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Day1 18:34 ~Side by ホットドッグ屋店主~
「よいしょっと」
脇に並べた丸椅子を折りたたみ、屋台の下のスペースに収納する。それから手を消毒して、トングを使って余った食材を袋詰めする。最後に看板を片付けてっ、と。これで本日の業務は終了だ。
「ふうっ……」
時刻は既に、夕方から夜へと移り変わろうとしている。もう少しすれば冥暗の空に、星々がキラキラと彩りを添えることだろう。
今日の収入は……まずまずと言ったところ。明日一日凌ぐには事欠かないだろうが、明後日を生きるには少し足りない。
でも、今日は――収入を得た以上に、嬉しいことがあった。それは――とびっきりの「美味しい!」と言う声が聞けたことだ。
濃紺の髪をした少年と、クリーム色の髪をした少女。オレにはない瑞々しさに満ちていたGotH団員の二人。あの若さで第一部隊所属とか、さぞかし努力をしてきたのであろう。
しかし意外だったのは、「カップルさん」と呼びかけた時、全力で否定されたことだ。美男美女だし、本当にお似合いだと思ったんだが……あくまで職務上の付き合いといった所なのかねぇ。
「さーてと」
屋台に引っかけていた、一張羅の青いジャケットを着る。機能性を重視しているのかポケットの数が多く、オレはこいつを愛用している。
よし、それじゃあいつも通り、あそこに向かうとしようか。
*
ステンドグラスが埋め込まれた扉を開くと、カランコロンと小気味よい音が鳴り響いた。
「よう、来たぜ!」
「サイファさん、いらっしゃいです!あちらの席にどうぞ」
「おうっ」
ウェイトレスのお嬢ちゃんが指し示したのは、カウンター席の右端――いつもの席に座る。
大衆酒場たらふく亭。セントラル北の、薄暗い路地の突き当たりにあるこの酒場は、言ってしまえばならず者たちの憩いの場だ。
ここにいる連中は、都市の表舞台に生きてはいない。どういう職業をしているかは個人個人だろうが、ちょっとグレーなことをしていたり、自分の身体を売って稼いでいたり。さっき出会った少年少女とは、対極にいる連中ばかりだ。
でも――オレはこの雰囲気が嫌いじゃない。だからこそオレは、こうしてこの場にいるわけだが。
「今日も来てくれたか、サイファさん」
それから程なくして、恰幅の良い、如何にも温厚そうな面構えをした酒場の主人がやってきた。
「オリヴァー。オレはここでしか夕食を食わない、いや、食えないんだ。そうだろ?こうしてコイツをお前に届けるために」
紙袋に入れて運んできた、パンとソーセージの袋詰めをオリヴァーへと渡す。
「あはは、そういう取引だもんね。確かに受け取ったよ。それじゃあ、これが今日のメニューだ。何にする?」
それと引き換えに、手書きのお品書きが渡される。
オレとオリヴァーとの間に結ばれた契約は、オレは屋台で余った食材を無償で提供し、オリヴァーはたらふく亭での夕食を無償で提供するという内容だ。
どちらが損をして、どちらが得をしているかについては……八割方オレの方が負けているかもしれん。とはいえ、余った食材を廃棄することなく活用してもらえるんだから、環境への配慮を考えれば良い取引であると思っている。
「う~ん……」
さてさて、今日のメニューはと言うと……ごちそう肉野菜炒めに、鮭のムニエル深緑を添えて。あつあつミートドリアと、絶品チキンステーキか……なるほど。
「オレが何を選ぶと思う?」
「サイファさんがかい?うんと……チキンステーキだと思う」
「ふっ、当たりだ。オレの好みをよくわかっているな」
「かれこれ数年来の間柄だからね」
「はっ、だな!」
オリヴァーはオレからお品書きを受け取ると、そのまま厨房へと戻っていった。
残されたオレは、先程のウェイターのお嬢ちゃんが置いておいてくれたグラスを手に取り、その水で喉を潤す。
「ふうっ……」
酒場って言うのはその名の通り、「合法的に酒が飲める場所」であり、「大人たちが酒を飲む憩いの場」でもある。
けれどオレは酒を飲まない。断じて蛙のように下戸下戸しているわけではない。飲めるけど飲まないのである。
一応、理由がある。それは――酔う必要がないからだ。
これは持論だが、オレはお酒には二つの効果があると考えている。一つ目は、気分を高揚させるという効果だ。みんなで盛り上がりたい時にお酒を飲むのは、そのためなんだと思う。
そしてもう一つは、何かを忘れるため。「忘却は神が与えた贈り物」なんて言葉がある。人という生き物は何か辛いことがあった時、全部が全部それを正面から受け止めたりはしない。時にはそれを忘れてしまうからこそ、心の健康を保っていられるのだ。
けれどオレは今、そのどちらの効果も必要としていない。一人で盛り上がるなんて悲しいし、忘れてしまいたい出来事もこの頃はない。
オレにはこの水で十分。これ程までに透き通っていて、不純物が一切入っていない液体なんだ。これ以上に身体に良い飲み物はないだろう。
「うむ………」
ふと店内を見渡すと……ぽつぽつと空席が見られる。この店は繁盛していていつもは満席なんだが、やけに今日は客が少ない。
それもそうか。ここ最近は流石のオレも、夜中に外出することに少し抵抗を感じている。深夜帯に関しては、情報局が外出を控えろとか言っていたし。
諸悪の根源は――三夜も連続している殺人事件だ。都市新報によると、三つの事件現場に共通して血文字が書かれていたんだっけ。
他人事だからこそ言えるが、GotHもつくづく運が無いよな。大遠征により団長のジルヴァと他二名の隊長が不在。都市に残った二人の隊長の内、片方は現在入院中。よって、今ミレニアムにおいてGotHを指揮出来る隊長さんはただ一人のみ。しかも平時より少ない人員を駆使し、都市の治安を維持しなきゃならないなんて、さぞ|気骨が折れることだろう。
それは裏を返せば――今この時こそ、悪者たちにとって絶好の機会であるとも言える。今ならGotH相手に大立ち回りを演じても、『剣帝』の存在を恐れる必要がないんだから――。
「お待ったさんです」
あれこれ考えに耽っていると、厨房からオリヴァーが料理を運んできてくれた。
「おう、ありがとうな」
オリヴァーはテーブルに料理を置くと、先程のオレみたいに店内を一度ぐるりと見回した。
「今日は客足が少ないんだよね。それに、ヴェルグさんも来てないよ」
ヴェルグ……オレとあいつの関係は、いったい何と表現すれば良いだろうか。友人、知人、話し相手……悪友というのが適語なのかもしれない。
別に性根が腐った奴じゃないんだが、あいつは色々と問題があるんだよな……。
「他の客は事件を恐れて来てないんだろうけどさぁ、ヴェルグに関しては別の理由だと思わない?」
「確かにあの人は今もお金を溶かしていそう……あっ、はい、ご注文ですね!」
オリヴァーはオレにわざわざ会釈をし、別の客へと注文を取りに向かった。オリヴァーと話をするのは楽しいが、独占するわけにもいかないしな。
それじゃあ残されたオレは早速、この料理を食べることにしますかね。
「いただきまーす!」
鉄板プレートの中央には200gほどのチキンステーキが鎮座し、その右隣にはコーンが肩身狭そうにちょこんと乗せられている。「ジュージュー!」、「パチパチ!」とはじける音はこれから始まる食事への期待を増幅させ、そして香料の利いたスパイシーな匂いが鼻腔を刺激し、オレの口の中を涎で一杯にする。
たまらずフォークとナイフを使いチキンを切り分けると、「ドバッ!」と肉汁が溢れ出してきた。貧乏根性からというわけではないが、切り分けた欠片を肉汁の大海へと浸し、それから口の中へと運んでいく。
「んっ、んん~~~やっぱり美味ぇーわ!」
思わず感嘆の言葉が漏れ出した。けれど、美味しいものを食べたら誰だってそうなるだろ?
皮はパリッパリッで、肝心の肉は適度な歯ごたえのプリッとした食感。ブラックペッパーとガーリックで味付けされていることで食欲が増進されて、白いご飯が進むこと進むこと。
備え付けの可愛らしいコーンたちも、実は重要な役割を果たしていた。自然な甘みを口に提供してくれるからこそ、主役たるお肉の程良いしょっぱさが際立つ。まさに縁の下の力持ちだ。
「ふーふー、はむ。はむ、はむ」
オリヴァーはいつだか、仕入れている食材はそんなお高いものじゃないなどと語っていた。それでもこの料理のうまさは、絶品の看板に偽りはない。オリヴァーの料理の腕は、高級料理店に勤務するシェフ並みであると言っても過言ではないだろう。
「ごちそうさま」
フォークを、鉄板プレート・ご飯のお皿・口の三角形に行き来させていたら、いつの間にか全て食べ終えてしまった。
満腹、満腹!本日最後の食事も、幸せが一杯補給出来ました、と。
「サイファさん、また明日も来てくれよ」
オレが食べ終わったことに気が付いたのか、オリヴァーがオレの元まで足を運んでくれた。
最後にグラスの水を飲み干し、オレは立ち上がった。
「おう。また明日よろしくな」
オリヴァーの肩をぽんと叩き、オレはたらふく亭を後にした。