第104話 壊れたところだけ直せる炉
朝の鍛冶場。
アルスは、前回の製鉄実験で使った二層構造の炉の前にしゃがんでいた。
もちろん火は完全に消えており、炉そのものも十分に冷えている。それでもゴルンから勝手に触るなと言われているため、手を伸ばさず目だけで傷んだ部分を確認していた。
最も傷みが激しいのは、やはり送風口の周辺だった。
高温。
強い風。
燃えて動く木炭。
流れ落ちる滓。
いくつもの負担が重なり、内側の炉壁が少しずつ削られている。
外側に設けた断熱層は、まだ大きく傷んでいない。
だからこそ、アルスにはもったいなく思えた。
アルス「ここだけなんですよね……」
ゴルン「ああ」
アルス「外側はまだ使える」
ゴルン「ああ」
アルス「上の方も大丈夫」
ゴルン「ああ」
アルス「なのに、ここがもっと壊れたら炉を直さないといけない」
ゴルン「そうなるな」
アルスは腕を組んだ。
五歳児なので、腕を組んで難しい顔をしても迫力はない。
ゴルン「で?」
アルス「なんです?」
ゴルン「昨日から考えてるんだろ」
アルス「分かります?」
ゴルン「最近はな」
アルスは立ち上がると、作業台へ向かった。
そこには昨日描いた簡単な図が置かれている。
アルス「傷むところだけ、外せるようにしたいです」
ゴルン「炉壁をか?」
アルス「はい」
アルスが思い出したのは、これまで改良してきた農具だった。
最初の鍬は、刃と柄が一体に近い作りだった。
どちらかが壊れれば、修理に手間がかかる。
そこで刃と柄を分け、壊れた部分だけを交換できるようにした。
同じ考え方を。
炉にも使えないか。
アルス「送風口の周りだけ、別の部品にするんです」
ゴルン「部品……」
アルス「最初から炉と一緒に固めないで、後からはめるようにして」
「壊れたら、そこだけ取って新しいのに替える」
ゴルンはしばらく黙っていた。
そして。
ゴルン「簡単に言うなぁ」
アルス「難しい?」
ゴルン「難しい」
アルス「ですよね」
即答された。
だが。
アルスは落ち込まない。
アルス「どこが難しいですか?」
ゴルン「まず隙間だ」
ゴルンは炉壁を指差した。
ゴルン「別々に作ってはめ込むなら、どうしても継ぎ目ができる」
アルス「そこから熱が逃げる?」
ゴルン「それだけじゃねぇ。風が漏れる。滓が入り込む。熱で形が変われば、外れるかもしれん」
アルス「なるほど……」
交換できる。
その利点だけを見ていた。
しかし。
分割することで。
新しい弱点が生まれる。
アルス「じゃあ、交換できるだけじゃ駄目なんだ」
ゴルン「ああ」
アルス「ちゃんとはまって、風が漏れなくて、熱くなっても外れなくて、それでも壊れたら交換できる」
ゴルン「注文が増えたな」
アルス「必要だから仕方ないです」
ゴルン「そういうところは伯爵様に似てきたな」
アルス「お父様に?」
ゴルン「ああ。要求だけは増えていく」
後でカインに聞かれたら怒られるのではないか。
アルスはそう思ったが、黙っておいた。
◇◇◇
最初から実物大の炉を改造することはしなかった。
これまでと同じ。
まず小さく試す。
アルスとゴルンは、送風口周辺だけを模した小さな炉壁を作ることにした。
そこへ交換式の部材をはめ込む。
問題は。
その形だった。
アルス「四角?」
ゴルン「角から割れやすそうだな」
アルス「丸?」
ゴルン「作るのが面倒だ」
アルス「じゃあ少し丸い四角」
ゴルン「何だそれ」
そこへ。
木工職人バルトが顔を出した。
バルト「朝から何やってる?」
アルス「交換できる炉を作ってます」
バルト「また変なことを始めたな」
アルス「変じゃないです!」
事情を説明すると。
バルトは図を眺めた。
バルト「これ、真っすぐ差し込むだけじゃ抜けるんじゃないか?」
アルス「やっぱり?」
バルト「木工なら、少し奥を広くする」
バルトが紙へ線を引く。
入口側より。
奥側を。
わずかに広くする。
そうすれば。
部材が簡単には抜けなくなる。
アルス「ほぞみたいな感じ?」
バルト「近いな」
ゴルン「だが炉材は木ほどきっちり加工できんぞ」
バルト「だから完全にはめるんじゃなく、周りを粘土で埋める」
アルス「粘土を目地にする?」
バルト「目地?」
アルス「あ、隙間を埋めるところです」
バルト「ならそうだ」
アルスは図を見る。
交換用の部材を。
炉壁のくぼみへはめる。
その周囲を。
粘土で塞ぐ。
壊れた時は。
周囲の粘土を落とし。
部材だけ外す。
アルス「できそう」
ゴルン「小さく試してから言え」
アルス「はい」
◇◇◇
試作が始まった。
交換部分は。
火へ直接さらされる。
そのため。
断熱性より。
まず耐久性を優先した。
従来の内壁用炉材を使い。
少し厚めにする。
中央には。
送風管を通す穴。
形を整え。
乾燥させる。
しかし。
最初の試作品は。
乾燥の途中で。
割れた。
アルス「……」
ゴルン「記録」
アルス「はい」
アルスは黙って紙へ書く。
原因として考えられるのは。
厚すぎたこと。
穴の周囲で乾き方が違ったこと。
そして。
急いで乾かそうと。
少し暖かい場所へ置いたこと。
ゴルン「誰だ。早く乾かそうとした奴」
アルス「僕です」
ゴルン「知ってる」
アルス「次は待ちます」
ゴルン「そうしろ」
第二試作。
少し薄くする。
乾燥も。
焦らない。
今度は。
割れずに乾いた。
アルス「できた!」
ゴルン「まだだ」
アルス「分かってますよ」
最近。
この会話も増えた。
◇◇◇
小さな試験炉へ。
交換部材をはめ込む。
周囲を。
粘土で塞ぐ。
十分に乾かす。
そして。
火を入れた。
最初は。
問題ない。
風も。
大きく漏れていない。
アルス「いけそう?」
ゴルン「まだ見る」
時間が経つ。
送風を続ける。
交換部材の内側は。
強い熱へ晒される。
そして。
しばらくした時。
小さな変化が起きた。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「ここ見ろ」
交換部材と。
炉壁の境目。
そこに。
細い亀裂ができていた。
アルス「目地が割れた?」
ゴルン「ああ」
アルス「本体は?」
ゴルン「まだ大丈夫そうだ」
試験終了。
十分に冷ましてから。
確認する。
交換部材そのものは無事。
しかし。
周囲を塞いでいた粘土が。
ところどころ剥がれている。
アルス「部品と炉壁で、熱くなった時の動きが違う?」
ゴルン「かもしれん」
アルス「膨らみ方?」
ゴルン「そういうことだろうな」
アルスは。
前世の知識を探る。
熱膨張。
物は温めれば。
わずかに膨らむ。
しかし。
今。
正確に。
どれだけ膨らんだのかを測る方法はない。
アルス「ぴったり固めすぎた?」
ゴルン「その可能性はある」
アルス「少し動ける方がいい?」
ゴルン「だが隙間を作れば風が漏れる」
アルス「うーん……」
交換しやすさ。
密閉。
耐久性。
また。
複数の条件が。
ぶつかった。
◇◇◇
昼。
アルスは食事をしながらも。
ずっと考えていた。
パンを一口。
考える。
スープを一口。
考える。
そして。
エリザ「アルス」
アルス「……」
エリザ「アルス?」
アルス「はい!」
母エリザの声で。
ようやく我に返った。
エリザ「食事中くらい、炉のことを考えるのはやめなさい」
アルス「どうして炉のことだって分かったんです?」
エリザ「あなたがその顔をしている時は、大体鍛冶か魔法でしょう?」
アレックス「最近は鉄が多いよな」
エルゼ「アルス、ちゃんと食べないと大きくなれないわよ」
アルス「食べてます!」
エルゼ「さっきからスープ三口しか飲んでないわ」
アルス「……食べます」
兄と姉に見張られながら。
アルスは。
しっかり昼食を食べることになった。
◇◇◇
午後。
鍛冶場へ戻ったアルスは。
あるものを見て。
足を止めた。
ゴルンが。
鍛冶場の炉を修理している。
傷んだ部分へ。
新しい粘土を。
押し込んでいた。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「それ」
ゴルン「補修だ」
アルス「柔らかいまま埋めるんですか?」
ゴルン「そうだ」
アルス「……柔らかい」
ゴルン「何だよ」
アルス「交換部品の周りも」
「最初から固い粘土で完全に塞がなくても」
「少し柔らかいものを挟めばいい?」
ゴルンの手が止まる。
アルス「部品と炉壁が少し動いても」
「間にあるものが吸収してくれるかも」
ゴルン「……試してみるか」
今度は。
交換部材と炉壁の間を。
完全に一体化させない。
わずかな余裕を持たせ。
そこへ。
細かな砂を多めに混ぜた補修用粘土を詰める。
硬く焼き固める部分ではなく。
隙間を塞ぎ。
変化を受け止める部分。
アルス「ここも役割を分ける」
ゴルン「ああ」
内壁。
断熱層。
交換部材。
目地。
それぞれに。
違う役割を持たせる。
◇◇◇
第二回の加熱試験。
火を入れる。
送風する。
時間を置く。
前回。
亀裂が入った頃。
アルス「……まだ大丈夫」
ゴルン「もう少し続けるぞ」
さらに。
加熱。
送風。
そして。
停止。
冷却。
十分に冷えてから。
交換部材を見る。
アルス「割れてない!」
ゴルン「目地には少し亀裂がある」
アルス「でも前より小さい」
ゴルン「ああ」
さらに。
実際に。
交換できるか。
試す。
周囲の補修材を。
少しずつ落とす。
ゴルンが。
交換部材を掴み。
慎重に動かす。
ゴルン「……動くな」
アルス「外せる?」
ゴルン「待て」
少しずつ。
左右へ揺らす。
そして。
ゴトッ。
部材が。
外れた。
アルス「取れた!」
ゴルン「取れたな」
アルス「じゃあ交換できます!」
ゴルン「小さい試験じゃな」
アルス「……はい」
ゴルンに先回りされた。
◇◇◇
次に。
実物の炉へ。
交換式の送風口周辺部材を組み込む。
当然。
今まで以上に慎重に作る。
外側の断熱層は。
前回成功した構造。
内側は。
耐熱性を優先した炉壁。
そして。
最も傷みやすい送風口周辺だけ。
交換できるようにする。
アルスは。
完成した炉を見上げた。
アルス「なんか」
ゴルン「なんだ?」
アルス「どんどん複雑になってきましたね」
ゴルン「坊ちゃんが複雑にしたんだろ」
アルス「そうでした」
◇◇◇
そして。
実際の製鉄試験。
砂鉄。
木炭。
送風。
投入量。
できるだけ。
前回と同じ条件へ揃える。
新しい炉は。
問題なく熱を保った。
交換部材も。
途中で外れることはない。
送風も。
大きく漏れない。
最後まで。
操業を続けることができた。
出来上がった粗鋼も。
これまでと大きく変わらない。
良質鋼候補も。
きちんと取れた。
アルス「よかった……」
ゴルン「問題はここからだ」
炉を冷ます。
そして。
交換部材を確認する。
予想通り。
送風口に近い内側は。
少し削れていた。
アルス「傷んでる」
ゴルン「ああ」
アルス「でも炉本体は?」
ゴルン「大きな傷みはない」
周囲の目地を外す。
そして。
傷んだ部材だけを。
取り出す。
ゴトッ。
アルス「……取れた」
アルスは。
思わず笑った。
アルス「本当に取れた!」
ゴルン「ああ」
新しく作っておいた交換部材を。
はめる。
目地を埋め直す。
乾燥させれば。
再び使える。
炉全体を。
壊して。
作り直す必要はない。
アルス「修理できる炉だ」
ゴルン「そうだな」
◇◇◇
そこへ。
カインとライムがやって来た。
カイン「結果は?」
アルス「お父様!」
アルスは。
少し興奮しながら。
交換した部材を見せる。
アルス「ここだけ替えられました!」
カイン「炉を全部作り直さずに?」
アルス「はい!」
カインは。
新しい炉と。
取り外された部材を見比べる。
カイン「これは大きいな」
アルス「そうですか?」
答えたのは。
ライムだった。
ライム「アルス様。設備というものは、作る費用だけでなく、維持する費用も必要になります」
アルス「維持する費用……」
ライム「炉を毎回大きく修理しなければならないなら、そのたびに材料と人手が必要です」
アルス「でも壊れるところだけ替えれば」
ライム「修理の時間も、材料も減らせる可能性があります」
アルスは。
炉を見る。
今までは。
作ること。
そして。
効率よく使うこと。
そこを考えていた。
でも。
設備は。
作って終わりではない。
何度も。
使う。
傷む。
直す。
そして。
また使う。
アルス「維持することも考える……」
カイン「領地経営も同じだ」
アルス「道とか?」
カイン「ああ」
「道も橋も建物も」
「作った後の方が長い」
アルスは。
その言葉を。
しっかり覚えておこうと思った。
◇◇◇
その夜。
自室。
アルスは。
手帳へ今日のことを書く。
『こわれるところを さいしょからかんがえる』
そして。
『ぜんぶなおすより こわれたところだけなおす』
さらに。
ライムから聞いたこと。
『つくるおかねだけじゃなく つかいつづけるおかねもかんがえる』
最後に。
父の言葉。
『つくったあとのほうがながい』
アルス「作った後の方が長い……」
鍬も。
包丁も。
炉も。
道も。
橋も。
全部。
作った瞬間だけを見てはいけない。
何年も。
使われる。
なら。
壊れた時に。
どうするか。
そこまで。
最初から考える。
前世では。
当たり前のように。
修理。
交換。
保守。
そんな言葉があった。
しかし。
知っている言葉を。
この世界へ持ってくるだけでは意味がない。
この世界の材料で。
この世界の職人が。
本当に直せるものにする。
それが。
大切なのだ。
◇◇◇
数日後。
新しい炉を使った。
二度目の製鉄。
そして。
三度目。
交換部材は。
少しずつ傷む。
だが。
炉本体は。
以前より長く状態を保っていた。
木炭の使用量も。
二層構造にしてから。
以前より少ない傾向が続いている。
そして。
良質鋼も。
一定量。
取れる。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「そろそろ次を考えてもいいぞ」
アルス「本当ですか?」
ゴルン「ああ」
アルスの目が。
一気に輝いた。
ゴルン「ただし」
アルス「分かってます」
ゴルン「何が分かってる?」
アルス「いきなり大きくしない。一度にいっぱい変えない。一回成功しても完成って言わない」
ゴルン「……」
アルス「どうしました?」
ゴルン「教えることが減ってきた」
アルス「まだいっぱい教えてください!」
ゴルンは。
少しだけ笑う。
ゴルン「なら次だ」
アルス「はい!」
ゴルンは。
保存してある粗鋼を。
作業台へ置いた。
ゴルン「炉はだいぶ安定してきた」
アルス「はい」
ゴルン「風も」
「炭も」
「砂鉄の入れ方も」
「前より揃ってきた」
アルス「はい」
ゴルン「だったら」
ゴルンは。
粗鋼を軽く叩く。
ゴルン「今度は」
「火を入れてる時間だ」
アルス「時間?」
ゴルン「ああ」
「今まで俺たちは」
「同じくらいの時間で止めることを基準にしてきた」
「だが」
「長く続けたらどうなる?」
アルスは。
動きを止めた。
炉の高さ。
風。
木炭。
砂鉄の落とし方。
炉壁。
修理。
そこまで。
少しずつ。
条件を整えてきた。
なら。
次に変えるのは。
操業時間。
アルス「長く続けたら」
「もっと大きな鋼の塊ができる?」
ゴルン「かもしれん」
アルス「でも木炭も増える」
ゴルン「そうだ」
アルス「炉ももっと傷む」
ゴルン「そうだ」
アルス「途中で中の状態も変わるかもしれない」
ゴルン「そういうことだ」
アルスは。
炉を見る。
そして。
ゆっくり笑った。
アルス「やってみたいです」
ゴルン「だと思ったよ」
短時間の小さな実験から。
長く火を保ち続ける製鉄へ。
アルスたちは。
まだ知らない。
火を長く保つということが。
単純に操業時間を延ばすだけでは済まないことを。
砂鉄。
木炭。
送風。
炉壁。
人の交代。
そして。
夜を越えて。
火を絶やさず育て続けるということ。
その先にあるのは。
アルスの前世で。
《たたら》と呼ばれていた製鉄法へ続く。
次なる大きな壁だった。




