その5
今日は紗由、真里菜、奏子の三人娘の定例会の日だ。母親たちがお茶を飲みながら歓談している傍らの別テーブルで、3人も何やらこそこそと話をしている。
「あのね、さゆ、おもいだしたの」紗由が難しい顔で言う。
「なにを?」奏子が聞く。
「ひみつきちをしらべようって、まりりんがいったから、さいおんじたもつたんていじむしょをつくったんだよ。いっぱいしらべないと」
「そうだね。まだ、ちょっとしか、しらべてないね」頷く真里菜。
「だから、きょうは、じいじのひみつきちにいくよ」
真剣な顔で断言する紗由に、こくりと頷く真里菜と奏子。
「しゅっぱーつ!」
3人は母親たちが話に夢中になっているのを確認すると、保の書斎目指し、スリッパを脱いで、そーっとそーっと走って行った。
「なんだか、いつもより、ひみつなかんじがするねえ」辺りをキョロキョロと見渡しながら真里菜が言う。
「きょうは、とくべつなひみつきちが、まってるんじゃないのかな」奏子が同意する。
「よいしょ」
紗由は両手でドアノブに手を掛け、ドアをそーっと開けると、静かに部屋の中へと入り込んだ。辺りをきょろきょろと眺め回すが、部屋には誰もいない。
「まりりん、かなこちゃん、はやくはいって! ひみつのおへやにいくよ!」
「うん!」
真里菜と奏子が元気に返事をすると、紗由は保の机の椅子をどけ、その下に二人を手招きした。机の下に座り込む3人。
「わあ。ここが、ひみつなんだね。せまくて、どきどきするね」
奏子がうふふと笑うと、紗由は首を横に振った。
「ちがうよ。ここは、ひみつのいりぐちだよ」
「いりぐち? ドアないよ」自分の周りをぱんぱんと叩く真里菜。
「あのね、ここで、あたまをごっつんすると、ひみつきちのドアがあくんだよ。えい!」
紗由は立ち上がり、わざと机の下に自分の頭をぶつけた。
「いたぁ…」
「だいじょうぶ、さゆちゃん?」心配そうに顔を覗き込む奏子。
「うん…」
紗由が泣きそうな顔で自分の頭をなでまわしていると、保の机の斜め後ろの本棚が横にスライドして、壁面の向こうに、幅が2メートル、奥行きが5メートル、高さが2メートルほどの空間が現れた。
「え?」
その瞬間、驚いて紗由たちのほうを振り向いたのは、その中にいた保だった。
「じいじ!」
「…おやつの時間じゃないのか、紗由」
一瞬、何事が起こったのか理解できなかった保は、少々ピントはずれな質問をした。
「ひみつきちを、しらべにきたの」
「さゆちゃん、かえろう。じいじせんせいが、つかってるから、またこんどにしよう」
奏子が提案すると、真里菜もそれに同意した。
「そうだね。じゃましちゃ、だめだね」
「いや、せっかく来てくれたんだから、そっちでお茶にしよう。お菓子を運ばせるから」
保はそう言うと、3人を秘密部屋の外に出し、入り口を閉ざすと、ソファーに座らせ、キッチンの和江に電話をした。
「紗由、どうやってあそこに入ったんだい?」穏やかな表情で保が尋ねる。
「つくえのしたで、あたまごっつんこすると、ほんだながうごくの。もいっかい、ごっつんすると、ほんがもとどおりになるの。でもね、こないだは、ひとりできたから、きょうは、まりりんとかなこちゃんつれてきたの」
「…頭で開けたのか?」心配そうに紗由の頭を覗き込む保。
「このつぎは、かなこがごっつんします。さゆちゃんばっかり、あたまいたいのかわいそうだから」奏子が保を見上げて頷く。
「まりりんが、キティちゃんのヘルメットもってくるよ」
「二人の気持ちは嬉しいんだが…」保は困った顔になった。「頭をぶつけるのは、危ないからやめようね。ところで、紗由。最初に秘密の部屋に入ったのはいつだい?」
「たんていじむしょを、つくるまえ」
「何回入ったんだ? さっきのところは何回目?」
「2かいめ」
「そうか…で、真里菜ちゃんと奏子ちゃんは初めてなんだね」
「はい!」声を揃えて返事する二人。
「ねえ。じいじは、ひみつきちでなにしてたの?」
紗由が聞いたとき、ドアがノックされ、賢児の右腕で、両親が西園寺家の執事と家政婦長を勤めている大垣哲也が部屋に入ってきた。
「旦那様、やはり見当たらないよう……ん?」3人娘に気がつき、怪訝な顔をする哲也。
「そうか、ご苦労様」
「あ。てっちゃんだ。こんにちは!」紗由がうれしそうに叫ぶ。
「紗由ちゃん…こんにちは」
「哲也くんも、こっちに来て、一緒にお茶にしよう」
保の言葉に反応するかのように、ちょうど哲也の母親の和江が、お茶とジュースとお菓子を運んできた。
「ここは僕がやるから、いいよ」
哲也がそう言って、お茶やジュースをサーブし始めると、紗由が慣れた手つきでナプキンを各自の前に広げ、お菓子を配り始めた。
「実は、紗由にそこの奥が見つかっちゃったんだよ」
保が苦笑いしながら、哲也に説明する。
「奥…」確認するように、ゆっくりと繰り返す哲也。
「じいじのひみつきちだよ。ほんだなのむこうの、からっぽのおへや」
紗由が説明すると、哲也はチラリと保のほうを見ながら言った。
「ああ、本棚の向こうですね。それで、3人で遊びに来たというわけですか」
「あそびじゃないよ。たんていじむしょの、おしごとだよ」
紗由が反論すると、横で頷く二人。
「失礼しました。大切なお仕事だったんですね」
「てっちゃんも、たんていじむしょにはいる? スパイになれるよ」
紗由がにこにこ顔で聞くと、哲也は少し焦った顔で答えた。
「私には、とても勤まりそうにありませんので…」
「ふうん…」つまらなそうな紗由。
「ところで紗由ちゃん。探偵事務所では、どんな調査をされてるんですか?」
「えーとね、れいかちゃんのおっぱいと、じいじのモテモテと、うちのおやつ。おっぱいはね、けんちゃんがしらべてるところ」
「そ、そうですか」返事に窮する哲也。
「それから、まりりんのパパもです」奏子が追加する。
「瑞樹くんかい?」
「うちのパパは、まほうつかいかもしれないんです!」真里菜が心なしか自慢げに言う。
「瑞樹くんは、どんな魔法が使えるのかな?」
「ベランダからおちる!っておもったら、まりりんのからだがとまって、パパがだっこしました」
「ほお…」興味深げに真里菜の話に耳を傾ける保。「危ないときはパパが助けてくれるんだね」
「はい! パパは、おばあちゃまのこともたすけました」
「おばあちゃまも助けたのかい」
「おばあちゃまがのりたかったのじゃない、でんしゃのきっぷをかって、おばあちゃまはおこったけど、のりたかったでんしゃは、くるまとぶつかりました。おばあちゃまは、パパにありがとうっていいました」
「瑞樹くんが、おばあちゃまを違う電車に乗せたから、おばあちゃまは事故に遭わずに済んだんだね」
「はい」
「そうか…パパはすごいねえ」
「はい! まりりんは、パパがだいすきです!」
保は、嬉しそうに笑う真里菜の頭を撫でた。
「あの、あの…かなこも、パパがだいすきです」奏子が恥ずかしそうに保を見上げる。
「そうか。奏子ちゃんもか。奏子ちゃんのパパは、人の気持ちを理解するのがお仕事だから、別の意味で魔法使いかもしれないね」
保が頭を撫でると、奏子はうつむき加減に微笑んだ。
「さゆもね、とうさまだいすきだよ。ちょっとてがかかるけど、かわいいの。かあさまもだいすき。おこると、かいじゅうみたいだけど」
真顔で言う紗由に、思わず哲也が吹き出した。
「失礼しました」
哲也が頭を下げたところに、ドアの外から周子の声がした。紗由たちを迎えに来たようだ。
「紗由。母さまが怪獣になる前にリビングに戻ったほうがいいな。みんな、また遊びにおいで」
保は、そう言うとドアを開け、3人娘たちは元気に部屋を出て行った。
紗由たちを見送ると、保は短く溜め息を付きながらソファーに座った。
「旦那様、お疲れ様でした。でも、奥が見つからずに済んでよかったですね。机下のスイッチは子どもの手が届かない位置に変えておきましょう。よその子たちと一緒だと、万が一の時、何かと面倒ですし…」
「ああ、そうだな。奥へのスイッチは天井につけておいて正解だった。紗由たちは、あの奥に部屋があることまでは、気づいてないようだ」
「奥に限らず、出入りの際には私も気をつけるようにします」
「そうしてくれ。…ところで、やっぱりなかったんだな」
「はい。華織さまがお持ち帰りになられたのかと」
「この前の涼一の誕生日のときかな…」
「旦那様。さっき真里菜ちゃんが言ってたことが、ちょっと気になったんですが、あれはもしや…」
「可能性はあるな。姉さんにも報告しておこう」
「実は先ほど躍太郎さまから電話がありまして、これから向こうへ行って参ります。報告は私のほうから」
「そうか。じゃあ、よろしく頼むよ。いつも面倒をかけてすまないね」
「とんでもありません。着いたら、またご連絡しますので。…私がここにいるのが紗由ちゃんたちに知れてしまいましたから、もし賢児さまたちにも知れてしまったときは、旦那様の顧問契約書類を届けに来たとでも、おっしゃってください」
哲也はにっこり笑って一礼すると、書斎を後にした。
* * *
リビングに戻って来た3人は、母親たちのお茶に再び参加しながら、こそこそと話をしていた。
「ねえ、さゆちゃん。このまえのひみつきちは、どうなったのかなあ」奏子が聞く。
「せっかく、かなこちゃんがみつけてくれたから、もういっかい、しらべにいきたいよね」真里菜が言う。
「うーん。でもね、あそこ、はいれなくなっちゃったんだよねえ。けんちゃんのおへやだから、あんまりいけないし」
「そうだよねえ。おおきいおひめさま、みにいくときしか、いかないもんね」頷く奏子。
「このまえは、とうさまだったけど、けんちゃんとれいかちゃんだったら、どうかなあ…」腕組みをして紗由が考え込む。
「とうさませんせいは、おはなしにむちゅうになると、そっちしかみないから、チャンスだったの」うふふと笑う奏子。
「でもねえ、けんちゃんはともかく、れいかちゃんはきづくよ」真里菜が言う。
「ふう。こまったねえ。かなこちゃんのおじいちゃまがおしえてくれたのが、みつけられないねえ」
3人はがっくりと肩を落とすと、クッキーを一口かじった。
* * *
「紗由、どう。このお姫様」
賢児が一枚のイラストを差し出すと、紗由はじーっとそれを見つめ、賢児に言った。
「スカートながいと、キックたいへんだよ」
「キックか…。それもそうだなあ」賢児が考え込む。
賢児の会社、サイオン・イマジカでは来月、ミニゲームのプログラムコンテストを開催する予定になっていた。そのCM用のメインキャラクターは、制作部の高橋ディレクターが紗由をモデルに作った“お転婆なお姫様”だったのだが、そのイメージイラストが出来上がったので、賢児が紗由に感想を求めていたところだった。
「れいかちゃんの、およめしゃんドレスみたいなのがいい!」元気に手を挙げる紗由。
「おまえ、自分がウエディングドレス着たいだけだろ」紗由の鼻の頭を、ちょこんとつつく賢児。
とは言え、紗由の言うのも一案だと賢児は思った。
玲香が披露宴で着用したドレスは、ミニスカートのワンピースに、パレオ状の豪華なレースを巻きつけたデザインで、右側から見るとロングドレスなのだが、左側から見ると深くスリットの入ったように見えるものだった。
「おっぱいも、ぽよよんがいい」
「そんなこと言ったって、おっぱいないだろうが、おまえ」
賢児が苦笑すると、紗由はキッと賢児を睨みあげた。
「けんちゃんだって、ないよ!」
「…俺はなくていいでしょ。男の子だし」
「さゆはね、せが150センチになったら、はえてくるんだからね! かあさまが、そういったもん。さゆ、だいにのって、はかってるよ。あと5センチだよ!」
「紗由…その場合は台に乗らずに計れ」賢児が笑う。
「さゆちゃん…」
二人の後ろで、小さな声がした。
「なあに?」
「あのね、たんていじむしょで、しらべてほしいことがあるの」奏子が神妙な顔で紗由に申し出た。
「なに、しらべるの?」
「あのね、おにいちゃまは…」言いかけて賢児をちらりと見る奏子。
「秘密の話かな?」
「おにいちゃまは、まりりんのことが、すきかもしれません」奏子が賢児に訴える。
「しってるー」翔太の真似なのか、にーっと笑う紗由。
「ええっ。さゆちゃん、しってるの?」両手を挙げて、ひらひらとさせる奏子。
「つばさくん、さっき、まりりんにきいてた。どんなおしごとのひとと、けっこんするの?って」
「何て答えたんだ?」
「パイロットだって。そしたら、つばさくん、パイロットになるって」
「あれ。でも、翼は前からパイロットなりたいって言ってたろ?」
「さゆが、まりりんを、およめしゃんにしたいの?ってきいたら、うんていった」
「まりりんは、なんていったの…?」不安そうに尋ねる奏子。
「“ふうん。およめさんにしたいんだあ。こまっちゃうなあ”」
「ほんと、さゆちゃん! よかったあ…」奏子が胸をなでおろす。
「何で“よかった”になるの?」不思議そうに奏子を見る賢児。
「まりりんは、うれしいのに、“こまっちゃうなあ”っていうの。さゆが、まりりんのこと、すきだっていったときも、そういってた」
「そうか、パイロットになりたい翼のおよめさんになりたいから、パイロットって答えたのかもな。で、どうなったわけ、その後」
「つばさくん、なきそうなかおで、あっちいった」
紗由が指差した中庭では、大地と二人でラジコンを飛ばして遊んでいる翼の姿があった。
「泣きそうなって…それじゃあ翼は、まりりんに振られたって思ってるんじゃないの?」
「あ!」紗由と奏子が、顔を見合わせて同時に叫ぶ。
「つばさくーん!」紗由が翼に向かって猛ダッシュした。
「おにいちゃま! すきだから!」
紗由の後を追って大声で叫ぶ奏子を、賢児のところに歩いてきた玲香が、すれ違いざま振り返った。
「奏子ちゃん、翼くんが大好きなんですね」
「ああ、そうだな」賢児が笑う。
「どうしたんですか? すごく楽しそうですよ」
「うん、いや…みんな可愛いなあと思ってさ。そうそう、この衣装、ちょっと変えるかもしれない。紗由が、長いスカートじゃキックしづらいって。玲香のウエディングドレスみたいなのがいいって言うんだけど」
賢児の差し出すイラストを眺めながら、玲香が言った。
「私も紗由ちゃんの意見に賛成です。これはこれで、お姫様らしいデザインですから、上のスカートを取るとミニスカートの戦闘服というのはどうでしょう。色も、白から赤に変わるような」
「そうだな。月曜日に高橋さんと相談しよう」
賢児は微笑むと、紗由が走って行った先を再び眺めた。紗由と奏子が何かを一生懸命、翼に向かって説明している。その向こうには、ニコニコ顔の翼と、翼をつつく大地の姿が見えた。
「あの、賢児さま、前に翔太から渡されて、華織伯母さまにお預けしておいたハガキなんですけど、伯母さまから今お電話があって、直接返したいから静岡まで来てほしいって」
「静岡まで?」驚く賢児。「送れば済むことなのにな。返す機会だって何度もあったろうに」
「はい…それと」
玲香が何気なく周囲を見回す。今日は周子たちの定例お茶会の日なので、家の中に人間が多い。
「それと…彼も連れて来いと」
玲香が、響子と話していた龍のほうを見た。
「元々そういう予定があるの?」
「わかりません。来週、大隅さんの喜寿のお祝いが名古屋であるから、一緒に来るようにとのことでした」
「あれ? 先月、水町さんに連絡したときには、今回の誕生日は豪華客船でロスから世界クルーズに出ることにしたって話じゃなかった?」
「私もそう申し上げたんですけど、船のトラブルで行かれなくなって、一両日中に戻ってくるだろうと」
「ふうん」賢児はあまり納得が行かない様子だった。
「仮にそうなったとしても、彼を連れて行く理由がないかと思うんですけど」
「そうだよな…」
賢児がしばし考えを巡らせていると、スマホが鳴った。画面を見ると“水町美也子*大隅秘書”の文字が出ていた。
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