123話 祝意
婚約の知らせを聞いた人々が、ベルレアン家にたくさんの祝いの手紙や祝いの品を送ってきた。普段関りの無い貴族たちからも、様々なものが送られている。
――婚約発表の時点なのに、すごいわ……。
婚約でこれなら、結婚した時はもっとすごいことになりそうね。
そんなことを考えながら、届いた手紙の仕分けをしていた。交友関係がある人からの手紙は、特に早く見たかったからだ。
「あら、ルイス伯爵家からも来ていたけれど、セレーネ様個人からも来ているわ! 嬉しいわ!」
「お嬢様、ベル公爵家のハイディ様からも来ていますよ」
「まあ! 個人から?」
「はい。わざわざ個人で送ってくるということは、恐らくサラ王女とのサロンでお嬢様のこと、アーネスト様の配偶者になる人物として相応しいと思ってくださったのかもしれませんね」
「そうだとしたら、その期待に応えられるようにもっと頑張らないといけないわね」
他の手紙を見てみると、家門からだけでなく意外にも個人からも個別に送られてきている手紙があった。こうして、手紙の仕分けもそろそろ終わるという頃、1つの手紙が目に入った。
その瞬間、心臓がドクンと鳴った。その手紙には、見馴染んだライブリーの文字が書かれていたからだ。
「ライブリー家からの手紙だわ……」
ライブリー侯爵家からの手紙も、他の手紙と同様、今回の婚約をお祝いする手紙なのだろう。しかし、私にとってライブリー家からのこの手紙は、仮に内容が他の手紙と同じであったとしても、同等のものとして考えることは出来ない。
仕分けはもうすぐで終わる。そのため、先にライブリー侯爵からの手紙を読むことにした。そして、深く息を吐き気持ちを落ち着けてから、そっと封を開け便箋を出した。
手紙を開くと、美しい字で婚約を祝うメッセージが書かれていた。
――この字は、ジュリアナ様の字ね。
文章の大体は祝いの言葉の定番の文章であった。しかし、読み進めていき手紙の終盤に差し掛かったというところで、手紙の文体が変わった。
リディア嬢、私の息子のせいであなたには本当に嫌な思いをさせてしまって、謝っても謝り切れないです。リディア嬢が私の娘になる日を夢見たこともあったけれど、あなたが結ばれる相手がアーネスト殿下で本当に安心したの。心の底から良かったと思えたわ。
あなたにとって私たちの存在は疎ましいかもしれないし、この手紙自体が負担になるかもしれないと思って、書いている今もこの手紙を送るか迷いながら筆を進めています。ただ1つ言いたいことは、リディア嬢に幸せになってほしい、これだけよ。
未来永劫、あなたとそしてアーネスト様の幸福と繁栄を願っております。
そう締め括られていた。最後にはライブリー侯爵のサインもあった。この手紙を見て、今までのジュリアナ様との記憶がぶわっと蘇ってきた。
最初の部分はすべて体裁を整えた公的な手紙だったが、最後のこの部分だけは今までくれた手紙のように、敢えて話しことばで書いてくれていた。ジュリアナ様の性格上、話しことばにすることによって、出来るだけ祝いの手紙に書く自分の気持ちが重苦しいものにならないよう配慮しているのだろう。
だが、今までと徹底的に違うのは、私の呼び名についてだ。ジュリアナ様はいつも澄んだ美しい声で会うたびにリディちゃんと呼んでくれていた。手紙をくれる時も、リディちゃんと書いてくれていた。
このリディちゃんと言う呼び方は、私の母とジュリアナ様、そして王妃様が親友であり、幼いころから頻繁に会う中でいつの間にか呼ばれるようになった呼び方だった。もう物心ついた時から既に呼ばれていた呼び方である。
この呼び方をする人は極一部の人間だけであったが、その1人であるジュリアナ様がリディア嬢と呼ぶようになったことに、ほんの少し胸が痛んだ。だが、その手紙の内容自体は、私とアーネスト様のこれからを祝福してくれる前向きな内容であったため、私はそっとその手紙を閉じて、残った手紙の仕分けを始めた。
手紙の仕分けを終え、自分にとって重要な手紙から読み進めて行き、すべて読み終わった頃、ポーラが話しかけてきた。
「お嬢様」
「どうしたの?」
「明日は王宮に行かれますよね? この2着のうちどちらのドレスを着て行かれますか?」
そう言うと、2着のドレスを見せてきた。そうして見せてきたドレスの色は、ピンクとミントの2色だった。
「ミントのドレスにしようかしら。でも、そんなドレス私持ってなかったわよね? しかも2色とも、あまり私の手持ちにない色だわ」
余りにも見覚えのないその2着のドレスが不思議で、ポーラに尋ねた。すると、いつも真顔のポーラがほんの少しだけ口角を上げて話し出した。
「旦那様が婚約のお祝いとしてご用意してくださったのです」
「え!? お父様が!?」
「左様でございます。なんでも、その2色は奥様が結婚前に頻繁にお召しになっていた色だそうで、記念にと選んだそうです」
――そうだったのね……。
そんな話聞いたことがないから知らなかったわ。
「お父様とお母様にお礼を言わないと!」
「はい。では、明日はミントのドレスをご用意いたしますね」
「うん、お願い」
こうして次の日になり、黄緑のドレスを着て王宮へと向かった。なぜ王宮に向かっているのかと言うと、王太子の婚約者として、2週間に1回は公的な形で王太子と王宮で会わなければならないという規定がなされているからである。
私たちは元々仲が良いが、歴代の王族が皆そうという訳ではない。そのため、結婚する前に互いに交流を図るべく、1か月に1回公的に設けられた時間に会うということが慣例化し、今の形になっているのだ。
王宮に着くと、門兵でもポールさんでもなく、アーネスト様が直々に出迎えてくれた。
「リディ、会いたかったよ」
「ふふ、私も会いたかったです」
気恥ずかしくはあるものの、思った通りに素直な感情で返すとアーネスト様は幸せそうにニコニコと笑ってくれる。
「今日のリディはいつもと雰囲気が違うね。ミントのドレスを着ているリディは初めて見たよ。リディは何色でも似合うし、今日も綺麗だね」
そう言って微笑むアーネスト様に、私は既に限界を超えそうだった。
――嬉しいけど、そんな風に言われたら恥ずかしい……!
周りの人たちも聞いてるのに!
しかし、アーネスト様は照れていると思っているだけで、私がどれだけ気恥ずかしい思いをしているかは分かっていないだろう。実際この気持ちを伝えたとしても、アーネスト様なら、本当のことを言っているだけだから恥ずかしがる必要なんてないよ、と言いかねない。
それが分かっているからこそ、私はもう敢えて何も言うことなく赤面状態のままアーネスト様にエスコートされて、設けられた部屋へと歩き出した。歩き出してから、アーネスト様が先に口を開いた。
「そうだ、リディ。今日はサイラス卿がリディに直接祝いの言葉を言いたいと言っていたから、どこかのタイミングで来てくれるはずだよ」
「え!? サイラス卿が直々にですか?」
以前よりはお世話になって交流が増えたものの、直接挨拶に来てくれるなんて思っていなかった。だからこそ、サイラス卿からのこの申し出は、少し驚きだ。そんな私の意外だという反応に気付き、アーネスト様が言葉を付け加えた。
「未来の王太子妃になるんですから、家臣として気に入ってもらうためにきちんと挨拶しないとって言ってたよ」
そんなことをサイラス卿が言ったと知ってつい笑ってしまう。
「うふふっ、サイラス卿がそんなことを? ふふっ」
――ああ、なるほど。そういうことね。
敢えてそんな訪問意図を本人にしているあたり、サイラス卿の世渡り上手の訳が窺い知れるわね。
そんなことを思いながら、アーネスト様と歓談用の部屋に入った。するとすぐに、その部屋をノックする音が聞こえた。
「ポール、恐らくサイラス卿だ。入れてくれ」
「御意」
そう言うと、ポールさんが扉に向かって歩き、扉を開けて向こう側の人物を見て少し驚いた顔をした。
――どうしたのかしら?
サイラス卿ではないの?
すぐに入って来ない訪問人物が誰か気になり、扉にずっと目を向けているとポールさんが一瞬考え事をしているような顔をした直後、訪問してきた人物を2名室内に通した。
そして、その2名は私の目の前に立った。私もその2名のうち1人の人物を見て息を飲み、瞬発的に立ち上がって声を発した。
「っウィル……!」
「リディ様……」
本当に久しぶりにウィルに会った。私の家に謝罪に来て以来の再会だ。
「ウィル元気だった? どうしてここに……?」
「僕は元気だよ。今日はサイラス様に頼んで連れて来てもらったんだ」
ウィルのその言葉を聞き、反射的にサイラス卿に目をやった。すると、サイラス卿は澄ました顔で微笑みながら、話しかけてきた。
「断り無く連れて来たことは申し訳ないですが、私の唯一の弟子がどうしてもリディア嬢にお祝いを言いたいというので、連れて来た次第です」
ウィルに目を向けると、感動したような顔で真っ直ぐこちらを見ていた。会わなかった間にまた背が伸びている。
「ウィルそうなの?」
そう問いかけると、ウィルが感極まったという様子で話し出した。
「まず、お2人ともご婚約おめでとうございます。2人にお祝いを言いたかったけど、言っていいか分からなくて……。でも、一か八かで頼んでみたら、サイラス様が連れて来てくれたんだ」
――そうだったのね……。
「やっぱり諦めずに頼んで良かった……。2人とも本当にお似合いだよ。もう、僕は本当にリディ様が幸せになれるのなら、もう何の悔いもないよっ……!」
泣きそうな顔で言うウィルに流石にアーネスト様も声をかけた。
「ウィル、祝いの言葉をありがとう。ウィルの望みも叶えるために、俺がリディを幸せにしよう。でも、ウィル。ウィルも幸せにならないとダメだ」
「そうよ、ウィル。私はウィルにこそ幸せになって欲しいわ。あなたは今サイラス卿のところで、学ばせてもらっているんでしょう?」
そう言うと、ウィルは私の目をしっかりと見て、はいと力強く答えた。
「あなたはそこで学んだ知識を活かして、サイラス卿の手伝いをしている仕事が好きよね?」
「うん、一番……楽しいし好きだよ……」
モジモジとした様子で答えるウィルは、まだ少し緊張しているようだ。
「ウィル……あなたは優しくて強い人間よ。あなたはきっと立派な人物になるわ。そんなあなたが、サイラス卿の元で学んで楽しく幸せに感じている仕事で、この先私たちに協力してくれたら、私はすごく嬉しい」
その言葉を聞き、ウィルは目を見開いた。すると、アーネスト様がウィルに口を開いた。
「ウィル、将来は俺とリディ達を支えてくれるか?」
「も、もちろんです……! 僕、全力で頑張りますっ!」
その言葉を聞き、アーネスト様は嬉しそうに微笑んで、ウィルの頭を撫でた。そして、ウィルの頭を撫でながら、サイラス卿に話しかけた。
「だそうだ、サイラス卿。ウィルのことを今後もよろしく頼むよ」
「はあ、未来の国王様と王妃様のお願いとあらば、お断りはできませんね」
澄ました顔を崩すことなくおどけた口調で答えたサイラス卿の言葉を聞いて、ウィルは嬉しそうに本当ですか!? と大喜びしていた。そんな大型犬のようなウィルをサイラス卿は適当に窘め、私に改まった様子で声をかけてきた。
「リディア嬢、改めて婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ」
そう言うと、そろそろ失礼しなければと言い、ウィルを引き連れて出て行った。そして、騒がしかった部屋には静寂が訪れた。すると、その静寂を打ち破るようにアーネスト様がポールさんには聞こえない程の小さな声で話しかけてきた。
「リディ」
「どうしました?」
「今度、デートに行かないか? 皆には内緒で……」
そう言うアーネスト様は、珍しく悪戯っ子のような微笑みを見せた。そんなアーネスト様の誘いに、私は同じく悪戯な笑みを返した。