ベクトル 3
「今日から度々ここに遊びにくるんでヨロシクしてくれ」
直樹が笑顔で、黒猫こと奈保子を紹介するもんだから直樹に贔屓にされている奈保子を面白くないと感じる者が居るのは当然だ。
その筆頭が奈保子を正面から睨んでいる赤毛の子。
歳は高校一年くらいかな?やだ~めっちゃ睨んでる。
赤く染めた髪にシルバーのアクセサリーとピアスがして、ちょっと近所でいるような不良ってタイプ。
第一印象は正しい舎弟の基本って感じがする、直樹の周りをうろちゃろしそうなタイプ。
でも誤解がないように、決して強者に媚を使うのではなくて彼が認めた者には尊敬をする憧れに似た輝きが彼の瞳から窺えた。
「こいつはシャイで無口だからな、気をわるくしないでくれよ」
ポンッと奈保子の肩を直樹が手を乗せる。緊張している今の私はビクッと些細な事にも敏感に反応しちゃって、お兄ちゃんの手を払っちゃった。
例えるなら知らない人を緊張して見つめている野良猫の後ろから、大きな音を立てて驚かすような心境です。
『……やめろ』
わーーーー!!!とっさに自分で言った言葉が信じられない!ちょっと私テンパってる?はい、テンパッていますぅ!
私は昔から緊張すると片言みたいになってしまう癖が……!でも、この場面で癖とか言ってらんない!!
帰っておいで!私の社交性!本当にお願いします!!
「直樹さんには悪いですが、俺コイツが気にくわないッす!」
当然の如く、赤毛の男の子が奈保子の先ほどの態度に腹を立ててきた。
散々リーダーのお兄ちゃんの好意を無下にしているんだ。怒るのも無理はない。
でも、私も怒らせるつもりなんて微塵も無いのを赤毛の男の子は信じてくれるかな?ムリっぽい?ですよねー。
「大体、バイクも乗らないで直樹さんの後ろに乗るなんて納得できません!!」
そりゃ…私運転できないからお兄ちゃんの後ろに乗るしか出来ないんですよ!免許も取得してません。
それに帰れと仰るならば、私はこの場でスキップして帰ります。寧ろ帰らせてください!!
私の願いと裏腹に、お兄ちゃんは悪人面で笑う。
「安心しろ、コイツは俺の片腕に相応しい」
は?何ゆってんの?
片腕ってどういう意味?
『……何の話だ?』
私はお兄ちゃんに訪ねてみた、ここでは男のフリをしないといけないので男性が使いそうな言葉遣いに気をつける。慣れないのもあるし、緊張をしているから言葉が片言になってしまうけど。
「大したことじゃねえよ、ここのルールでな。リーダーの後ろに座るモンがここのナンバー2って慣わしなだけだ」
笑って私に伝える直樹お兄ちゃんに、私は呆然とした。
うっそ!じゃあ私は今日からここの副リーダーになります、でもリーダーの直樹には舐めた態度取りますんでヨロシクって……。
言っているもんじゃないのーーー!!?
グレートに嫌なヤツが副リーダーなるのか?って皆が私を遠巻きに観察してくる
「嫌です!俺はこんなポッと出のヤツに直樹さんの片腕がなるなんて!」
赤毛の男の子は真剣に直樹に食いつく。
だから自分をって主張している訳じゃない、ただ自分のリーダーとして認めた直樹の助けになるとは思えない反発から奈保子……いや、「黒猫」を受け入れられなかった。
鼻息を荒くする赤毛の男の子は、奈保子を睨む。
「だろうな、だからお前が納得する方法でやれ」
奈保子の兄、直樹は唇をつり上げて笑う。
とっさに傍観していた奈保子は思う。
……いやな、予感。
スーツの下で汗が背骨をすべるが、フルフェイスをしている奈保子の表情など皆には分からない。他人から見るとさぞや落ち着いて見えるでしょう。
でもさ!内心はガタガタ震えそうなのよ!!
すっごい私の周囲から漂う雰囲気悪いんですけど?おい赤毛やっちまえよ!みたいな?
「へへ……お許しが出たらなら手加減はしないッスよ」
手加減って何?つか何で指を鳴らしながら近づいてくる?
私の予想が激しく外れる事を祈っている寂しい背中を、お兄ちゃんがドンっと押す。
(いらん)おかげで、赤毛の男の子の前に突き出された。その上に、私と赤毛の男の子を囲むように人の輪ができちゃっている。
最悪……お兄ちゃんじゃなくて、鬼いちゃんだ。
「誰がうまい事を言えって言った?」
真後ろの直樹が含み笑い、私に言ってきた。
ちょ……、私の表情がフルフェイスで窺えないのに何で人の心を読むわけ?
わが兄ながら、無敵ね。
ゆっくり私は周囲を見渡す、他のメンバーは喧嘩に興奮して目がキラキラしている。つか、なぜ私は喧嘩をするん?
今日の此処に来る前に、このフルフェイスと特製のレーシングスーツを渡したのは安全を考えてじゃない?でも自慢のお兄様がトラブルを運んでるのよ!!
凄い矛盾!ムカつく、明日は私の大好きな春巻きを作らせてやる。
そんな事を考えていると、赤毛の男の子は腕を振り上げて私を殴ろうしてきた。
難なく避ける奈保子、しかし奈保子は自分の為に避けたのではなく赤毛の男の子の拳が傷をつかないためだ。
何故なら、奈保子がフルフェイスを被っているのに、顔面を狙って来たから。そりゃ本気でフルフェイスを殴った経験がなくてもどうなるかはお分かりでしょう。
『動物か?』
奈保子はポソリと、単純というか……何も考えていない戦略に思わず呟いた。
呟きは、しっかりと赤毛の男の子に届き奈保子をにらみつけた。
「馬鹿にするな!!」
火に油を高みから注ぐ奈保子に、もう一度殴りかかってくる。
だが、奈保子は余裕で身を屈ませて避けた。
奈保子は意外に、遅くワンパターンな攻撃に目を白黒させた。
正直…弱い。
赤毛の男の子が、ドンドン近づいて攻撃してくるから後ろへ後退しているのだけど、体力は赤毛の男の子のほうが数倍使っていた。奈保子は無駄なくスレスレで避けるのだから、更に赤毛の男の子は興奮してきている。
腕を組んで奈保子と赤毛の男の子を見ていた直樹は、静かに2人の動きを眼で追う。
予想はしていたがそれが今、確信に変わった。奈保子は強い。
幼少から一緒に護身術…もとい訓練を受けていたが、実戦は初めてだ。パニックにならずにちゃんと相手の動きを見ている。
思春期になってから、一切の稽古を拒むようになって二年たつ。女性らしく身体に筋肉つくのを嫌ったからだ、もう遅いが…。
ブランクがある割にはいい動きに、直樹は安堵の息をつく。本当は今日の動き次第で奈保子を此処に連れて来るのはお終いにしようと思っていた。
これなら今後も此処へつれてきても問題はなさそうだ。もっとも心配していた事が片付いて直樹は決闘を眺める、といっても片方が腕を振り上げてもう片方がヒョコヒョコ余裕で避けているだけ。
その頃、当人の奈保子はため息をついて赤毛の男の子の攻撃パターンを把握してアクションゲームをやる感覚で避けていたが、いい加減飽きてきた。
『その辺に……』
「うっせ!!」
自分の攻撃をことごとくよける、奈保子に赤毛の男の子はいい具合に温まってきているらしい(頭が)。
私は人を殴るつもりはない、心の底からの平和主義者を自称している。危険な要素がある場所や人は最初から近づかなく危険を回避しているつもりだ。
「黒猫!!」
どうやって赤毛の男の子を宥めようかと考えていたら、突然に兄である直樹に「黒猫」と大きな声で呼ばれてしまった。一瞬だけ視線をそちらに向けてしまい身体を動かすタイミングを失った。
目の前には拳を振り上げている赤毛の男の子、喧嘩中(?)の私達にリーダーである直樹に呼ばれたので「もう止めろ」って止めてくれるのなんて期待をしてしまった。
ここから避けるには時間が無い、だから痛み覚悟で腕を胸の前に動かし、赤毛の男の子の拳をガードして受け止めた。
………?………全然痛くない?
赤毛の男の子が全身のバネを使わず、腕の力だけで殴ってきたから軽いのは分かるけど、ソレを差し引いても全く拳を受け止めた腕は痛くない。
振動だけが私の腕に伝わった、しかしそれだけ。
うっわ~反則並みに凄い、このレーシングスーツに仕込まれたプロテクトは……軽いから忘れていたよ。
チラッとお兄ちゃんのほうを見ると、満足そうに頷いていた。ワザと私の気を逸らして、レーシングスーツの機能を確認したんだな。
もう怒った!さっさと終わらせて帰る!お兄ちゃんが何を言っても帰るもん!
ようやく私に一撃を喰らわせた赤毛の男の子は、得意そうな顔でへへっと笑っている間に私は後ろの壁の距離を目測で計る。
ずっと後ろへ後退していたために、もう五歩もあれば壁にぶつかるほどの距離を確認して、後ろを向いて大股で壁に走り近づく。
本当はもっと加速と助走が必要なんだけど、壁にぶつかる前に思いっきりジャンプすると壁を渾身の力で蹴る。
壁を使った大げさなバク宙をした、よくアクション系のスタントマンがやるやつ。
身体にある全身のバネをフルに使って、空中で身体を捻りつつ赤毛の男の子の後ろに着地。
ビックリさせるのが狙いだったら、赤毛の男の子は三秒だけぽかんとした。それだけの時間があれば私には十分。
背後に回った奈保子は右手で、後ろから赤毛の男の子の右耳を思いっきりつまみ、後頭部のほうに引っ張る。
慣れない痛みに、とっさに前屈みになり本能的に防御をしようとするのだけど、その前に私は空いている赤毛の男の子の左手を掴むと背中に捻り上げた。
男の子なんで暴れたら困る、腕を捻るのと同時に足を引っ掛けて床に膝をつかせた。
圧倒的に体格が違うならともかく、女の私でも関節を決めちゃえば赤毛の男の子くらいは締め上げられる。
傍観していた周りの男の人たちがざわめく。
動けない赤毛の男の子、もう勝敗はついた。
「よし!そこまで」
直樹が拍手をして、奈保子と赤毛の男の子に近づいてきた。
「これで異論はないな?もしあるなら次は俺が相手になるぞ」
人の悪い顔で直樹が周囲を見渡す、誰も反論はない。それに直樹は満足そうに頷く。
「ご苦労さん黒猫」
お兄ちゃんに呼ばれて、掴んでいる赤毛の男の子の腕を解放した。
赤毛の男の子は悔しそうに唇を噛んでいたが、私が何を言っても反感を買うだけなんでソッとしておく。原因は私だし。
突然入ってきた新入りが副リーダー、しかも愛想もなくリーダーの直樹にもタメ口。その上に日常生活では余りお目にかかれないバク宙を躊躇なく出来る男がこのチームの秩序の一つになる。
そんな新しい風に皆が戸惑っているのを直樹は笑う。
「心配するな、黒猫は今年の夏限定で「ロッシ」に加わる……後はいつもと変わりないさ」
苦笑いしている直樹に、奈保子は歩いて近づく。
『ロッシ?』
「ここのチームの名前」
集っている人が怖いからお兄ちゃんに離れたくない奈保子は、聞きなれない単語に反応して小声で聞いてみた。
由来はバレンチーノ・ロッシから、プロのライダーで世界でもトップクラスのライダーから名前を貰った。
そんな事は奈保子には関係ない、とにかく今日はもう色々刺激的過ぎてベットに求愛したい。
そう考えていると、直樹のポケットから携帯のアラーム音がちょっと静かになった多目的室に響いた。
奈保子は直樹から響くアラーム音が、着信の類ではなく時間になれば知らせるタイマーの音と知っているので少し気になった。
次は何の悪巧みをしているのだろう、って感じに。
直樹はアラームが鳴る携帯を取り出し、嬉しそうに言う。
「もう時間か、今日は皆に黒猫の披露だけだ。後は自由に過ごしてくれ」
次の集会は追って連絡するぞって言いながら、急ぎ足で私の腕を掴み多目的室の部屋から出て行く。
『お兄ちゃん!次は何?嫌な予感しかないわよ!?』
「今日のメインイベント❤」
もう、無茶苦茶嫌な予感がビシバシする……。
嵐のように来ては去った、リーダーと今日から副リーダーになった2人を止める暇なく見送ったロッシのメンバーは「どうしたらいいの?」みたいな空気になってしまう。
そして、まだ膝を床に膝をついて呆然とする赤毛の男の子が1人。
喧嘩は強いほうではないが、こうもあっさり敗北したのはショックだったのだろうか?
しかも慕いた直樹に気に入られ、赤毛の男の子が憧れていた直樹の片腕というポジションを簡単に奪った新参者。
客観的にみて、悔しくないわけが無い。
子犬みたいに騒がしい赤毛の男の子が、気持ちが悪いくらい静かなんで周囲の仲間が声を掛けようとした刹那。
「黒猫さん!!!カッコいいッス!!俺ッ惚れました!!」
蚤のように元気に飛び上がって、いきなり叫び始めた。
大声が多目的室に響く、誰もが呆気に取られている中で赤毛の男の子だけが、キラキラした目で新副リーダー黒猫を思い出して握りこぶしを作る。
その顔は歓喜に満ち溢れている、気持ちが悪いくらいに。
東海林 惇、後の黒猫に従う舎弟一号の誕生の瞬間だった。
どうも、今回は黒猫……奈保子のお披露目が終わりました。そして次でやっとネジのとんだ男が登場します。
本当はそこまで書き上げたかったんですが、時間の都合により断念。
もうちょっと書きたかったです!!