇跡的に助かったんだよ」

 事故、か。そうか、交通事故だったのか。


 ……事故? 事故だって!?

 僕の頭に嫌な予感と寒気が走る。

「あの、一緒に乗っていた父と母は……父と母は! 無事ですか?」

 医者をつかみながら聞く。医者が下を見る。千春も目を手で覆っている。

「君のお父さんとお母さんは、亡くなったよ。救急車が着いた時には、もう手遅れだったそうだ」

 千春の泣いた声が、妙に体中を駆け巡る。

 全身の力が抜けた。僕の頭の中で“運命”という言葉が、何度も響いた。結局、運命を変えることは、僕にはできなかった。

「君は奇跡的に助かった。その命は、お父さんとお母さんのためにも、大切に使いなさい」

 そう言って医者は病室を後にした。

 しばらく呆然としていた。心も体も、抜け殻のようになっていた。

「陽介……」

 泣いて震えている声で、千春が話しかけてきた。

「なにも、できなかった」

「えっ!?」

「わかっていたのに。変えること、できたのに」

 僕の小さな声も震えていた。

「変えられなかった。あんなに、して」

 目が霞んでよく見えない。

「一人だけ、残されて……うわあぁぁ!!」

 抑えていた感情が、溢れて止まらなかった。

「また……どうしてなんだ! 父さん! 母さん!」

「大丈夫! 大丈夫だから!」

 千春が僕を抱きしめ、涙ながらに言う。

「陽介は一人じゃないから! あたしたちがそばにいるから! あたしが、ずっとそばにいるから、だから……」




『どうして』


 夜が、更けていった。時間が、流れていた。

 僕たちは、ただひたすら泣き続け、やめた。

 千春は病室を出て、今はいない。僕は、なにもしなかった。

 溢れていたものも、今は大丈夫。でも、またいつ溢れるかわからない。



 ふいにドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

 入って来たのは松崎さんだった。

「こんばんは、○○警察署の松崎です」

「こんばんは」

「今回の事故は、」

 松崎さんがその先を話そうとした時、

「ひとつ教えて下さい」

 僕が遮った。

「なんでしょう?」

「事故は……どういった原因で起こったのですか?」

 松崎さんは少し困った様子だった。

「すいません、それは……」

「ダメですか?」

 ふーっ、とため息の後、

「仕方ありませんね」

 事故のことを話し始めた。

「今回の事故は車同士の衝突事故です。相手の車の運転手は20代前半の男で軽傷、相手の飲酒運転による過失が原因だと思われます」

「そう、ですか」

「それで」

「体は大丈夫です。明日事情聴取に協力します」

 その後いろいろ話した後、いつの間にか松崎さんは部屋から去っていた。

「またあいつが……」

 あの男かは定かではないが、確信があった。あの男への憎しみが、自分でも怖いくらいに増していった。

「どうして、また」

 言いようのない後悔と憎しみと無力感と、いろんな感情で、僕の思考回路はむちゃくちゃだった。

「陽介……」

 ちょうど千春が病室に戻ってきた。

「裕也と結恵ちゃん、もう少しで着くって」

「そう……」

 夜は静かだった。

「ところで、どうしてここに?」

千春に訪ねた。

「二人と別れた後、歩いて帰ってたら人だかりができててさ、そしたら陽介の家の車だったから、救急車に一緒に乗ってきたんだ」

「そうか、ありがとう」

「痛いところとかない?」

「あぁ、とりあえずは大丈夫そうだ」

 上半身を起こした。少しだけ全身に痛みが走る。

「よかった……」

 千春はまた泣いていた。

「心配かけたな」

 千春が首を左右に振る。そしてその時、千春の手の中にある携帯が鳴った。

「裕也と結恵ちゃん、来たみたい。迎えに行くね」

 そう言うと千春は病室から出た。僕は天を仰いだ。

 また父さんと母さんは死んでしまった。そのことだけしか、考えられなかった。

 僕はまた父さんと母さんがいない人生を歩まなければいけない。それが、“運命”だった。



『決められた運命・変えられる運命』


「大丈夫なのか?」

「あぁ、体の方は問題なさそうだ」

「陽介君……」

「大丈夫だから、そんな顔するなよ。明日にでも退院できるだろ」

 二人の顔は暗かった。多分すべてを千春から聞いたのだろう。

「とんだ17歳の誕生日だよ、まったく」

 何を言っても、二人は笑わなかった。この場合は仕方がない気もするが、あまりいい気分じゃない。

「なぁ、裕也」

 唐突に訪ねた。

「運命って、変えられるものなのか?」

 裕也はしばらく考えて、言った。

「俺は、変えられないと思う」

 少し間を空けて、続けた。

「もし俺たちが運命を変えたと思っても、それは変わる運命だったのかもしれないしな」

「そうか、ありがとう」

 短い会話が終わった。

「陽介君」

 結恵の小さな声。

「私は、運命っていうものはないと思う。すべてが決められていたとしても、私は、変えられると思う」

 結恵の言葉は意外で、力強く聞こえた。

「そうか、ありがとう」

 時計を見ると、時間はかなり遅い。

「遅いから、帰った方がいいんじゃないか? 家の人心配するだろ」

「そうだね、じゃあそろそろ帰るね」

「陽介は大丈夫そうだし、帰るか」

 そうして三人は腰をあげた。

「じゃあな、陽介」

「お大事にね、陽介君」

「じゃあまた明日ね」


 病室は静かになった。気分も落ち着いてきたせいか、かなり眠い。

 誰もいない静かな病室で、ゆっくり瞳を閉じた。

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