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Day2 19:21 ~Side by サイファ~
「あんたを『優しい人』だと思うなんて、あたし、本当にどうかしていたわ」
ショコラの隠れ家への道すがら、エリゼが険しい顔で呟いた。
「そう卑下するなって。お前は別に気が狂っていたわけでは――ッ!?」
ちょっとした出来心で軽口を叩いつもりだったが、どうやらそれが仇になってしまったようだ。
少し距離を取って歩いていたエリゼが、1ステップでオレへと肉迫し、膝を抱えながら腰を引き、左脚を勢いよく回転させて――左足の甲が、見事にオレの頭部を刈り取りかけた。
「……やっぱり、あんた普通の市民じゃないでしょ」
「いやいや、普通の善良なる市民だから」
緊迫した状況が終了したわけではない。エリゼはそのまま押し切ろうと、左足に一層の力を加えてくる。彼女の足を受け止めるオレの右手はぷるぷると震えながらも、どうにか拮抗状態をキープしている。
ほんの少し動作に気が付くのに遅れていれば……威力からして、オレは5メートル程先のアパートの壁まで吹き飛ばされていたかも知れない。下手をすれば、そのままあの世へレッツゴーまであった。
「普通の市民が、あたしの攻撃を受け止められるわけがない。避けられるはずもないわ」
「随分と戦闘に自信があるんだな?」
「だって、あたし強いもん」
なんてエリゼはすげなく答えるが――それは決して自信過剰というわけではない。エリゼは、実力に裏付けられた自身家だ。
これでもオレはマナの流れを読むことが得意なのだが、昨晩の彼女の異能に関しては、マナのエネルギーが暴風に完全に変換されるまで気が付くことが出来なかった。いや、オレが気が付くよりも先に、彼女が異能を発動させたと言う方が正しいか。
普通、異能を発動するまでには時間がかかる。第一にマナ神経によって大気中のマナを自分に集中させ、第二にマナを異能に適したエネルギーへと変換する。第三に精神を研ぎ澄ますことで、ようやく異能が発動されるのだ。特に第一段階にはそれなりの時間がかかってしまうから、そこが異能を発動する上での大きな隙となる。
だが、エリゼのそれは瞬間的なものだ。彼女は一瞬でマナを掻き集め、暴風を産みだした。なおかつ「拙速」でなく「巧速」なのだから、彼女は生まれながらにしての天才か、はたまた多大な鍛錬を積んできたのか。
この蹴り技からすれば……後者であるとオレは予想するが。
「だからこそ、あたしの攻撃をいなせるあんたに疑問を抱かざるを得ない」
そう言われてもなぁ。偶然防げただけだし、偶然回避出来ただけなのだ。どうやって彼女の誤解を解くとするか……。
そうだな、良い手を思い浮かんだ。ある意味、賭けではあるけれど――。
「黒」
「……はぁ?」
「別にオレは興奮しないが、他の奴に回し蹴りは止めといた方が良いと思うぜ。そんな短いスカートじゃ、簡単にチラリしてしまう」
「えっ………っ!!」
エリゼは即座に足を引っ込め、頬を真っ赤に染め上げながらスカートの裾を伸ばした。
「っっっっ!!!」
そして声にならない声で威嚇をしてくるが、今のエリゼにびびる理由は何もない。
「やってしまった」感が彼女の心裏を席巻している間は、取りあえず攻撃してくることはないだろう。「いっそ記憶を消してしまえ!」と、第二撃を打ち込まれるかもと予想していたが、彼女が恥じらいのある乙女であったことに救われた。
「……ほっ、本当に欲情したりしないの?」
「しない。お前が全裸だろうが、たぶんオレは明鏡止水の心を貫けるだろうな」
いや、流石にそれは言い過ぎか?エリゼが一糸纏わぬ姿だったら……どうなんだろ?今の所は、「エリゼ=危険なお嬢ちゃん」という印象が強過ぎて、そういう気持ちが一切湧かない。
「なんか、そんな断言されると、逆に自身なくすんだけれど……」
おっと、エリゼが急にしょんぼりとしてしまった。どうやら彼女は、オレの発言の肝心な部分を聞き逃してしまったらしいな。
「あくまで、オレはだから。素のお前はともかく、猫被っているお前は客観的に見ても良い女なんだから、そうしょげる必要はないと思うぜ?」
オレの言葉に、エリゼはより一層顔を赤らめ――などしなかった。むしろ途端に頬から赤みが引き、見慣れた無愛想な表情が帰ってきた。
「なんか、あんたにそういうこと言われても全然嬉しくないわ。あたしもあんたに興味がないし、あんたを魅力的な男性だなんて微塵も思ってないし」
「…………」
ああ、なるほどな。特に異性として意識していない相手から「魅力がない」などと言われても、普通に心が抉られるんだな。
オレたちは運命共同体ではあるが、特に進展する余地は残されてはいないようである。
「先、進もうぜ……」
「そうね……」
お互いに心にダメージを負ったせいか、足取りが非常に重たい。
ショコラの隠れ家まではあと数分なのだが、このペースだと30分はかかってしまいそうだ。
「でもさ」
そんな微妙な空気をエリゼは嫌ってか、彼女の方から話を切り出してきた。
「あたしもあんな子供騙しに引っかかるなんて、まだまだよね」
エリゼが意図しているのは――今し方エリゼに襲われる原因となったあの一件だ。
「いいや、子供騙しと言うほど容易に気が付くトラップじゃないぜ。オレも反対の立場だったらまず気が付かないだろうよ」
オレは、彼女の背中を押しただけ――オレが融通してやると言って渡した「お金」は、硬貨数枚と屋台のレシート一枚。しかし彼女は、オレがかなりの額を握らせたと勘違いし、量販店へと向かう決意をしたのである。
レシートを渡したのに、どうしてエリゼはそれを紙幣だと勘違いしたか――それは、レシートと一緒に数枚の硬貨を握らせたからだ。
「もしもレシートだけだったら、お前は感触で気が付いていたかもしれない。しかし、硬貨と組み合わさると話は変わる。『お金』には、紙幣と硬貨とがあるだろ?そして何かを購入するときに、人はその両方を使う機会が多い。なんとなく、紙幣と硬貨は『セット』というイメージがあるだろう?だから、あの状況で握らせられたものの片方が硬貨であれば、もう片方の紙切れはなんとなく紙幣だなと思うはずだ。オレはその『なんとなく』――先入観ってものを逆手に取った、というわけだな」
エリゼは顎のくぼみに指をかけながらふむふむと頷いている。
先入観っていうものは、簡単に排除出来るものではない。往々にして人はそれに囚われ、正しい判断が出来なくなってしまう。
「悔しいけど、あんたの方が何枚も上手だったというわけね。でも――次やったら、わかっていますよね♪」
エリゼは声音を変えて、猫被りモードの満面の笑みでこちらを向いてくるが――その瞳はどこも笑ってなどいない。
次に仕掛ければ、殴る・蹴るの暴行を加えるというレベルでなく、突く・刺すの致命傷レベルを負わされることになりそうだ。
「ちなみに、オレ以外にはどっちで接してるの?」
「当然こっちですよ。うふふ……はぁっ。面倒なのよね、これ。でも、あんたはもうあたしの素を知っているし、敢えて繕う必要がなくて楽で良いわ」
ウグイス嬢のように美しく透き通っていた声が、一気にトーンを落とした。とは言え、彼女の素の声だって悪いわけじゃない。むしろ聞き取りやすいはきはきとした声だし、こっちの声の方がオレは好きかも知れない。
それに……経緯はどうあれ、オレにだけに素を見せてくれているって言うのは、なんだか嬉しいかもしれない。
「……おっと。ここだ」
そうこう歩いている内に、とある空きビル――ショコラの隠れ家がある場所へと辿り着いた。
「ここの何階?」
エリゼが階段へと近づこうとするのを引き留める。
「そっちじゃない。着いてこい」
エリゼよりも先に歩き出し、ビルとビルとの細い隙間を進んでいく。そして見えたのは、スプレーで前衛的な絵柄が書かれた扉だ。
ドアノブを捻り、さっそく扉を開く。
「くらっ!照明はないの?」
「ないな。と言うか……あいつには不要だ」
オレの言葉の意味がわからずか、エリゼは小首をかしげた。それを尻目に、オレは階段を降りようとしたのだが――。
「待って」
彼女に肩を掴まれてしまった。
「あたしが先に行く」
「レディファーストをしろと?」
「別に、あんたにそういうのを求めないけれど……先に行くったら先に行くから」
そう言って、彼女が壁伝いに階段を降りていった。
足元が暗いし、オレが先に進んでいった方が良いと思ったのだが……あーなるほどね。けっこう急な階段だから、オレが先に進んで振り返りでもしたら、その丈の短いスカートの中が再び見えちゃうと。
おちょくりたい気持ちもあるが、これ以上彼女の傷を抉るのは止めておいて上げよう。階段から突き落とされたるのは嫌だし。
さて、オレもさっさと降りていくとしますか。
「あれ、やけに明るいわね……って!」
最後の段を降りた先、そこは既にヤツの部屋となっている。
そしてエリゼは驚いたことだろう。こんな場所に、ミレニアムに百台程度しか残されていないはずの、パーソナルコンピュータが五台も設置されていることに。
この部屋にも照明の類いはないが、パソコンの光と壁に掛けられた十個のモニターの光が光源になっている。そして毛細血管のように、部屋中にカラフルなケーブルが張り巡らされており、下手をすればすっころんでしまいそうになる。
そんな部屋の主は――パソコンが並べられたテーブルの手前のデスクチェアへと深々と座り込み、キーボードをガチャガチャと叩いていた。その振動で、隣の空き箱の山が崩れないかと心配になる。
「えっと、あなたがショコラさん……ですか?」
「…………」
エリゼが再び声を変えたのはともかくとして……彼女が声をかけたのにもかかわらず、ショコラは振り向くことも声を返すこともしない。
「あのぉ、聞こえていますよねぇ?」
声量を上げて確認するも、ショコラは無反応。
当然、ショコラにはその声は聞こえている。しかし、ショコラの性格からして、エリゼに答えることはないだろう。
「エリゼ。あれを出せ」
「あれって……チョコレート?」
オレが頷くと、エリゼは紙袋をショコラの右脇へと差し出した。
ショコラがそれを受け取ると、間もなくして――この世のものとは思えないような、おぞましい咀嚼音が部屋中に響き渡った。
「バリ、ボリバリボリ、バリバリバリバリッッ!!」
「……………」
エリゼはただ、虚ろな瞳をショコラの座るデスクチェアの背へと向けている。
彼女の気持ちがわからんでもない。断腸の思いで購入したオランジェットが、不快な音をたてながら、他人様に食べられているのだから。
「……げふっ」
「っ!!」
そのゲップ音に、ついにエリゼの限界が来てしまったようだ。彼女が槍を抜いて襲いかかろうとするのを、左手を掴んで引き戻す。
「諦めろ。これは一種の洗礼みたいなものだから」
「諦めろですって!?あたし、オランジェットなんて一度も食べたことないのに――あっ」
ショコラの前にもかかわらず素を出してしまったことに気が付いたのだろうが、時は既に遅かった。
いや、ショコラからすれば――それを生で聞くことになっただけなのかもしれない。
「ディアブロ一家のアジトだな?」
低い声が、デスクチェアに座る人物から発せられた。
「えっ?」
「探せば良いのは、ディアブロ一家のアジトで良いのかと訊いている」
「そっ、そうです……けど?」
一度は止まったはずのキーボードの操作音が、より一層激しさをまして再び鳴り始まった。
そしてパソコンの画面が、めまぐるしく変化していく。とてもじゃないが、オレには何が起きているのか見当もつかない。
「あのさ、サイファ」
「なに?」
エリゼがオレに近づき耳打ちをしてきた。
「あのきったない咀嚼音でもしかしてと思ったけれど……ショコラって、男なの?」
「そうだ」
オレの返答を聞き、エリゼは両手で頭を抱え「えっ、えっ」と声を漏らしながら困惑をする。
「ショコラって、なんとなく女性っぽい名前のイメージだったんだけれど。そもそも、人名じゃなくてペットの犬につける名前じゃない?」
それは一種のステレオタイプなのかもしれないが、オレもまたエリゼと同様の「ショコラ」像を持っていた。
まぁ、目の前の男により真っ向から否定されたわけだが。
「こいつの本名はオレも知らない。と言うか、利用者の誰も知らないと思う。だからこそこいつはショコラなんだ」
「この人は情報料の代わりにチョコレートを要求するから、気が付けばみんなショコラって呼ぶようになっていた。そんなところなの?」
「たぶん、そうだろうな」
オレが知り合った時点で、この男はショコラとして知られていた。だから、実際の所はわからないが、きっとエリゼの予想通りなのだと思われる。
一応……この男が自分で「ショコラ♡」なんて名乗りだした可能性も、無きにしも非ずだが。
「わかったぞ」
カチンっと音が響くと――スクリーン10画面にわたり、とある映像が繰り返し映し出されるようになった。
「これは……ディアブロ一家の構成員?」
「そうだ。ゲニア・ディアブロの姿もある」
ショコラが何やら操作すると、白髪に髭を蓄えた、着物を着た貫禄のある男が拡大され映し出された。
「オレはよくわからないんだが、もしかしてこのお爺様がディアブロ一家の首領なの?」
「ええ、そうよ。これだけ構成員たちが頻繁にこの雑居ビルに出入りしているんだもん、確かにここが連中のアジトで間違いなさそうね」
エリゼがそう結論づけた。と言うことは、オレたちはこれからその場所に向かうことになるのだろう。
「場所はどこなの?」
「セントラル北。お前たちが昨日、運命的な出会いをした場所からそう遠くない」
「………え?」
「やっぱり、か。お前なら見ていたんじゃないかと思っていたよ、ショコラ」
ショコラは都市の至る所に監視カメラを仕掛けている。たぶんGotHの本庁の中から、オラクル本社、そしてノービリス財閥の庭園にも。もちろん、都市の全てをというわけではないようだが。
思い返してみると……エリゼに濡れ衣を着せられそうになった時点でショコラの存在を脅しのネタにすれば、てっとりばやく決着がついたのかもしれない。だが、もう後の祭りだ。この事件が解決するまでは、オレはエリゼに付き合ってやるつもりだ。
「……なるほどね。だから、あたしがあんたに何を求めるか口にしなくてもわかっていたのね」
エリゼも情報屋ショコラの腕前を理解したようである。
「そういうわけだ。要件が済んだのなら、さっさと出て行け」
しかしショコラは無愛想に、右手で早く去れと催促してくる。
「客に対して酷い態度だと思うけれど……行きましょう、サイファ」
「おうよ」
オレはエリゼの背中を追って、ショコラの部屋を後にした。
そして、下りとは反対に、エリゼよりも先に階段を上っている最中にふと思った。
悪知恵が働くエリゼなんかに、この場所を教えて本当に良かったのか……と。




