第17話 誰も悪くない日
事故は、夜に起きた。
それは、誰かが判断を誤った結果ではない。
誰かが怠けたわけでも、規則を破ったわけでもなかった。
ただ、起きた。
◆
見回りの交代は、定刻通りだった。
水量の調整も、紙に書かれた基準に従っている。
応急補修を施した区画は、日中の点検で異常なしと報告されていた。
だから、誰も疑わなかった。
夜半、下流の別区画で、再び水が漏れた。
昼の補修で流れが変わり、負荷が移った場所だ。
そこは、点検の優先順位が低いと、紙に書かれていた。
◆
「気づいた時には、もう……」
報告してきた官吏は、声を震わせた。
「夜番が交代した直後でした。
懐中灯の光が、水面に反射して……」
言葉が、続かない。
被害は小さい。
数字で見れば、そう言える。
だが、人が倒れていた。
水路の縁で、
足を取られ、頭を打ったのだという。
◆
現場には、白い布がかけられていた。
アルトは、足を止める。
ヨハンが、そこにいた。
顔は、ひどく静かだった。
「……身内だ」
それだけ言った。
責める声は、なかった。
怒りも、涙も。
ただ、疲れ切った目で、
白い布を見つめている。
「紙の通りに、やったんです」
官吏が、絞り出すように言う。
「点検も、交代も、
全部……決まり通りで」
誰も、否定できなかった。
その言葉は、事実だったからだ。
◆
『規定遵守率、極めて高い』
ノウマの声が、淡々と告げる。
『判断の遅延、確認されず』
『手順逸脱、確認されず』
それが、
何よりも残酷な報告だった。
アルトは、目を閉じる。
思い出す。
雑草の刈り取り。
恒久的な補強。
点検役の固定。
どれも、
「今すぐ効かない」仕事だ。
だから、紙に書かれなかった。
だから、誰も口にしなかった。
◆
「……俺たちのせいか?」
ヨハンが、低い声で問う。
アルトは、答えられなかった。
誰のせいでもない。
だが、誰のせいでもある。
皆が、
正しいことだけをした。
皆が、
考えなくて済む方を選んだ。
「前と同じで、うまくいくと思った」
ヨハンは、そう言って、
ゆっくりと首を振った。
「思ったんだ。
もう、迷わなくていいって」
その言葉は、
刃物よりも鋭かった。
◆
夜明け前。
アルトは、一人で水路を歩く。
応急補修の土嚢。
白く乾いた土。
紙に書かれた基準。
どれも、間違っていない。
だが、それらは
世界を“止める”ための道具だった。
『責任主体、特定不能』
ノウマの結論。
「……そうだね」
特定できないから、
次も同じことが起きる。
誰も悪くない。
だから、誰も変えない。
◆
朝。
領主館に、重い空気が満ちる。
だが、怒号はない。
糾弾も、裁きもない。
あるのは、
正しくやった、という共有だけだ。
アルト・クロウは、
その輪の外に立っていた。
この日を、
彼は忘れない。
誰も悪くない日。
だからこそ、
最も壊れていた日を。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
あと数話で完結になります。
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