31話 翼を解き放とう
宴会でビールはかなりの好評だったようで、一樽まるまる飲み干された。
あまりの好評さに、参加した村人の男衆はぐでんぐでんになるまで酔っ払った。
ひと樽が空になったのにはマレールが随分と呆れていた。
これにより、マレールがケーナに材料と少量の手間賃を払い、食堂でビールが供給される運びとなった。
二日程してラックスが戻ったが、ウィスキーの試供品を持ってヘルシュペルのケイリックの元へ再び向かうことになった。
採用されれば、大量の麦がケーナの元に運ばれる手はずとなっている。
そうなったらケーナの村での仕事は決まったようなものだ。
それはそれでケーナとしては物足りない気もしていたが。
更に村に移住して五日ほど経った頃である。
ルカは相変わらずカルガモの雛のように、ケーナの後ろをちょこちょことついて行くのが定番の光景となっていった。
姿が見えなくなると途端に情緒不安定になるし、夜にはケーナのベッドで一緒に寝るのが当たり前。
それでも視界の片隅にケーナがいれば問題ないらしく、宿屋の手伝いの合間にリットやラテムと一緒に遊ぶことが出来るまでになっていた。
ラテムはルカよりは更に年上の十三歳で、店主のラックスが居なければ工務店の仕事に参加させられない。という事で、子供三人のまとめ役な感じに据えられた。
ケーナが子供の頃に覚えた遊びをやってみたり、ラテムから簡単な木彫りを教えて貰っていたり、時にはケーナも交えて畑仕事を手伝ったりと。
リットとも花冠を編んだりして遊ぶことが多くなっている。
近くには常にケーナがいることになるので、だんだん監督役が板についてきたようだ。
「よし! これでいいんだな。つぎに……あ、あれ? 繋がらない?」
「どれー? ラテムくん、この前からもう違うよ~」
「こう、……ここを、くっつける。さきに、ほどいてから……」
畑の端に群生している雑草花で花冠を作っている子供三人。
柵に寄りかかったケーナは、手元の本に目をやりながら、子供達の会話に自然と笑みがこぼれていた(多少耳を塞ぎたくなる植物の声を完全スルーして)。
珍しく外に出ていたロクシーヌは、おやつを入れたバスケットを持ってその傍に控えている。
子供達が揃って遊べる時間は、午前中は昼少し前。午後は昼食後から夕方になる前までだ。
基本的に、家業の手伝いに主な時間を取られるリットに合わせたサイクルになっている。
ラックスが戻って来ればラテムも家業を手伝うため、三人で遊ぶ事も減るだろう。
午前中は少しずつ文字を教えていたケーナだったが、ルカが二人の前で自分の名前を披露したところ、その日のうちに生徒が二人増えた。
お陰でその次の日からは三人の子供たちと、時折手が空いたからと言って顔を出す村人たち相手に青空教室で先生をやる時間が増えていた。
ここまで王都と離れている村だと、識字率はほぼ無いに等しい。
生まれてから死ぬまで、文字などとは無縁の生活を送る者がほとんどであった。
かろうじて村長が平仮名が読める程度、マレールとガットが三桁の足し算引き算ができる程度である。
「まさかこんなところに来て先生役をやることになるなんて、ねぇ?」
呟きが笑い話みたいな感想をもって口に出るくらい予想外というか、人間何が誰かの役に立つか分からないものである。
聞いていたロクシーヌは当然とばかりに頷いていた。
「学のあるケーナ様にとって、村人たちに手を差し伸べるは至上の慈悲でございましょう」
相変わらず掴めない思考形態のメイドが特に、頭の痛い問題である。
「オプスってばどういう作り方をしたんだかなぁ……」
ハンドベルから喚び出される者については、例の如く膨大なキャラクター設定から作る必要がある。
ロクシリウスの方はケーナの趣味で少年猫執事になっているが、ロクシーヌの方は悩んでいるところにやって来たオプスが、ちょいちょいと作ってしまった。
『○○で○○』という性格設定もあって、ロクシリウスが『誠実で献身的』とした。
ロクシーヌの方に至ってはオプスに聞くしかない。推定『自由で奔放』かそんな感じだろう。
オプスの持っていたメイドが黒髪エルフの『お淑やかで優しい』っぽかったので、その逆になっている可能性が高い。
「もう、シィ? 私たちと村の人たちに貴賤の差なんてないんだから。村の人にはそういうことは言ったら駄目だからね」
「……申し訳ありません、差し出口を致しました」
ケーナに叱られて頭を下げるロクシーヌ。
特に反省しようとする姿勢も感じられないので、「だめだこりゃ……」とケーナは呆れていた。
もしかしたら『至上主義』とかに設定されているのかもしれない。そのあたりはスカルゴたちより頑なである。
「クロステットボンバーさまの書かれたその本、長いですね?」
「ん? ああ、まあ、オプスらしいとゆーか。言いたいことがさっぱり分からないわ」
ケーナの手元にあるオプスの守護者から託されたモノ。
しっかりとした装丁の本をチラリと見るロクシーヌ。
『千百レベルの者しか持てない』、『読まないとページが捲れない』という制約があるために中々読み進んでいなかった。
あちこち移動していた時より格段に時間がとれる今になって、初めてゆっくり読むことが出来ている。
リアデイルの世界で、このような小物はプレイヤーの手で幾らでも作成できるようになっていた。 作る基礎アイテムの分を課金を消費して買う必要があるが、手に入れた時点で外見や制約を加工して手元に置いたり、ギルドの調度品として置いたりしていた。
レベル概念をもたないペットとして加工したり、ギミックの付いた馬車になっていたりとプレイヤーの数だけ種類が豊富だった。
くりーむちーずのギルドの正規の入り口になっていたギミック扉は、オプスの手によって作られた逸品だ。
見た目悪趣味な顔の銅像の目を押して、舌を引き抜く必要があったけれども。
本の内容に関してはウンザリする程多岐にわたっていた。
冒頭のように意図の掴めない文章があり、生活の知恵的な雑学(ここでは役に立たないモノ多し)があり、過去オプスと交わした会話ログがあったり、口にするのも憚られるえろえろな事が書いてあったり、如何に効率良く罠の連鎖に他人を貶めるか、やら等と。
彼ならば書いてもオカしくはないな、と思われる事が端から端まで記してあった。
「はー。これ読むだけで精神がごっそり削られていくような気がするなー」
『バックアップヲトリマスカ?』
「とらなくていいよっ!」
「ケーナ様も少しはゆっくりされては如何です? 何も考えないで一日中寝ているというのも、いい気分転換になるとおもいますよ?」
太陽の高さから頃合いだと判断したロクシーヌは、保温してあったおしぼりを取り出して、子供達へ声を掛ける。
おしぼりを配り、ケーナにも渡した所で気遣いらしい言葉を口にした。
「家と御嬢様でしたら、自分とあの駄犬にお任せ下さいまし」
「……仲直りしたんじゃなかったの?」
「いえ、折り合いをつけはしましたが、和解などとてもとても。自分達は不倶戴天の敵同士ですよ」
きっぱり言い切るロクシーヌに一体何が原因でここまで仲が悪いのかと、ただただ首を捻るばかりだ。
「それにしても、これ以上のんびりしろって?」
青空を見上げながら呟く。
まあ、花冠になる植物達の声が聞こえるだけでも精神衛生上非常に心苦しい。
空と言えば約束事が有ったのを思い出した。
ルカからの花冠を苦笑して受け取りつつ、以前にリットと交わした話を実行させようと思案し始める。
前はリットだけだったので単純に【飛行】を使って連れて行けばいいか、と考えていた。
それが三人に増えた為に色々と安全策を取り混ぜて考え直す。
子供達はロクシーヌの作ったクッキーを頬張りながら、本を開いたままブツブツと呟くケーナを怪訝そうに見ていた。
「なんか、おねーちゃん嬉しそうに見えないね?」
「うん……。なんか、かなし、そう?」
「そう言えば親父に聞いた事があんだけど。ハイエルフ族って植物の声が聞こえるとかなんとか」
「「え!?」」
リットとルカはびっくりして、今まで自分達が居た場所を振り返った。
白や紫が斑に咲き誇る名も無き草花が咲き誇っている。
散々自分達がむしった為に、一部が葉だけになった無惨な光景が広がっていた。
申し訳なさそうに俯く二人へ、お茶を淹れて給仕をしていたロクシーヌが安心させるように声を掛けた。
「ケーナ様はその程度でお二人を責めるような心根の狭い方ではありませんわ。なんでしたら、ケーナ様の見てない所で作ればよろしいのです」
「おねーちゃんの」
「見て、……ない」
「所なんか他にあったか?」
むむむむと額を突き合わせ相談し始める子供達。
微笑ましい姿に主との現状を見合わせて、ロクシーヌは小さく噴き出した。
翌日、マレールとスーニャに計画実行を打ち明けて、もしかしたら子供達を危ない目に晒すかも知れない可能性を伝えた。
しかし二人共、アービタをも唸らせる冒険者であるケーナが同行する、との理由だけであっさり子供達を預けてくれた。
午前中は何時も通り読み書きの勉強に費やしたケーナは、午後に広場へ子供達を集めて告げた。
「さて、本日は空を飛びましょう」
言われた意味が理解しきれずに首を傾げる三人。
苦笑したケーナはその場で久し振りの魔法を行使した。
【召喚技能:load:鷲獅子】
翠色に輝くラインが数メートル上空に魔法陣を描き上げる。
二重円に六亡星、不可思議な文字を記し完成した陣から濃密な翠光が下に向かって降り注ぐ。
その光の回廊をゆったりと滑り落ちるように前半分が純白の鷲、後ろ半分が雄々しい獅子の体躯を持った幻獣が顕現した。
「キュロロロゥロゥ~!!」
鋭く甲高い鳴き声を村に響かせたグリフォンは、魔法陣が消失してその巨大な体躯を見物していた村人達の前に姿を現す。
アフリカゾウなどより一回り大きな姿にどよめきが広がった。
【召喚技能:load:グリーンドラゴン:LV5】
続いてグリフォンの隣に降り立ったのは、翠鱗を陽光に煌めかせる同サイズのドラゴンである。
他のドラゴンに比べて飛ぶことに特化した羽根は二対四枚あり、ひとつひとつが体躯を覆うくらいデカい。
羽根の異常さが際立つ特徴として、その体はグリフォンよりスリムになっていた。
御伽噺や伝説、吟遊詩人の詩などでしか語られない本物を見た村人達の殆どは、あんぐりと口を開けて呆然としていた。
降り立った二体は差し伸べられたケーナの手や体に羽毛や鱗をこすりつけて、唸りながら甘えている。
第三者から見れば猛獣使いの遥か斜め上をいく所業に、軒並み自信を喪失しそうな光景だ。
本来の目的で使用される”召喚獣”と言うものは所詮戦闘目的だ。
その時点で彼等は、視認するだけでも周囲に威圧や恐慌状態を与えるスキルが常時発動状態にある。……のはゲーム上の設定であった。
幾度か召喚獣を喚んだ結果、使役じゃなく召喚獣と認識しつつあるケーナに応える様に、彼等はその自身に備わっているスキルを制御してくれるようになっていた。
ケーナが大切な隣人と思う村人たちに配慮して、その苛烈な気とも言うべきスキルを押さえ目にしてその場に降り立った。
ケーナにくっ付いていた為、グリフォンの首筋の柔らかい羽毛にモフられる羽目になるルカ。
頭上を大人すらも引き裂けそうな鋭い嘴を備えた頭部に丸い金の瞳が通過する。
ひしっと硬直したルカに気付いたケーナは、抱え込むように持ち上げて二体に紹介した。
「はいはい二人共、今度私の娘になったルカよ。何かあったら依怙贔屓して守ってね?」
巨大な二体に顔を寄せられ小さい悲鳴を上げかけたルカに、二体はペコリと頭を下げた。
目を丸くしてコミカルな行動に毒気を抜かれた少女はおそるおそる手を伸ばし、ドラゴンのすべすべした鱗に触れた。
気持ち良さそうに目を細めるグリーンドラゴンに破顔するルカ。
ケーナの親バカ満載な発言に、コートやマント等の防寒具を持ち出してきたロクシリウスが同意するように頷いていた。
唖然としているリットとラテムの背を軽く叩いて正気に戻らせると、コートを渡す。
「空の上は寒いですから、これをしっかり着て行ってください」
「さてさてリットちゃんとラテム君。どっちに乗りたい?」
言われた事を飲み込んで暫くしてから二人して「ええええっ!?」と驚愕の声を上げる。
そうしてドラゴンを見る。背中に乗ったとしても、どこにも掴まれるところなどなさそうだ。
グリフォンはその点モッフモフな羽毛を備えている為、掴まるところには困らないだろう。
顔を見合わせて頷いたリットとラテムはおそるおそるグリフォンを指差した。
「そう。じゃあルカは私と一緒にミドリちゃんの方ね?」
「……ん」
気配りが細やかなロクシリウスと相談して、飛ぶにあたり色々と保護処置を取ってある。
ケーナと一緒ならまだしもグリフォン側は子供だけなので、翼を阻害しないようにロープを結び、即席の手綱とした。
子供達にはもしもの落下に備え、ケーナに【引き寄せ】られる効果を持つ腕輪を装備させておく。
腹這いにしゃがんでも子供の背では届かないので、ロクシリウスが二人をグリフォンに乗せる。
彼の背丈もケーナと大して変わらない為に、人間離れした跳躍力でひょいひょい運ぶ。
コートを着込んだ二人がしっかりとロープに掴まったのをロクシリウスが確認し、合図を受けたケーナが先に飛び立つようにグリフォンへ指示を出す。
ひと声鳴いたグリフォンはゆっくりと翼を羽ばたかせて垂直上昇。
村にある一番高い木を越えた所で横移動に切り替え、村の上空を大きく旋回するコースを取った。
おっかなびっくりの悲鳴も直ぐに歓声へと変わり、楽しそうな声が聞こえてくる。
それを確認してからケーナも自分達の乗るグリーンドラゴンへ離陸命令を出した。
こちらはグリフォンとは違い羽ばたく事をせず、翠の魔力光を躯に纏ってふわりと浮き上がった。
ゲームだった頃には召喚のみの存在ながら、延々と高々度を飛行していると言う設定だった為に、離陸時には【浮遊】と【飛行】を併用しなければ飛び立てないからだ。
上空を回っていたグリフォンと並ぶと、リットとラテムの様子を伺うが特に怖がったりしている様子もないので胸を撫でおろす。
ルカはマントにくるまってコアラの子供みたいにケーナにしがみつき、時折周囲の風景を見渡していた。
「二人共怖くなーいー?」
「だーいじょーぶー!」
「すっげー!」
風切り音に混じって元気な声が聞こえてきたので問題ないと判断したケーナは、予定通り東側の山脈へ向かうコースを二体に示唆した。
守護の塔を回りヘルシュペルの国境を掠めて村に戻る予定だ。
巨大な皮膜を備えた羽根を広げたグリーンドラゴンが上昇気流を捕まえて一気に高度を上げた。
バッサバッサと空を駆け上がりながらグリフォンがそれに追従する。
村人達は「行ってらっしゃーい」や「気をつけてなー!」などの声を上げたり、手を振ったりしてケーナ達を送り出した。