31話 決定打
その音楽は、ダンスタイムが始まる合図として、主催者代表のアーネスト様とパトリシア様が踊るためのものだった。
それを聞き、歓談していた人たちも皆、踊るためにダンスフロアへと移動し始めた。
すると、エイミー嬢と話が盛り上がっていた、ロジェが話しかけてきた。
「リディ、僕らも踊りに行こうか?」
そうロジェは話しかけてくると、私に手を差し伸べてきた。
正直とても踊りなんてできる心中ではなかったが、一貴族としての体裁を整えるためにもその手を取ろうとしたところ、エイミー嬢が話しかけてきた。
「あの! お願いがあるんです」
――散々人を虚仮にしたくせに、お願いですって?
さっさと踊りに行って、もう話しかけてこないでくれないかしら!?
私がそう思っていると、ロジェが対応した。
「どんなお願いだ?」
すると、少し言いづらそうにしながら、エイミー嬢が話し出した。
「私は今日がデビュタントなので、ファーストダンスはぜひ、ロジェリオ卿と踊りたいのです」
この国では、ファーストダンスは夫婦、婚約者、恋人、兄弟、誰もそういう相手がいないのなら、そう言う人同士で踊るのが通常だ。
そして、ラストダンスは、夫婦、婚約者、恋人、そういう相手がいないなら、その日踊った中で一番相性の良かった人と踊るというルールがある。
また、ファーストダンスからラストダンスまでの間は誰と踊ってもいいし、どうしても相手がいないなら、ファーストダンスとラストダンスは無理に踊る必要はない。
このことは、貴族なら誰しもが知っている常識だ。
――なのに……何を言っているの? この女は。
ロジェとファーストダンスを踊りたいですって?
聞き間違いかしら?
私は、完全に建前の笑顔を消した。
「今、あなたはロジェと踊りたいと言ったの?」
「はいっ」
「ファーストダンスを?」
「はい! そうですっ」
「ロジェが婚約者の私と一緒にいるって知っているのに、そんな発言をしているの!?」
「それは本当に申し訳ないのですが、デビュタントの記念に気心の知れているロジェリオ卿と、踊りたいと思いまして……」
「ファースト以外ではだめなの!?」
「……はい。初めてのダンスなので」
――もう、我慢の限界よっ!
「あなたいい加減にしなさい! 自分の婚約者と恋仲だと噂されている女性に、婚約者とファーストダンスを踊ることを許せるわけがないでしょ! それに、本当に申し訳ないと思っているなら、普通はそんな図々しいお願いなんてしてこないわよっ!」
私はついに怒鳴ってしまった。
しかし、音楽とダンスフロアに向かう人々の喧噪によって、周囲には聞こえていないようだ。
――ついに怒鳴ってしまったわ。
でも後悔はしていない。
少なくともこう言えば、普通の人間であれば、さすがに諦めるでしょう。
「さあ、ロジェ。踊りに行くわよ」
怒りながらロジェに声をかけると、ロジェが口を開いた。
「ちょっと待って、リディ」
――何で待たないといけないのよ?
まさか……あなたまで変なことを言い出すんじゃないでしょうね!?
「どうしたの?」
すると、ロジェが真剣な面持ちで話しかけてきた。
「リディは一昨年デビュタントだったけど、エイミー嬢は今日がデビュタントという特別な日なんだよ?」
「だからどうしたっていうの?」
「リディもデビュタントでは、僕と踊ったじゃないか。今日以降はリディとしかファーストダンスを踊らないから、今日に関してはエイミー嬢のお願いもある。エイミー嬢のお願い通り、エイミー嬢とファーストダンスを踊らせてくれないか? 僕からもお願いだ」
――噓でしょ……。
「な……何で、そんなことを言うの? 婚約前ならまだしも、今のあなたは、わ、私の婚約者でしょう……?」
「うん、そうなんだけど、ごめん……」
――何がごめんよ!
何が条件を守れたよ!
私は絶望のあまり、声が出なくなっていた。
それに、驚きとショックで涙すら出てこない。
すると、そんな私にエイミー嬢が話しかけてきた。
「……あの、リディア嬢がそこまで嫌がるとは思っていませんでした。私は我慢しますから、どうかロジェリオ卿と踊ってください」
――あなた何様よ! どの面下げて私の前でそんなことが言えるの!?
我慢? どの口が言ってるのよ……!
そう言ってやりたいが、呆れすぎて声が出ない。
もし無理にでも声を出そうものなら、調節が効かず、周囲も気付くほどの怒鳴り声になりそうだった。
すると、ロジェがエイミー嬢に話しかけた。
「そんな、エイミー嬢。一生の記念になるデビュタントなんだから、我慢しなくていいんだ」
それを聞いたエイミー嬢は、目に涙を溜め、ウルウルさせながらロジェリオに返事をした。
「そんな、リディア嬢に悪いです。まさか、ここまで嫌がるだなんて思っていなかったから……。私、またリディア嬢に悪いことをしてしまったんですね。本当にごめんなさい」
――ただの友達には我慢しなくても良いというのに、婚約者の私には我慢を強いるのね。
もういいわ、こんな思いをするのはもう沢山よ。
そう思い、吹っ切れた私は気力を振り絞って、声の震えがばれないように、エイミー嬢に話しかけた。
「エイミー嬢、よく考えてみると、確かにロジェの言うことも一理あるわ。どうぞロジェとファーストダンスを楽しんで」
すると、エイミー嬢がきょとんとした顔で聞いてきた。
「えっ? ほっ、本当に……良いのですか?」
「ええ、良いわよ。ロジェと踊りたいんでしょう。どうぞ」
そう言うと、先ほどまで泣きそうになっていたエイミー嬢は、すぐさま涙を引っ込めて笑顔になった。
「リディア嬢、嬉しいです! ありがとうございます! 大好きです! さあ、ロジェ様っ、早く踊りに行きましょう!」
そう言うと、エイミーはロジェの腕を掴み引っ張って、ダンスフロアへと歩き出した。
ロジェは引っ張られながら、振り返って言った。
「リディ! ラストダンスは必ず君と踊るから! 待ってて!」
そう言いながら、ロジェはエイミー嬢と嵐のように去って行った。
2人が去った後、私は無表情になり、独り言ちた。
「待つわけないじゃない」
婚約者と一緒に来たのに、婚約者は恋仲と言われている別の女性とファーストダンスを踊りに行った。
――私はそんな人を待つことは出来ない。
ダンスフロアに行った2人を見てみると、楽しそうに話している。
――どうして2人して、あんなふうに普通でいられるの?
2人と一緒にいた時は怒りの感情が満ちて麻痺していたが、2人がいなくなった今、私は孤独の波に飲み込まれそうだった。
「うまく笑えていたかしら? 私はいったい、どこから間違えていたの……?」
――こんな煌びやかな祝いの席なのに、私はいったいどうしてここにいるの?
今の私はここにはいられないわ……。
私は、目立たないように、人が最も来なさそうなバルコニーに向かって歩き出した。
そして、誰も自分を見ていないことを確認し、バルコニーに飛び出した。
そのころには、アーネスト様達が踊り終わったようで、ファーストダンスの準備を促すための音楽に変わっていた。
お読みいただきありがとうございます(*^^*)
次話は、ア―ネスト視点です。