過去の清算
朝食をとってから仮眠をとった。シュヴァリ王太子殿下が手記を取り寄せられないかと聞いてくれている間は身動きができない。
ふと目を覚ますと部屋の中に誰かがいる気配がして身が固くなる。どうしよう、誰だろう。起きていることを悟られると殺されるかもしれない。そう思って眠ったふりを続けていると、寝台の片側が深く沈んだ。腰掛けたのだとわかってより一層身を固くする。
「ごめんね」
部屋に響いた声はシュヴァリ王太子殿下のものだった。そう言って髪の毛を撫でられる。その撫で方が優しくて、私はなんともいえない気持ちになってしまう。
シュヴァリ王太子殿下のことを恨んではいない。でももう二度と会うこともないだろうと思っていた。
しばらく髪の毛を撫でて満足したのか、シュヴァリ王太子殿下は部屋から出ていった。その音を聞いてもしばらくは身を固くしていた。そろりと目を開けると部屋の中には誰もいなかった。
なんだったんだ、と思いながら身を起こす。シュヴァリ王太子殿下は未婚の女性の部屋に許可もなく入る方ではなかったはずだ。それでもあのごめんね、は言いたかったのかもしれない。
ため息をついて乱れていた髪の毛を適当に手櫛でとかす。軽く首を振って今さっきのことは忘れようと思った。謝罪は受けた。もうそれで十分だ。過去に囚われるのはお互いにとって良くない。
シュヴァリ王太子殿下もそう思っているからこそ、寝ている間に謝罪に来たのだろう。
寝台から立ち上がるとテーブルに一枚の紙が置かれていることに気づいた。それを手に取ってみると、綺麗な字で手記の持ち出しはできないこと、そして手記の写しをアルル王国のリャト王子の側近が写して持っていったことが書かれていた。
「リャト王子?」
アルル王国にリャト王子という方がいるらしい。私が知らない第三王子以降の王子のことかもしれない。これを知らせに来たら私が眠っていたのか。シュヴァリ王太子殿下とその執事の仕事の早さに驚いてしまう。
とりあえずルリアート王太子殿下にこのことを知らせなければ、と思って部屋から出ると、ちょうど隣の部屋からルリアート王太子殿下が廊下に出てきたところだった。
「殿下」
「どうした」
「シュヴァリ王太子殿下がこれを」
置かれていた紙を差し出すと、王太子殿下がそれに目を通す。それからリャトか、と小さく呟いた。
「リャト王子という方がいるんですか」
「アルルの第三王子だ」
「第三王子、その方に聞けば何かわかるかもしれません」
「国に帰ったらすぐに行こう。ただな」
「ただ?」
「リャトは人に会わない」
人に会わないとは?と思っていると部屋からエルム様も出てきた。そこで会話が終わってしまう。
「エルム、そろそろ出発するぞ」
「お任せください」
「頼んだ」
エルム様はそれだけ言うとまた部屋に入ってしまう。王太子殿下も続けて部屋に入ろうとするので、私も部屋に戻って出発の準備をすることにした。
出発の準備をすると言ってもマントをかぶるくらいしかすることがない。マントをかぶってそのマントのポケットに甘味を入れていると、部屋の扉がノックされた。
「はい」
「出発すると聞いてね」
入ってきたのはシュヴァリ王太子殿下だった。さっきのことには気づいていないふりをしよう。
「フューイ、君と過ごした日々は楽しかった」
シュヴァリ王太子殿下の言葉に嘘はないのだろう。私のことをまっすぐに見つめてくる瞳を見返して微笑んでみせた。
私もシュヴァリ王太子殿下に感謝していることもある。私が王宮に呼ばれてすぐ、シュヴァリ王太子殿下に会うことになった。その時からこの人は優しかった。
私が勉強ができなくても、文字が書けなくてもバカにすることはなかった。今から学べばいい、と励ましてくれた。二人でダンスを踊ったことも何度もある。
美しい思い出がないわけじゃない。
「私もです。王太子殿下」
「君にこれを」
差し出されたのはベロアの生地で装飾された箱だった。開けるように促してくる視線に、それを受け取ってそろりと開くと、中からは黄色の宝石がついた首飾りが出てきた。
「君の瞳の色だ。ずっと渡したかったのに、なぜか渡せなくてね」
「ありがとうございます」
売ってお金にしよう。そう決めてその箱をテーブルの上に置いた。シュヴァリ王太子殿下は私のことを優しく見つめている。
そのまま王太子殿下は何も言わずに私のことを見つめた後、ふっと寂しげに微笑んだ。王太子殿下らしい微笑みだった。
「フューイ、僕が言えたことではないけれど、どうか幸せに」
シュヴァリ王太子殿下はそう言うと、私の髪の毛を一筋取ってそれに口付けた。汚いですよ、と言いかけてそれを言う場面ではない気がしておしだまる。
「シュヴァリ王太子殿下も」
結局口にできたのはそれだけだった。シュヴァリ王太子殿下はそれを聞くと、一度頷いてから部屋を出ていった。
シュヴァリ王太子殿下が出ていってから、もう一度箱を開いて中の首飾りをみる。美しいそれを指先で撫でる。
私の元婚約者は、私のことを大切に思ってくれていたらしかった。




