第106話 火をつなぐ人たち
朝の鍛冶場には、いつもより多くの職人が集まっていた。
中央にあるのは、これまで何度も改良を重ねてきた実験炉だ。
炉壁は内側と外側で役割を分け、外側には熱を逃がしにくい層を設けている。特に傷みやすい送風口の周囲は交換できる構造となり、下部には操業途中で滓を排出するための口も追加された。
砂鉄の投入位置も調整され、二つの送風口から送り込まれる風も、回転式二連ふいごによって以前より安定している。
少しずつ。
本当に少しずつではあるが、アルスたちの炉は単なる実験用の設備から、長く使うことを考えた炉へと変わり始めていた。
しかし、前回の実験で新しい問題が見つかった。
人である。
どれほど炉を改良しても、砂鉄や木炭を投入するのは人間だ。
ふいごを回すのも人間。
炉の状態を見るのも人間。
滓を抜くのも人間。
短時間なら、ゴルンを中心とした少人数でも何とかなる。
だが、火を長時間維持するなら話は違う。
一人の人間が何時間も働き続けることはできない。
そこで今日は、職人が途中で交代しても炉の状態をできるだけ変えずに操業を続ける方法を試すことになっていた。
ゴルン「まず言っておくぞ。今日は鋼をたくさん作ることが目的じゃねぇ」
アルス「人が交代しても同じように続けられるか、ですよね」
ゴルン「ああ」
ゴルンは集まった職人たちを見る。
ゴルン「坊ちゃんと俺だけ分かってても意味がねぇ。今日はお前たちにも実際にやってもらう」
職人「分かりました」
職人「任せてください」
アルスは、そのやり取りを少し離れた場所から見ていた。
今までとは違う。
これまでは、アルスが思いつき、ゴルンと相談し、試してみることが多かった。
けれど今日は。
他の職人たちが中心になる。
アルス「なんだか緊張します」
ゴルン「なんで坊ちゃんが緊張するんだ」
アルス「だって、ちゃんと伝わるか分からないから」
ゴルン「なら今日は、それを調べる日だ」
ゴルンの言葉に、アルスは頷いた。
◇◇◇
最初に決めたのは、役割だった。
とはいっても、難しい決まりを作るわけではない。
ふいごを動かす者。
木炭と砂鉄を投入する者。
炉の状態を確認する者。
そして、必要になった時に滓を抜く者。
ただし、一人が同じ作業を延々と続けるのではない。
一定時間ごとに交代する。
アルスは砂時計を作業台へ置いた。
アルス「これが落ち切ったら、交代の準備をします」
職人「すぐ交代するんですか?」
アルス「いきなり替わるんじゃなくて、少しだけ一緒に確認してからです」
ゴルン「坊ちゃん、それはどういう意味だ?」
アルス「前の人が今の炉の状態を、次の人に伝えた方がいいと思うんです」
アルスは炉を指差した。
アルス「今、木炭をどれくらい入れたのか。砂鉄をいつ入れたのか。風の強さはどうだったのか。何か変なことがなかったか」
ゴルン「なるほどな」
アルス「交代した人が何も知らなかったら、最初から見直さないといけないから」
前世なら。
引き継ぎ。
そんな言葉が使われていた。
けれど、アルスはその言葉を無理に使わなかった。
必要なのは名前ではない。
実際に機能する仕組みだ。
ゴルン「なら、交代する時は前の奴が次の奴に状態を話す。それでいくぞ」
職人「分かりました」
準備が整う。
いよいよ火が入った。
◇◇◇
最初はゴルンが中心となった。
火付きの良い木炭で炉を温め、全体へ十分に熱を回す。
予熱を終えると、硬く長く燃える木炭へ切り替える。
砂鉄を投入する。
木炭を加える。
回転式二連ふいごから、一定の風が送り込まれる。
ゴォォォ……。
聞き慣れてきた炉の音が鍛冶場へ響く。
アルスは少し離れた場所から記録を取っていた。
やがて。
砂時計が落ち切る。
ゴルン「交代だ」
最初の職人が、次の職人へ声をかける。
職人「風は今の速さ。途中で少し重くなったが、今は戻ってる」
職人「木炭は?」
職人「さっき一回入れた。砂鉄は次の砂時計が半分くらいで入れる予定だ」
職人「分かった」
次の職人がふいごの取っ手を握る。
最初の職人も、すぐには離れない。
しばらく隣で動きを確認する。
問題がないことを確かめてから。
ようやく離れた。
アルス「……できた」
ゴルン「まだ一回だ」
アルス「分かってます」
けれど。
嬉しかった。
火が。
人から人へ。
つながった。
◇◇◇
二度目の交代。
三度目の交代。
ところが。
全てが順調というわけではなかった。
ゴルン「おい、少し速ぇぞ!」
職人「え?」
ゴルン「ふいごだ!」
交代した職人の回転速度が。
前の者より少し速い。
本人は同じように動かしているつもりだった。
しかし、人によって感覚は違う。
アルス「砂時計!」
アルスが声を上げる。
一定時間の回転数を確認すると、やはり基準より多かった。
職人「すみません」
ゴルン「謝る必要はねぇ。今日はそれを見つけるためにやってる」
アルスも頷く。
アルス「人によって『普通』が違うんだ」
ゴルン「そういうことだ」
強く回すことに慣れた者。
ゆっくり一定に回す者。
体格。
力。
疲労。
それだけでも変わる。
アルス「だったら、『これくらい』じゃ駄目なんだ」
アルスは紙を見る。
これまでも砂時計を使って回転数を揃えてきた。
しかし。
それは主に実験条件を揃えるためだった。
今度は。
人が変わっても同じ仕事をするための基準になる。
アルス「砂時計が落ち切る間に、このくらい回すって決めておけば」
ゴルン「力じゃなく回数を見るのか」
アルス「はい。でも重くなったら同じ回数でも違うかもしれないから、炉の様子も見ないと駄目です」
ゴルン「数字だけ見てりゃいいわけじゃねぇってことだな」
アルス「お父様も言ってました。数字は比べるための道具だって」
数字が仕事をするのではない。
最後に判断するのは人間だ。
けれど。
数字があれば。
人による感覚の違いを、小さくできる。
◇◇◇
次に問題になったのは。
木炭だった。
職人「アルス様、これくらいですか?」
アルス「……ちょっと多い?」
ドラン「多いですな」
同じ籠から木炭を取っている。
それでも。
掴み方によって量が違う。
以前なら。
職人の経験で調整していた。
だが。
交代する人数が増えるほど。
その差が積み重なる。
アルス「量ってから分けておきましょう」
ドラン「全部ですか?」
アルス「全部を毎回天秤に載せたら大変だから……」
アルスは考える。
父カインから。
測ること自体が仕事になりすぎてはいけないと教わった。
なら。
毎回細かく量る必要はない。
アルス「最初に基準になる入れ物を作る?」
バルト「俺の仕事か?」
アルス「お願いします!」
バルト「やっぱりな」
バルトが苦笑する。
木炭を一定量取りやすい。
専用の容器。
大きすぎず。
小さすぎず。
まず天秤で木炭を量り。
その量が入る程度の容器を作る。
ただし。
木炭は大きさによって。
同じ容積でも重さが変わる。
アルス「木炭の大きさも、ある程度揃えないと駄目ですね」
ドラン「俺の仕事が増えましたな」
アルス「ご、ごめんなさい」
ドラン「冗談ですよ」
ドランは笑った。
ドラン「製鉄用の炭は、こっちでも選別しておきましょう。細かすぎる奴は別にする」
また。
一つ。
仕事がつながった。
鍛冶場だけでは。
製鉄はできない。
炭焼き場での仕事も。
安定した鋼を作るための一部になる。
◇◇◇
昼を過ぎた。
アルスは椅子へ座り。
パンを食べながら炉を眺めていた。
今日は母エリザから。
絶対に昼食を抜かないように。
そう念を押されている。
そのため。
どれほど炉が気になっても。
食べる。
アルス「もぐもぐ……」
ゴルン「食いながら炉を見るな」
アルス「見てるだけです」
ゴルン「頭の中で考えてるだろ」
アルス「少しだけ」
ゴルン「休め」
アルス「はい」
ゴルンにまで言われた。
仕方なく。
アルスは炉から視線を外した。
そこで。
別のことに気付く。
先ほどふいごを回していた職人が。
水を飲みながら休んでいる。
その隣では。
次の職人が食事をしている。
誰かが働く。
誰かが休む。
そして。
交代する。
炉の火は。
その間も燃え続ける。
アルス「……そうか」
ゴルン「今度は何だ?」
アルス「休む人も必要なんですね」
ゴルン「当たり前だ」
アルス「でも今まで、働いてる人しか考えてなかった」
交代するためには。
次の人が。
休めていなければならない。
疲れ切った人間へ交代しても意味がない。
長く続ける仕事には。
働く時間だけではなく。
休む時間も。
最初から必要になる。
ゴルン「長くやるなら、人数に余裕が要る」
アルス「ぎりぎりの人数じゃ駄目?」
ゴルン「誰か一人腹でも壊したらどうする」
アルス「……止まります」
ゴルン「そういうことだ」
アルスは。
また一つ。
学んだ。
◇◇◇
午後。
炉の底へ滓が溜まり始めた。
ゴルンが状態を確認する。
ゴルン「そろそろ抜くぞ」
空気が。
一気に緊張する。
アルスはすぐ。
決められた安全な場所まで下がった。
アルス「離れました!」
ゴルン「そこから動くなよ」
アルス「はい!」
滓抜きを担当するのは。
ゴルンと。
経験のある鍛冶職人だけだ。
長い鉄棒を使い。
炉の下部に設けた排出口を開く。
赤く光る滓が。
ゆっくりと流れ出す。
ジュウッという音。
熱気。
アルスは。
遠くから。
じっと見る。
滓が減る。
排出口を再び塞ぐ。
送風を調整する。
そして。
火が安定する。
アルス「……よし」
ゴルン「まだ終わってねぇぞ」
アルス「分かってます!」
だが。
前回より。
流れが良い。
誰が何をするのか。
周囲の者も理解している。
危険な作業が始まれば。
担当者以外は下がる。
必要な道具も。
事前に置いてある。
少しずつ。
作業そのものが。
整理されていた。
◇◇◇
夕方。
操業開始から。
かなりの時間が経過していた。
それでも。
炉の火は。
安定している。
ふいごの担当者は。
すでに何度も交代した。
砂鉄と木炭の投入担当も。
途中で替わっている。
滓抜きも行った。
それでも。
火は。
消えていない。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「続いてます」
ゴルン「ああ」
アルス「僕たちが最初からずっとやってないのに」
ゴルン「それが今日の目的だろ」
アルスは。
炉を見る。
少し。
不思議な気持ちだった。
自分が。
ずっと見ていなくても。
ゴルンが。
全てをやらなくても。
別の人が。
決めたやり方を引き継ぎ。
仕事が続いていく。
アルス「仕組みって、こういうことなのかな」
ゴルン「何がだ?」
アルス「一人が頑張らなくても、みんなで続けられること」
ゴルンは。
少しだけ。
アルスを見る。
ゴルン「まあ、悪くねぇ考え方だ」
◇◇◇
その日の操業は。
日が完全に落ちる前に終了した。
まだ。
夜を越えるところまではやらない。
人員配置。
照明。
食事。
夜間の安全。
火災対策。
そこまで準備できていないからだ。
アルスも。
それでいいと思った。
以前なら。
せっかくここまで来たのだから。
もっと続けたい。
そう言っていたかもしれない。
けれど今は。
続けられることと。
続けていいことは。
違うと知っている。
ゴルン「今日はここまでだ」
アルス「はい」
火を落とす。
送風を止める。
長い一日が。
ようやく終わった。
◇◇◇
翌朝。
冷えた炉を開く。
中から。
これまでより大きな粗鋼塊が姿を現した。
職人「おお……」
ドラン「随分育ちましたな」
アルス「量りましょう」
ゴルン「やっぱり最初にそれか」
天秤を使い。
まず全体の重さを確認する。
その後。
粗鋼を割り。
内部を調べる。
硬さ。
粘り。
破断面。
火花。
これまで作ってきた基準鋼とも比較する。
良質鋼候補を選び。
その重さも量る。
アルス「増えてる……」
ゴルン「ああ」
アルス「木炭は?」
ドラン「記録はこっちです」
使用した木炭量も確認する。
当然。
短時間の実験より多い。
それでも。
炉壁を改良する以前の効率と比べれば。
悪くない。
そして何より。
今回は。
複数の職人が交代しながら。
最後まで操業できた。
アルス「成功?」
ゴルン「今日の目的についてならな」
アルス「やった!」
アルスは。
小さく拳を握った。
鋼ができたことだけではない。
人が替わっても。
火をつなげた。
それが。
何より嬉しかった。
◇◇◇
午後。
カインとライムが。
鍛冶場へやって来た。
カイン「聞いたぞ。昨日は職人を交代させながら操業したそうだな」
アルス「はい!」
ライム「問題はありませんでしたか?」
アルス「ありました」
カイン「即答か」
アルス「人によってふいごを回す速さが違ったり、木炭の量が違ったりしました」
ライム「それをどうしました?」
アルス「砂時計で基準を作って、木炭は入れ物を作ることにしました。それから交代する時に、前の人が次の人へ今の状態を伝えます」
ライムが。
少し驚いた表情を見せる。
ライム「引き継ぎまで決めたのですか」
アルス「ひきつぎ?」
アルスは。
一瞬。
聞き返す。
ライム「仕事を次の者へ渡すことです」
アルス「ああ!」
前世にもあった言葉。
この世界にも。
ちゃんと似た考えがある。
当然と言えば。
当然だった。
カイン「アルス」
アルス「はい?」
カイン「お前が昨日学んだことは、製鉄だけの話ではないぞ」
アルス「え?」
カイン「領地も同じだ」
カインは。
集まっている職人たちを見る。
カイン「一人の優秀な者に頼り切った仕事は、その者がいなくなれば止まる」
アルス「……はい」
カイン「だから人を育てる」
「やり方を残す」
「次の者へ伝える」
「そうして仕事は続いていく」
アルスは。
炉を見る。
昨日。
何人もの職人が。
火をつないだ。
あれと。
同じ。
アルス「僕がいなくても作れるようにする?」
カイン「それができれば、本物だろうな」
その言葉は。
アルスの胸へ。
強く残った。
自分にしかできない。
それは。
凄いことなのかもしれない。
けれど。
自分がいなければ。
何も残らない。
それでは。
本当に世界を変えたとは。
言えないのかもしれない。
◇◇◇
その夜。
アルスは。
いつもの手帳を開いた。
今日も。
北の村でもらった青い花が。
机の端に飾られている。
アルスは。
ゆっくりと。
今日学んだことを書いていった。
人が変わっても、できるだけ同じ仕事ができるようにする。
仕事を交代する時には、今の状態を次の人へ伝える。
長く続けるなら、働く時間だけでなく休む時間も考える。
そして。
最後に。
父の言葉を。
自分なりに書き直した。
『じぶんがいなくても つづけられるようにする』
アルスは。
その一文を。
しばらく見つめていた。
アルス「……本物か」
前世の知識を使う。
新しい道具を作る。
新しい鋼を作る。
それだけでは。
まだ足りない。
誰かへ伝える。
その誰かが。
さらに次の誰かへ伝える。
そうして。
自分がいない場所でも。
技術が。
仕事が。
人の暮らしを支え続ける。
それが。
本当の意味で。
この世界へ。
何かを残すということなのかもしれない。
◇◇◇
翌朝。
アルスが鍛冶場へ向かうと。
ゴルンが。
一枚の紙を持って待っていた。
アルス「おはようございます!」
ゴルン「おう」
アルス「それ、何ですか?」
ゴルン「昨日の作業を俺なりに書いた」
アルス「ゴルンさんが?」
ゴルン「悪いか」
アルス「違います! 見たいです!」
アルスは。
紙を受け取る。
そこには。
難しい文章ではなく。
職人なら理解できる簡単な言葉と。
いくつかの図が描かれていた。
火を入れる順番。
木炭を切り替える目安。
砂鉄を入れる時。
ふいごを回す基準。
交代する時に伝えること。
滓を抜く時の注意。
まだ。
粗い。
完成した手順書とは言えない。
けれど。
アルスの顔は。
どんどん明るくなっていった。
アルス「これ……残せますね」
ゴルン「ああ」
アルス「僕たちが忘れても」
ゴルン「紙が残ってりゃ思い出せる」
アルス「新しい人が来ても」
ゴルン「教える時に使える」
アルスは。
紙を大切そうに持つ。
アルス「もっと分かりやすくしましょう」
ゴルン「言うと思った」
アルス「絵も増やしたいです」
ゴルン「増やしすぎるな」
アルス「危ないところは目立つようにして」
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「まず一つずつだ」
アルス「……はい」
ゴルンが笑う。
アルスも。
笑った。
炉を作り。
風を整え。
砂鉄と木炭を量り。
熱を逃がさず。
傷んだところを直し。
滓を抜き。
そして。
人から人へ。
火をつなぐ。
製鉄に必要だったものは。
鉄と火だけではなかった。
そこには。
知識を残し。
仕事を伝え。
次の人間へつないでいく。
仕組みが必要だった。
そして。
アルスたちは。
まだ知らない。
この小さな鍛冶場で作られ始めた。
誰が担当しても。
同じ仕事を続けるための《作業手順》。
それが将来。
製鉄だけではなく。
鍛冶。
木工。
鉱山。
農具製造。
そして。
シュゲール伯爵領の工房全体へと。
少しずつ。
広がっていくことを。
だが。
それは。
まだ先の話。
今のアルスにとって。
次に確かめなければならないことは。
もっと目の前にあった。
昨日。
夕方まで続けることには成功した。
ならば。
さらに長く。
夜まで。
火をつなぐことはできるのか。
昼とは違う。
暗闇。
照明。
眠気。
気温。
そして。
夜間の安全。
《火を一日中絶やさない》。
たたら製鉄へ近づくための。
次の壁が。
アルスたちの前に。
静かに立ちはだかっていた。




