過去は戻せない
二日間船に揺られたけれど、概ね快適な船旅だった。プミーが美味しくないと漏らした私に王太子殿下がケルクを買ってくれた。ケルクは甘くて柔らかく、私は大いに感謝した。
ライアス王国の港はアルルと同じくらいの賑わいを見せていた。マントを深く被って顔を隠す。王太子殿下も白いマントを被っていて、なんだ、と思って見ていると目があった。
「これでも王太子だからな」
その一言で王太子殿下は桟橋を降りていってしまう。王太子殿下が国に入ったとわかると何かまずいことでもあるんだろうか。賊に襲われたところで、王太子殿下とエルム様なら大丈夫だろうと思ってしまう。
王太子殿下に続いて桟橋を降りる。ここから王都まで足で二日かかる。王太子殿下もエルム様も健脚だし、大丈夫だろうけれど、ここからは私が道案内をしなければいけないと思うと少し緊張する。
「ルリアート様、地図をもらってきました」
「ご苦労エルム」
「王都までは我々の足で二日といったところでしょうか」
「そうだな。船では体が鈍ってしまった。すぐに出立しよう」
「わかりました」
二人の会話を聞いて唖然としてしまう。エルム様はどこから地図をもらってきたんだろう、と思っていたら桟橋のところに地図を売っている商店があった。確かにあそこで商売をすると金になりそうだ。
すぐに出立しよう、といっていたからこっそりとマントの下で自分に魔力を当てる。微々たるものだけれど、船で揺られて疲れていたのが回復するのがわかった。
二人に続いて歩き出すと、船着場の近くには食堂が多いことがわかる。他国から来て一番にしたいことは腹を満たすことなんだろう。
「フューイ、母と弟はまだ王都にいるのか」
「そのはずです」
「そうか」
お母さんとテスは私の力があるとわかった時に王都の司教様の家にお世話になることになった。
司教様の家はもちろん教会に隣接していて立派な建物だ。それからすぐに王都に家を構えることになって、私の仕送りで生活していた。私が国外追放になった時、シュヴァリエ王太子殿下はお母さんとテスのことには言及していなかった。
だから、大丈夫だろうと二人を王都に残してきたのだ。弟のテスにはお金を渡してお母さんのことを頼んできた。ああ見えて腕っぷしも強いテスのことだ。うまくやってくれているに違いない。
「馬が買えるといいんだがな」
「野生馬を捕まえてもいいがな」
「かわいそうです。やめておきましょう」
私がそういうと二人が私のことを驚いたような表情で見つめる。アルル王国の馬と違ってライアスで乗った馬はライアスにおいて行くことになる。そうなれば馬が懐いたのに、置いて行かれたと思うかもしれない。
それに野生馬にも野生馬としての馬生がある。
「驚いたな。動物が好きか」
「好きではありません。歩くのが好きなだけです」
そう答えて二人を追い抜いて歩き出す。歩き出すとすぐに乗り合いの馬車に行き着いた。
「乗りましょう」
そう言って支払いは任せて乗り込むと、馬車は思った通り王都行きだった。その代わりにぎゅうぎゅうづめに詰められている。どうにか場所を見つけて座ろうとすると、王太子殿下が隣に来てくれて、料金の支払いを終わらせたエルム様も私を挟むように隣に来てくれる。
二人のおかげで随分と場所を取ることができた。
「ありがとうございます」
「乗り合いの馬車は久しぶりだな」
「乗ったことがあるのですか」
「あるぞ。何にでも一度は乗って見たことがある」
マント越しだからか喋りづらくて、王太子殿下の口元に耳を寄せたり耳元に唇を寄せたりして会話をする。馬車の中は車輪の音が響くくらいで誰も喋ってはいない。乗り合いの馬車は馬が二頭で引いている。重たいだろうな、と思うとなんだか悪い気がした。
そのうちに睡魔がやってきてカクリと首が折れてしまう。お尻が痛くなるくらいの振動なのに、眠たくなる自分がおかしかった。王太子殿下とエルム様の様子をこっそりと伺うと、二人とも眠たいようなそぶりは見せていない。さすがだ。
「ねえ、聞いたかい、聖女様の話さ」
「ああ、国を出て行かされたって言う話だろう」
「大丈夫かね。聖女様のご加護がなくなったら、国はどうなっちまうんだろう」
「だけれども、今代の聖女様は力が弱かったって話だろう」
「そうなのか」
「いやあ、それは違うって俺は聞いたぞ。聖女様の村の人間が何人治療しても大丈夫だったと言っていた」
「それなら余計に国は大丈夫なのかい」
ある程度馬車が進んだことに安心したのか、こそこそとしている会話が耳に入ってくる。ところどころ聞き取りづらいところを自分で補足してようやく話がわかった。王太子殿下もエルム様もこの話は聞いているだろう。
そういえばエルム様は私の事情をあまり知らない。王太子殿下から聞いているかもしれない。できればある程度の事情は話しておいてほしいなと思った。それにしても聖女様が出て行かされたという話がここまで降りてきていていいのだろうか。
婚約者として国民の前に出ていたし、祈りも捧げていたから婚約破棄をされたことは国民が知ることになるだろうと思っていたけれど、国外追放になったことまで噂になっているなんて。国民の不安はそのまま国内の不安定につながる。
「聖女様か」
「なんですか」
「いや、国民が聖女を信じているんだな」
それは私に向かって言っていると言うよりも、自身の発見を呟いただけのように聞こえた。
「聖女の力を見せる儀式が行われていましたから」
「そうなのか」
「私もやりました」
聖女に認定されて少し経った後に行われる儀式は神聖なものだ。女神ティアに祈りを捧げて、それから国民の前で力を見せる。そのあと、国民に手を振りながら馬車に乗り、王宮まで戻る。それだけの儀式ではあるが、聖女の力を見せつけるには絶好の機会だった。
今代の聖女を見つけることができた。そして今代の聖女も王族と共にある、と見せつけることによって王族に対する敬意を集めることができる。
「ライアス王国は女神ティアが自分の使いを使わせて王族に与えたとされている国です。女神ティアの使いである聖女は王族と共にあるべきだと考えられています」
「女神ティアか。お前も信じているのか」
女神ティアを信仰しているかどうかなんて、私の腕飾りを見ればすぐにわかる。銀で作られた腕飾りは、どんなに生活が苦しくなっても売らないと決めている。表に女神ティアを模した模様が彫られているそれは、私の心の拠り所だ。私の視線が腕飾りに注がれていることに気づいたのか、王太子殿下も私の腕を見た。
「意外だな。そんなの信じていませんよ、と言うのかと思った」
「毎晩祈っていますよ」
静かにそう答えると、王太子殿下はその理由を察したのかそうか、と一言だけ言った。女神ティアの力を授かる前はいつ死んでもおかしくない生活だった。どんなに働いても畑の実りは神の領域だ。願っても不作は訪れる。女神ティアの力を授かってから、生きることの心配をしなくて良くなった。それは本当に幸運なことだ。
だから毎晩祈っている。私に生きる糧をお与えくださりありがとうございます。どうか明日も私にこの力をお与えください。
「俺にも信仰しているものがある」
「アルル王国の神ですか」
「いや」
そこで王太子殿下は少し言い淀んだ。どうして、と思って隣を見ても、王太子殿下もマントを羽織っているから顔は見えない。
「魔法使いシュルベルだ」
「魔法使い」
意外だった。魔法使いシュルベルはただの魔法使いだろう。なのになぜ、信仰しているのだろうか。
「魔王の呪いを抑えられたのは魔法使いシュルベルだけだ。幼い俺にはそれだけで十分だった」
「なるほど、お互い信じるものは違いますね」
「そうだな、だが目指す場所はそんなに違っていないだろう」
王太子殿下はそう言うとそれきり口を閉ざしてしまった。目指す場所はそんなに違っていないとはどう言う意味だろう。そう考えても答えは出ない。
もしかして私が考えていることがバレているのではないかと思ったけれど、それはないだろうと否定した。私はその考えを誰にも言ったことはない。
気づくと馬車に乗っている人間たちもいつの間にかおしゃべりをやめて静かになっている。ゴリゴリと馬車が進む音だけが響いている。隣のエルム様は起きているはずなのに一言も喋らない。王都まであとどれくらいだろう、と思いながらマントの前をかきあわせてそこに顔を埋めた。眠ってはいけない。物取りだって多いのだ。
ちゃんと起きていよう、と思っているうちに、私はいつの間にか眠ってしまった。夢に久しぶりにお母さんとテスが出てきた。その日の夢は幸せな夢だった。




