クロディスの苦労②
クロディスとユーリンはあの後、地下の牢屋に向かう階段の近くまで来ていた。
ここまでくるのにクロディスは疲れていた。
なぜなら……。
「えっ! もうここでお別れなの!」
「そうだよ」
「なんで!」
「なんでって……」
クロディスは頭が痛くなりそうなのを抑える。
彼女が別れを惜しんでいるのは周りにいる狼達だ。
「今から行くのは地下牢だから。 こいつらは連れて行かない」
「ええー」
「えーじゃない。 分かってる? 君は生贄なんだよ」
「分かってるわよ。 だから、最後に触っておきたいんじゃない!」
「はあー」とため息をつく。
これだと埒があかないと思ったクロディスは一匹の狼を呼ぶ。
「彼女に触らせてあげて」
クロディスの言葉を聞いた彼女の表情はパァっと明るくなり嬉しそうだ。
狼の方は死にそうな顔をしているが……渋々といった風に彼女に近づく。
「まあ! まあ、まあ、まあ!」
そう言いながら、狼を撫で回している。
狼はさっきまで死にそうだった顔が尻尾を思いっきり振り喜びに変わっている。
「ねえ君、これでもういいな?」
「ええ! あっでも……」
「? 他には何?」
彼女は言ってもいいのかしら? といった様子でチラチラとこちらを見てくる。
「いいから言って」
クロディスは少しやけになっていた。
その言葉を聞いた彼女は手を合わせて上目遣いでこちらを見ていった。
「その耳を触らせて欲しいの!!」
「みみ?」
「耳」
思考が停止しそうになる。
彼女は何を言っているのだろうか? と。
「落ち着いて!」
「落ち着くのは貴方よ」
ごもっともだ。
チラッと彼女を見るとこっちをキラキラした目で見てくる。
「………………」
「………………」
お互い無言で見つめる。
狼達は心配そうにクロディスを見るが、誰も助けようとはしない。
彼女に恐怖を感じているから。
「名前は?」
「え?」
急に何を言われたのかわからなかった。
「私はアルバント王国、第六姫ユーリン・アルバントよ! 貴方は?」
彼女の自己紹介を聞いて名前を聞かれているのだと気づいた。
「…………クロディス。 魔族騎士、副騎士団長のクロディスだよ」
「クロディス」
「ああ」
「クロディス」
「クロディス」と名前を呼ばれる。
無意識にまた尻尾が揺れている。
「クロディス……頭」
「あたま?」
「下げて」
彼女の言葉に素直に頭を下げた。
「っ!!!!」
モミモミ、モミモミ、モミモミ。
耳を揉まれている。
光悦の顔をした彼女に。
「やっ辞めろ!!」
「きゃっ!」
バッと彼女の手を払いのける。
クロディスの顔は真っ赤に染まっていた。
「まあっ!」
「みっ見るな!」
なぜ、自分が素直に頭を下げたのかわからない。
とにかく、従わないといけないと思ったからだ。
「分かったわ」
クスクス、クスクス、彼女は笑っている。
「さっさっさと、地下牢に行くよ!」
クロディスは早歩きで地下牢に続く階段に向かい歩き出した。
その後ろを彼女がついて行く。
始めは静かに歩いていた。
そう、彼女も大人しく歩いていた。
誰もクロディス達の横を通らなかったら彼女も大人しくしていたはずだ。
それなのに……彼女の横をたまたま魔族が一人通ってしまったのだ。
「お疲れ!」
口に牙を生やし、真っ暗なハットを被り、真っ黒なマントを羽織った男がクロディスに声を掛けた。
彼は吸血鬼のバルドだ。 吸血鬼の中でも高位にあたる彼はクロディスや他の魔族にも気さくに話しかける少し変わったやつだった。
だから……話しかけてしまったのだ。 狼達に恐怖を与えたユーリンに。
「バルド」
「どうした、クロディス? 疲れた顔をしてるな? そんなに人間の国に攻め入るのは大変だったのか?」
「いや……それは大変じゃなかった……」
クロディスはユーリンを背に隠す。
「どうしたんだ? 歯切れが悪いが……ん?」
だが、バルドは気づいてしまったのだ。
「こんばんは、可愛いお嬢さん」
ハットを外し、目をパチンとウィンクしながら彼女に挨拶をする様はさすがバルドだと思うが、クロディスはため息を吐いた。
「まあ、こんばんは!」
ニコッと笑い、軽くバルドに挨拶をする。
「ん? クロディス。 彼女、人間だな」
クロディスの目を見ながら言ったバルドの目はおもちゃを見つけたような目をしていた。
そのことに彼女が気づいているか分からないがにこやかにバルドに話しかけた。
「はじめまして。 人間の生贄です」
「おお」
バルドを怖がらずに自分で生贄と言った彼女に興味を持ったようで、彼もまた自分で「僕は吸血鬼だよ」と言った。
「まあ!」
手を合わせながらバルドに向かってパアッと明るい表情をした。
この時、クロディスは嫌な予感がした。
この表情をするときは短い時間しか彼女といなかったが、良くないことが多かった。
「クロディス。 彼女、変わっているな」
「変わっている。 変わっているから逃げてくれ……」
「逃げる? 何から?」
「……彼女から」
クロディスの言葉に意味が分からないと首を傾げたバルドだった。
まさか目の前で人間のしかも、か弱い女性が何かするとは思わなかったからだ。
しかし、その思いはすぐに変わることになった。
ユーリンが手を合わせながら、にこやかにバルドに言った。
「吸血鬼の方ははじめて見ましたわ」
「まあ、なかなか会うことはないだろうね」
「ええ! だからずっと実践することができなかったのです」
「実践?」
彼女の言葉に頭を抱えたクロディスに対してバルドは彼女の言葉に首を傾げた。
だが、彼女はそんなことに気づかず、ドレスのポケットから十字架のネックレスを取り出した。
「ずっと、本を読みながら疑問に思っていたことですわ!吸血鬼に十字架が通用するのかって……」
「っ!!」
バッとクロディスを見るが、彼は首を横にふっていた。
私は何も知りません!
じゃあ、なぜ彼女はあんなものを取り出す!
あんなものというのは彼女が持っている十字架のネックレスだ。
二人は声に出して話していない。
なのに……。
「これはクロディスが持ってきたのではなく、私の私物です。 いつ、吸血鬼に出くわしてもいいように持っているのです! 備えあれば憂いなしですわ!」
「「怖っ!」」
普通の令嬢は吸血鬼に出くわすことなんて考えてなどいないだろう。 だが、彼女は普通の令嬢ではなかった。 可笑しな姫だった。
「さあ、今こそ実践するときなのです!!」
ジリジリとバルドに近づいていく。
「おっお嬢さん、おっ落ち着いて!」
「落ち着くのは貴方よ」
このセリフにデジャブを感じたクロディスだが、このままではいけないと彼女を止めることにした。
バルドはこう見えて高位の吸血鬼、何かあればこちらが困ることになる。
「君は一度落ち着いて」
「クロディス」
「?」
「待て!」
「!!」
その場でビシッと止まるクロディスにバルドは目が点になる。
魔王城で魔族騎士、しかも副騎士団長をしている彼だ。
彼を止めることは魔王や高位の魔族を除いてなかなかできない。
それなのに、人間のしかもか弱い女性の一声で止まった彼に驚きを隠せない。
クロディスも驚きを隠せない。
またしても彼女に従ってしまったからだ。
しかし、クロディスが彼女を止めることができないならもう彼女を止めることができるものはいない。
「さあ、実践の時です」
「!」
この後、吸血鬼の叫びがその場に響き渡った。