第九章 最後の日
更新が遅くなって申し訳ありません。納得いくまで書いていたらこんなに遅くなってしまいました。さて、ついに誰も死なせずに一年前の日を終えた陽介。あの“LAS”の意味は一体なんなのでしょうか。そして時を行き来する陽介の運命は終わりを告げるのでしょうか。ぜひじっくりと時間をかけて読んでください。長くなりました!それでは第九章をお楽しみ下さい。
『止まらない記憶』
――どのくらい時間が過ぎただろう。
暗い世界に一筋の光が入り込む。そしてゆっくりと、暗黒の世界は見覚えのある鮮やかな世界へと移っていった。
まだ頭はぼーっとしている。眠い。
朝の冷たい空気が少しずつ僕の眠気を取り除く。
いつも通りブラインドを上げ、窓を限界まで開ける。冬の冷たい風が部屋の空気と混ざっていく。静かな朝だった。
時計に目を送る。
――2004年12月22日
やっぱり、僕はまた今日に来た。昇ってきたばかりの太陽が、街をオレンジ色に照らしていた。
「いっ……つっ……」
あの強烈な頭痛がまた僕を襲う。でもこれは一年の記憶を吸収するために越えなければいけないこと。
「くっ……」
世界は少しずつ歪み、僕は倒れた。
冬が終わって、春が訪れていた。夏、秋、冬と、映像は早送りで止まることなく流れ続ける。誰も死なずに過ごした一年は、今までで一番楽しくて充実していた。
世界は見慣れた姿に戻り、いつの間にか痛みは消えていた。
「やっと……やっとだよ」
誰も死んでいない。記憶の中で欠けている人なんていなかった。あんなに深かった心の痛みも、少しずつ消えていたように思えていた。
一筋の涙が、頬を優しく撫でていた。
「おはよう」
「おはよう、陽介」
「うん」
リビングにはちゃんといるべき人たちがいた。
「父さん……母さん……」
「一年ぶりね、陽介」
「うん……」
「もう一年もたつのか。早いものだな」
父さんと母さんにしてみればそうだろう。僕にとっての一晩は、みんなにとっては丸一年に等しいのだから。
「そうね。ほら陽介、突っ立ってないで座りなさい」
色とりどりの様々なものが、テーブルを飾っていた。一人でこの家に住んでいた時に比べたら、まるで正反対に思える。
「陽介、ぼーっとしてると遅刻するわよ」
「みんな待たせてるんだろ?」
それは家の中にあふれる音も同じだった。少し騒がしい二人がいるだけで、僕の周りは音でいっぱいになった。
「うん、大丈夫だよ」
決して途切れることのない音。それは僕にとって懐かしく、元気づけてくれた。
間違いなく、僕が望んだ世界だった。
『四人の幸せ』
「行ってきます!!」
「行ってらっしゃい」
まだ冷たく静かな世界に、僕は足を踏み出した。いつもと同じ、変わらない町並みがいつも以上にきれいに見えた。
「おはよう! 陽介」
後ろから聞こえる明るい声。
「あぁ、おはよう、千春」
千春がそこにいた。いつもと変わらない笑顔が、そこにある。
「……陽介?」
「……ん!? なに?」
「それはこっちのセリフ。なにぼけっとしてるの?」
「な……なんでもねぇよ」
「ふーん、怪しいなぁ」
「なんでもないって!」
つい見とれてしまった。同じ今日でも、千春がいる今日といない今日では、かなり違っている。
「おはようさん」
いつものように裕也が僕たちよりも先にいた。
「よぉ」
「おはよー」
千春はまだにやにやしていた。
「ゆうやぁ〜、陽介ったらねぇ〜」
「だからさぁ!」
裕也の表情は、疑問で満ちている。
「おはよう、みんな」
澄んだ声。少し遅れて結恵が来た。
「うし、行きますか」
僕たちは学校に向けて歩き出した。
「それでさぁー……」
「へぇー……」
三人の楽しそうな話し声が聞こえていた。僕は話に入らずにあることを考えていた。今こうして四人でいること、それが不思議な感じがして今でも信じられないほどだった。
「陽介君?」
ふと顔を上げると、結恵の瞳が僕を見ていた。
「ん? あぁ、なに?」
「大丈夫? なんか今日元気ないみたいだけど」
「えっ!? そんなことないって。逆に今日は嬉しいくらいなんだ」
「そっか、ならよかった」
そう、今こうして四人でいられることはとても嬉しいこと。今までにはなかった幸せ。
「ありがとう」
『空』
僕の目は、限りない深さを思わせる青い空の中で流れ行く雲を映していた。
もう教室には誰もいない。皆が帰った後に僕だけがひとり、ぽつんと座っていた。
結局、学校で起こることは最初の今日と同じだった。
唯一違っていたもの、それは僕だった。僕が思うこと、まわりから感じること……。そのひとつひとつが、以前経験した“今日”のものより幸せで、すばらしいものに感じた。
僕は音をたてて立ち上がり、教室の外に出た。
広い学園の中に人の姿は見当たらない。日はゆっくり傾いて午後の明るさで僕を見ていた。
音は一定のリズムで続く。そしてそれはしばらくたった後に止まり、キィィという金属の鈍い音に変わった。
「相変わらず、か」
扉の先には、いつもと変わるはずのない青があった。優しい風が吹き、街の奥から潮の流れを感じた。
初めて過去に戻った日から、何回この屋上に来ただろう。
ずいぶんここに来る回数が多くなった気がする。自然と足が向くこの場所で、幾度もこの空に癒されていた。
「……」
感謝、するべきかな。
空に感謝するなんて、よっぽど変になったのかもしれない。まず世界中探したところで、そんな人は数えるほどにしかいないと思う。
「ありがとう」
そうしてしばらくの間、ずっとすべてを包む空ばかり見ていた。
「!!」
携帯が鳴っている。結恵からのメールだった。
――帰ろう
そうだ、帰ろう。元の世界に、ようやく手に入れた幸せに。
『疑問』
「どこにいたの? 探したんだよ」
結恵は顔を膨らませる。
「ごめん、行こうか」
「うん」
結恵はするりと僕の腕をとった。
「!?」
今までの結恵にはない。それは記憶の中にもない行動だった。
「ゆっ、結恵!?」
「ほら、行こう!」
……違う。今までの結恵とは明らかに。彼女のその妙な明るさが、僕の中のなにかをかきむしっているような感じがした。
「あのさぁ、」
しかし僕の声は、車のクラクションの音に遮られる。
「やぁ、陽介君」
赤い車の中から聞こえる男の声。
「西尾さん! お久しぶりです」
「今、帰りかい?」
「そうです」
「ちょうどいいや、乗っていくかい? 送っていくよ。彼女さんもどうぞ」
僕たちはお互いの顔を見た。
「どうする?」
「せっかくだし、乗せてもらおうよ」
「そうだな。じゃあすいません、お願いします」
どうぞどうぞと、西尾さんは僕たちを招き入れる。車はゆっくりその速度を上げる。
「今日は君の家に行こうと思っていたんだ」
しばらくして突然、西尾さんから思いもしない言葉が聞こえた。
「どうして、ですか?」
「それは……、まぁ、ちょっとね」
「そうですか……」
そうこうしているうちに、車は公園の近くまで来ていた。
「ここでいいです。ありがとうございました」
そう言うと結恵は車から降りた。
「陽介君も幸せだね。こんなかわいい彼女がいるなんて」
「ふふっ、お上手ですね」
やっぱりおかしい。こんなやりとり、いつもなら絶対にありえない。
「じゃあね、陽介君」
西尾さんの赤い車が僕の家へと向かう。
「さっきの話なんだけど」
急に西尾さんの声に力が増した。
「はい」
「改めて君と君の両親に謝ろうと思ったんだ。でも、彼女に君が今までのことを伝えてなかったら大変だからね。あの場は伏せておいたんだ」
その予想は当たっている。あの三人には、まだ全てを伝えていない。
「すいません」
「いや、謝るのは俺の方さ。君には、つらい思いばかりさせてしまったからね」
この人が、僕がずっと憎んでいた人……。そう考えると、本当に申し訳なく思えていた。
そんな会話が終わると同時に、車は止まった。
『過去から未来へ』
「本当に申し訳ありませんでした!!」
西尾さんは父さんと母さんの顔を見るなり、膝を付いて頭を下げた。
「西尾さん、頭をあげて下さい」
父さんの言葉も耳に入っていないようだった。彼は僕に言った通り、ひたすら僕と両親に謝るばかりだった。
西尾さんがこんな人だったなんて、初めのうちは想像もつかなかった。この人は、本当にいい人なのだ。ただあの時だけは、まわりが見えなくなっていただけ。僕だって両親が死ぬかもしれない状況なら、そうなっていてもおかしくはない。
「しかし……」
「陽介も私たちも、あなたを責めたりはしていません」
西尾さんは力なく言う。
「なぜですか? 私は責められて当たり前なのに、なぜ……」
「西尾さん」
彼はゆっくり僕を見た。
「確かに一時期はあなたのことを憎んでいました。僕の大切な人たちを奪ったあなたが、誰よりも許せなかった」
「では……」
「でも、それは今のあなたではないんです。それに、……もう過去のことですから」
「しかし、俺は……」
「終わったんですよ、西尾さん。大切なことは未来、これからをどうするかですから」
そう、これが最後のはずなのだから。
それから落ち着きを取り戻した彼は少し話した後、赤い車に乗って帰っていった。
『訪問者』
太陽は黄金色の姿を見せ、冬の早い夕暮れを知らせていた。
溢れる悩みを一度考え始めたら止められなくなるのは、どうやら僕の悪い癖らしい。白い天井を見て、冬の夕暮れに色づいた街を見る。そんなことをしながら、もう一時間はたっているだろう。
この幸せな世界も、あと数時間で終わってしまう。いや、そもそも終わるのだろうか。終わらずにいられるなら、これ以上のものはない。でももし終わってしまうなら、一体僕はどうなるのだろうか。いつかのように、またあの日に戻るってしまうのだろうか。だったらあの“LAS”の意味は一体……。
「……」
なんだ?
「……け」
うるさいな……。
「陽介」
静かにしてくれよ……。
「陽介!!」
部屋はとっくに闇に包まれている。どうやら眠ってしまったようだった。
「ほら、起きなさい」
視界に入った人の影は、声でやっと母さんだとわかった。
「ん……わかった」
寝ぼけた体を無理矢理動かす。と、途端に強烈なめまいに襲われ、僕の体は不安定になった。
「あ、あれ?」
思わず机につかまった。
「おかしいな……」
今までにもめまいに襲われることはたびたびあったが、それは朝の記憶を吸収する時だけだった。こんな時間にめまいになるなんて、今までにはない。
「……」
不安に思いながら、僕は自分の部屋から一階へと降りていく。
「おう、陽介!」
リビングに入る直前に、ばったり裕也に会った。……ってどうしてお前がここにいるんだ!?
「えっ!? お前、なんでうちにいるんだよ」
「呼ばれたんだよ。勝手に入ってきたわけじゃないって」
裕也がそう言いながら扉を開ける。
「やっほー」
「こんばんは」
そこには父さんと母さんの他に、千春と結恵もいた。
「やっと起きてきたわね」
母さんは何事もないかのように料理を運んでいる。
「ちょっ、母さん! どういうこと!?」
「どうもこうも、みんなとお食事したくて呼んだの。悪い?」
「悪くはないけどさ……」
いや、聞いてないのですが?
「いいじゃない、たまにはこういうことしたって。ね?」
仕方ないな、と思いながら僕はリビングのソファーに座った。
『最後の晩餐』
「なにか手伝いますか?」
「いいのいいの、座ってて」
結恵と千春がキッチンに入ろうとしたが、母さんは二人の背中を押し戻した。
「なんでまたこんなこと……。まるで小学生の誕生日会だよ」
「まぁ、たまにはいいだろ? 母さんのわがままは今に始まったことじゃないんだから」
ひとりごとを聞いた父さんまでこの始末だ。まったく。
「さぁ、できた!!」
六人が囲むテーブルいっぱいに料理が並ぶ。
「おばさん、すごいですね!!」
「そうでしょ!? ちょっと頑張ってみたの!!」
裕也に“すごい”と言われて母さんはあからさまに調子に乗っている。。いくらなんでも頑張りすぎだ。とてもじゃないが六人では食べきれない。
「じゃあ、いただきます!」
呆れながらも、心のどこかで二人に感謝している自分がいた。
「だめだぁ〜、もう無理」
ソファーの上にだらしなく裕也が座っている。
「あんなに勢いよく食べるからそうなるの!」
「ほんとほんと」
女性ふたりに言われたからか、さすがに裕也も少し体勢を戻した。
「でもあれだけおいしそうに食べられると、おばさんも嬉しいわ」
「ですよね!!」
会話が弾む中、気分は憂鬱で晴れない。
「部屋にいるから」
母さんにそう言って、リビングを出た。
いつになく、楽しい食事だった。こんなににぎやかな食事は、もう何年と経験していない。それほど楽しかったのに、心の中に錘が吊るされているような、そんな感じ。
部屋の中は、すっかり冷え切っていた。大きなうなり声を上げながらエアコンが暖かい空気を送り出す。
僕はベッドの上に横たわる。
「なんだっていうんだよ……」
母さんは僕が今日死ぬことも、そのことを三人に伝えていないことも知っている。なのに裕也たちをわざわざうちに招待したことが、僕には理解できなかった。彼らにすべてを伝えろ、ということなのだろうか。
乾いた木の音が聞こえた。
「はい!」
ゆっくりと扉が開く。
「よぉ」
裕也を先頭にぞろぞろと僕の部屋に三人が入ってくる。
「おっ、どうした!?」
僕の言葉を気にもせずに三人は思い思いの場所に座った。
「おいおい……」
「ちょっと話がしたい。いいか?」
「あ、あぁ。構わないよ」
裕也の表情が、いつもの明るさを伴っていないかった。
『感謝』
話がしたい、と言った割には沈黙が長く続いた。
「なんだ? 急に改まってさぁ」
「まぁな」
裕也はそこから先をなかなか言わない。
「しかもわざわざ三人で来てさ。一体なに?」
それでも裕也は沈黙を通す。
「ひとつ聞いていい?」
声を出したのは千春。
「いいけど?」
「陽介、なんでそんな悲しい顔してるの?」
「……」
驚きで答えを返すのが一瞬遅れた。
「そう見えるか? そんなことはないんだけど」
「本当に?」
「うん」
「……うそつき」
まるで意味がわからない。どうして僕が“うそつき”と呼ばれなければいけないのか。
「……もうわかってるんだから、全部」
えっ!?
「全部……知ってるんだから……」
「千春、全部知って……」
千春は表情は笑っているのに、その瞳を濡らしている。
声が出せなくなった千春の代わりに、裕也がやっと口を開いた。
「聞いたんだよ。陽介のご両親から、今までのこと、全部」
「今までのことって……あのお喋りめ」
「違うの!!」
「結恵?」
「違うの……私が一年前の事故の日に陽介君の様子が変だ、って陽介君のご両親に問い詰めたら……」
「あのふたりが話したわけね」
「うん……」
まったく、おせっかいな両親である。どうして僕の両親はこうなのだろう。でもそれは不思議と嫌ではなかった。
「……悪いな。本来は僕の口から言うべきなのに」
「いや、謝るのは俺たちの方さ」
「!?」
「陽介が苦しいのに、俺たちは何も気付けなかった。あの事故から助けてもらったのに、ありがとうの一言で片付けちまった。本当に申し訳ない」
「おいおい……」
裕也が頭を下げたことが、ちょっとショックだった。
「もうよせよ、らしくもない」
「……そうだな。陽介、本当にありがとう」
「あぁ」
いつもの裕也が、そこにいた。
『残された時の中で』
「で、時間はあるのか?」
「時間か……、あと二時間ってところかな」
すでに時計は午後十時をまわっている。予定通りなら、あと二時間足らずであの違和感がくるはず。
「じゃあ、俺たちは退散するとしますか」
「そーだね」
裕也と千春が立ち上がる。
「えっ!? おっ、おい!」
「いいからいいから」
立ち上がろうとする僕を千春は制して、部屋の扉に手をかけた。
「じゃあね!」
かなり強引に、しかもありきたりな方法で僕と結恵は二人きりにされた。
「ったく、これだもんな」
ベッドの上に座っていた結恵の隣に僕も腰をおろした。
「……ごめんな。今までのこと、ちゃんと言うべきだった」
「……」
「だいぶ無理させたみたいだし」
「……」
「今日だって少し無理したでしょ?」
「……」
声の返事はなく、彼女は下を向いたまま全て首を横に振った。
「そっか……」
彼女の頭に手をのせる。
それ以上、なにも言えなかった。結恵の苦しみ、それを僕が計り知ることは到底できやしないだろう。
どうしたら彼女が壊れずに済むだろうか。どうしたら彼女が悲しまずに済むだろうか。
結局、僕にその答えはわからなかった。
「ごめん……」
そっと結恵の肩を抱く。
「……」
首を横に振る。それが今、彼女にできる精一杯の感情を表現する方法なのだろう。
「……」
「えっ!?」
微かに聞こえた小さな音。
「……なんで?」
「……」
「……なんでなの……、どうして……」
かすれるほどの小さな声。注意していなければ聞くことはおろか、彼女が喋ったのかさえわからないほどだった。
「……ごめんな」
吸い込まれるように、僕の中で彼女は声を殺して泣いていた。そうすることで、全ての感情を抑え込むように。
「……ごめん」
情けないほどに、僕にはなにもできなかった。
『大切なもの』
「大丈夫?」
だいぶ落ち着いたのか、結恵は首を縦に振った。
「そっか」
愛しい。彼女が誰よりも。できることなら、このまま時が止まってほしい。が、それを神様は許してはくれなかった。
「どうして、こうなるかな……」
もう苦しいのも、悲しいのも切ないのもたくさんだ。どうして僕がこんな目にあわなければならない? どうして、大切な人たちが傷ついていかなければならない? それすらも、“運命”なんて言葉で片付けなきゃいけないっていうのだろうか。
だけど、それを声に出したところで答えが返ってくるわけもない。
「……だめだよ」
ひどく優しい、暖かな声。
「だめだよ、そんなこと言っちゃ」
それは美しい、僕の一番大切なもの。
「乗り越えた先に、幸せが待ってるかもしれないでしょ?」
それは強かった。そうだ、僕もこうなければ。強く、強くならなくちゃいけない。
「そっか……、そうだな」
そして彼女は笑うのだった。それは僕が一度も見たことのない、一番の笑顔。それは僕が守りたい、一番大切なもの。
「よ、陽介君!?」
その先の行動は、結恵も予測できなかったのだろう。もう僕と彼女の間に距離はない。
「陽介君……苦しいよ……」
その言葉を聞いて少しだけ力を緩める。わかっていた、もう時間が残されていないことを。
「ごめん……もう少しだけ、このままでいいかな?」
「……うん」
結局僕たちは笑っていても、こうしていなければすぐに崩れてしまいそうだった。
「今日の陽介君、ずっと謝ってばかりだね」
「……ごめん」
僕たちはまた笑っていた。けれど、涙を止める力はなかった。
乾いた木の音が聞こえた。そのすぐあとに、父さんと母さん、裕也、そして千春がいた。
「……陽介」
「うん、そろそろだね」
幸せな時ほど、時は早く流れる。それは、今回も例外ではない。
「ぐああぁ!! っつ……」
それは突然だった。胸を突き上げる、強烈で凶悪な痛み。
「陽介!!」
「しっかりして!! 陽介!!」
「陽介君!!」
気が遠くなるのが自分でもよくわかる。僕を支配している痛みは、時が経つにつれてさらに暴れる。
「くっ……あぁぁ!!」
段々と意識と感覚がなくなるのがわかる。一歩一歩着実に死に近づいているのだと、体が訴える。
「はぁっ、……っ!?」
胸を押さえる手に妙な感触。微かに開いた僕の目に、結恵がうつっていた。
「ゆ……、結恵……」
「なに!? 陽介君」
「あ、っつ……あ……」
そこで、世界は終わった。
『帰還』
――眩しい
ここは……また僕は“ここ”に来たらしい。
体に力が入らない浮いたような感覚。そしてただ白い光だけの世界。
“……”
ん? なんだ?
“……陽介”
僕? 呼ばれてる……?
“陽介”
呼ばないでくれ……ここは楽なんだ……
“陽介君!!”
――どのくらい時間が過ぎただろう。僕の世界はゆっくりと広がっていった。
そして視界に入ったのは、見慣れない天井。
「陽介! 大丈夫か?」
ほんの少し目を左に動かすと、裕也の顔があった。
「お医者さん呼んで来る!」
これは……千春の声かな? 医者……ということはここは病院のようだ。
「陽介君……」
逆に目を動かすと、結恵がいた。
「よかった……」
右手にほんのりと温もりを感じる。あぁ、生きている。僕は、間違いなく生きている。
「生きてる、か……」
まだ頭はぼーっとしていた。しかし意識ははっきりしている。
「しかし、一時はどうなることかと思ったよ」
どうやら裕也は本気で僕のことを心配していたらしい。
そうか、心配かけたんだな。
――ん?
「裕也、変なこと聞いていいか?」
「なんだ?」
「父さんと母さん、どうしたっけ?」
裕也は不思議そうな顔をしている。
「どうしたもこうしたも、一年前に亡くなってるだろうが。おまえ大丈夫か?」
一年前に亡くなっている。
「僕が付き合ってる人は?」
裕也はますます不思議そうだ。まぁ、無理もないか。
「結恵ちゃんに決まってるだろ?」
僕が結恵と付き合っていて、この三人が生きている。と、いうことはつまり。
「そうか……、戻ってきたんだな」
三つの条件が当てはまるのは過去に戻る前の時だけ。戻ってきたのだ、元の世界に。
――ガラッ
白衣を着た中年の男性が病室に入ってきた。
「気分は悪くないかね?」
「……大丈夫ですけど、かなり眠いです」
「そうか。今日はもう寝なさい。詳しいことは明日話そう」
医者らしき男性は振り返ると三人に部屋から出るように言った。
「じゃあね」
「おやすみ」
部屋に静寂が訪れた。
そしてまた、静かに瞳を閉じた。
いかがでしたでしょうか?先日この章の陽介と結恵のやりとりを書きながら危うく泣いてしまうところでした。感情移入しすぎですね;;さて、いよいよ元の世界(?)に戻ってきた陽介ですが、実は次章で重大な事実が判明します。それはなんのことなんでしょうねぇ。いよいよ物語はクライマックスにむかって突っ走っていきます!次章を乞うご期待下さい。そして評価・感想もお待ちしています。