(13)『地下生活者の記録』
(13)『地下生活者の記録』
㈠
そうなんだ、聞いてくれるとありがたい、俺は、俗に言うところの、変人だよ。確かに変人、しかしそれは、地下生活者である時なんだ。地上生活者である時の俺は、たいそうぐうたら、てんで小説も読めない馬鹿者さ。
変人だの、馬鹿者だの、取り付く島もないじゃないだろう、しかし、それでも、生きているんだ、生きているに違いないんだ。何なら、同情でもするなら、そこのアルミケースに、小銭でも置いて行ってくれないか。金が必要なんだ。
㈡
訳の分からない、プラスマイナス=0、の図式だって、俺は懐疑するよ。当たり前じゃないか、「懐疑は、恐らくは叡智の始めかもしれない、然し、叡智の始まる処に芸術は終わるのだ。」、って、アンドレ・ジイド、も言ってたしね。
つまりは、プラスマイナス=0とは、終わった芸術のことを言っているんだ、何て、誤解釈して、気取ってジイド様的になる必要性すら、地下生活者の俺には適切な処置だよ。良くも悪くも、誤解釈からまた、叡智が始まったりしてな。
㈢
こんな風に、言葉や文章で遊ぶのもまた、面白いことだ。勿論、これは記録だから、面白ければ良いってものじゃない。そうじゃないことくらい、分かってはいるけれど、形式的には、やはり、記録という形を取った、小説だから。
雨の日に傘を忘れて、寒い中歩いて行く時も、俺は俺という範疇から、逃れられやしないんだ。しかし、俺がその一点、俺が俺だと重複することは、まだ俺は俺だという証だから、そのうちは、まだ、小説を書ける様な気がするよ。




