110話 落とし前〈エリック視点〉
王宮内で、アーネスト殿下とリディア嬢の噂が広まっていた。それにより、姉上が精神的に弱っているかもしれないと思い、様子を見に行くことにした。
廊下を歩き、姉上の部屋の前までやって来ると、何やら重厚な扉の向こう側から、姉上が誰かと話している声が聞こえてきた。
――誰だ? 姉上と……この声は、騎士団長か?
どうして2人が部屋の中で話しているんだ?
僕はマクラレン王国に滞在していたため、姉上が軍務関係の仕事をしている姿をあまり見たことはなかった。だからこそ、姉上と騎士団長の関係性についても、どれくらいの親交があるのかという程度の把握はしていなかった。
そのため、姉上が恐らく騎士団長と2人きりで密室にいるという状況に、違和感を覚えざるを得なかった。しかも、部屋の中からは、何やら怒鳴り声や悲痛な声が聞こえてくる。
――姉上がここまで感情的になるなんて、一体どんな話をしてるんだ?
完全に余裕を失ったような姉上が気にかかり、姉上の部屋の扉に近付き、耳を澄ませてその話の内容を聞いた。
――私は相応しくないって……。
何を言っているんだ?
姉上もかなり怒っているようだ。
いったいこれは……何か2人して隠している重大なことがあるんじゃないか?
僕は、姉上と騎士団長の話の内容を理解しきることが出来なかったため、混乱状態にあった。そんななか、姉上の部屋の扉が開き、中から騎士団長が出てきた。そして僕の存在に気付き、驚いた様子で、僕の名前を呼んだ。
――今の会話について、きちんと聞く必要がありそうだ。
そう思い、驚いた様子で固まっている騎士団長に、声をかけることにした。
「今の話はどういうことですか? 騎士団長」
そう声をかけると、騎士団長は観念したような顔をした。そのため、僕は騎士団長から詳しい話を聞くべく、言葉を重ねた。
「僕の部屋に一緒に来てください。そして、そこで洗いざらいすべて話してください。もちろん、知っていること全部です」
「はい、承知いたしました」
こうして話しを聞くために、僕は騎士団長を連れて、自身が割り当てられている客室まで移動した。移動中はなんとも言えぬ焦燥を感じていた。そして、騎士団長を席に座らせて口を開いた。
「さっき、部屋の中から私は相応しくないというような内容の発言が聞こえてきました。その言葉はいったいどういう意味で、どういった意図で発した言葉なのでしょうか?」
この問いに対し、騎士団長は非常に言いづらそうな表情をして口を開いた。
「その……サラ王女は昔からですね、私のことを……っ慕ってくださっているのです」
――なんだって!?!?
姉上が騎士団長を慕っているだと!?
嘘だろう……。
じゃあ、今までのアーネスト殿下やリディア嬢に対する態度は何だったんだ??
驚きのあまり絶句している僕のことを気にすることはなく、騎士団長は言葉を続けた。
「しかし、私には婚歴があります。若い頃に妻を亡くし、また子もいないためそれ以来ずっと1人ですが……。歳も40です。きっとサラ王女よりだいぶ早くにこの世を去ることでしょう。私は愛する者を失う気持ちは痛いほど分かっております」
苦々し気な表情になり、騎士団長は話を続ける。
「それに何より、実力を認めてもらいここまで来たものの、私の出自はどう足掻こうと平民です。騎士爵はいただいておりますが、貴族の爵位はないです。このような人間がサラ王女と結婚などしてよいはずがありません。夢のまた夢も良いところです」
苦しげな表情で告げる騎士団長の言葉が余りにも予想だにしないものであったため、その事実に気が遠くなってきた。
「姉上はいつから団長のことを……?」
「アーネスト王太子様が来る前からなので……かれこれ8年ほどでしょうか」
更なる情報に、より気が遠くなりそうになる。
――そのころから、姉上はずっと団長のことが好きだったのか?
それならなぜ、こんな……。意味が分からない。理解不能だ。
そう思いながらも、あまりにも騎士団長が身分を気にする発言をしていることが気にかかり、つい口を出した。
「父は騎士団長の実績を認めています。あなたほどの功績がある人であれば、父は身分は問わず、姉との結婚を許したはずです。頭ごなしに反対する人ではない」
――そうだ、父上は国全体から称えられるほどの人物であれば、身分を理由にいきなり反対ということはしないはずだ。
そう思ったが、騎士団長の反応は僕の予想とは少し違うものだった。
「だからです! 一度国王陛下にも言われました。私も正直、サラ王女をお慕いする気持ちは持っております。しかし、そう簡単な話ではないのです」
――簡単な話ではない、か。
確かにそうだとは思うが、僕が思っている以上に騎士団長は考えていることが多そうだ。
「どういうことか説明してくれるか」
説明を促すと、騎士団長は膝上でギュッと固く拳を握り、必死の形相で伝えてきた。
「サラ王女はロイル王国の愛される王女様です。それに私も、っサラ王女のことをお慕いしております。ですが、だからこそなんです! だからこそ、そのような大事な方には完璧な人とこれから先の人生を歩んで欲しいのです」
声を絞り出すように話す様子から、その想いの強さが伝わってくる。
――そういう気持ちも分からなくはないが、ではなぜ今このような状況になっているんだ!?
完璧な人物というのが、アーネスト殿下ということか?
だが、姉上が騎士団長を慕っているというのであれば、その言動の意味が分からない。
「ではなぜ今のような状況に!?」
そう問うと、騎士団長は言いにくそうに気まずそうな顔をして言った。
「サラ王女に、私ではなく完璧な人とこれから先の人生を歩んで欲しいとお伝えした時に、私がアーネスト王太子殿下と結婚したら良いと言ってしまいました。私なんかとは違い、身分も確実ですし、一生安泰に幸せに過ごせる相手だと思ったからです」
――何ということだ……。
じゃあ、お姉様はアーネスト殿下が好きなわけではない、ということなのか……?
でも、言われたからって切り替えられるのか?
「そんな……それでこんな……。でも、あなたに言われたからと、そんなに直ぐに切り替えられるとは思えません。姉上はアーネスト殿下に好意を持っているのですか?」
「好感は持っていると思います。……ですが全ての言動は私への、その、言いづらいのですが、当てつけと言いますか……」
――当てつけ?
「とにかく、サラ王女との結婚を選択しなかった私を後悔させるために、私が提示したアーネスト王太子殿下と結婚しようと躍起になっているのだと思います……。しかし、思った以上にことが上手くいかず焦っている様子でして……」
――焦っている様子でして……じゃないだろ!?
怒りの感情が湧き上がってきたが、騎士団長は続けた。
「1度、私は好きな人と結ばれないのに、他の人たちは幸せそう。アーネストはずっと一途に1人の女性を想って、現状を何とかしようとしてるのに、何であなたは諦めるのよ、と言われました……」
あまりにも情けない話に、自然と手がワナワナ震えてくる。
「なぜそのことを僕にすぐ言わなかったんですか!?」
あまりの無防備さに驚きを隠せない。僕自身の頼りなさもこの現状を招いた要因とも考えられる。あまりの醜態と無力さに打ちひしがれそうになりながら叫ぶと、騎士団長は申し訳なさそうにしながらも、しっかりとした口調で話し出した。
「…………サラ王女を愛してしまっているからです。許されないことです。大変申し訳ございません。感情を隠すことは出来ましたが、想うことだけは止められませんでした。それに、私のせいでサラ王女に罰が下るなど耐えられませんでした」
考えても見なかった真実を知って、もう愕然とするしかない。しかし、姉上の異常なまでのアーネスト様への執着や、リディア嬢に対する八つ当たりとも思える敵対心の正体が分かった。
「騎士団長。あなたが完全に悪いとは言いません。むしろ、欲に呑まれず王女の誇りを優先することで、姉上に対し誠意を貫き通したと讃美する人もいるでしょう。しかし、このことがきっかけで巻き込まれた被害者がいることは事実です。このことを僕に報告しなかったことは、あなたの罪です」
そう言うと、騎士団長はハッとした顔になり僕を見た。
「僕は、姉上に別に苦しんで欲しいわけではない。むしろ幸せになって欲しいのです。その幸せにあなたが必要であれば、僕は姉上とあなたの婚姻に否定的な意見を持ってはいません。場を設けます。きちんと話しあってください」
そう言うと、騎士団長は困ったような表情で口を開いた。
「でも、私のような者が……!」
「あなたは姉上を愛しているんですよね?」
「……愛しております」
「でしたら、姉上にあなたが相応しいかどうかを決めるのはあなたじゃない。周りだ。姉上にも今から話しをしてきます。今からでも遅くない。あなたの想いをすべて姉上に打ち明けてください」
「承知、いたしました」
その言葉を確認し、僕は一度姉上の部屋に行くことにした、
――大変なことを知ってしまった。早く姉上のところに行かなければ。
正直気を失うのではないかという状態で、姉上の部屋へと足を進めた。姉上の部屋に着きノックをするが返答が無いため、勝手に扉を開けて部屋の中に入った。
「姉上、団長から聞きましたよ」
そう言うと、ソファに座り込んでいた姉上が振り返った。その目は充血していた。
「エリック…………」
「姉上、姉上にはアーネスト殿下じゃない想い人がいるんじゃないですか。他の人に嫉妬して八つ当たりする前に、僕に相談するべきだっただろ!? 自分たちじゃ解決できないのに、それを隠して問題を起こすだなんてあんまりだろう!」
想いが先行し、いつもの僕では考えられないほどの声量が出た。姉上はそんな僕を見て驚いた表情をしたものの、淡々と話した。
「だって、あなたはまだ子どもでしょう? それに、ハリソンがアーネストなら相応しい、良い相手だろうって言ったから……全部ハリソンが……」
「子どもかもしれないけど、相談する方がまだマシだっただろ! それに、何でもかんでも人のせいにするのもいい加減にしろ! 騎士団長の立場に立って考えたら、そう言ってしまう気持ちも分かるだろう!」
人には子どもと言いながら、誰よりも子どものような対応をする姉上に苛立ちが募り、つい怒鳴ってしまった。
すると、姉上は今まで見たことないほど衰弱した様子で、グスグスと泣きだした。
――こんなに弱った姉上は見たことない。
言い過ぎたか……?
いや、言い過ぎなんてことはないはずだ。むしろ、優しい方に違いない。
ここは心を鬼にするんだ。
「今日はもう遅い。明日、姉上と騎士団長の話し合いの場を設けます」
「そ、そんな……」
「そんなもこんなもありません。これは決まったことです。明日ですべてはっきりさせましょう」
そう言い残し、姉上の部屋から出た。
――明日ですべて終わらすんだ。姉上を止めてみせる。