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Day1 21:41 ~Side by サイファ~
「ふうっ……」
石畳の上をゆっくりと歩いて行く。
見上げる夜空は星河一天。大小様々な星々が集まり、まるで川のように煌めいている。
「すうっ、はぁっ……」
深呼吸をして、肺に新鮮な空気を送り込む。ルーラルエリアほどではないが、セントラルエリアも十分に空気が美味しい。
ミレニアムにおいては、この夜空も空気も当たり前。夜空の星々が輝いていることも、都市内部の空気が清浄であることも、もはや思考の前提となっている。
しかし――かつての世界は違っていた。災禍の一日が起こる前の世界、すなわち高度に発展した世界においては、今とはむしろ逆。星々を観測することは難しく、空気も酷く汚染されていたと言う。
かつての世界については、もはや記録の上でしか知ることが出来ない。オレも詳しいわけじゃないが、知っていることと言えば……例えば移動手段だ。
かつての世界では、個人が高速な移動手段を持っていた。その名前は確か……自動車。四輪駆動で、ハンドルを回し操作する乗り物だったと言う。あと、遠い目的地を目指すときは、飛行機という空飛ぶ鉄の塊を利用していたらしい。
かつての世界はどれだけ裕福な暮らしをしていたのだろうか。きっと今よりも快適で、効率的な生活を送っていたに違いないだろう。しかし、高度な文明の代償に環境は汚染され、世界に様々な「異常」が起こっていたのもまた事実だそうだ。
とはいえ、だ。ミレニアムとかつての世界とで共通していることがある。それは――エネルギーの基礎単位として電気を利用していることだ。そこらに設置されている街灯は電気で光っているし、お湯を沸かすケトルも電気を利用し発熱している。
ただし、電気の利用方法は同じでも、それを生み出すプロセスには大きな違いがある。かつての世界では、石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料、下手をすれば大爆発するような危険物質などを利用していたようだ。
一方ミレニアムには、そのような化石燃料の類いは殆どなかった。しかし、その代わりというわけではないが、かつてと違ってありふれた物質が存在した――そう、マナだ。ミレニアムではマナを利用し、電気エネルギーを生み出しているのだ。
セントラルエリアからならほぼ何処からでも目に入る、常に青白い光を放つ超高層建造物――セントラルタワー。その先端から展開される都市の天蓋と呼ばれる粒子は、マナが都市の内側に流入するのを抑える役割を果たしている。
しかし、事実都市のマナ濃度が3%であるように、都市の天蓋があれどもマナの流入が完全に食い止められているわけではない。そこでオラクルは、都市に流れ込んだマナを利用することで都市のマナ濃度を下げるという、斬新かつ画期的なアイディアを思いついた。
オラクルはその研究の中で、適合者に注目した。適合者はマナに免疫があるだけでなく、それを利用する力、異能を持っている。彼らはそのメカニズムを解明し、それを発電技術へと発展させた。要するに、マナを電気エネルギーに変換する技術を成立させたというわけである。
ミレニアムはかつての世界と比べれば、文明のレベルが後退しているのは事実である。しかしだ、オラクルだけはその例外であるだろう。彼らは「非」適合者の救済のためにMC薬を完成させ、マナを電気エネルギーに変える変換装置まで作り上げたのだから。彼らのその技術力の高さはもはや……魔法と表現しても、過言ではないだろう。
「……ん?なんだ、これ?」
歩いていると、コツンと、靴のつま先に何かがぶつかった。
しゃがんで確認してみると……これは、婦人用の手提げバッグ?煌びやかと言うよりか、むしろケバケバしい装飾だ。でもこれ、どっかで見たことがあったような……。
ああ、そうだ。たらふく亭の常連の、水商売をしていたお姉ちゃんが、こんなバッグを持っていた気がする。
確かあの人、今日もたらふく亭に来ていたな。そして、オレより先に店を出て行った。この道はたらふく亭から一直線だし、あのお姉ちゃんもここを通ったのかもしれない。
だからこのバッグは、お姉ちゃんのものである可能性は十分に考えられる。
でも、どうしてこんな所に横倒しになっていたんだ?財布やら貴重品やらが入っているし、ポイ捨てしたというわけではなさそうだが。
「酔っ払って落とした……のか?」
お姉ちゃんが飲酒して、へべれけになっていたかまでは覚えていない。でも、バッグなんて大切な物を、うっかり落とすなんて考えられないしなぁ。酔っ払っていたという線が濃厚だろう。
ここはならず者が多い区画。貴重品の類いが入ったバッグなんて、いつハイエナがやってきてもおかしくない。ここに放置しておいたら、二度とお姉ちゃんの手元にバッグは戻らないだろう。
仕方ない。夜が遅くなる前には家に帰りたかったんだが、GotHの交番に届けに行くとするか――。
「きャァァァァぁーーーーーーーっっッッッッッ!!!」
周囲の静寂を破るかの如く、数本先の路地裏の方から、絶叫に近い金切り声が突如響き渡った。
思わず、呆然と立ちすくんでしまう。
そして背中にヌメりとした嫌な汗が伝っていく――まさか、そんなことはない……よな?
今オレが思い浮かんだシナリオは、あくまで最悪な場合。きっと酔いで気が狂い、絶叫しただけ……だと良いんだが。
「ちぃっ!」
このまま見過ごすなんて気分が悪い。
今からGotHの交番まで知らせにいくか?いや、ここから交番までは距離がある。行って戻ってくるなんて、時間がかかり過ぎる。
だから……彼女を救えるのは、このオレだけだ。
「くそがっ!」
荷物を諦め、一目散に駆け出した。
そして裏路地の入り口に差し掛かり、オレの目にとあるものが映った。
「………まーじか」
それは水溜りだった。
でも、雨が降った後の、あの土混じりの水溜りなんかじゃない。
これはトマトを潰して出来たもの、なんて思えたならどれだけ気が楽か。
しかし、鼻腔を刺激する鉄臭さが、オレの思考に逃げる隙など与えてはくれない。
「………くっ」
血溜まりは生乾き。これが出来たのは、ほんの少し前ということ。
今追いかければまだ間に合うか――いや、間に合ってくれ!
入り組んだ路地裏。いったい何処に繋がっているなんかわからない。下手をすれば道に迷いそうになるが……それは決してない。
オレを導くように、血痕が点々と続いている。けど、これだけ出血していたら、出血多量の危険だってある。
でも大丈夫。大丈夫だ。直ぐに処置すれば、きっと彼女を助けられる――はず、だったんだがな。
「………………」
言葉が出なかった。
最悪なシナリオは想定済みであった。
けれどそれは……オレの杞憂で終わる。そう思っていたのに。
きっと彼女は無事。数日後にはたらふく亭にやって来て、オリヴァーの飯を食べる。
そんな淡い希望は――いとも容易く裏切られた。
路地裏の行き止まり。正面の壁に寄りかかるように……お姉ちゃんは目玉を引ん剥いたまま絶命していた。
そしてその隣には――血が滴るナイフを持った、フードの人物が佇立している。
「…………あ?」
フードはオレの足音に気が付いてか、こちらへと振り向いた。フードで顔は見えないが、身体のフォルムからするに男であるだろう。
「……お前が、殺ったのか?」
オレの問いに、フードは答えない。
だが、確かめるまでもなかった。血塗れのナイフ、そして赤く濡れた左手。壁には血文字で4と書かれている。間違いなく、こいつがお姉ちゃんを殺した犯人――連続殺人事件の犯人だ。
「お前がどんな理由でこんな事件を起こしているか知らないけどさ、さっさとGotHに出頭した方が良いと思うぜ、な?あまり悪いことばかりしていると、碌な死に方をしないもんだぜ」
「知ったことか」
吐き捨てるように、フードがオレに応えた。その声のトーンからするに……まだ若い。あの少年少女たちと同年代くらいなんじゃないか。
「これまで上手く逃げ回っていたようだが、幸運は長続きしない。どうだ、良い機会じゃないか?」
「良い機会?」
「オレに見つかったことだしさ、そろそろ終わりにしようぜ?交番までなら、道案内をしてやっても――」
「GotHでもない市民風情が……ほざくなっッッ!」
オレの言葉を遮るように、フードが怒鳴り散らかした。
そして真っ赤に染まる左手を正面に突き出し――。
「ここで捕まるわけにはいかないんだよ――奪い取れ、死煙!」
大気中のマナの流れがフードへと集中し、そして彼の身体が青白く発光した。
それから程なくして、彼を起点に、白煙が路地裏を席巻し始める。
「くっ!」
急速に広がる白煙に、脊髄反射的に口と鼻を手で覆う。
この煙は何かが燃焼したから生じたものではない。マナ発光現象が起きた以上、この白煙はあのフードが発生させたものであるのは確実だ。
非常に不味い状況だ。フードどころか、一歩先に何があるかすらわからない。白煙に視界が完全に奪われてしまっている。
しかし、異能の主であるフードは、この白煙に慣れていることは確実。もしも今あいつに襲われでもしたら……為す術もなく殺される。
万事休す、か。白煙に囚われた以上、オレの生殺与奪はフードが握っているも同然。
もはやビリケンさんに祈るぐらいしか……うん?
「………え?」
己の最期を悟っていると……次第に煙が収束し、視界が晴れていった。
オレ、殺されたけど気が付いていない?いや、頬をつねってもちゃんと痛覚がある。
それよりも、フードは――いない、か。オレを煙の中に閉じ込めている間に、逃げ出していったというわけか。
落ち着いて考えて見ると、フードの立場としてみれば逃げるのが最善の手だったかもしれない。お姉ちゃんが挙げた絶叫は、結構な範囲に聞こえていてもおかしくない。そこでオレ以外の奴まで絶叫を聞きつけやってきたら、フードとはいえ対処出来なくなるかもしれない。それならばオレを殺すのに時間を割くよりも、一刻も早くこの場所を立ち去った方が都合が良い。非常に合理的な判断であったわけだ。
白煙が引くまでは30秒ほど。けれどそれだけの猶予があれば、かなり遠くに逃げることが出来よう。今から駆け出したところで、もはやフードに追いつくことは敵わないだろう。
「うむ……」
お姉ちゃんは壁に寄りかかったまま、ピクリとも動かない。腹部には三箇所、ナイフで貫かれて出来た痕。右のふくらはぎには、縦に10センチほどの痛々しい切り傷。
フードの犯行を推理してみると――お姉ちゃんはたらふく亭を出た後、オレと同じ道を歩いていた。しかしお姉ちゃんはタイミングが悪く、フードに目を付けられてしまう。お姉ちゃんはバッグを手放し全力でフードから逃げるも、まもなく脚を切られる。それでもなんとかお姉ちゃんは裏路地を逃げ回ったのだろうが、運悪く袋小路に行き着いてしまう。絶叫して助けを求めるも、願い叶わず。三回ほどナイフで突き刺され、お姉ちゃんは殺害された。その後フードはお姉ちゃんから流れ出た血をインクに、壁に「4」と数字を書いた。そしてその血文字を眺めていたところに、オレがやってきた――こんな所だろうか。
「悪いな、お姉ちゃん……助けられなくて」
オレがお姉ちゃんにせめて出来ることは、彼女の瞼を閉じてあげることのみ。現場を不用意に荒らすべきではないのはわかってはいるのだが、これぐらいは許されるだろう。
「荷物を届けるだけだったんだが……偉い目にあったものだ」
ここから先はGotHにお任せしよう。彼らには一刻も早く、あのフードを捕まえてもらいたいところだ――ん?
「ッ!?」
背後からの強烈な殺気に、咄嗟にしゃがみ込む。
それから1秒も経たない間に――オレの残像が佇むその場所を、猛烈な突風が駆け抜けた。
間もなくしてドドドドドッ!と、異音が耳朶を打った。顔を上げると……お姉ちゃんの真横に、円型の穴がぽっかりと空いているではないか。
オレは確信した。もしも、一瞬でも回避が遅れていれば――その荒れ狂う暴風に、オレの上半身はもっていかれていた、と。
「なっ、なんなんだよ……」
恐る恐る振り返ると――そこには暴威の主――と表現するには似つかわしくないような、GotH制服を纏った、黄緑色のセミロングの髪の可憐な乙女が立っていた。