第10話 聞くことから始める
領主館の朝は、静かではなかった。
日の出とほぼ同時に、人の出入りが始まる。
書類を抱えた官吏、畑から直行してきた農民、顔色の悪い商人。
誰もが、急いでいた。
――判断を、待っている。
『要求件数、想定を上回っています』
「だろうね……」
ノウマの声に、小さく息を吐く。
学園では、問いを投げる側だった。
だが、ここでは違う。
問いは、こちらへ押し寄せてくる。
◆
「アルトさん、こちらを」
若い官吏が帳簿を差し出してきた。
「今月の穀物配分です。
干ばつの影響で、例年より二割減っています」
「対応案は?」
「はい」
即答だった。
「備蓄を前倒しで放出し、
来月の税を一部前借りします」
数字は整っている。
合理的で、無駄がない。
だが――
「前借りした後は?」
官吏は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……来月の収穫が回復すれば」
「“回復すれば”、だね」
責めるつもりはない。
ただ、確認する。
「それが外れたら?」
官吏は視線を逸らした。
『思考が停止しています』
ノウマが静かに告げる。
だが、責める気にはなれなかった。
彼はただ、
正しい手順を探しているだけだ。
◆
午前中は、ひたすら話を聞いた。
農民の不満。
職人の愚痴。
商人の懸念。
共通しているのは、一つだけ。
「どうすればいい?」
その問い。
答えを出せば、楽になる。
彼らも、僕も。
だが――
『即答は、依存を強化します』
「分かってる」
だから、こう返すしかなかった。
「……状況を、もう少し教えてください」
最初は、不満そうな顔をされた。
時間がかかるからだ。
それでも、話は続いた。
畑の水路の詰まり。
去年変えた種の問題。
夜盗の増加。
断片的だが、
現場にしか見えない情報が、少しずつ集まっていく。
◆
昼過ぎ、カイが執務室に顔を出した。
「どうだい」
疲れた顔だが、目は真剣だ。
「正直に言います」
僕は答える。
「まだ、何も分かりません」
カイは、少しだけ笑った。
「だろうね」
「……怒らないんですか」
「昨日までの僕なら、怒ってた」
彼は椅子に腰を下ろす。
「でも、今は違う」
机の上の書類を見ながら言った。
「君が来る前、
ここには“正解らしいもの”が山ほどあった」
それらは、すべて失敗した。
「だから今は、
分からないと言われた方が、信用できる」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
だが同時に――
重くもなった。
分からない、と言い続けるには、
耐える力が必要だ。
◆
夕方、村を歩く。
畑の端で、年配の農夫が鍬を止めた。
「お前さんが、領主館の……」
「アルトです」
「そうか」
彼は、土を見つめたまま言う。
「難しいことは分からん。
だがな」
一拍置いて続ける。
「考えなくなった時が、一番怖い」
その言葉は、
学園で聞いた忠告と、同じ重さを持っていた。
『類似発言を検出』
「偶然じゃないね」
人が違っても、
行き着く場所は同じらしい。
◆
夜。
机に向かい、白紙を広げる。
計画も、図も、まだ描かない。
「……今日は、答えを出さなかった」
『はい』
「正しかった?」
『評価不能です』
即答ではなかった。
『結果が、まだ存在しません』
それは、
学園では聞かなかった返答だ。
ここでは、
“今すぐの正解”よりも、
後から効いてくる判断の方が重い。
アルト・クロウは、ペンを置く。
考えることを、
他人から奪わないために。
そして――
自分自身が、考えることを放棄しないために。
この土地での時間は、
答えを急がないという選択そのものだった。
だが、その選択が、
いつか誰かの命を左右することになると、
このときの彼は、まだ知らない。
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