婚約破棄の経緯は
「王太子殿下」
「驚いたな。マントの下はそれか」
その言葉の割にあまり驚いた風には見えない。大体の想像がついていたのかもしれない。茶色の髪に金色の瞳はライアスでは珍しくもない。アルルにも茶色の髪の人間はたくさんいた。
「そうでございます」
「マントはなぜかぶっている」
「砂埃が口に入りませんし」
そこまで言ってモゴモゴと濁す。ライアス王国で国外追放の刑になったので、人にあんまり顔を見られたくないとは言い難い。
「王太子殿下、それよりもなぜこちらへ?」
「お前の名前を聞いていなかっただろう」
「なるほど」
部屋に入ってきた王太子殿下はテーブルの上を見ると、扉の外に顔を出して使用人をよんだ。
「片付けてくれ」
王太子殿下がそう言うと、使用人達がワゴンをついて入ってくる。手際よくお皿を片付けて出ていく使用人たちの有能さに感心していると、別の使用人が入ってきてテーブルにお茶が置かれた。
「ご苦労」
椅子に座った王太子殿下の向かいに座る。王太子殿下がお茶をカップに注いでくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言ってカップを持つ。いい匂いが香ってくる。王太子殿下がカップをもつ所作が滑らかで、さすが王族だと思った。
「それで名前は」
「フューイと申します」
「苗字はないのか」
「ありません。ただのフューイでございます」
ライアス王国では苗字を持てるのは貴族だけだ。私は平民だったから苗字はない。答えてから紅茶を飲む。まだ熱い。
「どこからきた」
「ライアス王国からきました」
「なぜだ」
その質問にどこまで話そうか悩む。王太子殿下は真剣な顔をして私の方を見ている。これは尋問に近い。王太子殿下は私の力を必要としている。でも危ない人物を近くに置くわけにはいかない。だからお前の身上を洗いざらいしゃべれと言っている。
「3ヶ月前まで、私はライアス王国の王太子殿下の婚約者でした。婚約破棄されてここに」
その言葉に王太子殿下が眉を寄せた。婚約破棄されると言うことは大きなことを起こしたのではと思われているのだろう。その顔を見て、ため息をついた。確かに私にも悪いところはあったけれど、やりすぎたとは思っていない。
「なぜ国外追放に?」
まだありありと思い出すことができる。婚約破棄されたあの日、私は国外追放になった。
「聖女フューイ!あなたとの婚約を破棄する!」
人を指さしてはいけません、と幼い頃に習わなかったのだろうかと思うくらいはっきりと指さされて私はそう思った。待ちに待っていたその言葉にドレスの裾を摘んで膝を曲げた。
「謹んでお受けいたします」
静かな声でそう答えた私にライアス王国王太子殿下、シュヴァリ・ルストヒル王太子殿下は傷ついたような顔をした。婚約したばかりの頃、私のことを気遣ってくれたシュヴァリ王太子殿下はもういない。
この一年、私が力を使わないことに嘆き、怒り、苛立っていた彼はすっかり様相が違って見えた。眼窩は落ち窪んでいて、どう見ても健康そうには見えない。彼はどう考えても政治に向いていなかった。心が弱すぎる。
そのシュヴァリ王太子殿下から視線を外して、私を見てひそひそと会話する貴族たちに視線を走らせる。明らかに喜んでいるものが多い。よかったね、大嫌いな私が婚約破棄されて。
「申開きもしないのか!」
声をあらげるシュヴァリ王太子殿下に顔色は変えずに頭だけ下げる。何一つ言い訳なんてない。私が力を使わなくなったことは事実だし、力が使えないと嘘をついたことも事実だ。
でもシュヴァリ王太子殿下は私が力を使えないと嘘をついていたことを知らない。ただ、私が力を使えなくなったと思っている。
「申開くことなどございません」
「貴方は聖女の職務を放棄した」
聖女の職務とはちゃんちゃらおかしい。聖女の職務といえば聞こえはいいけれど、ただの無償労働だ。しかも貴族たちの訴えを聞いて言われたことをするだけの。
やれ太ももが攣った、肩が痛い気がする、うちの子が走っていて転んで怪我をした、顔に吹き出物ができた、背中のイボを取ってくれ、貴族達が私を訪ねてくるたびにうんざりした。それでも一年は我慢した。
貴族達にもと平民のお前を使ってやってるだけ感謝しろ、と言われたこともある。何より許せなかったのは何ももらえなかったことだ。聖女だから、何もいらないだろう?と貴族の一人に言われた時は殴ってやろうかと思った。
それでも一年間我慢したのは、王宮に住まわせてもらい、食事にも睡眠にも事欠かなかったからだ。
その生活は一年で我慢の限界がきた。力が使えなくなってしまったのです、と涙ながらに言う私にシュヴァリ王太子殿下は初めのうちは寄り添ってくれた。ゆっくり休めばまた力を使えるようになるよ、と励ましてくれた。私が心の中で舌を出しているとも知らずに。
バカにしていた私の力が使えなくなって、ライアス王国の貴族達は王家に不満をぶつけた。聖女とは名ばかり、力が使えないのなら聖女でもない。貴族達の不満は私の婚約者であったシュヴァリ王太子殿下にぶつけられた。
婚約者の管理もできないのかと言われ、聖女の職務放棄を許していると糾弾された。私に強く言ってみても私は力が使えなくなってしまってと嘆くばかり。王陛下と王妃陛下からも貴族達の不満をそのままにしておくなと叱られ、シュヴァリ王太子殿下はすっかり疲れ切ってしまった。それも今日で終わりだ。
「言葉もありません」
「そして国内を混乱を陥れた」
それだけは違うと言いたくなった。混乱に陥ったのは国内ではない。国内の貴族だけだ。私の力を自由に使えなくなって、不満を抱えたのは貴族だけだ。だって私の力は国民には使わせてもらえなかったのだから。
馬車から落ちて怪我をした子どもよりも、公爵家の嫡男のイボを治せと言われた時は呆れてしまった。馬車から落ちた子どもを優先した時は、貴族に対する敬意がないと詰られた。
不満を抱えた貴族に困りきった王太子殿下は私に力を使うように何度も言ってきた。その度に私は涙を流しながら力が戻ればすぐにでも使いますのに、と言った。大嘘だ。
「その責を問い、貴方を国外追放とする」
シュヴァリ王太子殿下がそう静かに言い放つ。そこまでとは思っていなかった。驚いているとその驚いている表情に満足したのか貴族たちの笑みが深くなる。
この国に未練はないが、お母さんと弟をどうしよう、と考えてしまう。とりあえずここから辞して、すぐにどこかの国に旅立つ準備とお母さんと弟のテスの生活を整える手筈を整えなければならない。
「謹んでお受けいたします」
そう言って膝を曲げる。国外追放になっても自分の力があればなんとか生きていけるだろう。
そこまで思い出して、ずっと黙っていたことをバツが悪く思った。王太子殿下を見ると、王太子殿下は何も言わずに紅茶を飲んでいる。私の意識が現実に戻ってきたことに気づいたらしい。
「話は整理できたか?」
「はい、国外追放は聖女の職務を放棄したからです」
「職務放棄?お前が?」
意外そうにする王太子殿下にそんなに仕事熱心に見えていたのかとこちらが驚いてしまう。やっぱり真面目さは隠しようがないのかもしれない。そう思ってから笑ってしまう。何が真面目さだ。私はライアス王国の国民を好きなだけ見捨ててきた。
「聖女の仕事を放棄しました。そのことを糾弾されて国外追放の刑になりました」
「女性の怪我を見捨てなかったお前がか」
「貴族のどうでもいい怪我を治すのは嫌でした。治療費ももらえなかったですし」
そう言ってカップに口をつける。治療費をもらえなかったことは私の生活に影響はしなかったけれど、自分が王宮に行けば家族に楽をさせてあげられると思っていたから、裏切られたような気持ちになった。
シュヴァリ王太子殿下にいただいた装飾品を売り払ってどうにかしていたけれど、それもだんだんもらえなくなり、そのうち自分のドレスを売り払うようになった。一着売ればかなりの額になった。
「どうでもいい怪我とは?」
「背中のイボや転んで作った擦り傷、顔の吹き出物、肩の痛みとかです」
「…」
絶句した王太子殿下を見て思わず笑ってしまう。あの場にいる時は私がおかしいのかと疑ったこともあったけれど、やっぱり私はおかしくない。
「くだらないと思いませんか。それで毎日呼び出されました」
「その癒しの力をそんなことに使うのか。大丈夫か、かの国は」
「さあ、わかりません。それで嫌になって力を使えなくなったと嘘をつきました」
「それで国外追放か」
「そうです」
「重ね重ね大丈夫か、かの国は」
頭に手をやって呆れたような顔をする王太子殿下に、私も頷いて見せた。ライアス王国では私の力が国民に使われることは滅多になかった。国民の中には私のことを恨んでいる人間もいるかもしれない。
「治療費は決めた通りに払おう。それ以外に要求はあるか」
「治療費は王太子殿下以外を治療するときもいただきます」
「女性からは取っていなかったが」
そう言われて口をモゴモゴとさせてしまう。女性からお金はもらえなかった。お金が一番大事だ。それは変わっていないのに、どうしてか平民からはお金を取る気になれない。
ふとその時気づいた。ああ、もう私は自分と同じ平民を見捨てたくはないのだ。
「平民からは取りません」
「あくまで貴族と王族からだけか。いいだろう。好きなだけ取るといい」
「ありがとうございます」
そう言って王太子殿下は鷹揚に頷く。
「もう一つお願いがあります」
「なんだ」
「私の母と弟がライアスにまだ残っております。自分の生活が落ち着いたら迎えにいきたいのです。その時までどうか私がアルルにいて力を使えることはどうかご内密に」
王太子殿下が顎に手を添えて考えるようなそぶりをする。私がアルルにいて力を使えることがライアスに知られてしまえば、嘘をついていたのかとなるだろう。
私を糾弾する分には構わない。アルルにきたら急に力が戻ったのです!とかなんとか言って逃げればいい。だけれどお母さんと弟を人質に取られてしまったらまずい。
今度こそ本当にライアスで一生無償労働かもしれない。
私が力を使えなくなったと嘘をついた時、家族が無事でいられたのは、シュヴァリ王太子殿下が私の嘘を信じたからだ。断罪されるのも私だけで済んだ。
今度は無事でいられるかどうかわからない。
「わかった。しかしそうなるとお前は妾にしようとして連れてこられたことになるぞ」
「それは」
普通に嫌だな、と思ってしまった。妾になる気なんてさらさらない。私が嫌そうな顔をしたのを見て、王太子殿下が笑う。
「そんなに嫌か」
「嫌でございます」
「まあ、数ヶ月は俺の呪いを診る医師として連れてきたことにできるだろう」
「ありがとうございます」
からかったな、と思いながら頭を下げる。すっかりカップの紅茶は飲み干してしまった。王太子殿下は私のカップが空になったのを見ても新しい紅茶を注ごうとはしなかった。これで話は終わりだということだろう。
「茶が冷めてしまったな。新しいのをもらおう」
「え」
「今度は俺の番だろう」
そう言って王太子殿下が扉を開けて廊下に出る。使用人がすぐに入ってきて、紅茶のポットを持って行った。確かに次は王太子殿下の番だろう。そう思って目頭をもんだ。




