115話 唐突なる変化
サラ王女が、ドレスを着ているとは思えない速さでこちらに走ってくる。そして、あっという間に私たちの前までたどり着いた。
サラ王女の護衛の方もサラ王女を追いかけるように走ってきた。彼はサラ王女に遅れて走り出したものの、サラ王女と同着で私たちの前へとやって来た。2人とも一切息切れをしていない。
「リディア嬢……!」
いきなり大きい声で名前を言われたため驚き、ついビクッと反応する。しかし、その様子を気にすることはなく、サラ王女は言葉を続けた。
「今まで本当に、本当にごめんなさい……! あなたは何も悪くないのに、そんなあなたに当たって、本当に酷い態度をとったわ。謝っても謝りきれない。……本当にごめんなさい」
そう言うと、あろうことかサラ王女は深々と頭を下げた。護衛の方もサラ王女に合わせるように、共に頭を下げた。
何も知らない人が見ると、ただの侯爵令嬢が、一国のしかも他国の王女様に頭を下げさせているというこの光景は、異様でしかないだろう。しかも、頭を下げている人は他の誰でもない、あのサラ王女だ。
そのうえ、護衛の男性もとい騎士団長様も頭は下げているものだから、迫力は抜群だ。私は目の前で繰り広げられている事態を、うまく処理することができない。
一方で、サラ王女は頭を上げると今度はアーネスト様に向き直った。そして、アーネスト様にも謝罪を始めた。
「あなたにも、本当に色々迷惑を掛けてごめんなさい。かなり困らせてしまったわよね。あなたにも、本当に謝っても謝りきれないほどのことを繰り返してしまったわ。本当にごめんなさい」
そう言うと、私同様アーネスト様に対しても、サラ王女と騎士団長様は頭を下げた。今までの態度と一転し、突然謝ってくる彼女の態度の変わりように恐怖と困惑の感情が胸を渦巻く。
私は横目でアーネスト様をチラりと見た。すると案の定、アーネスト様も突然のサラ王女の態度に対し、困惑の表情を浮かべていた。
謝ってくれたのなら、すべて水に流します。良いですよ、分かりました。と答えることも出来ない。そのため、何と答えたら良いか分からず私たちはフリーズし、その場は沈黙が包んだ。
すると、その沈黙を破り、サラ王女隣にいる騎士団長様が口を開いた。
「ロイル王国騎士団長のハリソン・ライアスと申します。お二方の前で私が口を開くのが大変失礼なこととは存じておりますが、私からもよろしいでしょうか?」
その声に対し、アーネスト様は話を促すよう反応した。
「では……まず、私からもサラ様のことについて、謝罪させてください。大変申し訳ございませんでした」
「……なぜ、騎士団長が謝るのですか?」
アーネスト様は怪訝そうな顔をし、騎士団長様に問うた。この問いに対し、騎士団長様は眉をぴくッと動かした後、答えた。
「まず1つは、一国の王女がしたことに対する、臣下としての謝罪です。そして、もう1つは、私の婚約者となる方が行った過ちを個人的に謝りたい、と言うのが私がサラ王女とともに、あなた方に謝罪する理由です」
至って真面目と言った様子で、真剣にこちらを向いて話をしている彼であるが、今聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
「婚約者……ですか……?」
「婚約者……?」
つい声が漏れてしまった。アーネスト様も同じように婚約者という言葉に驚いている。いや、確かにサラ王女にこうして話しかけられる前、サラ王女は騎士団長様とキスをしていた。
この光景を見た時から、2人は私たちには如何ほどのものかはうかがい知れないが、ただならぬ関係であるということは予見できた。しかし、婚約者というのは、今までの私たちに対する言動からは想像も出来なかった。
だからこそ、私たちは驚きを隠すことができない。すると、サラ王女が様子を見かねて口を開いた。
「あなたたちには、改めてきちんと謝罪の場を設けて謝らせてほしいの。そして、そのときハリソン騎士団長と私の関係についてきちんと説明させてほしい」
「謝罪の場ですか?」
アーネスト様が尋ねた。
「ええ、こんなんじゃなくって、きちんとした形で謝らせてほしいの。指定の場所はあるかしら? 謝らせてもらえるなら、あなたたちの指定の場所に合わせるわ」
このサラ王女の話を聞いていると、とにかく謝りたくてたまらないらしいということが伝わってくる。何がきっかけになったのかは分からないが、サラ王女に行動を改めようと思わせる何かがあったのだろう。
しかし、正直なところ謝って自分が身軽になりたいだけだとしか思えない。謝ることが出来たら、謝ったという免罪符ができる。それさえあれば、今より幾分かは気が楽になるだろう。
だからこそ、謝罪をしたいというその言葉に、少し狡猾さを感じてしまう。ただしそうかと言って、まったく謝罪がないというのもおかしな話である。そのため、対等な王族同士であるアーネスト様に判断を委ねることにした。
「どうかしら?」
サラ王女の問いに、しばらく黙っていたアーネスト様が口を開いた。
「サラ王女の謝罪の意は分かりました。改めてきちんとした場で謝罪をすると言うのも了承します。しかし、謝罪されたとしても、すべてのことをそのまま水に流すことは出来ない可能性があります。あくまで個人的な感情として、許せない可能性もあるという意味です。それを承知の上で、謝罪の場を設けるという形でもよろしいですか?」
このアーネスト様の言葉に、サラ王女は少し顔を強張らせ固まった。しかし、それは一瞬のことでサラ王女はすぐに言葉を返した。
「え、ええ。そうよね。簡単に許してもらえるとは思っていないわ。それでも、あなたたちには謝らせてほしいの」
はっきりと許せない可能性があると言われたからだろう。話をしているサラ王女の顔には、申し訳なさそうで悲痛そうな表情が浮かんでいた。そんなサラ王女に、アーネスト様は言葉を続けた。
「謝罪の場ということですが、王宮で良いのではないでしょうか。王宮内のどこかというのは、また改めて決めてお伝えいたします」
「ええ! ありがとう……。正直、謝罪の場は設けてもらえないと思っていたの。それほどまでに、私はあなたたちには最低なことをしたから……。機会を与えてくれてありがとう」
本当にどうしたというのだろう。別人のようなサラ王女の反応を見て、顔がそっくりな偽物じゃないかと思えてくる。しかし、ヒールを履けばアーネスト様の背を超えるこの女性は、サラ王女に違いない。
そんなことを思っていると、サラ王女が私に話しかけてきた。
「リディア嬢も、それで大丈夫かしら?」
私に目線を合わすように屈み、心配そうな面持ちでそう問いかけてくるサラ王女は、本当に人が変わったとしか思えない。
「はい。問題ございません」
その答えを聞き、サラ王女はホッとしたような顔をして、目に薄っすらと涙が幕を張っていた。その様子に、ますます奇妙だとしか思えない。
――人がこんなに一瞬で変わることがある?
これが本当のサラ王女で、あんな態度をとっていたのには理由があったの?
でも、余裕が無いときに人の性根が出るというわ。
どれだけ考えたところで、他人が誰かの心を完璧に理解することなんてできない。そのうえ、冷静に考えて私はサラ王女には片手で足りる程しか会ったことがないのだ。なおさら、分かろうとしたところで、無理なことは明白だ。
こうして考えているうちに、アーネスト様とサラ王女は話を進めていたため、謝罪の場を設けることと、その場はまた改めて連絡するということが決まった。2人が話しをしている中、ずっと黙っていた騎士団長様をチラッと見た。
――お父様より少し若いくらいの方かしら?
騎士団長様は、サラ王女よりも背が高く、筋骨隆々とした体躯をしている。そして、彼はその精悍な顔にひげを生やしている。そしてこのひげがまた、騎士団長様には特別よく似合っている。漢という感じと大人の男性を掛け合わせたような人だ。
――アーネスト様とは系統がこんなにも違うのだから驚きよ。
キスをしていたということは、この人とそういう関係……ってことよね?
人は心と言っても、流石にここまで顔の系統が違っていたら脳内処理が追い付かないわ。
アーネスト様に好意があったはずじゃ……。
そんなことを思っていると、アーネスト様が声をかけてきた。
「リディ、そろそろ帰るよね? 馬車まで送るよ。行こう」
「ありがとう、リディア嬢。このあいだのサロンの後は大丈夫だったかしら? 無理しないでちょうだいね。今日は足を止めてくれてありがとう。気を付けてね」
「ありがとうございます……。では、失礼いたします」
そうサラ王女に返し、私はアーネスト様とともに馬車へと歩き出した。そして、サラ王女たちが完全に見えなくなったところで、口を開いた。
「サラ王女、正直別人かと思ってしまいました」
「ああ、俺もそう思ったよ。ただ、あれは俺がロイルに行ったばかりの頃のサラ王女そのものだった」
「えっ……」
元のサラ王女が、先ほどのサラ王女だったとは驚きだ。しかしなおさら、そんな人があそこまで豹変した理由が謎だった。
「人は理由があれば、あんなにも変わるのですね……」
ふと零したその言葉に、アーネスト様は反応した。
「ああ、そうだな。だが――」
アーネスト様はこちらの顔を覗き込むようにして言った。
「どんな理由があってもリディに対する俺の想いは変わらないよ」
さも当たり前と言うように、爆弾を落とした。その言葉につられ、頬がつい赤くなってしまうのが自分でも分かる。そんな私の反応を見て、アーネスト様は嬉しそうに微笑んでいる。
想いが通じ合うというのはこういうことなのかと痛感した。アーネスト様が私のことを愛してくれているというのが表情からも伝わってくる。
この人は私のことが本当に好きなのか、どう思っているのかと、疑う余地もない。そんなアーネスト様の表情につられるように、私も自然と微笑みを返す。
今日の出来事はすべて夢なんじゃないかとさえ思える。しかし、馬車が見えた途端それは現実だと分かった。
――ああ、想いが通じ合ったばかりなのに、もうお別れなのね……。
次に会えるとしたら、サラ王女の謝罪の場よね?
目の前にいるのに、今から既に恋しいわ……。
自分の感情を素直に認めてしまえば、なんともあっけないという程に、アーネスト様への想いが強くなっていく。アーネスト様にエスコートされながら、馬車に乗るも後ろ髪を引かれる思いでアーネスト様を見つめてしまう。
すると、アーネスト様は流れるような手つきで私の髪を一房手に取った。そして、その髪にキスを落とした。
「リディ、もう君が恋しいよ。リディとの時間は一瞬だな。気を付けて帰るんだよ。……愛してる」
――アーネスト様の言葉回しは、ちょっと恥ずかしいわ……。
だけど、言われたら嬉しいものね。
アーネスト様の言葉一つで、ついつい顔が緩みそうになる。アーネスト様に触れられるだけで、心が踊るようだ。自分ではそんなつもりはないが、私の目はとろけきっているのかもしれない。
私はアーネスト様にフィルターをかけて見ているのかもしれない。そう思えるほどに、アーネスト様に惚れてしまっている。
――私ってアーネスト様限定で造作もない人間なのかも……。
そんなことを思いながら、気恥ずかしいがアーネスト様に言葉を返した。
「私も愛しております。……それでは」
「……っ!!!!!! ああ。気を付けて帰るんだよ。……リディが良い夢をみられますように」
そう言うと、アーネスト様は馬車の扉をそっと締めた。
――私が寝不足のことに気付いていたのね……!
アーネスト様は寝不足であることに気付いていた。そして、最後にさりげなく気遣う言葉をかけてくれたということだけでも、ついアーネスト様に胸がときめいてしまう。
これが、好きになってしまった副反応と言えるのかもしれない。しかし、この恋の副反応は嫌ではないのだ。ここのところ、王宮からの帰り道はいつも複雑な気持ちでいっぱいだった。
しかし、今日は久方ぶりに浮かれた気分で家へと帰ることができた。そんな浮かれきった私が、王宮にいる彼が悶絶寸前状態になっているということは、知るよしもない。




