4 融ける夜
「……今度は、わたしがあなたを所有する番だよ」
その言葉は、空気の奥底で静かに反響した。
彼女は、いつかと同じように僕の寝室の扉の前に立っていた。
だが、その佇まいはまるで別人だった。
髪は無造作で、パジャマの裾は少しずれていたけれど、目だけが確かに、強い意志を帯びて僕を射抜いていた。
「……どういう意味?」
僕は震える声で問うた。
彼女は、一歩だけ足を進める。
その距離が、なぜか息苦しいほどに近かった。
「あなたは、ずっとわたしを守ってくれた。
誰のものでもないわたしを、“誰かのままでいられる場所”にしてくれた」
「だけど、わたし——
本当はずっと、あなたのことが壊れそうで見ていられなかった」
「あなたは、わたしに触れないことで自分を律していた。
でもその分、あなた自身が誰にも触れてもらえないことに、気づいてた?」
僕の心臓がどくん、と脈打つ。
彼女は、静かに手を伸ばし、僕の頬に触れた。
その手はいつかと同じ体温だった。
けれど今は、僕を守らせていた“無力な少女の手”ではなかった。
「あなたが触れたいと思ったとき、あなたが欲しいと思ったとき——
それを、全部“罪”だと思っているのなら、
今度はわたしが、その罪を赦す番だよ」
そのまま、彼女は僕を押し倒した。
だがそこに、暴力も誘惑もなかった。
彼女の膝の上に横たえられた僕は、
まるで子どものように、ただその視線を受け止めていた。
「あなたは、わたしを所有しなかった。
だから、わたしは壊れずに生きてこられた。
今度は——あなたの番。
あなたを、“私のもの”にさせて。
それが、わたしがあなたにしてあげられる唯一の愛なの」
——その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥にずっと押し込めていた何かが、音を立てて崩れた。
抑えつけていた欲望。
距離を保つことで成立していた理性。
彼女を守るために閉じていた心の扉——
それらが一斉に溶け、ただ温もりとして彼女に染み込んでいった。
僕は、彼女の手を取り、頬に寄せ、ようやく呟いた。
「……ありがとう。
ごめん。ずっと、君の“なにか”でいたかったのに、
怖くて、触れることができなかった」
彼女はそっと笑った。
その笑みは、今まで見たどの笑顔よりも穏やかで、
優しくて、どこまでも、美しかった。
「うん。だから、もう一度言うね。
あなたは、今夜だけ、わたしのもの」
僕は抗わず、抵抗せず、ただ静かに目を閉じた。
その夜、僕は初めて、
“守ること”ではなく“愛されること”によって、
自分という存在が赦されていくのを感じた。
——その夜の記憶は、夢のようにやわらかく、
けれどはっきりとした実感とともに、身体の奥に残っていた。




