第1話 希望都市ミレニアム ―1―
Day1 13:22 ~Side by ルキ~
「……キくん」
柔らかで甘い声音が、僕の鼓膜を震わせる。
「……ルキくん」
「うっうぅん……」
視界がぼんやりしている。頬杖をついていたからか、首筋を少し寝違えたようだ。けれどその痺れが程良く目覚めを促して、やがて景色がハッキリとし始める。
そうか、僕は寝ていたのか。ルーラルエリアで列車に乗り込んで、席に就いて……それから先の記憶が無いから、かれこれ数時間寝ていたことになる。
目覚める直前までたぶん夢を見ていたけれど、今となってはもうその内容を思い出すことが出来ない。どこか懐かしくて、そして胸が苦しくなる。そんな夢だったような――。
「おはよう、ルキくん。ごめんね、気持ちよさそうに寝ていたのに起こしちゃって……」
すぐ近くから視線が向けられていたことにようやく気が付いた。顔を振り向けると、僕の隣に座る、淡いクリーム色の髪を三つ編みのハーフアップに束ねた少女が、申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「ううん、起こしてくれてありがとう――ティアナ。ここはもう……とっくにセントラルエリアに入っているね」
車窓に、レンガを基調とした住居が通り過ぎていく。ここから少しすれば、鉄筋コンクリート構造の建造物もちらほら見えるようになる。
かつての世界における都市には、高層ビルが立ち並んでいたという。しかし、ミレニアムにはそのような建物が、片手で数え上げられるぐらいしか存在しない。
「ミレニアムにおける資源」は、あくまで都市防壁の内側にあるもののみを指す。当然、防壁の外側にだって資源は存在している。けれど同時に防壁の外側には、マナの怪異という脅威が跋扈している。よって防壁の外側の資源を安定供給するとは不可能だから、それを「ミレニアムにおける資源」して計算に入れることが出来ないのである。
ミレニアムは幸いなことに、金属資源の産地を防壁の内側に有していた。とは言え有り余るほど豊富という訳ではなかったから、金属資源は最適に配分する必要があった。
配分の結果、ミレニアムを支える柱である二大企業、オラクルグループとノービリス財閥の保有する建造物に、これら資源が使用された。ミレニアムの一般住居にレンガ造りや木造が多いのは、これの裏返しである。
「本庁に着くまでは……あと10分程度かな」
車両前方の時計を確認すると、時刻はとっくに正午を過ぎていた。列車を利用していても、やはりルーラルエリアとセントラルエリアとの行き来には時間がかかる。
しかし文句を言ってはいられない。この都市鉄道が出来る前は、エリアの行き来は全て徒歩、あるいは馬車。僕の生まれた頃には既に運行していたけれど……上の世代の人たちは、さぞ大変な思いをしていたことだろう。
「ルキくん、ハーブティーを飲みますか?」
「うん、頂戴するよ」
ティアナはお上品に屈み、荷物から橙色の水筒を取り出す。そして蓋を開き、蓋をカップとしてハーブティーを注いでいく。未だ保温された状態なのか、カップからは湯気が立ち上っている。
「どっ、どうぞ!」
「ありがとう」
差し出されたカップを受け取り、ゴクリとそれを飲み干す。
非常に爽やかで、すっきりとした味わい。なんだか、目がしゃっきりとした気がする。
「ごちそうさま、ティアナ。美味しかったよ」
「うっ、うん!それなら何よりですっ!」
ティアナがほんのりと顔を赤らめたけれど、僕にはその理由の検討がつかない。こういう事は珍しいわけではないのだけれども。
「それにしても――」
間隙を縫うように、僕は話題を切り出す。
「今回はほんと、急な呼び出しだったよね」
「そうだね。アルフィナ隊長の用件って、いったいなんだろうね?」
ティアナが小首をかしげると、その美髪からシャンプーの良い匂いがふわりと漂った。
「昔の師しょ……アルフィナ隊長のことを思い出すね。あの頃は僕たち、かなりこき使われていたっけ」
「休日なのに呼び出されたり、ひっきりなしに任務を命じられたり……でも、良い経験だったとわたしは思うかな。ルキくんとの連携も、少しずつ慣れていったから……えぇと、ルキくんもそう思うよね?」
「うん。懐かしいね、僕たちが出会ったあの頃のことが――」
遡ること二年前。自分で言うのは少し口幅ったく感じるけれど、僕はアルフィナ隊長のパートナーを務めていた。
そしてそれはとある日のこと。僕は隊長に呼び出され、いつもの様に隊長の執務室に向かった。そこで僕は唐突にこう言い渡された。パートナー解消、と。
僕は自分の職務に問題があったのか、何がいけなかったのかと、隊長に矢継ぎ早に質問した。けれど隊長は首を振った。それから程なくして執務室の扉が開くと――見目麗しい女の子が、執務室へと入ってきた。
惚れっぽい質をしているわけではないけれど、彼女を一目見て心臓がドキリと跳ねた。まるで物語のお姫様の様に美しく、立ち居振る舞いまでもが気品がる。同じGotHの制服を着ていても、彼女以上に着こなしている人を僕は見たことがなかった。
そして隊長は僕に告げた。今日からこの女の子が、僕のパートナーになる。面倒を見てやれ、と。
初め、隊長が何を言っているのかわからなかった。僕は入団して三年程度。面倒を見ろなんて言われても、まだ見られる立場にあると主張した。
なのに……隊長は僕の言葉に一切耳を貸さずに、足早に執務室を出て行って。部屋は、僕と女の子の二人きりになった。
隊長の決定は絶対。何を言ったところでその決定が覆ることがないことはわかっていた。だから僕は意を決し、彼女へと話かけた。
その時のことは、二年経った今でも忘れない――僕が自己紹介して数秒後、彼女が顔を真っ赤に染め「ごめんなさい!」と言って、何処かへ逃げ出してしまったのだから。
それから紆余曲折あり、その女の子――ティアナ・フーリエと共に任務をこなすようになった。照れ屋な彼女と、こうして普通にコミュニケーションが取れるようになるのには時間がかかったけれど……彼女がパートナーになってくれて、本当に良かったと思う。良き隣人としても、戦闘面においても。
「ルキくん、もしかして……あの時のことを思い出している?」
「あの時のこと」が、「ごめんなさい!」の一件をさしているのは直ぐにわかった。
「えっ……嫌、別にそんなことは――」
今会話が途切れれば完全に悟られる。そしてまたティアナが紅潮して……というのは少し厄介だ。ここは無理矢理にでも話題を変えてしまおう。
「それはそうと……僕たち、今では第一部隊所属だもんね。感謝しているよ、ティアナ。ティアナがパートナーだったからこそ、ここまで来ることが出来た」
「ううん、わたしの方こそ、ルキくんに感謝しているよ。色々と不慣れで不器用だったわたしを、ルキくんは見捨てないで導いてくれた。ルキくんはわたしの恩人だよ」
綻んだその表情は、あまりに綺麗過ぎて直視するのを躊躇うほどである。
僕とティアナはアルフィナ隊長率いる第四部隊の一員として働き、現場での経験を積んでいった。主たる職務が都市の警備からマナの討伐に変わったのは、今からちょうど一年前ぐらいのことである。
そして半年前。僕とティアナは業績が認められ、ジルヴァ団長が直々に指揮を執る、第一部隊への転属が決まったのであった。
それは望外な出世であった。僕はずっとジルヴァ団長に憧れていたけれど、まさかこんなにも早く団長のお膝元で働けるだなんて。
僕は団長の期待に応えるためにも、より一層気を引き締めて職務をこなしていた。いたのだけれども……。
「まさか大遠征の間、居残りをすることになるなんてね……」
「やっぱりアルフィナ隊長に愛されているね、ルキくん!」
「ティアナ、他人事じゃないからね?ティアナもだからね?」
一ヶ月前のこと。GotH第1、3、5奇数部隊総出という、GotH史上最大規模の遠征を実施すると、ジルヴァ団長は宣言された。
『これは、第三世代となったGotHの命運を占う試金石となる。各員の奮闘を期待する』
僕はその言葉に奮い立てられた。そしてその時が来たら――必ずや、遠征の成功に寄与しよう。そう強く心に誓っていた。
「あれから二週間か。今頃みんなは、どこまで進んでいったんだろう」
「う~ん……あれだけのマンパワーがあれば、行程に遅れが出ていないのは確実だよね」
しかし僕たちは今、こうして列車に揺られている。
第一部隊所属で、僕たちが除け者扱いされていたわけではない。だけれど僕たちは今回、ジルヴァ団長から直々に「ミレニアムに残ってくれるか」と申し付かったのだ。
相手がアルフィナ隊長だったら……結果が目に見えていても、反発していただろう。しかし今回の相手はジルヴァ団長。その撤回を具申することすら、恐れ多かったのだった。
ジルヴァ団長が多くを仰らなかった以上、僕たちがミレニアムに残ることになった理由は推測することしか出来ない。ティアナは「きっとアルフィナ隊長が、ルキくんが遠征に行くのが寂しくて、団長にそう掛け合ったんじゃないかな?」と予想していたけれど、実際の所は団長の胸先三寸である。
「大遠征に参加出来ないのは悔しいけれど、ジルヴァ団長たちを無事迎えられるように、僕たちも頑張らないといけないね」
「うん。一緒に頑張ろう、ルキくん!」
ティアナが両手をギュッと握りしめる。ティアナもやる気十分。僕も負けてはいられない!
程なくして汽笛が鳴り、列車が減速を始める。
僕は荷物と――鞘を腰のベルトへと通し、今一度制服を整える。
列車が完全に停止するまでは、それから1分とかからなかった。
「さて、行こうか――GotH本庁へ」