96話 嫉妬
「サイラス卿、リディと距離が近すぎでは?」
そう言いながら、アーネスト様が私たちのところへとやって来た。
その言葉を聞き、サイラス卿はあまり表情に出さないながらも苦笑しつつアーネスト様に答えた。
「すみません、アーネスト殿下。それでは、リディア嬢をよろしくお願いしますね」
「ああ、もちろんだ。では、お嬢さん俺の手をとってくださいますか?」
華麗な所作でそう言われてしまえば、反動的にその手を取ってしまう。
「よろこんで」
そう返すと、アーネスト様がダンスフロアまでエスコートしようとしてくれた。
しかし、そんなタイミングでアーネスト様を追いかけるようにサラ王女がやって来た。
――どうして来たのかしら?
さっきのことがあったから気まずいわ。
そんな私の心情は知ったこと無いというように、サラ王女はアーネスト様に対して口を開いた。
「アーネスト、リディア嬢と踊り終わったら私のところに戻って来てちょうだいね」
この発言に耳を疑った。
――戻って来て?
え……?
さっきも私の男って言っていたし、今の状況は良くないわよね?
私どうしたら良いの?
2人の関係性がよく分からない。
約束していたとはいえ、踊らない方が賢明な気が……。
サラ王女のその1つの発言によって、顔には一切出さないものの頭の中では混乱が生じている。
しかし、この混乱はアーネスト様の発言により一時停止した。
「さきほどの話を理解してくださらなかったのですか? 私はあなたたちの国と友好でありたい。これ以上私のことを怒らせないでください」
――え? 怒る?
さっきまでどんな話をしていたら、そんな単語が出てくるの?
2人ともダンス中ずっと話をしていたし、ダンスが終わるころにはお互いに笑っていたのに?
先ほどの会話とやらを知らないため、2人の不穏な会話に緊張感が走る。
恐らくサイラス卿も同じだろう。
そんな私たちは一瞬空気と化し、アーネスト様とサラ王女は聞こえるか聞こえないかの声で言葉を交わし始めた。
そうかと思えばごく短い会話をした後、唐突にアーネスト様が私の腰を抱き、サラ王女に告げた。
「それに、俺は彼女に勘違いや要らぬ心配をさせたくないので」
――心配は何となく分かるけれど、勘違い?
どういうことだと一瞬頭がフリーズしたが、自然な所作で腰に回されたアーネスト様の手に気付いた。
そして、その手を意識した瞬間、顔に熱が集まってきていることが自分でも分かる。
すると、どんな会話で解決したかは分からないが、サラ王女は仕方ないといった様子で分かったわよと告げた。
――え? い、いいの?
何がどうしてそうなったの?
とりあえず、アーネスト様は今から私と踊るってことでいいの……?
そんな私のカオスな脳内を知ってか知らずか、アーネスト様は突然私を顔を覗き込むように顔を近づけてきた。
「それじゃあ行こうか。リディ」
そう声をかけてきたアーネスト様の、思ったよりも近付いた顔に体が硬直する。
それと同時に、ふわっと香るコロンの香りに鼓動が跳ねる。
これらの言動により、先ほどまでの殺伐とした空気はどこへやら、その場の空気は完全にアーネスト様のものとなった。
そして、アーネスト様にエスコートされるがままにダンスフロアまでやってくると、音楽が流れ出した。
音楽が流れ出すと開口一番アーネスト様が話し出した。
「リディとようやく、こうして踊ることが出来て嬉しいよ」
「私もですよ、アーネスト様。こんなにもダンスがお上手だったんですね」
「リディも上手だよ。それに、今まで踊った中で一番楽しい」
その言葉とともに、アーネスト様がニコッと笑う。
一番楽しいと言われただけでも嬉しいが、そのアーネスト様の屈託のない笑顔に少し心が跳ねる。
サラ王女と挨拶してから緊張しっぱなしだったが、アーネスト様と踊っているこの間だけは楽しいと思える。
しかし突然、アーネスト様が謝って来た。
「すまなかった。リディ」
「え? 私、アーネスト様に謝られるようなことをされた覚えはないのですが……」
そう言うと、気まずそうに口を開いた。
「リディを守ると言いながら、サラ王女を止めきれなかった」
――そんなことを考えていたのね……。
でも、王族かつ友好国になったばかりの国の王女に対して、強く言うことは政治的観点から考えて無理なことよ。それに、パーティーの主催者側の重要人物である王太子が、フィアンセでもない、あくまで一参加者である私だけに付きっきりでいるわけにはいかない。
謝る必要なんかないのに。
そう思うと、自然と言葉が溢れ出てくる。
「アーネスト様が私に謝る必要は一切無いですよ。むしろ感謝したいくらいです。遅くなりましたが、手の治療の件、サイラス卿に頼んでくださったのはアーネスト様ですよね? 本当にありがとうございます」
そう言って、アーネスト様に微笑みかけると、アーネスト様は驚いた表情で一瞬サイラス卿の方を見た。
そしてすぐに私の方へ向き直ると、慌てた様子で話し出した。
「サイラス卿が言ったのか?」
「はい! 教えてくださいましたよ」
「あれだけ言うなと言ったのに……!」
「アーネスト様、サイラス卿を怒らないでくださいね。私は教えてもらえてむしろありがたいです。アーネスト様はいつも感謝されるべきことをひた隠ししようとなさるじゃないですか。多分これまでに私が知らないアーネスト様の助力もたくさんあったと思います」
そう、私が知らないだけでたくさんあっただろう。
けれど、いつもアーネスト様は隠す。
それが当たり前の行動だと思っているから、いちいち恩着せがましくならないようにしたいんだろう。
だけど、それでは報われた方は一生知らないままだ。
だからこそ、知れた機会にはきちんと感謝したい。
「アーネスト様に私はいつも助けられていますね。ありがとうございます。アーネスト様ほど優しい人もそうそういませんよ。私じゃ頼りないかもしれないですが、アーネスト様が困った時にはいつでも助けになりますからね」
そう言い覗き込んだアーネスト様の顔は真っ赤に染めあげられていた。
そして、何やらブツブツと呟いた。
「―――――――めたい。――――だ」
――何て言っているのかしら?
アーネスト様が呟いた発言が気になり、アーネスト様に聞き返した。
「アーネスト様、すみません。よく聞こえなくて……」
そう言うと、アーネスト様はハッと我に返った様子で、顔を赤面させる。
しかし、それは一瞬のことですぐにいつも通りの顔色になり、アーネスト様は口を開いた。
「先程の発言は気にしないでくれ。ただ、リディは俺のことを優しい人だと言ってくれるが、俺はリディが考えているほど、優しい人じゃない」
――またまた、誰がそんなことを言っているの?
アーネスト様は誰から見ても優しさの権化のような人じゃない。
「謙遜し過ぎですよ。どうしてそのように思われるのですか?」
疑問に思い尋ねると、アーネスト様は少し間を置いた後、意を決した様子で口を開いた。
「…………嫉妬したんだ」
「へ?」
驚いて、つい間の抜けた声が漏れる。
「嫉妬……ですか?」
「ああ。俺は今日、リディと一緒に楽しそうにしているサイラス卿を見て正直嫉妬した。けど、自分で頼んでおいて嫉妬するなんておかしいだろう?」
――アーネスト様が嫉妬……?
アーネスト様の口から出るには、あまりにも予想外の発言にどう反応したら良いのか分からない。
しかし、アーネスト様は言葉を続ける。
「それに、エリック王子にも嫉妬した。俺が居ない間のリディと一緒に居られたし、そのときのリディのことも知っている……。だが、エリック王子は俺よりももっと幼い年齢でこの国に来たわけで、ましてや自身が望んでそうなったわけではない。それなのに、そうと分かっていても嫉妬してしまう。こんな理不尽なことで嫉妬するような俺が優しい人とは思えない」
私はその突然の告白に戸惑いが隠せなかった。