好奇心は猫をも
「ギリウス」
王太子殿下がまだ穏やかな声でギリウス王子を呼ぶ。エルム様が私の方を見て頷いてくれる。頷いている場合じゃない。お母さんとテスが殺されるのも嫌だけれど、王太子殿下が死ぬのも困る。
王太子殿下が死んだ後、ギリウス王子が私たちのことを助けてくれる保証なんてない。
「飲め」
ギリウス王子がそう言うと、家臣の一人が何かが入った杯を持ってきた。それを王太子殿下の口元に当てようとする。
「兄上に持たせろ。自分で飲んでもらわなければ」
そう言った時、初めてギリウス王子の顔に笑みが浮かんだ。それは人を馬鹿にしたような笑みで、でもなぜか暗い影があった。
「こいつらを助けて欲しければ飲め」
腕を解放された王太子殿下が杯を持つ。王太子殿下がこちらを見て、そして頷いた。まさか、と思った瞬間に王太子殿下が杯を煽る。それを見て、ギリウス王子の意識がテスの首筋に突きつけている剣から逸れた。今しかない。
光もれを起こす、ということは、わざと光を強められるということでもある。思い切り力を込めて雑に光を放出すると、あたり一面が白く染まった。
私を捕えていた家臣が目をやられてぐあっとか言ったのが聞こえた。捕えていた手が緩んだ隙に、拘束から離れて王太子殿下に駆け寄る。雑にそこで王太子殿下に力を当てて、二度目の光が放たれる。杯はまだ王太子殿下の手にあった。
咄嗟にそれを口に含んで、ギリウス王子に近づく。予想通り、目を手で覆っている。薄暗い民家の中でいきなり眩い光が現れたらどうすることもできない。口に含んだそれを流し込んでやろうとギリウス王子の口に口付けた。
鼻を摘んでやると呼吸ができなくなったのか口を開ける。なんとも色気のない口付けで、そのままギリウス王子が飲み込むまで口をつけたままにしておいてやる。ごくりと嚥下する音が聞こえてきて、やっと口を離した。
「何を」
「苦しんで死ね」
そう言った瞬間、私に剣先が向いたのがわかった。蹴り飛ばしておくべきだった、と思った時キイン、という音がしてギリウス王子の剣が飛んでいった。それに安心して力を抜くと、王太子殿下が体を支えてくれる。
慌ててお母さんとテスを見ると、二人ともあまりにも眩しかったのか目を閉じている。二人ごと抱きしめると、二人はそろそろと目を開けてくれた。
「フューイ、フューイ怪我は」
お母さんがそう言って体を動かそうとする。王太子殿下が縄を解いてくれて、やっとお母さんとテスが動けるようになる。
「大丈夫。それよりテス、怪我を」
テスの首筋に力を当てると、怪我はするすると消えてなくなった。テスが、お姉ちゃん、と小さい声で呼ぶのが聞こえて、思わず抱きしめる。
「よかった」
心からでた言葉だった。お母さんもテスも生きている。本当にホッとして力が抜ける。力が抜けてから横を見ると、ギリウス王子が泡を吹いていた。ゴボッゴボッと唾液が喉に詰まっているような音がする。それを見ていると、王太子殿下がギリウス王子に駆け寄った。
「治してくれ」
そう言って王太子殿下が私を見る。その表情は今までに見たこともないくらい必死に見えた。私は思わず眉間に皺を寄せてしまう。こんなやつを生かしておいていいとは思えない。私のお母さんとテスを人質に取ったやつだ。当然の報いだ。
「お断りします。テスの怪我を見たはずです」
「死んではない」
「だからなんですか。助ける利が私にありません」
王太子殿下が私のことを見る。私も王太子殿下をまっすぐに見返した。
「俺の弟だ。頼む」
「頼まれても」
「フューイ、治してあげたら」
「お母さん」
横から聞こえた声に呆れた声を出してしまう。殺されるかもしれなかったのに、お母さんは人が良すぎる。無理だよ、と首を振って見せると、お母さんはあろうことか跪いてギリウス王子の手を両手で握った。
「悪い子じゃないのよ。お母さんに何度か寒くないか聞いてくれたの」
「良い子でもないよ」
「姉ちゃん、治してあげなよ」
テスはそう言って王太子殿下の隣に跪いた。王太子殿下の顔を見てから私の顔を見てくる。そんなテスに私はまた呆れた声を出してしまう。
「テス、テスの首に怪我させたんだよ」
「でも、俺も姉ちゃんがいなくなったら悲しいからさ。やっぱり兄弟は生きてた方がいいよ」
テスの言葉に王太子殿下が大きく頷く。ギリウス王子の息がヒューヒューとなっているのが聞こえる。早く助けなければ手遅れになるだろう。
「頼む」
王太子殿下の言葉に、嫌々ながらギリウス王子のそばに跪いた。手を胸に当てると光が盛大に漏れる。その光を見て、お母さんが咎めるようにフューイ、と名前を呼んでくる。
「わかったよ」
真面目にやろうと思って手に力を集中させる。そうすると漏れていた光が小さくなり、ギリウス王子の呼吸音が正常に戻ってくる。ゴホッと最後に大きな咳をして、ギリウス王子は静かになった。
「治ったのか」
「多分」
恐る恐るというふうに王太子殿下がギリウス王子の胸元に耳を当てる。それで心音が聞こえたのだろう。ホッとしたように離れた。
「礼を言う」
「お礼はお金で」
「そうだな」
王太子殿下が私を見て笑う。それに心の中で舌を出しておいた。
「姉ちゃん、姉ちゃんは大丈夫なの?相変わらず毒効かないの?」
テスがそう言ってきて、王太子殿下とエルム様が私のことを見る。言うの忘れてた。
「毒が効きません。女神ティアの加護です。どうぞご内密に」
毒が効かないからと言ってなんでもかんでも飲まされては困る。私がそう言うと王太子殿下とエルム様が顔を見合わせる。王太子殿下が口を開いた。
「毒が効かないのはどうやってわかったんだ」
「傷んだものを食べても全くお腹を壊さなくなりました。そこから好奇心がたたって、いろんなものを舐めてみましたが効きません」
「お前は」
王太子殿下が呆れたような声を出す。どこまでならいけるのだろうと思っていろいろな薬品を舐めてみたことを思い出す。苦いものや辛いものもあったけれど、どれも私に害をなすことはなかった。
「好奇心は猫をも殺すぞ」
「でも死んでいないので」
「..気をつけろよ」
王太子殿下の言葉にとりあえず頷いておく。王太子殿下がギリウス王子を担ぎ上げる。寝台に寝かせるつもりなのだろう。私も立ち上がるとお母さんとテスも立ち上がる。ギリウス王子の側近たちはエルム様がひとまとめに縛ってしまった。
「テス、首の怪我は」
「大丈夫だよ」
「お母さん、体は」
「大丈夫、あの子は本当に悪い子じゃないよ。ごはんもしっかりくれたんだよ」
テスがその言葉に何度も頷く。その様子を見て寝台に転がされるギリウス王子をちらりと見る。顔は青白く、意識を完全に失っている。私が治すまで相当苦しんだだろう。
お母さんに寒くないか何度も尋ね、ご飯を二人にちゃんと与えていた。真意はわからない。彼が善人なのか悪人なのかわからない。
ため息をついて寝台のそばに近寄る。もう少し力を当てておこう、とそっと胸に手を当てるとほわりと光が広がった。
「感謝する」
「感情的になりすぎました」
王太子殿下のお礼にそう答えると王太子殿下が柔らかく笑った。兄としての笑みに見えた。




