倒れるのは仕方ない
やっぱり魔法使いシュルベルの話はどこにもない。この国の建国の歴史からきれいに消えている。本当にいたんだろうか。そして本当に呪いを抑えられたんだろうか。
私と同じ力があったとするならば、ライアス王国の書物を調べてみた方がいいのかもしれない。女神ティアに関する書物を漁った方が、魔法使いシュルベルについても分かるのではないだろうか。
そもそも私の前にも聖女はいた。聖女は必ず一人だけで、次の聖女がいつどこで生まれるかは誰にもわからない、というのがライアス王国での聖女伝説だ。
けれど、どの代の王にも聖女が仕えた記録がある。最初の聖女は誰だったんだろう。そこになにか魔法使いシュルベルに関する手がかりがあるかもしれない。
家族を迎えに行くついでにライアス王国の王宮の蔵書室に忍び込めればいいのに、と考えてから無茶はやめようと思った。女神ティアに関する書物なら教会にも置かれているかもしれない。それを読むくらいにしよう。お金に目が眩んで、死んでしまっては元も子もない。
本を閉じて窓の外に目を向ける。南側を向いているこの窓からはよく光が入ってくる。王宮にきてからまだ三日しか経っていないにもかかわらず、私はこの王宮に自分が親しみを感じ始めていることをわかっていた。安心できる。
それはニールのおかげかもしれないし、王太子殿下のおかげかもしれなかった。
にわかに廊下が騒がしくなる。なんだ、怖い、と思いながらベッドの下に隠れた。ベッドの下は綺麗に掃除されていて、ニールが優秀であることがこんなことからもわかってしまった。
なにかあってもここなら少しは隠れることができるだろう。ベッドの下でじっとしているとバタバタと廊下を誰かが走ってくる音が聞こえてくる。怖くなって体を縮こませると、ノックもなしに自室の扉が開かれた。
「フューイ」
聞こえてきたのは王太子殿下の声だ。なんだ、と思いながらベッドの下から這いずり出ると、王太子殿下は走ってやってきたのか息が上がっていた。一体どこから走ってきたのだろう。
「そんなところにいたのか」
「はい」
王太子殿下は驚いた顔をしたけれど、その顔をすぐにやめて私の腕を引っ張って立たせてくれる。そしてドレスについていた埃も払ってくれた。
「フューイ、すぐに来てくれ」
「どうしたのでしょう」
「東の森にサーヴィーが出た。騎士団が派遣されたが、重症だ。お前の力が必要なんだ」
そう言って王太子殿下が私のことを引っ張りながら走り出す。私も一緒になって走るけれど、サーヴィーってなに?という疑問が頭の中を埋め尽くす。おそらくブラクニのような魔物だろう。
王太子殿下が私のことを見て、それから前を見る。
「悪いな」
そう言った途端、王太子殿下が私のことを腹から抱え上げた。麦袋を担ぎ上げる時、こういう担ぎ方をするな、と思っていると、王太子殿下の走る速度が上がった。私に合わせてだいぶゆっくり走っていてくれたらしい。
自分で走る時よりもだいぶ速い。その速度に驚きながらも王宮を出て、近くの駐屯地に迷いなく入っていく。駐屯地は外側に向けて尖った木が張り巡らされていて、普通に怖い。当たったら死んじゃう。
「怪我人を集めてくれ」
王太子殿下が私のことをおろしながらそう言う。私の近くに座っている兵を見てギョッとしてしまう。肩から腹にかけてざっくりと切られている。何で切られたんだろう、と思っているとその隣の兵士も足を大きく切られていた。
私のことをなんだこいつ、と見る余裕もなさそうで、放っておけばおそらく死んでしまうだろう。王太子殿下の声で集まってきた負傷者は十人を超えていた。
みんな放っておけば死んでしまうくらいの重症だ。血の匂いが濃くて、思わず鼻を覆ってしまいそうになる。
「これだけか」
「軽傷者はもっといますが、重症者をお願いしたいのです」
王太子殿下の言葉に、おそらく一番偉いのだろう兵士が答える。その兵士も顔に大きな怪我を作っている。その怪我も治した方がいいのではないかと思ったけれど、その兵士は重症者たちに加わらない。
「わかった、フューイ、頼む」
王太子殿下にそう言われてから木の棒を持って丸い円を地面に描く。自分がしなければならないことはわかるけれど、私が治療してしまったら噂になるのではないだろうか、と一抹の不安が胸をよぎる。
それでも治療をしないという選択肢はないだろう。ここで知りません、とできるほど冷たくはない。
「治療費は」
「いくら欲しい」
「50サルー」
「高いな、王陛下が出してくださるだろう」
「必ず払ってくださいね。円から重症者以外は出てください」
私がそう声をかけると重症者に付き添っていた兵士たちが、訝しげな顔をしながら円の外に出る。この地面に描いた円は直接的には関係ない。でも私が魔力を放出する目安になる。
では、と地面に両手をつく。一度もしたことがない力の使い方だ。でも感覚的にできると言う感覚はある。私が地面に両手をつくと、地面が淡く光り始める。なんだ、なんだ、と軽傷の兵士たちが円の周りに集まってくる。円から光が出ないように調整して、円の中にいる重症者の傷を確認する。スルスルと治っていっている者もいるけれど、深い傷を負った者はまだ息が荒い。そこで一旦力を止める。
「円から出られる人は出てください」
そう言うと大部分の兵士が目を瞬かせた後。自力で立ち上がって円から出る。傷を負っていた部分を何度も確認しているのが見ていてわかった。自力で歩けないのは後三人だ。
「個々に治療しますね」
そう言って近寄ると、一番最初に目に入った肩から腹にかけて切られている兵士の傷がまだ治っていなかった。その傷に手を当てると、スルスルと傷が引いていく。いつものことながら自分でもすごいと思う。そうしていると右手が痺れてきた。魔力切れの合図だ。
「後二人」
その二人は足に怪我を負っていて歩けないらしい。個々に力を当てると、歩けるまでに回復したようで、何度もお礼を言われる。
「王太子殿下、これは」
「助かってよかったな」
「神様だ」
「神様が来てくださったんだ」
「王太子殿下が神様を連れて来てくださった」
そう言って治った兵士たちが一斉に頭を下げ始める。それに釣られるように軽傷の兵士たちも頭を下げ始めた。私はというと、最後の二人に魔力を使ったことで魔力が切れたらしい。
右手の痺れはもうない代わりに、眠たくて仕方がない。神様じゃないんだけど、と言いたくて右手を振ると、神様!と私の前に人が集まってくる。
ああ、もう無理だ。そう思った瞬間、私の体は崩れ落ちた。久しぶりに魔力切れまで魔力を使った。今日はよく眠れるだろう。
王太子殿下が私の名前を呼ぶ声がずっと聞こえていた気がした。




