その7
翌週の土曜日、賢児と玲香は、龍と翔太を連れて名古屋へと向かっていた。
華織が玲香に言った通り、大隅老人の乗ろうとした船はトラブルで出航停止となり、急遽、彼の実家がある名古屋で喜寿祝いのパーティーを開催する段取りとなったのだ。
通常、一週間後に名古屋まで人を集めるのは難しかったのか、大隅にしてはこじんまりとしたパーティーだ。子供30人を含め、全体で70人程度、大人と子供の比率があまり変わらない。
「艶やかな会場ですね…祭壇の傍のお花、すごいです。あれって、ラッピングしてある小さな花束を、いくつも集めて作ってあるんですよね。リボンの素材のせいかしら。モダンな和風という感じになってますね。部屋の雰囲気ともマッチして、不思議なお祭り会場にいるみたい」玲香がワクワクしながら言う。
「小さくラッピングしてあるってことは、たぶん帰りにはお土産になるんだろうな」
「すてきな趣向ですね。オブジェとしてもきれいです」
「ああ。欲しい花束チェックしておけ。それにしても、“命”さまは大正解だったな」
「龍くんも、ちゃんとお呼ばれしましたしね」
賢児と玲香は仕事の関係者ということでの出席だったが、龍は賢児の関係者だから招かれたわけではなく、別件がらみで招待を受けていた。
「ジュニアオーケストラを作りたいらしいって話は、前に水町女史からチラッと聞いたことがあったけど、今回は都合の付く人間で、とりあえずの顔合わせってことなんだろうな。本格的な旗揚げは、また今度ってことかな」
「そうですね。楽器を持ってくるようにという指示もなかったようですし。…それにしても、名家の師弟が多いですね」
「こうしてみると、龍が一番大きいのかな。この年齢構成じゃあ、オーケストラって言うより幼稚園か学童保育だよなあ」苦笑する賢児。
「やはり、仕事がらみの思惑がおありなんでしょうか。うち以外にも資金援助を受けてる会社が、ちらほらいますよね…」玲香が会場を見渡す。
賢児の言うように、招待を受けた子供たちの年齢は紗由ぐらいから龍ぐらいまでで、人数は十数人だった。ただし、その子たちに親友を一人同伴するようにと申し渡してあったので、合計で30人ぐらいの子供たちが会場にはおり、翔太がこの場に同席していたのも、龍から指名を受けて同行したからだった。
大人約40人のうち、子供たちの保護者が20人ぐらいだろうか。残りの、子供を連れていない客20人ほどは、明らかに仕事の関係者と思われるようないでたちだった。
会場には主役が現れていない上に、水町からもパーティーの細かい主旨については何の説明も、まだされていなかった。仕事の関係者たちは、そうした大隅のやり方を半ば心得ていたが、子供の保護者たちは、自分たち以外、音楽関係者がいない状況に、若干不安と疑問を抱いているような面持ちだった。
そして子供たちはと言えば、会場の中央寄りに設置されている、さまざまな菓子の並んだ丸テーブル3つが気になって仕方がない様子だった。テーブルは、子供の背の高さに合わせたのか、若干低めになっている。
「それに何でまた友達同伴なんでしょうね」
「どういう人間を選んでいるかを見極めるつもりなんだろう。何に役立てるつもりかは知らないけど、じいさ…大隅氏はその手の“チェック”がお好きだ。まあ、俺は助かったけどな。玲香を選んだおかげで株が上がった」
「そんな…」うれしそうに顔をほころばせる玲香。
「紗由にも声が掛かってたけど、ピアノはオーケストラには入ってない楽器だから、龍の妹ということで興味を示したんだろうな。龍のほうはコンクールでもけっこう実績があるから」
「紗由ちゃんのピアノ、かなり筋がいいって聞きましたけど」
「紗由は3歳の頃からやってるけど、クラシックピアノに向いてるのかどうか。ピアノ弾きながら、歌ったり踊ったりするらしいよ。先生から声楽やバレエを薦められたって兄貴が喜んでたけど、それ、どう考えても嫌味だよな」くすっと笑う賢児。
「探偵事務所の踊りには、その基礎が活かされているわけですね」玲香も笑う。「でも、紗由ちゃん、お誘い断っちゃったんですよね。親友は二人いるから一人だけ選べないって」
「水町女史を困らせたらしいな」
「さゆ、きたよ!」
「え!?」驚いて同時に振り向く賢児と玲香。
「紗由! 何でここにいるんだよ」
「まりりんも、きた」
「かなこも、きました」
いつもの3人娘が、ワンピース姿で顔を揃えている。紗由はピンク、真里菜は赤、奏子は紺色のワンピースだ。
「あら、みんなお揃いで。…紗由ちゃん、来ないって聞いてたけど、どうしたの?」
「まりりんがフルートならってて、おいでっていわれたの」説明する紗由。
「おともだち、ひとりだけっていうんだよ。だからね、おじいさんにでんわで、ケチなおとこのひとは、もてないって、おしえてあげたの」真里菜が言う。
「そしたら、3にんになりました」ニコニコ笑う奏子。
「でもね、みずまちさんに、ピアノとおことをオーケストラにいれてっておねがいしたけど、ことわられたよ」
紗由がぷーっと頬を膨らませる。奏子が習っているのは琴なのだ。
「そんなわけで、3人を連れてきました」
賢児と玲香が再度振り向くと、そこには響子が立っていた。
「周子さんと夕紀菜さんも、すぐ来るわ」
「響子さん! お疲れ様です」玲香が頭を下げる。
「毎週お茶会ですね」賢児が笑う。
「残念ながら、実は私、ここに来たのは仕事なの」
響子の仕事はフラワーコーディネーターで、今回は会場の花のアレンジを任されていた。
「じゃあ、ここのお花は響子さんが?」玲香が会場を改めて見渡す。
「今、素敵だって話していたところですよ」
「あら、うれしいわ」微笑む響子。
「じゃあ、こちらへは早く到着されてたんですね」
「ええ、夕べから」
「お疲れ様です。…それに引き換え、姫たちは元気だなあ、いつ見ても」
賢児が笑うと、響子が小声で言った。
「今回の本当の目的は、西園寺保探偵事務所の調査らしいわよ。あんまり大声ではいえないけど…」辺りを目で見渡す響子。「このオーケストラは変だから、調査が必要なんですって」
響子の言葉に思わず玲香が吹き出す。
「ところで、龍くんたちは?」周囲を見回す響子。
「えーと…ああ、あそこだ。ほら、マイクのすぐ横」
響子は、「あら、翔太くんてば…」“抜かりないわね”と言おうとしたが、紗由がそちらをじっと見ているのに気づき、口を閉ざした。
響子の感想どおり、女性に対して抜かりがない翔太は、会場に入ってきたばかりの水町を目ざとく見つけると、生花のコサージュを渡していた。玲香から、彼女がいつもグレーのスーツを着ていると聞いていた翔太は、自分が庭で育てたバラで、鈴音に生花のコサージュを作ってもらったのだ。
「叔母から、水町はんはいつも綺麗なグレーのスーツをお召しやて聞きました。なので、これがええかな思うて」
そう言いながら、ピンクと赤のバラのコサージュを渡す翔太。
「今日は龍くんのこと、よろしゅうお願いいたします」
「まあ、わざわざどうもありがとう」
いつもクールな印象の水町だったが、予定外のプレゼントに思わず顔をほころばせ、すぐさま胸に付けた。
「水町さんが付けると綺麗ですね」
龍の言葉に、水町は少し弾んだ声で言った。
「もうすぐ会長がお見えになるから、待っててね。テーブルのおやつも、食べてていいのよ」
そして、心なしか頬を赤らめながら、菓子の並んだ丸テーブル3つを手で示した。招待客にも、きちんと案内のアナウンスをするつもりなのだろう。傍にあるスタンドからマイクを取った。
紗由たち3人娘が、まるで示し合わせたかのように、水町にスタスタと近づいていったので、賢児、玲香、響子の3人もその後を追う。
「こんにちは!」紗由が水町に元気に挨拶する。
「あら、紗由ちゃん。こんにちは」
「おまねき、ありがとうございます!」
「ありがとうございます」真里菜と奏子も、紗由に続いて頭を下げる。
「ちゃんとご挨拶できて、偉いですねえ、3人とも」様子を眺めながら、うふふと笑う玲香。
「私よりも紗由ちゃんが言ったほうが、ちゃんとお行儀よくするのよ、うちの娘は」
響子が言うと、賢児がくすりと笑った。
「周子さんも同じようなこと言ってますよ。奏子ちゃんたちといる時は、しっかりしてるって。普段はチョコレートひとつでベソかくのに」
「紗由、テーブルのおやつ、食べてもいいって。かあさまに断っておいで」
龍が言うと、きょろきょろと周子を探す紗由。
「いないねえ、さゆちゃんのかあさま」
「えふびーあいの、おしごとかなあ」奏子が小声でつぶやく。
「おやつたべてる子もいないね」紗由がもう一度ぐるりと周りを見渡す。
「おおきいこえでいわないと、みんなわかんないんだよ」
真里菜が小声で紗由にささやくと、紗由は少し考えた後、祭壇の向こう側にあるグランドピアノの前にすたすたと歩いて行った。
「紗由ちゃん、どこ行くん?」
翔太が後を追いかけると、真里菜と奏子、賢児たちも後に続いた。
だが紗由は、振り向きもせずにピアノの椅子を引き、その位置を調整すると、よじ登るようにして座った。
「紗由ちゃん、勝手に弾いたら、あかんて」
翔太は止めようとするが、紗由はにっこり笑って、ポロンと音をひとつ鳴らした。
「お知らせの歌だよ」
「え?」
困惑する翔太をよそに、紗由は両手でピアノを弾き始めた。
「おやつ食べよう♪ おやつ食べよう♪」
紗由がピアノを弾きながら歌い出すと、会場の人間が一斉に振り向く。
「みんななかよーく おやつ食べよう♪」
「バイエルだわ。自分で歌詞を付けちゃったのね」玲香が微笑む。
紗由が同じ旋律を二度繰り返すと、小さな子供たちがピアノの周りに集まってきた。大人たちの視線も紗由に集まり、会場は多少ざわついた。
「さゆちゃん、じょうず!」小さな手で大きな拍手を送る真里菜と奏子。
「おやつ食べていいの?」
一人の子供が尋ねると、紗由が答える。
「テーブルのおかし、食べていいんだよ。でも、おかあさんに、ちゃんと言ってからだよ」
集まった子供たちは、一斉に母親の元へ戻り、しばらくすると次々に、菓子が並んでいるテーブルへと駆け寄った。一人が恐る恐る手を出すと、他の子供たちも次々に手を出し、うれしそうに菓子を頬張る。
その様子を、少し離れた場所からポカンと見つめていた水町は、近づいてきた賢児に声を掛けられ、ハッとわれに戻った。
「すみません…紗由がご迷惑を」
「い、いえ。助かりましたわ。ちょうど、ご案内のアナウンスをしようと思っていたところだったんです。お子さんたちも楽しく召し上がっていただいてるようですし」
水町は改めてマイクを握りなおすと、会場に向けアナウンスを始めた。
ちょうどそのタイミングで周子と夕紀菜が会場に現れ、響子も含め、それぞれの母親から、おやつの許可をもらった3人娘は、いそいそとテーブルに向かった。
「ぜんぶ、たべられるかなあ…」
テーブルの上の菓子の量に圧倒された紗由がつぶやくと、周子が後ろで咳払いした。
「全部食べなくていいです」
「わかった。3にんでわける」
目分量で自分の取り分を勝手に決めている紗由の後ろには、気が付くと何人もの子供たちがいた。人一人通れるくらいの幅を空けて、紗由と同じく幼稚園児と思われる子供たち7、8人が、彼女を取り囲むように集まっている。皆一様に紗由の様子を見つめているが、知ってか知らずか、紗由はお菓子選びに一生懸命だ。
真里菜はそんな様子に目をやると、ふーっと息を吐き、頭の上で手をパンパンと鳴らした。
「はい。さゆちゃんと、おともだちになりたいひとは、ここにならんでね! ほかのひとの、じゃまにならないようにしてください!」
真里菜が仕切り出すと、少しざわつきながらも一列に並ぶ子供たち。
「ここから、はみださないでくださいね」
奏子も真里菜を手伝い、列をきれいに整えていく。その様子を、周囲の大人たちも興味深げに眺めている。
「何だか妙に手馴れてるな、あの二人。うちのイベントバイトより使えそうだぞ」小声で玲香にささやく賢児。
「幼稚園でも、こんな感じみたいですよ。親衛隊長の真里菜ちゃんが仕切るんだそうです」
「へえ…」
「先生によるとね、紗由と遊べなくて泣いちゃう子がいるから、真里菜ちゃんが遊ぶ順番を決めて、奏子ちゃんが仕切りを手伝うんですって。逆に幼稚園だと3人でゆっくり遊べないみたい」
いつの間にか賢児の横にいた周子が、目の前の様子を見ながら解説する。
「人気者も大変だなあ」
賢児が半分呆れる傍で、もう一人の人気者が女の子たちの視線を集めていた。
「賢児さま、龍くんの周りにも女の子がたくさん…というか、きれいに男女に分かれてますね」
「うわ。龍のほうは、親父のパーティーを髣髴とさせるな」
そのとき、感心する賢児の前に翔太がやってきた。
「賢ちゃん、ちいと抱っこしてや」
「え?」
「ちょっと、翔太。何なの、こんなところで…」
玲香がとがめたが、翔太は気にかける様子もなく、賢児に向かって腕を伸ばした。
突然人前で抱っこをせがまれ、少々驚いた賢児だったが、言われるままに翔太を抱き上げる。
「ひゃっほー。高いなあ、やっぱり」
184センチの賢児に抱き上げられると、目線が一気に高くなる。翔太は目を素早く動かして、会場全体を見渡した。
「おまえ、ずいぶん重くなったな」翔太を抱きなおす賢児。
「育ち盛りやさかいな」
翔太は、にぃっと笑うと、入り口付近にいる男性に目を留めた。
「なあ、賢ちゃん。後ろのドアの傍にいる、茶色のスーツのにいさん、誰や? ほら、左目の下にほくろがある人。あと、その隣にいる兄さん」
翔太が言う辺りを目を細めて見る賢児。
「ああ、日下部さんか。瑞樹の会社の専務だよ。新聞記者を長年やってて、他社の週刊誌経験もあるから、週刊誌を立ち上げる時に、常務がヘッドハンティングしてきたって聞いてる。隣は…彼の関係者かな。初めて見る顔だなあ」
真里菜の父親の瑞樹は出版社でファッション雑誌の編集長を務めているのだが、妻の夕紀菜の父親がそこの社長で、母親が筆頭株主だった。
「まりりんちゃんのパパさんの会社か。出版社の人やな。じゃあ、水町はんの横でメガネの男の人と話してるマダムは?…ほれ、あのサングラスの」
「ええと…マダム花津だったかな。デザイナーだよ」
「あの人…」
「ん?」
「何でもあらへんわ。もう、ええで。おおきに」
翔太はそう言うと、賢児の腕を離れようとした。賢児が慌てて姿勢を低くすると、翔太は賢児から飛び降りた。
「やっぱり高いとこだと、よう見えるわ」
翔太はにっこり笑うと、トイレに行ってくると言って後ろのドアに向かった。
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