第12話 任せるという判断
変化は、静かに進んでいた。
誰かが号令をかけたわけでも、
新しい規則が掲示されたわけでもない。
それでも、人は自然と――
同じ方向を向き始める。
朝の領主館。
机の上に積まれる書類の量が、昨日より増えている。
「アルトさん、これもお願いします」
「次は、こちらを」
声の調子は丁寧だ。
だが、そこには迷いがない。
『判断依頼数、継続的に増加しています』
「減らす方向で考えてたんだけどな……」
『実態としては、逆行しています』
ノウマの指摘は淡々としている。
だが、言葉の内容だけがやけに重い。
◆
内容は、どれも小さな判断だ。
水路の補修範囲。
人手の割り振り。
種の配分量。
致命的ではない。
だが、外せば確実に悪化する。
だからこそ――
誰も失敗したくない。
「これは……」
僕は、差し出された書類を机に戻した。
「現場で判断できると思います」
若い官吏は、一瞬だけ言葉に詰まる。
「ですが……」
視線が泳ぐ。
「前回は、アルトさんが」
その言葉に、胸の奥がきしむ。
「前回も、決めたのはあなたたちです」
できるだけ穏やかに言う。
「僕は、整理しただけです」
官吏は、少し考えてから頷いた。
「……では」
そして、恐る恐る続ける。
「次も、同じ考え方で?」
それは質問の形をしていたが、
実際には――確認だった。
『依存の質が変化しています』
ノウマの声が低くなる。
「同じ状況なら、同じ判断になるかもしれません」
曖昧な答え。
だが、官吏の表情は明らかに安堵した。
それで十分なのだ。
前例があれば、人は迷わなくて済む。
◆
昼過ぎ、カイと話す。
「最近、皆が落ち着いてる」
どこか誇らしげな声だった。
「判断が早くなった」
「……迷わなくなった、とは思いませんか」
カイは、少しだけ考え込む。
「正直に言うと」
視線を上げる。
「前より、楽だ」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
楽になる、というのは――
背負うものが減ったという意味でもある。
『依存兆候、継続的に上昇』
「カイ」
「うん」
「ここでは、迷っている間に
人が死ぬこともあります」
彼は、先にそう言った。
まるで、
僕が言おうとした言葉を、
遮るように。
「だから、即断できる前例があるのは、助かる」
それは、間違っていない。
だが――
「……判断したい気持ちと、
判断したくない気持ちが、同時にある」
カイは、ぽつりと言った。
「それが、一番怖い」
その言葉に、返す言葉が見つからなかった。
◆
夕方、村の広場を通りかかる。
数人の農民が集まり、声を交わしている。
「水路の件だが」
聞き覚えのある声。
「前は、アルトさんがこうした」
ヨハンだった。
畑で会った、あの農夫だ。
「詰まりを全部直すんじゃなくて、
まず流れを確保した」
周囲が、静かに頷く。
「そうだったな」
「それで、助かった」
それは賛同ではない。
確認だ。
『前例参照行動を検出』
ノウマの声。
ヨハンは、悪意なく続ける。
「だから今回も、
同じでいいんじゃないか」
誰も反論しない。
なぜなら――
一度、救われているからだ。
ここで声をかければ、止められる。
まだ戻れる。
そう分かっていた。
だが同時に、
――もう、一度始まったものは、
簡単には終わらないとも、理解していた。
僕は、声をかけなかった。
◆
夜。
机に向かい、白紙を前にする。
ここに、簡単な指針を書けば――
皆は安心する。
迷わずに済む。
失敗を減らせる。
だが、それは――
答えを配る行為だ。
「……任せる、か」
『委譲は、有効な管理手法です』
ノウマが言う。
「でも、責任は消えない」
『はい』
一拍置いて、続く。
『委譲しても、
最終的な責任は、あなたに残ります』
重い。
あまりにも、重い。
アルト・クロウは、ペンを握り、
そして――置いた。
まだ、早い。
ここで仕組みにしてしまえば、
人は“考えなくてもいい理由”を得てしまう。
だが、仕組みにしなければ、
混乱は続く。
その二択の間で、
彼は立ち尽くしていた。
窓の外では、夜風が畑を撫でている。
静かで、穏やかだ。
――だからこそ。
この静けさの裏で、
任せるという判断が、
少しずつ、人から思考を削り取っていることを、
まだ誰も、はっきりとは自覚していなかった。
ただ一つ確かなのは、
この土地が、
もう後戻りできない段階に近づいているという事実だけだった。
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