34話 慟哭
バルコニーに飛び出した私は、ふらふらと歩き、手すりに両手を乗せた瞬間、その場で力なく崩れ落ちた。
「くっ……うっ……っ……くうっ……うぅ……」
堪えていた涙が、一気に溢れ出てくる。
止めようとすればするほど、涙が止まらない。
「私はっ うぅ どうしたらよかったのっ くぅっ うっ」
――ロジェはもう昔のロジェには戻らないのね……。
心のどこかでは分かっていたはずなのに、どこかで期待してしまっていたわ。
「うっ……くうっ、ううっ……っ……うっ……」
――私は婚約者とファーストダンスを踊るのが夢だったのに……。
どうして婚約者と一緒に来たのに、婚約者は別の女性とファーストダンスを踊るの?
「何が条件を守れたよ。全然守れていないじゃない……! うっ くうっ ううっ」
室内から漏れ聞こえる優雅な音楽や人々の様子が、私の心情とあまりにも乖離しているため、余計に空しい気持ちになってくる。
すると、音楽が止まった。そして、本格的なファーストダンスの舞踏曲が流れ出した。
――本当なら、今頃ロジェとファーストダンスを踊っていたのは私だったのに……。
そう思い、泣きながら会場側に振り返った。
すると、ロジェとエイミー嬢が踊っている姿が見えた。
――どうして、その状況で2人揃って、呑気に踊っていられるわけ?
そのように憤っていると、踊っている最中のロジェと目が合った気がした。
――今、目が合った……?
そう思ったが、エイミー嬢が転びそうになり、ロジェの胸に抱き着いた。私はすぐさま、2人から目を逸らすために、外に視線を戻した。
その状況が、自身のデビュタントを思い出させたからだ。私もデビュタントでロジェとファーストダンスを踊った。
そのときの私は初めての夜会に緊張しすぎており、いつもならしないようなミスで転びそうになり、先ほどのエイミー嬢と同じような状況になった。
それは、私の記憶の中でほろ苦くも良い思い出だった。
今思えば、そのとき既に、私はロジェのことを好きだったのかもしれない。
だからこそ、私にとって婚約者になってからロジェとファーストダンスを踊るということは、とても意義深いものだった。
――これ以上、私の思い出を汚さないでっ……!
「くっ……ううっ……うっ、うぅ……くっ……」
自分の中の大切な思い出が、あの2人に対する憤りや絶望で上書きされていく感覚に、ナイフで胸を貫かれたような苦しさが込み上げてくる。
気付いていないふりをしていたけれど、ロジェとエイミー嬢が一緒に買い物をしているのを見たときから、ロジェに対する信頼は思っている以上に薄れ、徐々に恋心もなくなっていったのかもしれない。
そのためか、今の私の心の中の怒りは嫉妬の怒りではなく、悲しみと嫌悪と自分自身への情けなさから起こる怒りだった。
「もう私が愛したあなたは死んだのね うっ くうっ うぅ……」
――そう思わないと、耐えられないわっ……!
正直、こんな形になるとは思っていなかったが、条件が守れていないことを予想していないわけではなかった。
それにも関わらず、このあいだの話し合いで、私がロジェに条件を付けてまで婚約継続をした理由は主に3つある。
1つ目は、ロジェへの恋心は薄れても、エイミー嬢が現れる以前のロジェが忘れられなかったからだ。前の大好きなロジェに戻るのならと、期待してしまった。
2つ目は、ベルレアン家とライブリー家の仲を裂きたくなかったからだ。もし婚約破棄になると、今までのような関係には戻れないと思うと、怖かった。
3つ目は、自己防衛のためだ。婚約者の浮気が原因で婚約破棄の場合、なぜか浮気をした男より、浮気をされた女の方の立場が悪くなる場合が多いのが、この国の貴族社会だ。そんな中、婚約破棄をすることは、私自身だけでなくベルレアン家全体の悪評に繋がる可能性があった。また、婚約破棄をしたとなれば、侯爵家の令嬢だったとしても、まともな相手と結婚できる保証がなくなる。結局のところ、私は自分を守りたかったのだ。
だから、私は条件を付けてまで婚約を継続した。
全く打算がなかったわけではない。
だとしても……。
「これは、いくらなんでもあんまりでしょう……」
私はとめどなく溢れる涙を拭いながら、そう独り言ちた。
――もうロジェを愛せる自信がないわ。
もう、私の恋も完全に終わったのね。
恋心以前に、好意さえ今日で消滅したわ。
こうなった以上、私の中で婚約破棄は確定事項だった。
さすがの私も、ここまでされて今のロジェを好きなままでいられるわけがなかった。
お父様とお母様に婚約破棄をすることを伝えれば、必ずその理由を聞かれるだろう。
そのときに、先程の出来事をそのまま話すなんて、とてもできそうにない。
しかし、伝えなければならない。
――でも、伝えたらライブリー家はまだしも、お父様の性格上、確実にコールデン家を潰しにかかるわ。
しかし、コールデン家を取り潰したところで困るのは、コールデン家ではなく、突然領主を無くすことになる領民たちだ。
――罪なき領民たちを苦しめるわけにはいかない。
けれど、私は絶対に彼女を許したくない……。
それに、ただ許さないという意思を持つだけでなく、エイミー嬢にもそれなりの制裁を科したい。
「いったいどうしたら…………っ!」
そう言いながら、会場側をちらりと見ると、またもロジェとエイミーの姿が見えた。
そこでは、私の存在は完全に忘れたかのように、楽しそうに笑顔で踊っている2人の姿があった。
私は2人を見て、息が止まった。
踊っている2人が、どこからどう見ても、恋仲にしか見えなかったからだ。
そのうえ、エイミー嬢のドレスに気が付いてしまった。
――あの子が着ているドレス、気のせいかもしれないと思ったけれど、私が寄付したドレスじゃない? デザインが少し違うから気のせいと思ったけれど、デビュタントから何回か後のパーティーで着たドレスと、本当にそっくりだわ!
「自分のドレスも自分の婚約者も、あの子のものになるの……?」
寄付したドレスとはいえ、自分が今、一番嫌っている女が、自分のドレスを着ているかもしれないという事実と、エイミー嬢にロジェを取られるかもしれない状況は、私のエイミー嬢に対する嫌悪感をとてつもなく増幅させる原因となった。
私は会場側を見たことを後悔し、またも外の方に視線を向けた。
「私のことなんて、これっぽっちも考えてなさそうな人たちに、真剣に怒って悲しんで苦しんでいるだなんて、ただの滑稽な女じゃない……」
――それに、婚約者を取られたからと、その女に制裁を科したいと思っているだなんて、きっと最低な女と言われるに決まってる……。
「うっ……ううっ……く……っこんなの、惨めすぎるわっ……!」
――こうなった以上、なりふり構っていられない。
絶対に、婚約破棄してやるわ……!
私はそれ以上のことは何も考えたくなくて、両手で顔を覆い、俯いた。
すると、突然トスっという靴音が聞こえたかと思うと、男性の声が聞こえた。
「誰が惨めなんだい?」
私は驚き、声の主を見た。
「アーネスト……様?」
私の目の前には、苦しげな顔ながらも、真っ直ぐ、貫くような瞳で私を見つめてくる彼が立っていた。
お読みくださりありがとうございます(*^^*)
次話は、ロジェリオ視点です。