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8/21

その8


 翔太は、今朝、新幹線に乗る前に華織から電話で言われたことを、頭の中でゆっくりと反芻しながら、会場外の廊下を歩いていた。会場は一階にあり半分オープンテラスのような造りになっていた。そして、二つのドアから中庭へ出られる。

 翔太が歩いている廊下は、それらとは反対側のドアから出たところにあり、出て右側に行くと、奥のほうに化粧室があるのだが、左へ行って突き当たりの階段を登ると、踊り場の窓から会場が見渡せる。


 翔太はドアを開けてすぐに辺りを見回すと、前側のドアの前にあった沢山の風船に目をやった。おそらく子供たちへのお土産なのだろう。持ち手のところにリボンが付いている。そのうちの一つを紐からはずすと、翔太はわざと「飛んでくわぁ」と大声を出し、風船を捕まえるふりをしては前に押し出すようにしながら、階段を駆け上って行った。

 そして、風船を捕まえると、踊り場に備え付けてあるゴージャスなベンチに座り、外を眺めるふりをしながら、会場の様子を眺めた。


「会場で、賢ちゃんと玲香さんを気にしている人がいたら、覚えておくのよ。近くで見ているとわかりにくいかもしれないから、少し離れたところから眺めなさい」

 華織はそう言って、会場の建物の様子を説明した。それが、行ったことのある場所だからなのか、調べたものなのか、はたまた“命”の力を使って取り込んだ情報なのか、翔太にはわからなかったが、言えるのはひとつ、その会場には賢児たちを気にする人がいるということだ。

「気にすると言っても、賢ちゃんがカッコいいからとか、玲香さんがかわいいからとか、そういう視線じゃなくて…そうね、二人が話をしている相手が誰なのかとか、そういうことを気にする人ね」


 翔太は、華織が言うような“気に仕方”を探したが、正直、会場にいる人間の“ぴかぴか”の様子からは、そこまで判別できるのかはわからなかった。

“賢ちゃんが話しかけると、ぴかぴかがピンクになるおなごは、さっきから、ぎょーさんおったけどなあ…”

 何もわかりませんでしたと華織に言うわけにもいかないので、翔太は自分なりに気になる人間をチェックすることにした。


 部屋の中で見ていたときに気になったのは、知っている人間かと賢児に聞いた二人だった。

 瑞樹の会社の専務だという日下部は、ぴかぴかの色が強弱を繰り返し、落ち着きがない。これは、周囲を気にしすぎている人間か、力の強い人間にありがちなことだ。彼の場合は仕事柄、前者ということなのだろう。

 そして、日下部の同伴者の30歳ぐらいの男はと言えば、ぴかぴかの光が極端に弱かった。あくまで経験則でしかないが、身奇麗にした自信ありげな紳士のぴかぴかは、普通の人間よりも色と光り方が強い。あのぴかぴかは、まるで以前、風馬が意図的にその光加減を調整したときのもののようだと翔太は思った。


 もう一人気になったのは、デザイナーだという50歳くらいの女性だった。ぴかぴかの色調がかなり玲香に似ている。そして彼女に関しては、どこかで見た覚えがあるのだ。翔太が部屋を覗いたとき、その女性は響子に話しかけていたため、翔太は注意深く二人の様子を観察した。

 だが、翔太は一瞬、その女性のぴかぴかより響子のぴかぴかに目が行った。めまぐるしく色が変わるのは、自分が鈴音に叱られている時に似ている。二人ともニコニコしているのでケンカをしているわけではないだろうが、何らかの理由で響子は動揺しているようだ。


 高い位置から会場全体を見渡していると気づくことがあった。華織の言う“相手を気にしている”状態になると、気にしている相手のほうへ、自分の頭のてっぺんから手のような“もやもや”がシューっと伸びるのだ。試しに、龍の頭の中に呼びかけをしてみたが、やはり間違いないようだった。

“それにしても大人って器用やなあ。話しながら盛り上がってるように見えるのに、目の前の相手のこと、ちゃんと気にしてへん人ばかりや…”


 ふと紗由に目をやると、紗由は自分の前に列を作っている子たち一人ひとりと握手をして、横のテーブルにあるお菓子をいくつかずつ配っていた。

“握手会かいな!”

 少し離れたところにいる龍はと言えば、さすがに握手まではしていないものの、全方向を囲む女の子たちから次々と話しかけられ、まるで聖徳太子のようにきれいに答えを返していた。

“大臣先生もこんななんやろうなあ…もってもてや。…でもなあ、紗由ちゃんのぴかぴか、ちょっとこの頃、いつもと様子が違うなあ”

 二人を眺めていたとき、会場全員の頭上のもやもやが、一斉に中央の祭壇のほうに集まった。

“あ。大隅はんや!”

 戻ったほうがいいのかどうか、翔太は一瞬迷ったが、とりあえず、もうしばらく様子を見ることにした。


  *  *  *


 主賓が登場したせいか、会場は一瞬静まり返った。

 大隅は、登場が遅くなったことを詫び、挨拶を始めた。枕詞のような礼、子供たちが多い理由、それ以外の人間の簡単な紹介など、一通りのことを説明した。

 子供たちは、当事者に知らされていた通り、ジュニアオーケストラ編成の候補者と、その友人たちだった。そして、彼らの保護者以外の大人たちは、大隅が資金援助をしている会社の人間、マスコミやシンクタンクの人間たちだった。

 大隅によれば、子供たちへの投資事業を新たに起こしたいと考えており、ジュニアオーケストラはその手始めだという。今回は急な集まりなので、まだ全貌が見えにくいかとは思うが、デビューの仕方を含め、そのプロデュース案をここにいる関係各社で後日提出して欲しいとのことだった。

 質問は、秘書の水町を通して個別に受け付けるとのことで、それだけ言うと大隅は会場を後にした。


 ご自由に歓談をと言われ、アルコール類も運ばれてきたものの、会場には妙な緊張感が走っていた。

「何だか唐突ですね」

 玲香が賢児に話しかけると、それに答えるように男性が同意した。

「まったくですよねえ。子供や音楽、プロデュースとはまったく関係ない業種の方々もいるのに」

「日下部さん、どうも。ご無沙汰してます」

「いえいえ、こちらこそ。…こちらは奥様でいらっしゃいますね。お綺麗で可愛らしい方だなあ。うらやましい」

「妻の玲香です。その節は、お祝いをお届けいただきまして、ありがとうございました」

 賢児が頭を下げると、玲香も横で頭を下げ、挨拶をした。

「玲香でございます。西園寺がお世話になっております」


「こちらこそお世話様です。…そうそう、西園寺さん。先日、龍くんにモデルをやってもらったでしょう。評判がよくてね。あの子は誰だって問い合わせがすごいんですよ」

「そうですか。龍はどこにいても人気だなあ」

「でも、身元バレしないようにというのが掲載条件だったんで、プロフィール明かせないんですよ。再登場も含めて、周子さんに交渉しなくちゃと思ったんだけど…席はずしてるのかな。さっきまで紗由ちゃんの傍にいらしたけど…」きょろきょろと辺りを探す日下部。

「電話ですから、すぐに戻ると思いますよ。日下部さんのところ、最近はファッション誌に力を入れていらっしゃるんですね」

「ええ。広告主の都合による流行じゃなくて、市場調査に基づく流行を追ってます。結果として、そのほうが広告主も喜ぶ結果になるもので」


「あそこの…あのサングラスの女性、デザイナーですよね。確か、マダム花津」

「ああ…最近、急激に注目を浴びているデザイナーですよ。大隅さんがかなりバックアップしているようで…かなり親しいという話もチラホラ」

「へえ…そうなんですか。大隅さんも、隅に置けませんね」

「うちの雑誌でも彼女の特集扱ったりしてますよ。30代以上向けの服が多いんですが、体のラインがはっきり出るようなものばかり。でも人気なんです。普通は年齢層が上がると、ラインを上手く隠せるブランドが人気なんですけどね、彼女の服は別格です」

「きっと、そういう服をきれいに着こなせるように、読者の方々が努力するお気持ちになるんでしょうね」

「そうそう。前後のページには、ダイエットサプリやダイエット本の紹介を入れておくと、かなり効果的なんです」

「なるほど。上手い手ですね」賢児が笑う。

「奥様のような美しいプロポーションの持ち主は、なかなかいませんからね。皆、それなりに奮闘するわけですよ」日下部も笑った。「あ、周子さんだ。…それじゃあ、失礼します」

 日下部は二人に軽く礼をすると、足早に周子のほうへ歩いて行った。


「瑞樹さんを飛び越して、いきなり専務さんが交渉なさるんですね」玲香が不思議そうに首をかしげる。「それに、ちょっぴり噂好きの匂いがしますね…」

「最終ターゲットが兄貴か親父なんだろ。読者の反響は、結果として都合のいい口実さ。…それと彼は元々、新聞社や他社のゴシップ誌を経て来たという話だよ」

「そうなんですか。龍くんだけじゃなくて、紗由ちゃんにも、また声がかかりそうですね」

「紗由は以前の例もあるし、難しいだろうな。まりりんと二人で、ポケットのリボンはもっと大きいほうがいいだの、裾のレースがきれいじゃないだの、服に駄目出しまくりで服を着ないんじゃ、撮影が進まない」


「おしゃれさんですからねえ、紗由ちゃんもまりりんちゃんも。紗由ちゃんのフラワーガールの衣装も、私のドレスより時間かかってましたもの」玲香がふふふと笑う。

「当の姫はまだ、新参ファン達とご歓談中みたいだから、俺たちもちょっと挨拶回りしようか」

「いきなりプロデュース案と言われても勝手がわかりませんものね。まずは情報収集と腹の探り合いからですね」

 玲香と賢児は微笑み合うと、戦闘態勢に入った。


  *  *  *


 大隅の姿が会場から見えなくなったので、翔太は慌てて階段を駆け下りた。翔太が会場のドアを開けようとすると手を伸ばしたとき、一人の少年が現れ目の前を遮った。

「うわ」驚き、慌てて止まる翔太。

「急ぐと危ないよ」少年は静かに笑うと、すたすたと歩いて行ってしまった。

“なんやねん…? それに、あの紫のペンダント…”

 翔太がその少年のほうを見つめながらドアに手を伸ばすと、その瞬間にドアが開いた。

「うわあ」

 ドアの重みで後ずさったときにバランスを崩し、風船が手から離れそうになる。


「おや、ごめんよ。大丈夫かい?」

 中からは、大隅が水町と一緒に出てくるところだった。

「は、はい」

「おや。君は高橋君…いや、西園寺君だな、今は。彼女の甥っ子くんだったね」

「高橋翔太くんですわ」水町が説明する。

「こんにちは。この前は叔母の結婚式にきていただいて、ありがとうございました。今日は西園寺龍くんの友達としてきました」

 そう挨拶してニッコリ笑う翔太に、大隅は顔を覗き込むようにして言った。

「うーん、いい目をしてる。可愛いねえ」


「ありがとうございます」

 翔太がぺこんとお辞儀をすると、大隅は翔太の耳元で囁いた。

「ちょうどいいから、うちの子とも仲良くしてやってほしいなあ」

「え?」

「…ああ、すまないね、突然。中でゆっくりしていっておくれ」

 大隅はそう言うと、すたすたと歩いて行った。


“うちの子…? 独身の大金持ちやて、賢ちゃん言うとったよな…”

 翔太は手の中の風船を元の位置に戻すと、首をかしげながら会場へと戻った。


  *  *  *


 翔太がドアを開くと、そのすぐ横のスペースで、さっき気にかかった男性二人が小声で話をしていた。

「やっぱり、居心地悪いなあ」

「でも、これだけ良家の子女が集まる場所なんて、そうそう来れないぞ。顔と名前ぐらいは覚えて帰れよ」

「まあ、そうなんでしょうけど、こういう、いかにも大事に育てられてますって感じのオーラ、何かこう、背中が痒くなりますよ」

“何や、荒んだ感じのおっさんやなあ…でも、この位置はええわ”

 場内をこっそり観察するのに都合がいいと思い、翔太がその二人の影に入ると、今度は彼らの口から「西園寺保」という単語が聞こえてきた。

「今回、三村派が小宮山派に付いたのは、西園寺保が動いたからだそうじゃない」

「ああ。小宮山サイドから聞いたよ、そんな話。マダムのアイドルやってるだけかと思えば、なかなか大したもんだね」

「おたくの著者の桐生先生をたぶらかしたって噂もあるけど、どうなの」


“なんや。こいつら、先生の悪口か。ひがんどんのかいな。…あれ、でも右側のおやじ、どっかで見たことあるなあ…”

 翔太が記憶を探っていると、紗由が猛ダッシュして二人に向かってきた。その後を、真里菜と奏子が追いかけてくる。


 紗由は、ちょうど翔太のところへやってきた玲香の腕をつかむと叫んだ。

「れいかちゃん!」

「なあに、紗由ちゃん」

「“たぶらかす”ってなに?」

「え?」わけがわからないという様子で聞き返す玲香。

「どういういみ?」

「うーん、あまりいい言葉じゃないわ。人を騙すことよ」

「このおじさんが、じいじのこと、いったの。“おたくのちょしゃの、きりゅうせんせいを、たぶらかした”って」

 さほど大声では話していなかった日下部は、驚いた様子で紗由を見つめると、傍らにいた男も同意するように日下部の腕を突いた。


「親父が誰をたぶらかしたって?」そこへ後ろから賢児が話に入ってきた。

「このおじさん、そういった」

 思い切り相手をにらみつけながら言う紗由の頭を優しくなでると、賢児は日下部の隣にいる男性に歩み出て、ニッコリと微笑んだ。

「日下部さんのお知り合いでいらっしゃいますか?」

「は、はい」

 後ずさるようにして返事をする男の傍では、日下部がばつ悪そうに目線を落としている。


「私、西園寺保の次男の賢児と申します」賢児はそう言いながら名刺を差し出した。「お名刺、頂戴してもよろしいでしょうか」

 賢児の言葉に慌てて名刺を返す男。名刺には、森本歩の名前とフリーカメラマンという肩書きがある。

「父へのご意見などございましたら、忌憚のないところをお聞かせ下さい。父にも、世間から言われなき誤解を受けることのないよう、これまで以上に政務にまい進するよう申し伝えます」

 賢児は二人に一礼すると、玲香を振り返った。

「ちょっと子供たちのこと見てて。周子さんのところ行ってくるから」

「わかりました」


 賢児がその場を離れると、紗由は日下部と森本に直談判を始めた。

「うそはいわないでください! うそをつくのは、わるいひとです!」

「あ…紗由ちゃん。誤解、誤解だよ。ごめんね。そうじゃなくて…」

 あたふたと日下部が謝っていると、娘たちの後ろから事を見守っていた夕紀菜と響子が前に出てきた。夕紀菜がさらに一歩前に出る。

「どういうつもりか存じませんけど、あまり不用意なことは、おっしゃらないほうがよろしいですわね、専務さん。特にこのような場所では。…それから、そちらの方…会社でお見かけしたことはないですけど、日下部さんのお供ということは、これからうちの仕事をご希望なのかしら。でしたら、言葉を謹んで下さらないと。まったく…母が聞いたら、どう思うか」夕紀菜が溜め息をつく。

「は、はい」小さな声で答える日下部。


「このお嬢さん、誰?」森本が日下部に耳打ちする。

「瑞樹くんの奥さん。社長のお嬢さんだよ」日下部が小声で素早く答える。

「え…?」

 しまったという顔で頭を下げる森本と夕紀菜が話をしているその傍らでは、真里菜が夕紀菜のバッグのサイドポケットに入っていたスマホを取り出し、勝手に通話を始めた。


「もしもし、おじいちゃま? まりりんだけど、いま、なごやのパーティー。あのね、かいしゃのひとのきょういくは、ちゃんとしておいてね! じいじせんせいのわるぐちいうようなひと、まりりんがしゃちょうになったら、くびだからね。じゃあね。ばいばい」

「真里菜…何してるの」

「おじいちゃまに、おでんわ。つぎは、おばあちゃまよ」

「しなくていいわ」

 夕紀菜が真里菜からスマホを取り上げると、日下部はホッとした顔をした。

「ママが直接、よーくお話しますから」


「よーく、いってください。ふくかいちょうさんに、よーくいってください」夕紀菜の手を握って、ぽろぽろと泣き出す紗由。

「あ! さゆちゃん、ないちゃった!」

「さゆちゃんのこと、なかせるなんて、ひどい!」奏子が彼らをキッと睨む。

「紗由ちゃん、ごめんなさいね。ちゃんと言っておきますからね」紗由の頭を優しく撫でる夕紀菜。

「あ、いや、紗由ちゃん。だから、誤解というか、その部分に深い意味はないというか…」しどろもどろになる日下部。


「紗由ちゃん、泣かないで。大丈夫よ。じいじは今日も、紗由ちゃんやみんなのために、一生懸命お仕事してますからね」

 玲香がしゃがんで、紗由の頬にそっと手を当てる。

「そうや、紗由ちゃん。先生が悪いことなんぞ、するわけないんやからな。おじさんたちの言うことなんぞ気にせんといて、あっちの中庭でお花見よう。紗由ちゃんの好きな黄色のお花も、ぎょうさん咲いとるで」

 翔太がハンカチを取り出し、紗由の顔を拭くと、紗由はきゅっと唇を噛み締めて、こくりと頷いた。


「ししょう! ここは、ぼくにおまかせください!!」

 後ろから大声がして翔太が振り向くと、そこには花巻充が立っていた。

「充か。何や」

 充は、紗由と幼稚園で同じクラスの男の子、紗由の“親衛隊”の一員だ。紗由たちのお遊戯会に翔太が応援に行った時に、その応援団長コスプレに惚れこんだ充は、弟子にしてくれと翔太に懇願し、翔太は乗り気の紗由の手前、渋々引き受けたのだ。

 その後、清流に一家で泊まりに来たりもし、翔太の「亭主姿」「板前姿」「庭師姿」など、様々な仕事着を見るたびに、さらに翔太に傾倒していく様子の充だったが、充の親も翔太のコスプレルックが気に入り、結果として親子揃って翔太のファンという有様だった。そして今では翔太も、人懐っこい充を弟のように可愛がっている。


「わるものは、ぼくがくいとめます! はやく、さゆひめとにげてください!」

 敬礼のポーズをして翔太のほうを見る充。彼は紗由のことを“姫”と呼んでいる。

「…わかった。ほな、頼んだわ。でも、キックやパンチはあかんで。ええな」

 翔太は、特に止めるでもなく淡々と言葉を返した。その様子を聞いていた真里菜も、しょうがないわねと言わんばかりの口調で充に言う。

「ほんとうは、さゆちゃんだって、へんしんすれば、わるものなんて、すぐにやっつけられるのよ。でも、とくべつに、みつるくんにやらせてあげる」

「おおきにでございます、まりりんのあねご!」


「そんなふうによぶと、おこられちゃうよ」奏子が小さい声でつぶやく。

「わかりました、マドモアゼルかなこ。きをつけるでござる」

 充が言う傍で、すでに真里菜は眉間にしわを寄せ、両手を腰にあて仁王立ちになっていた。

「あねごって、よばないでって、いったでしょ!」

「は、はい、あねさん…」


 翔太は、後ずさりする充を見てくすりと笑うと、紗由の右手を取り手をつないだ。

「…さゆちゃん、行くで。まりりんちゃんも、奏子ちゃんも、ほら」

 翔太が促すと、それに従う二人。真里菜は不機嫌な顔で、日下部たちを無視するようにして通り過ぎたが、奏子は通りざま、二人に向かって叫んだ。

「ひとでなし!」

 奏子にしては珍しく張り上げた大声に、周囲の人間数人が振り返り、日下部たちに視線が集まった。二人は愛想笑いを浮かべながらも、気まずそうに、そそくさとドアのほうへ向かった。


「おい、まて! あくのけしんめ!」充が二人を追いかけようとする。「キャンディーべたべたこうげきをしてやる! ポケットをだせ! くちのなかのキャンディーを入れてやるぞ!」

 大声で叫ぶ充に、父親の花巻が充の首根っこを後ろからむんずと掴んだ。

「…昨日、ズボンのポケットがべたべただったのはそれか」

「うへー」足をばたつかせる充。


 そこへ賢児が小走りに近づいてきた。

「すみません。紗由がお騒がせしたせいで」

「ああ、西園寺さん。こちらこそ、すみません。まったく、こいつ、お調子者で…」

「あくのけしんが、いっちゃう、いっちゃう~!」

 暴れて手を振り払おうとする充を、さらにきつく抱きかかえる花巻。

「あの人…森本さんなら、以前、けっこううちの店にも来てましたよ。毎回同業者と一緒に、いろんな学生さんたちを連れてきてくださって、大盤振る舞いでした。上客だったんですよ」

「あやつ、おきゃくか? みたことないぞ!」

「ああ、来店はいつも10時過ぎだからな。お前は家に戻ってる時間だ」


「そちらのお客さんなんですか…。フリーカメラマンですよね、さっき名刺をもらいましたけど。そんなに大盤振る舞いできるなんて、よほど凄腕で高収入なのかなあ」

「どうなんでしょうねえ。ゴシップ系の汚れ仕事だって、ご自分でおっしゃってましたから、一般人には想像のつかない収入もあるのかもしれませんね。そういえば、今年は全然来てないなあ」


「そうなんですか。日下部さんと一緒ということは、今はあそこの仕事をしているんでしょうかね」

「あそこの会社はファッション誌中心でしたよね。熱く政治を語ってたりもしたんで、政界ゴシップ関連のカメラマンなのかなと思ってましたけどね。こういうパーティーが、そもそも不似合いな感じがしますよね。だいたい、ここで、そんな噂話しててもねえ」苦笑いする充の父親に、賢児も複雑な心境で笑い返した。

「うちの父の話なんかも、以前から、飲みながらしてたのかなあ…」

「いや、うちでは西園寺先生の話は聞いたことはなかったですね。政治家の先生の名前はけっこう出ていたように思いますけど。小宮山先生とか、梨本先生とか」

「そうなんですか…」


 賢児との話に気を取られた花巻が、手の力を少し緩めると、充は父親を振り払ってドアのほうに駆け出した。

「あくのけしんめ! たいほだ!」

「お、おい、こら。待て、充!…すみません、失礼します」

 花巻は慌しく賢児に頭を下げると、充を追ってドアのほうへ走った。


 花巻の店ではまったく保を話題にしていなかったという森本に、賢児は少し妙な感じを受けていた。

 四辻前大臣の事故死から後を受けて新大臣になった時期は、保はかなり世間の噂に上っていたはずだからだ。四辻の死を巡る疑惑や、大抜擢と言っていい保の就任、涼一の論文がニュースで取り上げられていたのもその頃だ。話題には事欠かなかった。

“じゃあ何で、今頃ここで桐生女史の話なんだろう。ネタとしては半年ぐらい前なのになあ…。まあ、いいか。えーと、玲香は…”

 キョロキョロと玲香を探す賢児の横を、さっき翔太が誰かと聞いてきたマダム花津が、失礼と言いながら通り過ぎて行った。


  *  *  *


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