(9)『地下生活者の記録』
(9)『地下生活者の記録』
㈠
物事への復讐というものは、行為ではなく衝動である。一種の或る種の勘違いが、復讐心を掻き立てる訳である。当事者というものは、神が偶然にその場に二人を配置したからだ。違う誰かだったら、他の人に復讐するだろう。
地上で起こる、様々なる事件があるが、俺にはそれが、からくりの種の様にしか見えてこない。無論、地下生活者の記録、であるからして、全うと言えば全うな意見だろうが、地上生活者は、そのことに気付かないのだろう。
㈡
それにしても、厄介なことばかり起こる、現世だから、この時世、隠遁した方が良いんじゃないかと思う時も多々ある。問題は、どう生きるか、ってことだし、不可思議なことが多々あるから、訳が分からないんだよな。
学問だって、時折を除けば、何か発展しないことのほうが多くて、芥川龍之介、小林秀雄、柄谷行人、この次を探さないと、日本の地上を支えている、地下の文學土壌も潰れちまう。本当に、危険な世の中だよ、と思う。
㈢
事実上、世界はどうかしちまっているんだよ。我々の手の届かないところまで、来てしまっている。無造作に、道端のカラの缶コーヒーを蹴飛ばして、ふと、ああ、これじゃ自然破壊になると思い直し、さっと拾いに行って、ごみ箱に捨てる、
そんな動作だ、平和というものは。皆がその、平和というものの意味を知らなければ、ならないのであって、であるからして、地下生活者の記録としては、そんな平和をも、刻銘に記録しておきたいものなのである。