過去の人
揺り起こされて目を開けると、覗き込んできている王太子殿下と目が合った。
「よだれ」
その言葉に急いでマントで口元を拭うと、べっとりとよだれがマントについた。相当気持ちのいい眠りだったらしい。慌てて立ちあがろうとすると、足元がふらついた。それを後ろからエルム様が支えてくれる。
「急がなくていい」
「すみません」
支えてもらってしっかりと立つと馬車から人がどんどんと降りているところだった。昨日の朝に出発したはずなのに、もう外は明るい。夜中眠っていたらしい。物取りがいるかもしれないから、眠るのはやめようと思っていたのに何てことだ、と思いながら自分も王太子殿下に続いて馬車から降りる。
「二人の家はどこに」
馬車から降りると王太子殿下がそう尋ねてきた。馬車は大通りに止まったらしい。ここから二人の家までは少しだけ歩く。大通りは人の目も多いし、家賃も高い。そう思って二つほど路地を入ったところに家を借りた。
「こちらです」
二人を先導するために前にでる。照りつける太陽の光はまだ朝早いこともあってかやわらかだ。マントをかぶっていても暑くない。店の準備をする人々が大通りを忙しそうに歩いている。それを横目で見ながら歩いていると、どん、と何かにぶつかった。
何、と思いながらぶつかった下を見るとそこにいたのは子どもだった。まだ私の膝の上くらいまでしか身長がない。
「危ないよ」
一言そう声をかけると子どもはぺこりと頭を下げて、また走り出す。ずいぶん急いでるんだな、とその子供を見送るとすぐそばの商店に入って行った。中からどこ行ってたんだい、という母親であろう人の声が聞こえる。ライアスでもアルルでも子どもは変わらないなと思った。
「こっちです」
「子どもが元気な街だな」
「農村部は死ぬ子も多いですよ」
なんのきなしにそう言うと、王太子殿下が黙った。エルム様も何も言わない。私は農村部の出身だ。最近はずいぶんマシになったけれど、死ぬ子もいた。だから王宮に入って潤沢な食べ物に驚いた。私たちが飢えている同じ国でこんなにも違うのかと思ったものだ。
誰も何も言わないまま黙々と歩みを進める。少しずつ太陽が昇っていく。今日は暑くなりそうだな、と思っていると家の前についた。
久しぶりの家になんだか安堵した。鍵を開けて中に入ろうとすると、鍵がかかっていないことに気づく。不用心だ。あれだけ鍵はかけておいてと言っていたのに。そっと扉を開くと、狭い家のはずなのに、何人かの男がいることに気づいた。警戒して態勢が低くなる。王太子殿下が剣の柄に手を添えたのがわかった。
「フューイ?」
振り向いた人物は私を見てそう言った。私に声をかけてきたのは三ヶ月前まで私の婚約者だった方だ。驚いて目を見開くと、相手も驚いた顔をしているのがわかる。
「シュヴァリ王太子殿下」
「なぜ君がここに」
シュヴァリ王太子殿下は三ヶ月前の婚約破棄騒動の時とはずいぶん違って見えた。あの時はとても健康そうには見えなかったのに、今は瞳が輝いている。出会ったばかりの頃に戻ったようだ。その緑の瞳が私を捉えてから、私の後ろの二人に注がれる。
「もしかしてあなたは」
そこまで言ったシュヴァリ王太子殿下は考え込むように口を閉じた。心は弱いけれど、頭は悪くなかった。ここでアルル王国の王太子殿下と気づいても口に出さないほうがいいと思ったのかもしれない。
「シュヴァリ王太子殿下、お久しぶりです。ですがなぜここに?」
「ああ、君のご家族を保護しようと思ってね」
「保護、ですか」
「ああ」
シュヴァリ王太子殿下が嘘をついているようには見えない。でも疑問は残った。追放された聖女の家族を保護だなんて、どうしてまたそんなことを。そう思っているのが顔に出ていたのかもしれない。シュヴァリ王太子殿下が困ったような顔をした。
「だが、誰もいなくてね。勝手ながら上がらせてもらうと、手紙が」
「手紙ですか?」
「フューイにだろう。中はまだ読んでない。読んでみるといい」
差し出された手紙を開いて中身に目を通す。お母さんは文字は読めても書けない。これはお母さんの字ではなかった。テスが書いたものでもない。手紙の文面を読んで、額に手を当てる。
「どうした」
王太子殿下に手紙を渡すと、王太子殿下もそれに目を通して言葉をなくす。
「どういうことだ」
家族は港にいる。返してほしければ王太子殿下と共に来い、と書かれている。誰がこんなことを、と思ってから思い浮かんだ人物はおそらく王太子殿下と同じだった。私が王太子殿下といることを知っていて、私に恨みを持っている人物なんてそう多くない。
「ギリウス」
王太子殿下が静かに呟いた名前に、私は額に手を当てたままため息をついた。ギリウス王子が何をしたいのかはわからない。それでも大した調査能力だ。私がライアス出身なこと。ライアスに家族を残していること。そしてその家族の居場所まで調べ上げている。私の家族の居場所なんて限られた人しか知らないのに。
そう思ってから思い当たることがあった。私がライアス出身なことは私の腕飾りを見れば想像がつくかもしれない。女神を崇拝している国はこの辺ではライアスだけだ。特別な力を持つ女のことをライアスで調べればすぐに私に行き当たる。聖女の出身の村なんて誰でも知っている。
そして村にはお母さんのお姉さんがいる。その人にだけは家の場所を知らせていた。それでもギリウス王子がわざわざ海を渡ってまで嫌がらせをしてくると思っていなかった。
「どうしたんだい」
シュヴァリ王太子殿下が私と王太子殿下の様子を見て、気遣わしげにそう声をかけてくる。そういえば保護しようと思っていたと言っていた。なぜそんなことを。
「シュヴァリ王太子殿下、なぜ私の家族を保護しようと思ったのですか」
「それは」
シュヴァリ王太子殿下が言い淀む。私がじっと見つめていると降参したように両手を上げた。その仕草も出会ったばかりの頃のようだ。
「君に悪いことをしたと思ったんだ。だからせめてもの罪滅ぼしにと思って」
「悪いことを?」
「君の力が使えなくなったのは君のせいじゃない。それなのに僕は貴族たちに逆らえずにあんなことをしてしまった」
この三ヶ月で何があったんだろう、と思ってしまう変わりようだけれど、シュヴァリ王太子殿下は元々こういう方だった。気が弱く、心も弱く、だけど優しい方だった。
私が消えたおかげで貴族たちからの突き上げも無くなって、少しゆっくりできたのかもしれない。
それならその罪悪感、使わせてもらいたい。
「シュヴァリ王太子殿下、私たちを王宮で休ませてください。あと馬も貸してください」
「フューイ」
呆れたように私の名前を呼んだのはルリアート王太子殿下の方だった。その声を無視してシュヴァリ王太子殿下を見続けると、シュヴァリ王太子殿下が微笑む。
「王宮は君のことを悪く思っている人もいるから危ない。僕の持っている家でゆっくりするといい。馬も用意しよう。とりあえずご友人を紹介してくれるかい」
そういってシュヴァリ王太子殿下がルリアート王太子殿下とその後ろに控えているエルム様を見る。エルム様の様子を見て、一緒に来ているのがやんごとなき位の方だとはわかっているだろうが、流石にアルル王国の王太子殿下だとは思っていないようだ。
「挨拶が遅れてすまない。アルル王国のルリアートだ」
マントを剥ぎながらそう言ったルリアート王太子殿下に、シュヴァリ王太子殿下が息を呑むのがわかった。
「アルルの」
「お忍びでやってきている。正式な訪問ではない。おおごとにしないでくれ」
そう言って手を差し出す。その手を戸惑いながらもとったシュヴァリ王太子殿下は私を見て、困った顔をした。
「相変わらず、君のことがわからないな」
「お互い様です」
私だったシュヴァリ王太子殿下のことがわからない。私の言葉に何も言わずにシュヴァリ王太子殿下は歓迎いたします、とだけ言った。
「私にも探られて痛い腹はある。おおごとにしないと約束しましょう」
「助かる」
「では私の屋敷へ」
シュヴァリ王太子殿下が先を歩いてくれる。家の前に貴族が使う馬車がいつの間にか到着していた。二頭の馬が引いている馬車に乗り込むと、中は乗合馬車とはまるで違っていて、椅子がふかふかとしていた。ルリアート王太子殿下はよく文句を言わなかったな、と思ってから、野宿をする方が文句を言うわけないかと思い直す。
シュヴァリ王太子殿下が私に向かって微笑んでくれる。その微笑みは出会ったばかりの頃のようで、私は複雑な気持ちになった。




