頭文字E
シーン:2024年9月 内津峠の麓、ガソリンスタンド 休憩室
(ガソリンスタンドの裏手にある簡素な休憩室。テーブルには缶コーヒーとお菓子の袋が散らばっている。店長が新聞を広げてコーヒーを飲んでいる隣で、店員の池本が興奮した様子で話しかける。)
池本
「店長、聞きました?最近、この辺の走り屋たちがやたら騒いでるんすよ。」
店長
「騒いでる?……なんの話だ?」
池本
「内津峠に、下り最速の男が現れたって話ですよ!」
(店長が新聞から顔を上げる。)
店長
「ほぉ……で、その男、どんなやつなんだ?」
池本
「最初はただの噂だと思ってたんすけど、聞いてくださいよ。FDも、FCも、それにR32だって、その男に負けたらしいんです。」
(店長が眉をひそめる。)
店長
「……FD?R32?そいつらが誰だかよく知らねえが、そんなに有名なのか?」
池本
「超有名っすよ!FDのやつは有名なチームのエースで、峠じゃ伝説級の男っす。その兄貴のFCも最速の理論派ドライバーで、どの走り屋も認めてますからね。この2人ほどじゃないけど、R32乗ってるやつもかなりヤバい奴なんです!」
(店長が少し首を傾げながら缶コーヒーを飲む。)
店長
「ふぅん……そいつらが負けるってのは大したもんだな。それで、その最速の男ってのはどんな車に乗ってるんだ?」
池本
「そこが驚きなんですよ。……スーパーカブなんです。」
(店長がコーヒーを吹きそうになるが、なんとか堪える。)
店長
「はぁ?スーパーカブだと?」
池本
「そうなんですよ。最初は冗談かと思いましたけど、もう何人も見たって奴がいて。ヘッドライト一つで、峠の下りを信じられないスピードで駆け下りていくんですって。」
(店長は少し考え込むように天井を見上げる。)
店長
「……その男、メガネをかけて、ヒゲを伸ばした、50代くらいのイケメンじゃないか?」
(池本が驚いて声を上げる。)
池本
「そうそう!そんな感じだって聞きました。店長、まさか知ってるんですか?」
店長
「知ってるも何も……昔、俺が若かった頃だ。内津峠には、誰もが認める最速の男がいたんだ。」
(池本が身を乗り出す。)
池本
「最速の男……?」
店長
「そいつの名前は、松川永史。……俺達の間では『頭文字E』って呼ばれてた。」
(池本がさらに驚き、目を見開く。)
池本
「頭文字E……?」
店長
「あいつは当時、陶器の絵の具を作る工場に勤めてた。多治見の陶器屋に商品を届けるために、雨が降ろうが雪が降ろうが、毎日この峠を走ってた。仕事で鍛えた走りは年季が違う。峠のアスファルトの染み一つまで知り尽くしてたよ。」
池本
「仕事で……スーパーカブで……?」
店長
「ああ。荷物を届けたあとの帰り道はいつも全開で峠を攻めていた。そりゃもう速いのなんのって。FCだかR32だか知らんが、いまの若造じゃ太刀打ちできねえよ。」
(店長が懐かしむように遠くを見つめる。)
店長(心の声)
「最近また走り出したんだな、永史……。お前の走りは今でも目に焼き付いてるよ。」
(池本が興奮しながらうなずく。)
池本
「やっぱりそうなんですね!店長、すげえっすよ!伝説の走り屋が内津峠に戻ってくるなんて……!」
(店長がふっと笑い、缶コーヒーを置く。)
店長
「だが、永史にとっちゃ伝説なんてどうでもいいだろうよ。あいつにとって走りは、自由そのものなんだ。」
(休憩室の時計が静かに時を刻む音が響く。)
シーン終了




