61話 薫陶を受ける
母上は僕のせいで倒れてしまった。
そして、その母上の付き添いも兼ねているが、父上自身の体調も優れず、2人とも王城で1晩泊まることになった。
そのため、僕は王室が目立たないように用意してくれた馬車に乗り、独り揺られながら、侯爵邸に帰っていた。
――なんて悪夢なんだ……。
独りでいると、先程の王城での出来事が鮮明な記憶として蘇ってくる。
それと同時に、馬車に揺られ侯爵邸が近付くにつれて、絶望感が一気に押し寄せてきた。
――帰るも何も、謹慎期間が過ぎたら、完全に僕の帰る場所ではなくなってしまった……。
そんな場所にいるウィルや侯爵邸に仕える人達に、あんなことをしでかした僕が、どんな顔をして会えば良いんだ?
侯爵邸は、比較的王城からの距離が近い。
絶望感に苛まれながら、ふと窓の外の景色を見れば、もうすでに侯爵邸まで残り半分を切っていた。
――夜会前の両家の話し合いで忠告されたことを守っているつもりだったが、全然守れていなかった。
エイミーと互いの呼称を変えるだけでは、到底守れるものではなかったんだ。
それどころか、今夜のことだけでも、これでもかというほどリディのことを傷付けてしまった……。
それも、貴族の令嬢というだけでなく、1人の人間として考えても、かなり心に傷を負わせてしまっただろう。
何で、僕は一ミリもそのことに気が付けなかったんだ……!?
自分では忠告を守っているつもりだった。
にもかかわらず、一晩でこれほどまでにリディを傷つけてしまっていたという事実と、今までの自身の言動を省み、胸を貫かれたような衝撃が走る。
――今まで僕は何も気付かないで、どれだけリディアを傷つけていたんだろうか?
恐らく、これだけ僕が気付いていなかったということは、僕がまだ知らない、リディを傷付けてしまうきっかけは、もっとあることだろう。
いや、僕がこれまでの人生で傷つけてきたのは、リディだけではないかもしれない。
考えるだけで、なんてことをしてしまったんだと絶望感が募り、頭を抱え込まざるを得ない。
――それに、エイミーがあんな子だなんて、思ってもみなかった。
あの話しようからすると、僕のことを……好いていたんだよな?
だとすれば、リディだけでなく、僕はエイミーに対しても残酷な行動をしていたに違いない。
そして、その僕の今までのこの言動が、エイミーの今日の言動に繋がって、リディへの罵詈雑言に繋がってしまったというのなら、僕はとんでもない重罪人だ……。
アーネストと約束したのに、国民を守るどころか、僕はより守りやすいはずの身近な人ほど、傷つけてしまった……。
どうして僕はもっと早くに、このことに気付けなかったんだ?
もう戻れない過去と分かっていながらも、これからのことを考えるだけで、罪悪感が込み上げてくる。
そんな罪悪感と、絶望感に打ちひしがれていると、いつの間にかライブリー家の邸宅に帰り着いた。
今回の馬車は王室が緊急的に出してくれたものだから、自家馬車と違い門前で降りることになっている。
いつもなら、自分の家に帰って来た安心感があるが、今日は違う。
そのため、邸宅を見た途端、特別寒い日というわけでもないのに、身体が急速に冷えていく感覚がした。
しかし、馬車から降りないわけにはいかず、意を決して、馬車から降りた。
すると、門前には執事長のアルフォンスが立っていた。
――連絡が行っていたのだろうか……?
そう思い、何かとにかく言わなければと思い、歩み寄ってくるアルフォンスに声をかけようとした。
「……ア、アルフォ――」
「ロジェリオ様、王室の遣いの者が来たため、先の話を聞きました」
僕の声に被せるように、アルフォンスが話しかけてきた。
そのときのアルフォンスの声は、いつも優しいアルフォンスからは想像がつかないほど、低く怒っている声だった。
――やはり、話が伝わっていたようだ。
アルフォンスがこんなに怒るのも無理はない。
僕はそれほどのことをしてしまったんだ。
リディアにも、ベルレアン侯爵夫妻にも、父上、母上、ウィル、ライブリー家の使用人や、騎士団の仲間やその他の数えきれない関係者の人たちにも、謝っても謝りきれない……。
そう思いながら、アルフォンスの顔を見ると、今にも泣きそうな怒った顔をしていた。
そして、そのまま話し出した。
「私はロジェリオ様が幼いころから今まで、ずっとお世話をし、見守り見続けてきました。ロジェリオ様はずっとお優しいままの性格で、御成長なさり、そのうえ、夢であった騎士にまでなられました。また、リディア嬢との婚約まで決まり、この老いぼれは、本当にロジェリオ様がここまで成長したのだと、涙を流すほど嬉しかったのです。……本当に嬉しかったのです」
――そうだ。アルフォンスは僕が赤子の頃から今まで、ずっと僕やウィルの面倒を見てくれた、ライブリー家の中で皆から最も頼られている執事長だ。
僕がリディとの婚約が決まった時も、涙を流して喜んでくれた。
僕の今までの無意識の言動が、どれだけ周りの人たちの心を荒立たせてしまったんだろうか……。
僕はアルフォンスに声をかけた。
「っアルフォンス、すまなかった……。僕は皆をたくさん傷付けてしまった。本当にすまない!」
申し訳なさが募り過ぎて、謝罪の言葉以外、全く出てこない。
そんな僕を見て、アルフォンスが話し出した。
「私はこれからのロジェリオ様の処遇について、先に聞きました。このようなことになるとは思っておらず、大変困惑しております。このようなことを言うのは、聞く人が聞くと怒るかもしれませんが、ロジェリオ様は、騎士爵が残っています。つまり、最後の芽までを潰さずに、リディア嬢は残してくれたのです。それも、あなたの命ともいえる騎士の道を。アーネスト殿下やベルレアン家の方々は、チャンスを与えてくれたのです」
――アルフォンスの言う通りだ。
僕は騎士の道を残してもらえたんだ。
辛い仕事だとしても、必ずやり遂げて――
その思いを遮るように、アルフォンスが話を続けた。
「決して甘い仕事でも楽な生活でもありません。侯爵令息とは勝手が違うため、特に最初の方は、体だけでなく、心もが辛く厳しくなるような生活でしょう。そのため、今は思っていないでしょうが、もしかしたら今後、何で自分がこんな目に? と思う瞬間が来るかもしれません。ですが、ロジェリオ様がそう思ってはいけません。人によっては自死を選ぶようなことを、リディア嬢にしたのは、結局のところロジェリオ様なのです。それにもかかわらず、この処罰で済ませてくれたことを、ロジェリオ様はきちんと理解しておかなければなりません。そして、この現実を真摯に受け止め、様々な現実について知ってください。辛かろうが関係なく、その仕事に一縷の望みをかけ、全力で取り組むことが、今のロジェリオ様にとって肝要なのです。それを乗り越え、ようやく、ロジェリオ様は1人の人間として、騎士として、成長していけると、この老いぼれは思うのです」
――そうだ。僕が甘いだの辛いだの思うこと自体が、まずおかしな話だ。
この期に及んで、僕はなんて甘い認識で馬鹿なことを考えていたんだろうか。
アルフォンスのこの言葉を聞いていなければ、僕は真の理解が未だに出来ないままだったのかもしれない。
僕はどれだけリディ達からの情けを、当たり前のように享受していたんだろうか。
アルフォンスには感謝しかない。
アルフォンスに感謝しながらも、自分の認識の甘さと情けなさに自己嫌悪していると、アルフォンスが続けた。
「ロジェリオ様とまともにお話しできるのはこれが最後だと思い、失礼なことをたくさん申しましたが、赤子の頃から見てきた老いぼれの言葉として、お許しください。ここでこれ以上の長話は出来ません。そろそろ家の中に入りましょう。と言いたいところですが、一つ、お伝えしなければならないことがあります」
「ああ! な、なんだ?」
すると、気まずそうな顔をしながら、アルフォンスが口を開いた。
「執事長ということと、侯爵様の指示もあったらしく、私が遣いの方からの知らせを受けることになりました。そのため、この出来事を邸宅で知っているのは、現時点で私だけということになります」
――ということは……!
「ウィルはまだ何も知らない状態……なのか?」
「はい、左様でございます。遣いの方がロジェリオ様と入れ替わりのように来たということもあり、ウィル様にはまだお伝えできておりません」
「っ! そうか……」
――いずれ伝えなければならないことだし、僕は謹慎の身だから、この邸宅に入らなければならない。
自分の口で、ウィルに伝えよう。
「ロジェリオ様、どういたしましょう? 私からお伝え――」
アルフォンスの言葉を遮るように、僕は言葉を返した。
「いや、ウィルもいずれ知る事実だ。今から、直接僕がウィルに話をするよ」
そう言うと、アルフォンスは不安げながらも、頷き、一緒に門の中に入った。
そして、玄関に近付くと、扉が開いた。
すると開いた扉の先には、夜会の出来事を何も知らずに、今か今かと僕のことを待ち構えたウィルが立っていた。
ここまでお読みいただき、大変ありがとうございます(*^^*)
次話もロジェリオ視点の予定です。ウィルが出てきます。
また、変換ミス等の誤字や脱字の報告をしてくださる方、お手間を取らせてしまい申し訳ございません。
ですが、おかげさまで大変助かっております。
本当にありがとうございます!