62話 惰性〈ロジェリオ視点〉
扉が開くと、僕が帰ってきたことに気付いたウィルが、声をかけてきた。
「あ! やっと帰って来た! 兄様おかえり! 夜会どうだった!? ……って、父上と母上は一緒に帰って来なかったの?」
純粋な目で、そう問いかけてきたウィルの言葉に、狼狽寸前になりすぐに応えられなかったが、僕が口を開く前にウィルが言葉を続けた。
「あっ、分かった! 兄様は、ベルレアン家までリディ様を送ってきたんじゃない? だから、父上と母上は兄様と別々に帰って来たんだろ? そうだよね? それなら、父上と母上も、そろそろ帰ってくるはずだ」
ウィルが次々と言葉を紡ぎ出す中、自分でも自分の顔色がどんどん悪くなっていくことが分かる。
「それで、兄様! リディ様の様子はどうだった? きちんと仲直りした? まさか、婚約して初めてのファーストダンスなのに、リディ様の足を踏んだなんてミスはしてないよね?」
たくさん聞きたいことがあったのだろう。
とめどなく溢れだすウィルの質問のようすから、そのことが窺える。
――何から言ったら良いのだろうか……。
そう思いながらも、一度ウィルに声をかけた。
「流石に玄関からは移動しよう」
その言葉を聞き、ウィルがハッとしたように言葉を返した。
「そうだね! じゃあ、今から兄様の部屋で話そう! たくさん聞きたいことがあるんだ」
「ああ、そうしよう。僕からもウィルにきちんと話さなければならないことがある」
そう言うと、ウィルは一瞬怪訝な顔を見せたが、すぐにいつも通りの顔に戻り、僕の部屋まで一緒に来た。
部屋に入るやいなや、開口一番にウィルが問うてきた。
「それで、兄様! 夜会はどうだった!? リディ様に良いとこきちんと見せてきたよね? それに――」
――もう単刀直入に言うしかないな。
そう思い、ウィルの幻想を叩き割るかのように、ついに僕はウィルに伝えた。
「ウィル、すまない。僕はリディアと婚約破棄することになった。それに、父上も母上も今日は帰って来ない」
すると、それを聞いたウィルは、信じられないことを聞いたように、ぽかんとした顔をして言葉を返した。
「こ、婚約……破棄だって……? え? ちょっと待ってよ、兄様。僕の聞き間違いだよね」
「いや、聞き間違いではないよ。ごめん……何もかも僕が悪かったんだ」
そう言うと、ウィルの目にはどんどん涙が溜まり始めた。
そして、涙が溢れそうという瞬間、口を開いた。
「う、嘘だ……。だって、条件を守ったら婚約破棄しないっていう話だったはず……」
ここまで言ったかと思うと、ウィルは衝撃を受けたような表情になったかと思うと、怖い表情になり、ワントーン低くなった声で話しかけてきた。
「まさか、兄様はあの条件を守らなかったのか……?」
「……っすまない、僕は条件を守ることができなかった」
すると、それを聞き鬼のような形相になったウィルが、僕の胸倉を掴み言葉を捲し立てた。
「守れなかったじゃないんだよ! 守らなきゃいけなかったんだよ! 逆にどうしたら、あの条件を破ることができるんだ!? それに、父上と母上が帰って来ないというのも、このことに関係しているからだろ!? 普段の夜会で問題を起こしたことが無いのに、よりによって今日の夜会でいったい兄様は何をしでかしたんだ!?」
――自分に分かっている範囲のことを、ウィルには全て話そう。
意を決し、僕はウィルに今日の出来事を話し始めた。
「結論から言うと、僕とエイミー嬢は今日の夜会で弾劾を受けた」
「は……? 弾劾を受けただって? 一体どうなっているんだ……? 兄様はどんな処分を受けたんだ!?」
「……1つは、条件を守れなかったため婚約破棄、2つは風紀や規律、王女宮の評判を乱し悪化させた者として、王女宮騎士団から除名と下級勲爵士への降格、3つは廃嫡で、4つは弾劾中には言われなかったが、後日リディが経営している南の救貧院や孤児院で剣術指南するという監視も兼ねた追放が下された。それと、父上と母上はこの出来事により体調がすぐれないため、1晩王宮で休んでいる」
この言葉に強く衝撃を受けたのであろうウィルは、非常にショックを受けた表情をしながらも、言葉を紡ぎ出した。
「正直、全て思い当たる処分内容だけれど、どう考えても婚約破棄が起因で開かれた弾劾じゃないか。母上は婚約破棄したら廃嫡すると宣言していたから分かるけど、風紀を乱したっていうことは、まさか兄様は今日の夜会であの女と何かしでかしたのか!?」
「婚約破棄の決定打となったのは、僕がエイミー嬢とファーストダンスを踊ったからだ」
そう言うと、ウィルは軽く突き飛ばすように胸倉から手を放し、力なく項垂れながら声を発した。
「僕は兄様がそこまでクズとは思わなかったよ。リディ様がいるのに、ファーストダンスをあの女と踊っただって!? リディ様はそれに関して何も言わなかったのか……?」
「いや、リディは僕とエイミー嬢がファーストダンスを踊ることが許せないと言ってきたよ。だけど、僕はエイミー嬢にデビュタントだからファーストダンスを――」
「黙れ!」
言いかけの僕の言葉を遮り、ウィルが叫んだ。
「言い訳を言うな! リディ様は踊るなと言ったんだろ!? これは婚約者の常識的な意思表示だ。それなら踊らないという選択をするのが当たり前じゃないか。というよりも、踊るなと言われる時点でおかしいんだよ!? 兄様も習ったはずだ。 貴族の中でも、特に貴族女性にとってファーストダンスがどれだけ重要性を持っているのか。あの女のデビュタントなんてどうでもいいんだよ! 兄様には関係のないことだ! しかも、兄様は婚約して初めてのリディ様とのファーストダンスだったのに、あんな女と踊ったんだ! 過去に何人かの貴族女性が、夫や婚約者が愛人とファーストダンスを踊ったことを苦に、自決した事例もあるだろう? つまり、兄様はリディ様の死よりも、性悪女を優先したんだ。そして、そのことが夜会で公然になったんだ!」
――確かに、弾劾中に他の貴族たちが、そう話している内容が少し聞こえてきた……!
僕はリディに決して死んでほしくない!
ただあの時は、デビュタントの記念としか考えていなかったが、他の人の目からはそう映っていたのか。
何で僕はこうも考えが足りないんだ?
どうして、知っているはずなのに、そのときの気持ちだけで動いてしまったんだ!?
リディに申し訳なさすぎる……。
「リディには本当に申し訳ないことをしたと思っている。だが、リディに死んでもらいたいなんて一切考えていないんだ!」
すると、ウィルが衝撃的な返しをしてきた。
「僕は兄様が、リディ様に死んでもらいたいと思っているとは思わないけれど、リディ様に心の底から申し訳ないと思っているとは思えない。この期に及んで、言い訳をしている時点で、それを免罪符にしようとしているとしか思えない。兄様は結局のところ、こうなるに至るまでにはこんな過程があったと理解してもらいたい気持ちが強いんだよ。ただ、過程はどうであれ、結果は同じなんだよ。兄様はリディ様が今どんな気持ちでいるのかを、1回でも考えたか? どうせ、とても傷つけてしまったとしか考えていないだろう?」
――その通りだ。
僕はリディを傷付けてしまったということを漠然と考えて、どんな気持ちや状況になって傷付いたということを考えていなかったのかもしれない。
悪いことをしたとは思うけれど、もしかしたら何が悪いことなのか気付けていないことも、まだ他にあるのかもしれない。
「確かにウィルの言う通りかもしれない。リディのことを傷付けたとは思っているけれど、リディが傷つくに至った気持ちを、汲み取り切れていなかったのかもしれない」
「かもしれないじゃなくて、そうだったからこんなことになったんだよ。それと、さっきからリディって言っているけれど、兄様はもう気軽にリディと呼べなくなったんだぞ? そう仕向けたのは自分自身って分かっているか?」
――そうだ、僕は廃嫡されるし、良い別れ方をしたわけでもないから、リディとは呼べない。
あんなに小さな頃から、リディと呼んでいたのに、もう呼べなくなってしまったのか……。
しかも、僕自身がその状況を作り上げてしまったのか。
ウィルに言われそう考えると、なぜか勝手に涙が出てきた。
止めようにも止まらない。
「……僕は自分自身でこんな状況を作ってしまったんだな」
「ああ、そうだ。酷と言われようが、何と言われようが、僕は兄様の唯一の弟だから言う。兄様がこの状況を作り出したんだ! こうならない道が提示されていたのに、その道を閉ざしたのは兄様自身だ! 泣きたいのはリディ様の方だ! ……っ兄様が泣くんじゃない!」
「ウィル、すまなかった。どうか僕のことを気が済むまで殴ってくれ……」
「何言ってるんだよ! 兄様なんて、殴る価値すらないんだよ! それに殴ったからって、何か解決するとでも? 殴っても意味ないことは、もう証明されたじゃないか……。それに何度も言うけど、兄様が謝る相手は、僕じゃなくてリディ様だ! いい加減、惰性的に生きるのはやめてよ……。変わるんだ! 兄様!」
僕はウィルの返しに何も言えなかった。
すると、ウィルが言葉を続けた。
「父上と母上が帰って来ないと分からないから話は明日以降になるだろうけれど、兄様の今後の動向はどうなっているんだ?」
「エイミー嬢が裁かれるまでは、この家で謹慎し、その後、南の救貧院や孤児院に行くことになっている」
そう言うと、ウィルは口を開いた。
「そうか、分かった。僕は正直、今日はとてもこれ以上、兄様と話をすることはできそうにない。部屋に戻るよ」
そう言うと、ウィルはとぼとぼと僕の部屋から出て行き、隣の自室に戻った。
僕は眠るなんてとても考えられず、壁際の椅子に腰かけた。
すると、壁越しにウィルの部屋から、くぐもったような泣き声が聞こえてきた。
――ああ、僕はどれほど周りの人たちに支えられていたのだろうか。
こんなにも言われなければ気付かなかったなんて……。
皆に恩を仇で返すようなことをしてしまった。
そう思いながら、一夜を明かした。
その後、父上と母上も帰宅した。
そして夜会から3日後、コールデン子爵夫妻が王都に到着したため、王宮でエイミー嬢の弾劾が再開されることになった。
ここまでお読みいただき、大変ありがとうございます!
本作ですが、総合PV1,000,000を突破いたしましたヾ(*´∀`*)ノ
ブクマ、評価をしてくださっている方、本当に執筆の糧になっております。
誠にありがとうございます(*^^*)