28話 関係を強化しよう
薄ぼんやりした視界。
焦げた鉄サビの匂いに混じって肉や髪、何かが焼ける臭気。
霞のような雲が広がる青空。
身動きの出来ない体に覆い被さるついさっきまで両親であったモノ。
声が枯れるまで、脱水症状を起こして気が遠くなるまで泣きながら両親の名を呼び続け……。
気がついたら病院だった。
自分の顔を覗き込んでいたのは、涙目の従姉妹で。
「おとうさんっ……、お母、さんっ!」
家の中から聞こえて来るのは、扉という扉を開けたり閉めたりする騒々しい音と。
あの時の自分と重なる必死な呼びかけ。
唐突に音が止み、すすり泣く声が聞こえてきたのを見計らい家の中へ足を踏み入れた。
家族三人で毎日の語らいの場となっていたであろう食卓。
その椅子のひとつに縋り付いた少女は体を震わせながら大粒の涙をこぼしていた。
ケーナの足音に気付いてはっと顔を上げるものの、求めている人物と違う事に気付き再び悲しみを吐き出す。
このままではかつての自分と同じになる事は目に見えていた。
傍でずっと励ましていてくれた存在の心にも気付かず、固く心を閉ざしてた数年前の自分に。
全てを失ったと思っているしかなかった弱い自分に。
だから、この子にも教えてあげようと思った。”私”が傍に居てあげると。
押し付けようとは思わない、強引に振り向かせようなんて事はしない。
ただ誰かが傍に居てくれるという事がどんなに得がたい時間だったか。
過去の従姉妹や叔父に感謝し、その恩を今度はこの子に返すのだ。
ケーナはルカの傍にしゃがみ、ゆっくりと軽く触れるくらいで彼女の背を撫でる。
落ち着くまでずっと、少女が安心出来るようになるまで。
「この子は私が引き受けるわ」
「そうか……」
泣き疲れて眠ってしまったルカを抱いて、野営場所にケーナが戻ってきた時にはエクシズとクオルケは既に食事を終えた後だった。
残り物をロクシリウスに再度温めてもらい、膝の上に毛布をかけたルカを寝かしたまま静かに食事を取るケーナ。
夕食のメニューは野菜と肉を煮込んだスープとやや固い保存食用のパンなど。材料は前もってケーナからロクシリウスに渡してあった物を使用した。
各家の貯蔵庫に使えそうな物はあったが、衛生面や安全を考えて使わなかった。
村の広場らしき所に円陣を組んで座り、中央には焚き火が赤々と燃えている。
ケーナは影を作るようにしてルカに光が当たらないようにしていた。ロクシリウスはケーナの背後に立ったまま控えている。
何度か座るように言ったのだが、聞き入れてくれないので諦めた。
調べた所、村を囲むように張られている魔物避けのまじないは効果を消滅させており、万が一大型の魔物が現れた場合を想定したエクシズが外での野営を提案した。
まだこの世界での野営経験が浅いケーナは素直にそれに従った、と言う訳だ。
ケーナが食事を終えてからは、多少抑えた音量で改めて現状報告を話し合った。
まずはケーナ側の事情。病院から今に至るまでをざっと話すと、二人とも他にプレイヤーが現存している事に驚いていた。
コーラルはフェルスケイロからオウタロクエスまでが活動範囲であった為、ヘルシュペルを中心に活動していた二人とは会う確率が低いだろう。
シャイニングセイバーは騎士団に入っているので論外だ。
二人がこの世界に居た経緯というのはほぼコーラル達と同じであった。
最終日に時間いっぱいまで遊び倒していて、切断されたと思われる真っ暗な空間を経由したらこの世界の何処かに立っていた、と。
シャイニングセイバー達のように同じギルドだったと言う事もないが、丁度その最後の時にパーティを組んでいたのが共通点だったという理由らしい。
「その割には六人じゃなくて二人なのね?」
「法則性なんて知るか……知らないよ」
クオルケにとっては正体はバレているが、今後付き合っていくのはケーナだけでは無いので、言葉使いを戻すのに余念が無い。
笑ってしまうと失礼になるので、ケーナは彼女の矛盾に突っ込むのは止めた。
「さて、じゃあ報酬の話でもしようか?」
改めて話の方向を変えたケーナに、エクシズとクオルケは重大な問題に気付いた。
結果的にこの件を解決したのはケーナになるからだ。被害は甚大であるが。
しかし、顔色を変えた二人にケーナは苦笑してパタパタと手を振った。
「あ、そっちの依頼を横取りするつもりは無いよ? 私の目的は竜宮城に行く事だし。私が言いたいのは二人ともイベントクリアした事になるから、【能動技能:増強】をスキルマスターとして発行するけど。要る? 要らない?」
「その【増強】の効果は?」
「能力値のひとつを30分くらい、二割から三割程度アップするの。使い方に慣れてくるとふたつみっつ同時に行使出来るけど、効果が切れた後少々ダルくなるね」
ゲーム中は疲労感なんて数値が無かったので、実際に使ってみたケーナは効果の切れた後、倦怠感に包まれた。
体感したのは例の頭目退治の時である。長期戦に使用すれば不利になると悟る事が出来ただけ、使った甲斐があったと言うべきだろう。
メリットデメリットを考慮して思案するクオルケ。エクシズは少し考えてから別の物に変えられないか? と提案した。
「うん、エクシズは持ってるのね。別に大丈夫よ、どうぞ好きな物を頼んで。但し前提条件を満たして無いと貰っても覚えられない物があるよ?」
「それは判っている。俺が欲しいのは【MP転換】だ、あるか?」
「スキルマスターに愚問よそれは。しっかし、また随分とマニアックなスキルを所望するね……」
「魔法よりは殴ったほうが早いからな」
【特殊技能:MP転換】は戦士系を選択したプレイヤーが良く消費するスキルだ。
効果は一回の使用に対しMP五点を能力値一点分に転換す。、すなわちレベルアップ以外で能力値を上昇させる唯一のスキルである。
種族ごとに最大値の決まっている能力値をブレイクするにはこういったスキルで上昇を図るしかない。
竜人族はリアデイルと言うゲーム内で一番MP所有量が低い種族だが、それでもゼロと言う訳ではなかった。
そもそも知力が低いので自分に掛ける補助魔法以外であれば、敵に作用する攻撃魔法を使うよりはぶん殴った方が遥かに高いダメージを期待できる。
このスキルだけは何回も習得可能なので、クエスト限界に掛かる制限は無い。
手早く【スクロール作成】で作り出した巻物をケーナから受け取ったエクシズは、MP五点を筋力に変換した。
「クオルケさんは決まりました?」
「うーん、別なものにしろと言われても、スキルを全部把握してる訳じゃないから……ね。何があるのかさっぱり分からない」
「クオルケさんの攻撃パターンだったら攻撃速度が上がる【戦闘加速】か、当たり難くする為の【幻像】と言ったところでしょうか? 後者は別パターンで動かす分身を二つ作って相手を撹乱するんですけど……」
「じゃあ、【戦闘加速】で貰っとく……貰っておくわ。魔法だよね、これ?」
「とりあえず単体補助ですね。【戦闘加速Ⅱ】がパーティに掛けるものですけど、これはまた別に試練を受けてください」
ケーナの作り出したスクロールを受け取るクオルケ。試練の言葉にエクシズがウンザリした感じで肩を落とす。
「お前の塔か、他よりはまだマシなんだろうけど……。今は何処だ?」
「フェルスケイロの北東だけど、今は他の塔も私が管理してるからフェルスケイロの闘技場かヘルシュペルの三日月の城でもいいよ。あ、でも三日月の城はオプスのだからオススメしない」
「うげ、あれはオプスのだったのか……。しかしお前が管理している?」
かくかくしかじかとケーナはスキルマスター管理十三塔の現状を語って聞かせた。
勿論、発見した情報だけでもスキル交換に応じることも含めてだ。
この内容をクオルケは興味深そうに聞いていた。なんでも周囲にゲーム仲間が居ない環境で、もっぱらゲーム情報はINした後に出会うプレイヤーしか頼れなかったそうだ。
この二年間はもっぱらエクシズが基本的な事項を教えていたらしいが、生憎と自分達が生き抜くことが最優先事項でゲームのコアな部分までは手が回らなかったようだ。
「ご主人様、これを」
身振り手振りで説明していると、背後に控えていたロクシリウスが毛布を差し出した。
そこに至ってからつい声が普段の音量に戻っていた事に気付く。視線を自分の腰の当たりに向けると、とろんとした瞳のルカと目が合った。
「…………ん、ぅ……?」
「あっちゃー……。起こしちゃったか」
額に手を当てて失敗したと嘆くケーナ。
ルカは次第に焦点の合ってきた目を見開くとガバッと体を起こすが、ふらふらと危なっかしく再びケーナにもたれ掛かる。
毛布を掛けてから優しくルカを抱き起こしたケーナは自分の腿の上に座らせ、「大丈夫?」とだけ聞いた。
「…………ん……」
視線を下げるだけの返事をした少女は、焚き火と向かい合って座るエクシズとクオルケに気だるげな視線を向けた。
どうやって接したらいいのか分からないクオルケは、申し訳なさそうな表情を向けようとしてパカンとエクシズにはたかれる。
「馬鹿かお前は、子供に沈んだ顔を見せるな」
「いってえなっ! いきなり叩くこたーねーだろーがっ!」
「クオルケさん、言葉遣い言葉遣い……」
「っとと……、い、いきなりはたくなんて、ひ……酷いですわよ?」
「「ぷっ」」
「……おい……」
ロクシリウスは【保温】の掛かっていた小さめの薬缶から、温いミルクを木のコップに注いでルカに渡した。
ルカのぼんやりとした視線が、焚き火に照らされた静かな村を見渡す。
現状を再認識した瞳が濁るのを見ていたケーナは、いたたまれなくなって少女を抱きしめた。
エクシズが立ち上がり、ケーナの腕の中で戸惑っているルカに近付いた。
「ルカ」
「……ぅ」
視線を合わせた灰色竜人に頷くように、尻すぼみな返事を返す。
「ケーナがお前を引き取ってくれるそうだが、お前はどうしたい? 独りで村に残るか?」
少しの間を置いた少女はゆっくりと首を横に振った。
もうこれくらいの年にもなれば、親の居ない子供は自力で生き抜くか野垂れ死ぬしか道はないと自然に理解していた。
ここが大都市の街中であれば泥水を啜っても生き抜く道はあったのかもしれないが、一歩外へ出れば魔物に襲われても文句は言えない無法地帯だ。
しかもこの村には最早、魔物の進入を拒む壁も無い。
背後のケーナにもぞもぞと振り返ったルカは、宜しくお願いしますとでも言うようにペコリと頭を下げた。
「よしよし、今すぐにとは言わないけど家族になろうね、ルカちゃん。フェルスケイロに帰ったら息子二人と娘が居るし、ヘルシュペルにも孫が二人居るんだよ~。機会があったら紹介して上げるね」
「…………ん」
無表情でコクンと頷くルカはともかくとして、焚き火の対面に戻ったエクシズはだらだらと脂汗を流して硬直していた。
クオルケが無言になった相方を見て不思議そうな顔をする。
「どうしたのさ? エクシズ、顔色が悪いよ?」
「こ、子供が三人に孫が二人だとっ!! お前何時からそんなふしだらな女になりやがったっ!?」
【封印:凍結】
今までの報告を全然聞いていなかった発言で、とんでもない事を口走ったエクシズは胡坐を掻いたままの姿勢から、ケーナの【圧縮呪文】により一瞬で氷漬けになった。
口は災いの元を実現したような相棒の末路に、クオルケもそれ以上の発言を口元を引くつかせて控える。
ルカはロクシリウスがそんな光景を見せないように影になり、残っていたスープにパンを浸してもそもそと食べていた。
──── 翌朝
朝になってようやく封印を解除して貰ったエクシズは、体中の骨を鳴らしながら溜息をついた。
「くそうケーナの奴め……」
「た、大変だったね、エクシズ……。そ、そのおかしいところは無い?」
「ああ、平気だ。まったくケーナの奴は照れ隠しに直ぐ人に向けて魔法をぶっ放しやがる……。前職なら幾らか耐えられたが、こっちのアバターだと魔法には弱いな」
「げ、ゲーム中も日常茶飯時だったんだ……。す、すごいギルドだね」
ちなみに夜番は不眠不休で動く事が前提のロクシリウスと、ケーナの召喚した”夜の狩人”(全高二mの真っ黒い梟、三百レベル)が担当した。
魔法効果のため気絶状態になったエクシズ以外は爆睡だ。
朝食が済んだら早速潜ると言うケーナに、エクシズは残ってルカの護衛を買って出た。
……が、ただの調査依頼が、漁村が二つも滅ぶと言う最悪の結末になった事件を、早めにそれなりの所へ報告すべきだ。と主張するクオルケとで意見が分かれた。
二人で言い争いになりかけた所へケーナが割って入り、「こっちが終わり次第、魔法で王都まで送る」と言う事で話がついた。
改めて懐に入れた雛鳥の過保護っぷりに呆れるばかりである。
「たしかにお前の魔法か召喚獣ならば硬い早い強いと多目的だが。……なんでそれなんだ?」
波打ち際をほぼ占領し、長くて蒼くてでっかい生物が横たわっていた。
ロクシリウスの背後に身を寄せたルカも初めて見るその巨大な威厳ある姿に、目を見開いてビックリしている。
まだリアデイルゲームシステム若葉マークなクオルケもパカッと口を開けて呆けたままだし。動じてないのはエクシズとロクシリウスだけだ。
ケーナの背後に控えるは全長四十mはある蒼い竜。
つい先程【召喚魔法:竜】最大レベルで呼び出した兵である。
リアデイルの蒼竜は長い太めの流線型で翼を持たない水陸両用型だ。
代わりに頭頂部から尻尾の先まで生えたカジキマグロのようなドデカい背ビレが、ソレの特性を示していた。
鼻筋から瞼の上に抜ける角は短く、四肢はがっしりとして指の間に水掻きの膜を持つ。
「ぶっちゃけ泳げないからね私は。つまり水中で動けないから、代用して泳いでいくものに捕まって行こうかと思って」
胸を張るケーナのコバンザメ泳法に、頭を抱えるクオルケと彼女の肩を無言でポンと叩くエクシズは気にしたら負けだと言う笑顔で首を横に振った。
くりーむちーずではタルタロスは比較的常識人だった為、他のメンバーの無茶振りに良くつき合わされて処世術を学んだ。即ち、いい笑顔でスルーすればいいと。
ルカの頭を撫でてから蒼竜の角に掴まったケーナが水中へ没するのを見届けたエクシズは、クオルケへ声を掛けた。
「なあ、あの幽霊船ってどっから現れたんだと思う?」
「……? スキル取得イベントからじゃないの?」
至極当たり前な答えが返って来た。
それがMMOのゲーム中の話であればだ。
「そのスキル取得イベントを起こす為のNPCすらいない状態でか? ゲーム中のイベントでは村を二つも滅ぼす、だなんて話ではなかったと思う。それならあいつは何処から沸いてきた? 交易航路に海賊が沸くと言うレアイベントならあったが、幽霊船イベントはクエストにしか存在しなかったはずだ」
「そう言われるとこの世界の人達って押し並べてレベル低いな……よね? フィールドに存在するモンスターの数がゲームより遥かに少ない、し。エリアの一角だけでも見渡せば何かしら動き回っていたはずだけど、ここはそんなことない、な」
ゲーム人口のプレイヤーレベル平均を見た場合、大体が四百~六百程度であった。
九百レベルを越える者ならプレイヤー全体の五パーセントにも満たない。
すなわち大抵のエリアを行き来するだけであれば、最大六百レベルもあれば事足りる。
やり込みを求めるのなら熟練エリアと呼称される天界魔界マップへ赴き、限界まで上げるのが通例である。もうそこまで行くとすれば廃人決定だ。
過酷な部分は過酷を増すゲームであったリアデイルだが、仲間とわいわい楽しんで騒げる要素も盛り沢山であった。
それはクエストイベントにも反映されていて、今回のように村が二つも滅ぼされる後味の悪いイベントなど、タルタロスをレベル上げしていた時ですら稀だ。
本来の幽霊船イベントですら四百レベルが二人も居れば事足りるはずだったらしい、ケーナの言葉によるとだが。
「これは報告に混ぜるべきか?」
「二百年前の人の言葉を信じてくれるならば、になるねぇ?」
クオルケが【種族:人】なだけに説得力が無い話ではある。
どうやって二百年生き延びたのか? とか聞かれたら答える術が無い。
【水中呼吸】と【水中行動】の魔法で身体強化をしたケーナは蒼竜の角に掴まったまま、水中を深く深く潜っていた。
ゲームの場合であれば【水中呼吸】が無ければ徐々にHPが減っていくペナルティが付くが、これが現実なケーナには無ければ即、死に繋がる。
【水中行動】は水中でも陸上と同じ様に動ける補助魔法で、コレが無いとステータスは軒並み半分に落ち、戦闘行動のダメージは普段の十分の一以下になってしまう。
ケーナの装備はいつものままだが服が肌に張り付いて些か動きづらい。
イベントで配られた水着とかあった記憶もあるけれど、彼女にとって水中は未知の領域だ。装備は充実してた方がいい。
同時に興味を引くエリアでもある。
さっきから視界の端を地球産の魚とは言い難いモノが横切ったりするが、蒼竜の威圧感によって殆どの魚が近寄って来ない。
ケーナ自身も流石にキョロキョロしている暇が無かった。
村で竜宮城の位置情報が得られなかった事もあり、【暗視】と【鷹目】も併用して守護者の指輪を使っての位置探しに集中していた。
時折蒼竜に止まって貰い、指輪をあちこちに向けてぼんやりとピンク色に染まる方向を特定する。
数回に亘る原始的な探索の末、反応があったのは水深百mにもなった頃だった。
周囲の光源が濃い緑色っぽくなったサンゴ礁に囲まれた平地に、その竜宮城はででーんと陣取っていた。
外観的には何処かの観光地に建っていそうな目を引く建築物で、大きさだけで言うのならばフェルスケイロの王城にも匹敵する。
周囲に生えたサンゴ礁に砂などを撒き上げながら着地した蒼竜。
傷すら付かないところを見るとコレも竜宮城施設の一部なのだろう。
蒼竜に暫くここで待つように命令すると、ピンク光を放つ守護者の指輪を掲げたケーナは、例の合い言葉を高らかに言い放った。
【乱世を守護する者よ、堕落した世界を混沌より救済せしめ給え!】
ぐにゃりと歪んだ視界が水の渦を通過、程なくして広々とした空間に投げ出されたケーナは着地した場所の不安定さに、たたらを踏んだ。
赤い中華風の室内には水が張られ、要するに池状態であった。
そこにはびっしりと人が乗れる丸い蓮の葉が無数に浮かんでいた。彼女が着地したのはその中の一枚である。
見渡すと中央に人の頭ほどもある蕾が突き出ていて、おそらくソレがこの塔の核だろうと当たりをつけたケーナはMPを半分ほど注ぎ込んでみた。
しばらく待っていると花弁がゆるゆると開き、薄いピンクの大輪の蓮の華が咲く。
「はー、これでやっと三つ目か……。先は遠いなあ」
こんなことになるのだったら、過去にスキルマスター全員の塔場所を聞いておけば良かったと後悔するケーナ。
流石に今になっては後の祭りだ。少なくとも空にひとつ、未踏破地帯にひとつ存在するくらいしか知らないのは問題がありまくりである。
そんなことを考えていたら背後で水音がして、鈴を転がすような可愛らしい声を掛けられた。
「あのぅ、お客様ですかぁ~?」
「ああ、ここの守護…………しゃっ!?」
ついうっかりルカの事もあって、ここのスキルマスターの趣味を忘れて振り返ったケーナは、背後に鎮座している者の容姿に呑まれかけた。
突き出された口、光沢から言ってぬるぬるしているだろう。たぶん。
口より後方に左右に離れた瞳。黒と金が混じり合い此方をキヌロと凝視している。
すらりとしているよりはデップリとしたボディ。 ぬめっている。
顎の下に揃えられた前足。そこより左右に広がる折り畳まれた後ろ足。
目と目の間にちょこんと乗った王冠、おもちゃのようだ。
全体色は原色ピンク、とても目に痛い。むしろ容姿が直視ししたくない。
悲鳴を上げかけた意識諸共ゴクリと飲み込んだケーナは、内心自分に言い聞かせた。「これは敵じゃない、むしろ味方」と。
はっきり言って予備知識が無ければ、初見で大火力魔法を使って吹き飛ばしていただろう。
守護者がソレで吹き飛ぶ事は無い、と言う確信もあるけれど……。
ここの守護者は目線がケーナと同じ高さのどピンクのアマガエルであった。牛ほどの大きさの。
直視しないように視線を逸らしたケーナは、震える声でいつものように対応した。
「あ、アナタがここの守護者?」
「あ、はいぃ~。スキルマスタァNo.6の守護者ですぅ~」
「そ、そう……。私はスキルマスターNo.3のケーナよ。余計なお世話かもしれないけど、塔を起動させるために来たわ。アナタの本来のマスターじゃなくて悪いけど、我慢して頂戴?」
「いいえ~、ウチのマスタァはぁ、もう来る事が無いとぉ~、思っていましたからぁ~。これからは、アナタがぁ私のマスタァでよろしいでしょうかぁ~」
この反応を見るにリオテークもこの守護者に、二度と訪れる事は無いと、告げていたとみえる。
話がややこしくなる前にあちらから此方の真意を読み取ってくれたのは、手間が省けていい感じだ。
少々喋るのがおっそい所が良く分からないが、リオテークも似たような喋り方をしていたので、趣味なのだろうかと一人ごちる。
何も言わずに口をあんぐりと開けて、───人が一人すっぽりと呑み込めそうだ─── にゅろんと伸ばした舌の先に守護者の指輪があった。
流石にぐぬんぐぬんのぬめぬめに一歩後退するケーナだったが、意を決して拾い上げる。見た目に反してベタベタしていることも無くホッと安堵した。
「ありがとう、ありがたく受け取るわ。詳しい事は塔の交感機能でウチの壁画に聞いて頂戴」
「わかりましたぁ~」
その後はポーションで回復させたMPを限界まで核に注ぎ込んでから、塔を後にした。
尚、外に出して貰った先が水上だった為、蒼竜が此方の位置を特定して上がってくるまで、波間にぷかぷかとただ浮いていたのは秘密である。