人生連鎖
その1
小杉は昨夜でボランティアを辞めた。目と耳が限界に達したからだ。
五年間続けた。月二回、電話で人生相談を受けるものだった。
担当の夜、誰もいない建物の鍵を開け、部屋に入る。盲導犬のハーネスを外し、マットを敷いて居場所を確保してやる。これから三時間、盲導犬にはリラックスタイムとなる。
パソコンの電源を入れ、ソフトを開く。すでに電話機は点滅している。
電話は全国から掛かってくる。深刻な相談、世間話、クレーム等々、内容は様々だ。明らかに作り話と思われるものでも、心の叫びと受け止め、耳を傾ける。
ボランティア体験は二度目だった。
大学を卒業して都内の小さな出版社に入社した。仕事は面白く、やがて部門の責任者になった。経営は楽でなかったことから、お決まりのゴタゴタが起きた。先頭に立って若手をまとめるうち、梯子を外されていた。三二歳の時だった。
副都心の雑居ビルの一室を借りて独立開業した。
世の中はバブルで浮かれていた。小杉は大儲けもしなければ、大損もしなかった。四人のスタッフを抱え、忙しい毎日が続いていた。
異変は四〇歳の初夏に起きた。ワープロの画面を見ていて、眉間に激痛が走った。眼科を受診し、難病であることが判明、失明宣告された。
その2
それでも、目は一〇年近く持った。予後不良の眼病なので、先々のことを考え、五〇を目前に転職に踏み切った。専門学校で鍼灸師の免許を取り、五二歳の春、埼玉県の自宅近くで開業した。
治療院は患者さんに恵まれた。スタッフを雇い、地域でも評判の治療院となっていた。
平穏な日々を東日本大震災の激震が襲った。
日夜流れてくる報道に居てもたってもいられず、災害ボランティアに参加した。そこで目にした被災者の姿は、過疎化が進む四国の僻地の人々と重なった。改めて向き合った故郷だった。
小杉は電車の座席に疲れ切った体を沈め、妻にメールしていた。
「四国に帰ろうか」
後継者問題などもあり、小杉が四国の治療院に専念するまでに四年間を要した。その頃には白杖歩行も危なっかしくなっていた。
小杉がUターンしたのを機に、勉強会の仲間たちが四国観光に訪れた。
プレゼントがあった。卓上音声時計だった。
「(目の症状が)進んでいるようですから」
心のこもった贈り物だった。
中に盲導犬ユーザーがいた。
「すごく危険な場所が多いみたいじゃないですか。絶対、盲導犬が必要ですよ」
彼は熱心に勧めてくれた。
仲間を駅まで送った。
長く切磋琢磨してきた仲間だった。特急の発車ベルが鳴る。こらえていた涙が小杉の頬を伝い始めた。
小杉は県の協会に盲導犬を申請した。一年後に盲導犬が貸与されることとなった。
その3
盲導犬ユーザーとなって、小杉の行動範囲は広がった。山間部への往診も積極的に出かけた。バイタリティを持て余している時に耳にしたのが、ある慈善団体による人生相談員の募集だった。一年近く研修を受け、晴れて受話器を握ったのだった。
あれから五年。自然光のもとでは何も見えなくなっていた。往診は減らした。
ボランティアは続けるも、パソコンの操作が負担になっていた。特にドロップダウンメニューは字が小さい。背景色があるらしく、白黒反転画面では真っ白に表示される。もう、お手上げだった。
相談記録については、小杉だけ例外的に、要点を記録した報告書で対応することも可能だった。しかし、相談員にとって致命的なハンディが明るみに出てきた。
心なしか、机の上の音声時計の声が小さくなった。
(電池の残量が少なくなってきたな)
と思いながら、何度も時計にタッチすることが多くなっていた。
三〇代後半から耳鳴りはあった。
風邪を引いても仕事を休むわけにいかず、無理をして出社した。激しくせき込んでいて、耳の中で音がした。耳鼻科を訪ねた。
「まだ、聞こえてるじゃないですか」
女医は取り合ってくれなかった。
年月の流れは視力だけでなく、聴力をも減退させていた。家族がいち早く気づき、関東に住む長男が集音器を送ってくれた。
難聴気味になってから
(聴き取りにくいのは、日本人のコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力が劣化しているのも原因だ)
と考えることにしていた。
最近、話すスピードが速くなっている。ニュース原稿などを読むアナウンサーはさすがに訓練されている。そのアナウンサーでもバラエティ的な番組になると、早口で何を言っているのか分からなくなる。これが一般人の場合、早口で小声で、もうツイート(つぶやき)のレベルだ。
(社会全体が希望をなくして病んでいるのだから、元気を出せと要求するのも酷か)
どうしようもない現実が、そこにあった。
その4
人生相談の最終日。小杉はそれでもまだ、決断しかねていた。
受話器を取ると、神奈川県に住む独居女性からだった。何回か相談を受けたことがあった。
五〇年ほど前に都内から越してきた。両親はすでに亡く、家は老朽化してガタガタと戸の建付けが悪くなっている。貯えはなく、この先、心配でならない——切々と訴えた。
次は若い女性からの電話だった。
「生きていくことに自信をなくした」
それだけは聴きとれた。詳しく訊ねようとすると、小声で早口に何か言った。何度か訊き直すうち、電話は突然切られた。
(これ以上は無理だ。迷惑はかけられない)
小杉は荷物を片付け始めた。
時間になったので、盲導犬にハーネスを付け、戸外に出た。暗闇の中に妻のクルマのライトが認められた。
その5
過疎化が進む地方都市とはいえ、イベントがあると活気づく。
当市でも定番の盆踊りのほか、冬には酒まつりが開催され、県内外から多くの来訪者がある。酒まつりは、この地にかつて十指に余る酒蔵があり、今日でも酒造りが盛んなことから、観光の目玉にしようと始められた。すでに四半世紀余りの歴史を重ねている。
小杉は酒まつりには何度か参加していた。今回は特別な思いがあった。
(これからまた、生きがいになることを見つけよう)
というものだった。
会場で声をかけてきた夫婦がいた。
となりの県に住む、東京からの移住者だった。長くパピーウオーカーをしていたせいで、盲導犬が目に止まったようだった。
夫婦には何かと面倒をみていただく。実に細やかな心配りだった。
東京の話題になった。
「どこにお住まいでしたか」
訊くと、なつかしい地名があがった。
(確か、あの女性が住んでいた場所も‥‥‥)
ステージは変わろうとも、鎖の輪が連綿と繋がっていることを、小杉は今更のように実感していた。




