あぁ。なんて愛しき死神様
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、冒険者の生活というものが、見当つかないのです。
……モナリザに咀嚼され、おそらく首の骨などの大事な部位を砕かれ、潰された先にあったのはもはや見慣れた黒い空間だった。
しかしイーリスが座っていた席にいるのはまた別人で、一人の少女だった。外見の年齢は俺より1歳下ぐらいで、昔話に登場する乙姫が着ているような形をした服を、青み掛かった黒い羽衣を着ていた。華奢な手に、細い脚。
そして何より目を惹くのは濡羽色の……深い艶のある黒い髪をだ。いままで生きてきてこれほどまでに綺麗な黒い髪は見たこともなかった。
この子も神様なんだろうか。そんなことを考えていると、その少女は整った顔をこちらに向けた。
か弱そうな潤んだ黒い瞳、紅潮した頬。
なんとも保護欲が駆り立てられるような、可愛らしい美少女であった。思わず見惚れたね。うん。モナ蟹なんていう馬鹿みたいなモンスターを作るどこぞの戦の種とは大違いだ。
「あーえっと。初めまして」
俺はとりあえず挨拶をして、ぺこりと頭を下げておいた。こういうのは第一印象が大事なんだ。もう死んだくらいで慌てない。桜の木だとかいきなり騒いだりしない。
少女は俺が挨拶をすると、酷くおろおろとしていたが、不意に頭を深く下げ、しどろもどろに陳謝した。
「その……わわわ、我の所為で!! カイト殿、食べられちゃって、その、死んじゃって、何度も苦しい思いをさせちゃって…………その、申し訳なかったのじゃ!」
「ま、まぁまぁ。とりあえず落ち着けって。とりあえず名前だけでも教えてくれよ。手順を追って話そう」
少女はこくこくと何度も頷くと、何度か深呼吸をした。すると段々落ち着いてきたのか、少女はか弱い声で自己紹介を始めた。
「……我はヨミ。その……あの……死を司る神なのじゃ」
あぁ。死神の寵愛の原因か。こんな可愛い子が寵愛してくれてたと思うと、なんだか恥ずかしい。少し口調が奇妙だが、それもまた可愛い。
そして死んだことに対する遺恨よりも恥ずかしさが前面に出る俺は、だいぶおかしくなってる。
「ええと。俺どうすればいい?」
そう質問すると、少女は上の空を見つめると、黒い大きな眼を見開いて、ひとりで顔を真っ赤にして蒸気立った。ふりふりと袖が揺れる姿は可愛い以外に形容する言葉が見つからない。
恥ずかしがっているその姿は可憐な少女そのもので、なんだか見ていて甘酸っぱさを覚える。イーリスのときにはありえなかったが、こうしてヨミの目の前にいるだけで頭がおかしくなりそうなくらい心臓がバクバクと高鳴った。
「その、そのじゃな! ……ずっと前から、好きなんじゃ! 我は、カイト殿のことが本当に、本当に好きなのじゃ。おかしいと思うじゃろう……? 死神のくせに。でも、本当に、その……一緒に、一緒に暮らしたいくらい……好きなのじゃ」
ヨミと名乗った少女は体をもじらせ、林檎のように顔を耳まで赤くしていた。
「……え?」
開いた口が塞がらなかった。モナリザに食い殺されて、初めて会った死神の女の子に、いきなり告白された? 俺が? なんで?
「えっと。お、俺……初めて会ったと思うんだけど、以前どっかでお会い……しました?」
あまりにも突然だったので、口調がおかしくなった。噛みまくった。
「我は神様になる前はキツネだったのじゃ……。それで、車に轢かれて……血塗れで、臓器もはみ出るくらいの傷を負って…………」
思い出した。確か俺がまだ小学5,6年だったころのことだ。糞田舎な町に住んでて、帰宅途中に瀕死になってる狐を見つけたんだ。
けれど確か、どうすることもできなかった記憶がある。なくなくお墓を作って、引っ越すまでは毎日タンポポやら山百合を供えてたが……高校になってからは何もしていない。
「普通なら誰も近寄りたがらないくらいグチャグチャになってしまった我を……、カイト殿は周りの人が顔を引き攣らせても一切気にせずに、わたしを抱かかえて……すぐ治療するから、頑張って、死なないでって言ってくれたのじゃ」
ヨミはこちらに歩み寄ると、俺の手をそっと握った。死神の手は……酷く冷たかった。
「この暖かい手が、我にとって救いの手だったのじゃ! 神様に思えたのじゃ!」
「ええと、その……ありがとう? でも俺は結局その後――――」
「普通、ただの野生動物があそこまで介抱されないのじゃ。けれどカイト殿は花をくれた! だから我はこうして意志を保つことができて、こうしてまた会えたのじゃ!」
少女は涙ぐんでいたが、ふわりと花のような笑顔を浮かべた。
やばい……可愛過ぎる。生まれて初めて……いや、4度の死を超えた苛烈な時の中で初めて、俺は冗談抜きでその女の子から目が離せなくなった。
ヨミは背伸びをして、顔を近づけた。黒い瞳が、艶やかな唇が目と鼻の距離に来る。
見ろ! リア充共! 俺はこれから世界一可愛い女の子とキスをするぞ! バクバクと脈動する心臓が、過熱する脳内が黒い空間の中心で、俺は心の中で叫んだ。
ヨミはごくりと唾を飲むと、ゆっくりと瞳を閉じた。だから俺も覚悟を決めて目を閉じた。
が、――――世界は楽ではなかった。
「カイト! 死神と口付けしたら駄目です! 戻れなくなる! 永遠のときを死の国で過ごすことになる!」
間を割って入るようにして、イーリスの声が天から轟いた。俺がハッとして目を開くと、ヨミはビクリと肩を震わせ、一歩後ろに下がった。あぁ、もう何もかもが可愛い。
「イーリス! いまいい感じなのがわからねえか! 邪魔すんな!」
俺が天に向かって叫ぶと、それをかき消すくらいの爆音でイーリスの返事が戻ってきた。
「馬鹿じゃないですか!? 死の世界に行ったら本当に戻れませんよ! そりゃ4年ぐらいならヨミ? とかいう女と仲良くできるかもしれないけど、マンネリになったらどうするんです? それと何のために私が異世界に同行したと思ってるんですか!」
「というか死の世界ってなんだ!? ここが死の世界じゃないのか!?」
「そこの死神に聞けばいいじゃないですか!」
俺は視線をヨミに戻した。彼女は気まずそうに目を逸らし、俯いていた。
「……やっぱり邪魔されてしもうたかの。知ってたのじゃ。イーリスがずっと上から保護者みたいな顔をして見てたのは」
「えっと。つまりは……?」
「イーリスが言ったことは本当じゃ。我とそういう行為をすると、黄泉の国の住民になって、永遠に朽ち果てた世界で過ごすことになるのじゃ。さっきは本当にカイト殿と会えて、本当に頭がどうにかなりそうで、一生一緒にいさせようと思ったけど……やっぱり駄目じゃったかの」
ヨミは寂しげに、俺からさらに数歩離れて、その場に体育座りした。
「いや、俺はあんな世界よりも黄泉の国とかいう場所で一緒にいたいです。俺はモナリザの顔面がついた蟹と戦う世界より、一人の可愛い少女とラブラブする世界にいたいです」
俺がそう言うと、ヨミは分かりやすいくらい顔を綻ばせてくれた。けれどすぐに凛としてしまって、すっと立ち上がると俺ことを小突いた。馬鹿女神の遠慮なしキックとは比較にもできない。
「……ありがとう。冗談でも、そう言ってくれるとうれしいのじゃ」
「俺は冗談なんて一つも!」
「その、本当に嬉しいのじゃよ! けど、やっぱり……わざと死に向かうようなことは駄目なのじゃ。我から誘っておいて……すまぬ」
ヨミは申し訳なさそうに頭を下げた。ふわりと黒髪が揺れ、垂れ下がった。足元にはポツポツと雫が落ちていた。
「……それに、向こうの世界で蘇生魔法が使われたみたいじゃ。蘇生魔法を受けた回数はこれで1回目。カイト殿の記憶を保持したままの蘇生を、死神ヨミが許可するのじゃ。だから、行くのじゃ」
俺の体が段々と白い光の粒に包まれていく。……黒い空間から抜け出すときの感覚だ。
「待ってくれ! ヨミ!」
俺が必死になって声を荒らげると、ヨミは期待と哀愁に満ちた視線をこちらに向けた。やはり見惚れてしまうほど、少女は儚げで、可愛らしい。
俺は死神の頭にポンと手を乗せた。ヨミは驚いて肩を震わせたが、やがて甘えるように目を閉じてくれたので、艶やかな黒髪を優しく撫でた。柔らかで、死神とは思えないくらい甘くて優しい香りがした。
「俺は正直クソ弱いから多分またここに来る。それまで土産話を待っててくれ」
「……駄目じゃろう? 何度も死んだら。蘇生にも複雑なルールがあるのじゃから。でも……もしまた会えたら、喜んだら駄目じゃが、喜んで歓迎するのじゃ。冒険の話を聞かせてほしい。それと、我の所為で死にやすくなってしまったじゃろう? だからせめて、少しでも力を貸すのじゃ。ギルドに戻ったらカードを更新するとよいぞ?」
ヨミが優しい笑顔を浮かべて、俺に手を振ってくれた。俺の体はそのときにはもう9割以上が光の粒子となっていて、何かを言う前に俺はあの異世界に引き戻されてしまった。
…………目が覚めると、広大な青空が目に入った。ゆっくりと起き上がると、イーリスとイケメン君、それとイケメン君の仲間と思われる人達が3人ほどいた。
「やぁ。目覚めたようだね」
俺が起きたのを見ると、イケメン君が爽やかな笑顔を浮かべて、爽やかな声でそんなことを言った。
「……ありがとう。蘇生してくれたのか?」
「僕じゃなくて、僕の仲間がね」
イケメン君は金の髪を伸ばしたシスター服の少女を指差した。彼女はぺこりと一礼したが、なぜか俺のほうを見ようとはしなかった。それどころかイケメン君を含めて、全員が微妙な顔をして目線を逸らす。
「……俺なんかした?」
その問いかけに答えたのはイーリスだった。彼女は冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべて言った。
「蘇生代金がないからカイトとヨミのイチャイチャを映像化して見せちゃった。ごめんね」
「……ちょっとモナに食われてくる」
俺は涙目になってモナ蟹の群れに駆け出そうとして、イケメン君のパーティに全力で引き止められた。