その4
そのとき、ドアがノックされ、和江が一同に声を掛けた。
「マジシャンの方がお見えでございます。お通ししてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
周子が答えると、一同はリビングへと移動した。
しばらくすると、一人のピエロがリビングへ入ってきた。それを見るなり駆け寄る紗由。
「ピエロさん!」
龍も、ダメだよと言いながら紗由の後を追う。
「こんばんは。紗由ちゃん、龍くん」
「あれ…?」紗由が不思議そうに首をかしげた。
「その声…誠さんですか?」
玲香が尋ねると、ピエロはかぶっていた小さな帽子から花束を取り出し、玲香に手渡した。
「ご明察です」
「え? 何で?」
賢児が驚くと、澪が説明した。
「副業でマジシャンもやっているんです」
「会社経営してるって話だったから、宝石の卸かと思ってたけど、違うの?」涼一が聞く。
「はい。兄はイベント会社をやっていて、自分でもマジシャンとしてイベントに出演してるんです。最近よくテレビに出ている“インバーター”というマジシャンにマジックを提供したりもしています」
「わあ、僕ね、大好きなんだ、インバーター」龍がうれしそうに叫ぶ。
「さゆも!」
「宝石の卸ももちろんやっています。個人宅で宝石を使った手品をたくさんやって、その後に、それらを販売したりもしてますし」
「母さんみたいな、お金と暇を持て余したマダムが、山ほど買ってくれるらしいよ」
風馬が言うと、華織がぎろりと睨みつけた。
「華織さんほど宝石を美しく着けてくださるご婦人なんて、まずいませんけどね」
「やだわ、誠さんたら」途端に機嫌が良くなる華織。
「なあ、誠さんて、兄貴や翔太に通じるものがあるよな…」
賢児が玲香に小声で囁くと、玲香は「ええ、まあ」と言いながら、くすりと笑って下を向いた。
“それを言うなら、賢児さまと風馬さん、光彦義兄さんも、通じるものがあるんですけど…”
「さゆも、おはなください!」
紗由が手を伸ばすと、ピエロの誠はにっこり微笑んで、ポケットから黄色いコサージュを取り出した。大喜びの紗由を横目に、龍もおねだりをすると、龍が欲しがっていたミニカーが袖から出てきた。
誠は、さらに黄色い帽子を上着の裾から取り出し、紗由が持っていたコサージュをそれに取り付けて、再度紗由に渡した。
はしゃぎまわる二人を見ながら、微笑む涼一。
「おまえからのプレゼントは、子供たちの笑顔っていうわけか」
「うふふ。第一弾よ、とりあえず」
周子は嬉しそうに笑うと、一同を見回し、再度乾杯の音頭を取った。
* * *
パーティーの後、離れに戻った賢児と玲香は、翌日が休みということもあり、再度グラスを傾けようと、ワインを開けた。
「さっきは、あまり飲みませんでしたね。どうしたんですか?」
「あ…うん。ちょっと緊張してたのかもしれない」賢児は天井を見上げた。
「緊張?」
「いや、席順がさ、一家で集まるときに伯母さんたちより上になったの、初めてなんだ」
「涼一さんの次でしたよね」
「世帯主になって、序列が上がったってことなんじゃないかな。親父と伯母さん的にはさ」
「そういうの、私も覚えがあります。鈴ちゃんが義兄さんを婿に取って、跡継ぎになったときに、弦子叔母さんと鈴ちゃんの座る位置が変わりました」
「そうか。まあ、しっかりしなきゃなって、段々実感わいてきたってところかな。式のときは慌しかったし、どこか現実離れしてる気もしてたんだけどさ」
「私もです。本当にここが私の家なのかなあって、不思議な気分です」
「…ずっと玲香の…いや、俺たちの家だよ」
「賢児さま…」
玲香が微笑むと、賢児が玲香を引き寄せて口付けた。
「ななめだあ!」ソファーの後ろから、紗由がひょっこりと顔を出した。
「うわぁああっ!」驚いてのけぞる賢児。「な、何してるんだよ、こんなところで」
「あら、紗由ちゃん。どうしたの?」玲香が不思議そうに紗由の顔を見る。
「わすれものだよ」紗由が玲香にハンカチを差し出す。
「ありがとう。届けてくれたのね。ご苦労様」
「どういたしましてぇ」体を斜めに傾けて笑う紗由。
「うん、ありがとう。もう帰っていいぞ」紗由の頭をなでる賢児。「ていうか、おまえどうやってここに入ったんだよ。ドアも廊下も閉まってるだろ」
だが紗由は、賢児の言葉を無視して玲香の首にぶらさがった。
「ねえ。どうして、チューのときは、おかおがななめなの?」
「お顔?」
「うん。さっき、こうなってた」首を傾ける紗由。
「うーん…それはね、お顔がまっすぐだと、お鼻がぶつかっちゃうからです。ほら、ほらね」
紗由の頬を両手で包み、自分の鼻を紗由の鼻に軽くこすりつけるようにする玲香。
「きゃああぁ。ほんとだあ!」
「ねえ紗由ちゃん、どうやってお部屋に入ったの? 今、通路はロックされてるでしょう?」
「れいかちゃんが、ろうかのボタンおしたら、みおちゃんが、あやしいふうとうをだしたの。ひみつかいぎをじゃましたらだめだから、ひとりでおへやにとどけにいったの」
「全然気づかなかったわ…」
「じゃあ、俺たちが入ってきたとき、もういたのか」
「うん」
「あら、それだと、もう10分くらい経ってますね。周子さんが心配してます、きっと」ソファーの横にある子機に手を掛ける玲香。
「でんわ、したよ」
「え?」紗由の顔をまじまじと見つめる賢児と玲香。
「わすれものをとどけにきたよって、かあさまにでんわした」
「そ、そうか」賢児が玲香に耳打ちする。「ここは褒めるところか?」
「微妙ですね…」神妙な顔で言う玲香。
「よし! 紗由、かあさまのところへ帰るぞ」賢児が紗由を抱き上げた。
「れいかちゃん、ばいばい」
「おやすみなさい。どうもありがとうね」
紗由は玲香に手を振ると、賢児にきゅっとしがみついた。
* * *
「周子さん、恐縮してたよ。玲香にも、よく謝っておいてくれって」
「そんな。…私も次回から気をつけます」
「うん。まあでも、キス程度でよかったというか」
「そうですね」恥ずかしそうにうつむく玲香。「あ、そうだ。鈴ちゃんから電話がありました。再来週の土曜日、翔太のチームが東京のチームと試合があって、こっちに来るそうです」
チームというのは翔太が所属するサッカーチームのことだ。年齢で3チームに編成されていて、翔太は低学年チームのセンターフォワードを務めている。
「そうか。じゃあ、総出で応援だな」
「紗由ちゃんにいいところ見せるって、練習頑張ってるみたいです」玲香がクスリと笑う。
「紗由も喜ぶぞ、きっと。再来週なら増改築も終わってるし、うちに泊まってもらえばいいよ。えーと、翔太と鈴音さんと光彦さん? お義父さんも来るの?」
「弦子叔母さんや奈美ちゃんも来るので、マンションのほうに泊まりますから、大丈夫です」
マンションというのは、玲香が嫁入り前に使っていた、叔母の弦子が所有するマンションのことだ。保の大ファンである弦子が、選挙のとき保に投票したいがために、保の選挙区内に住民票を移して購入したものだった。
「だったら、弦子叔母さんも奈美ちゃんも皆で泊まってもらえばいいよ」
「そんな大人数でとんでもないです」両手を体の前で振る玲香。
「でも、あそこのマンション、2LDKだろ。ちょっと手狭じゃないかな。どうせ空いてる部屋なんだし、うちに泊まってもらおうよ。新居のお披露目もしておいたほうが、皆安心してくれるよ」
「は、はい。でも、ご迷惑じゃ…」
「そんなわけないだろう。あ、でも、奈美ちゃんのチェックが厳しいかなあ」楽しそうに笑う賢児。
「ありがとうございます。みんな喜びます、きっと」
玲香は満面の笑みで微笑むと、賢児にぎゅっとしがみついた。
* * *
午後一で始まった翔太の試合も無事、圧勝に終わり、一同は西園寺家でお茶をしていた。午前中は仕事だった保も、事務所を早めに切り上げて試合見物から参加していた。
「今日は大活躍だったな、翔太」賢児がテーブル越しに手を伸ばし、翔太の頭を撫でた。
「ちいとばかし、気張ったで」にいっと笑う翔太。
「ハットトリックを目の前で見たの、初めてだよ!」龍はまだ興奮気味だ。
「そうだな。コントロール抜群だよな、翔太くんは。でも、相手チームのディフェンダー、足を狙って来てただろ。子供の試合であんな手を使わせるなんて、ちょっと驚いたなあ」涼一が言う。
「わかってたから、逃げられましたけどな」
「わかってたの?」
玲香が尋ねると鈴音が答えた。
「それが、先週ハガキが来たのよ、翔太宛に。危ないから気をつけろって」
「へえ…」
部屋の空気が妙な感じになったので、光彦が明るい口調で言った。
「相手チーム、以前から、いいウワサがなかったらしいんですよ。きっと関係者が教えてくれたんでしょうね。監督にも報告しておいたんですけど、慣れたものらしくて、その対処のフォーメーションまで練習してたんです」
「すごいことになっているんだなあ…。選挙も顔負けですね。そんな中で翔太くんは本当に頑張ってたな」
保が翔太に微笑むと、翔太はうれしそうに答えた。
「はい! 今日は、あんまり会えない人に点をプレゼントしようと思ってました。紗由ちゃんと、周子はんと、奈美ちゃんです」
「女性ばっかりだな」苦笑する飛呂之。
「だから3点だったんだね」
楽しそうに笑い出す保を、こっそり、そして、うっとりと弦子が眺めている。
「さゆのだあ」紗由がうれしそうに笑って周子にしがみつく。
「そうね、よかったわねえ。…私のぶんもだなんて、うれしいわ、翔太くん。ありがとう」周子もかなりうれしそうだ。
「まあまあ、翔ちゃん。ほんまに優しい子やわ。おおきに」
光彦の母親の奈美が涙声になると、紗由は周子の膝から降りて、サイドテーブルにあったティッシュボックスを奈美に差し出した。
「あらまあ、紗由ちゃん。おおきにでっせ。ほんまに、ようできたお嬢ちゃんやわねえ。可愛いだけやのうて、お優しいこと」ティッシュを1枚取って鼻をかむ奈美。「ほんまにねえ、こんな子が翔ちゃんのお…」
お嫁さんだったらと言いかけたところを、慌てて口を塞ぐ光彦。
「ありがとうね、紗由ちゃん」
「本当に、いつお会いしても、お子さんたちはしっかりしていらして。周子さんの躾のたまものですわね」
鈴音が奈美を気にしつつ微笑むと、紗由がソファーに立ち上がった。
「はっぴょうがあります!」
「ど、どうしたの、紗由」
「にいさまは、じいじのあとをつぎます」
「週刊誌に載ってましたわ、それ」弦子が目を輝かせる。「龍くんのお写真を載せるわけにはいかないので、先生のお写真が大きく」
「さゆは、すずねさんのあとをつぎます」
「え?」保、涼一、奈美が一斉に声を出す。
「あらま、紗由ちゃん。清流にお…」
再び光彦に口を塞がれる奈美。
「紗由ちゃんは…旅館のおかみに憧れてるんだねえ。いやあ、お客様のお子さんでも、そういうお嬢さんがたまにいるんですよ」
光彦が、涼一の眉間にしわが寄ったのを見るや否や、引きつった笑みを浮かべる。
「うーん…ちがう…」
「どう違うんだ、紗由」低い声で聞く涼一。
「しょうたくんのおよめさんになると、せいりゅうのおかみになるんだよ」照れたように笑う紗由。
「あの…」
ちょうどいい機会なので、皆の前で紗由と結婚の挨拶をしようとした翔太を、鈴音が素早く遮った。
「黙ってなさい」
「紗由は練習してるんだ」龍が補足する。「見せてあげなよ、紗由」
紗由はソファーの上に正座すると、両手で三つ指をつき、頭を下げた。
「ようこそせいりゅうへおいでくだしゃいました。わかおかみの、さゆでごじゃいます」
紗由がゆっくり顔を上げて微笑むと、賢児が拍手する。
「すごいじゃないか、紗由。ちゃんと“若おかみ”になってるし」
涼一が、賢児をちらりと横目で見ながら咳払いをすると言った。
「先日の玲香さんがあんまり綺麗だったから、お嫁さんに憧れちゃったんだな、紗由は」
「れいかちゃん、きれいだった!」顔をくしゃくしゃにして笑う紗由。
「でも、とうさま。紗由が翔太くんに二度目のプロポーズを要求してOKしたのは、結婚式の前だよ」
「余計なこと言わなくていいの」周子が龍を肘でつつく。
「あの…」
再び翔太が口を開こうとすると、鈴音が翔太をぎろりと睨んで囁く。
「今おまえがしゃべると、よけいにややこしくなるのよ」
「微笑ましいねえ。もしかしたら20年後に、またこのメンバーで披露宴をするかもしれないわけだ。我々も長生きしないといけませんな」保が飛呂之に言う。
「いやあ、そうですねえ」涼一の視線を感じつつ、恐縮する飛呂之。
そんな空気を知ってか知らずか、紗由が涼一の膝にのぼった。
「とうさま、さゆのこと、すき?」
首をかしげながら、大きな瞳で涼一を見つめる紗由。
「もちろんだよ」涼一の表情が途端に緩む。
「さゆも、いちばんすき!」
「そ、そうか。一番かあ。とうさまもだぞ」
目じりが下がりっぱなしになる涼一を横目に、龍が周子の耳に囁いた。
「翔太くんのことは“一番より好き”なんだよ」
「人間、知らなくていいこともあるのよ」溜め息をつく周子。
涼一の機嫌が直ったのを確認した一同は、何事もなかったかのように、翔太の試合での活躍ぶりに話題を戻した。
* * *
翌日、翔太が静岡へ帰る前に、玲香に一通の封筒を手渡した。
「なあに?」
「昨日、おかんが言うとったハガキや。今回は奈美ちゃんが一緒だから、あまりしゃべられへんかったけど、前に届いたのと同じ花やないか、この最後に描いてある絵」
「花菱草だわ…」
封筒から取り出したハガキを驚いて見つめる玲香。
「“命”さまんとこ、持っていこかとも思うたんやけど、何や最近、誰かに見られてるような気がしてな。やたら動かんほうがええかな思うて、電話したら、明後日から“命”さまたち、東京行く言うてたん。渡しといてや」
「澪さんが出したってことはないのね?」
「風馬さんとこでイベントやるらしくて、そっちが忙しいんや。ずっと静岡におったて。…この消印、東京やて、おかんが言うとった」
「本当。会社の近くだわ…」
「なんや、ようわからへんけど、玲ちゃんや賢ちゃんも、見張られてたかもしれへん。気いつけてな」
「うん。わかったわ。ありがとう。…ところで、涼一さんとは大丈夫?」
「龍くん、面白がってんねんで」ぷーっと口を膨らませる翔太。
「あら、そうなの。でも仲良くね。お兄さんになるかもしれない相手なんだから」くすりと笑う玲香。
「龍くんほうが大変や。奏子ちゃんのパパさん、ああ見えて焼きもち焼きやし、なんかこう、こだわり屋さんや」
「そんなことまで胸のピカピカでわかるの?」
「ちゃうて。グランパさんに言われて、観察の練習しとんのや。えーと、その人のパターンいうやつを早目にわかる練習や」
「躍太郎伯父様に?」
「グランパさん、すごいんやで。ぴかぴかが見えるわけやないけど、直接頭ん中に感じるらしいわ。スイッチ入れるとトンボみたく背中のほうもわかるんやて。どこから敵が来てもだいじょぶや! 人の頭ん中、読むのも得意らしいで」
「へえ…」
「俺くらいんときから、頭に相手の考え浮かぶことは時々あったらしいんやけど、力強うなったんは、天馬はんが亡くなって、風馬はんがいななった時からなんやて」
「華織伯母さまを守らなくてはいけなかったからかしらね」
「そうやろな。“命”さまも言うとった。涼一はんや賢ちゃんは力がないんじゃなくて、本当に危険な目に遭うたことがないから、力が出る必要がなかったて」
「でも、涼一さんは紗由ちゃんや龍くんの一件のときには、かなり深刻だったわよね…」
「神様にお願いするか、自分で何とかしようと思うかの違いや」
「ふうん…そういうものなのね」
本来の気質というか、涼一の合理的な分析力と行動力が、この場合は能力が出現する妨げになっているのだろうと、玲香はある意味納得していた。
「翔ちゃん、はよしい!」
タクシーの窓を開け、奈美が翔太に声を掛けた。
「今行くで!……じゃあな、玲ちゃん。たまには清流にも来いや。じっちゃん、最近さみしそうや」
「うん。わかった。気をつけてね。…ええと、紗由ちゃんが見当たらないけど…挨拶しなくていいの?」
「ええわ。…最近な、二人で頭ん中で話す練習しとるん」
「紗由ちゃんと?」
「“命”さまから言われてるん。慣れとかな、あかんて。…じゃあな!」
翔太は駆け去り、車に乗り込むと窓から大きく手を振った。
「どうしたの、翔太。そんなにいつまでも見てても…もう、玲ちゃん見えないでしょう?」
鈴音が翔太の頭を撫でると、翔太は小声でつぶやいた。
「ふたっつや…」
「え?」
「何でもない。なあ、おかん。戻ったら、回るお寿司食べたい」
「奈美ちゃんが、回らん、うまいお寿司ご馳走したるで」
「回らんと、つまらんわ。くるくるが、ええねん。プリンもふたっつ食べても怒られへんし」
「そうやなあ」奈美が楽しそうに笑う。
“そうや、ふたっつや。玲ちゃんのお腹の小さいぴかぴか、ふたっつあったわ…”
翔太はもう一度後ろを振り向いて、うれしそうに笑った。
* * *




