その2
賢児と玲香の結婚式でフラワーガールを務めることになった紗由は、玲香のドレスと共布で衣装を作ってもらっていて、今日はその最終的な衣装合わせのため、玲香と一緒にデザイナーの洋子のところへやってきていた。
そして、披露宴はしないものの、賢児たちよりも先に入籍を済ませた風馬と澪は、記念に澪の両親がいるハワイの教会で挙式をし、写真だけは撮ろうということになり、やはり洋子にウエディングドレスを注文していた。
今日はちょうどその打ち合わせで風馬たちも来ており、洋子の秘書からそれを聞かされた玲香たちは、風馬たちにも挨拶をしようと、奥の部屋へ向かった。
* * *
「じゃあ、背中を見せてもらえるかしら。デザインのために、ちょっと確認させてね」
「は、はい…」
洋子に言われた澪は、うつむいたまま、ためらいがちにブラウスのボタンに手を掛けた。
「大丈夫だよ、澪。怖くないから」
風馬がやさしく澪の頭を撫でると、澪は思い切ったように、一気にブラウスを脱ぎ、ブラジャーのホックをはずして、背中全体が見えるようにブラジャーを少しずらした。
「左側だけなのね…」
洋子が澪の背中をゆっくりと眺め回していると、紗由が玲香の手を引っ張るようにしながら、部屋に入ってきた。
「こんにちはあ!」
紗由の元気な声に、驚いたように振り向く3人。
「紗由ちゃん、玲香さん。いらっしゃい」
「あ…すみません、フィッティング中…でしたでしょうか」
思いがけず澪の背中を目にした玲香は、少々気がとがめた様子で頭を下げた。
「あ。みおちゃんのせなか…」
紗由が澪の背中を見つめながら近づいていくと、澪は思わず、脱いだブラウスを風馬の手から奪い取り、素早く羽織った。どうしていいかわからず、再びうつむく澪に、紗由が駆け寄る。
「みおちゃんのせなか、ちょうちょがいるんだね!」ニコニコとうれしそうに言う紗由。
「え?」驚いた澪が振り向く。
「いいなあ。ちょうちょだあ!」
紗由の後を追った玲香が頷いた。
「あ…そういうことね。そうね、紗由ちゃん。綾乃ちゃんのお家の模様と同じね」
「うん!」
紗由と玲香の言葉に、3人はわけがわからぬ様子だ。
「あの、紗由ちゃんのお友達のお家の家紋が、蝶が羽を閉じているところ、横向きの蝶々なんです。澪さんの背中が、そう見えたんですわ」
「みおちゃんが、おはなだから、ちょうちょうがとまりにきたんだね!」
紗由はうれしそうにスキップをしながら、蝶々の歌を歌い出した。
「なるほどね、蝶々…」
洋子はしばし考え込むと、何かがひらめいたかのように頷き、傍にあったテーブルに座ってデザイン画を描き出した。
「澪さん、ドレス、こういうのはどうかしら」
洋子に手招きされて、澪がデザイン画を覗き込んだ。
「ワンショルダーにしてね、肩を出すの、蝶々がいるほうの肩をね」
「え…」
「その斜めになっているドレスのふちに、花びらを立体的に付ければ、ほら、蝶々が花に止まっているみたいでしょう。で、ここで風馬さんの出番よ」にっこり微笑む洋子。
「僕…ですか?」
「ええ、そう。あなたでなくちゃ、できない仕事をしていただくわ。澪さんの“蝶々”にペインティングしてちょうだい。彼女の痕の、そのままの形状を活かして…立体的にね」
「なるほど…。確かに僕にしかできない仕事ですね」風馬の顔に思わず笑みがこぼれる。
「そうよ。ドレスは花をモチーフにしましょう。澪ちゃんはお花ですものねえ、紗由ちゃん」
「うん!」
「ありがとうございます、先生……ありがとう、紗由ちゃん…」
澪の目から、涙があふれ落ちた。
* * *
「ステキですねえ、澪さん。本当にお花みたいだわ」
玲香の言葉に、西園寺家一同は頷きながら大型画面に映し出されるビデオを見つめていた。ウエディングドレス姿の澪が、幸せそうな笑顔を振りまきながら、教会のエンタランスを歩いていく。その手を取り傍らを歩く風馬は、うれしそうに澪を見つめている。
「紗由が澪ちゃんの背中の蝶々を見つけてあげたからだな。紗由、お手柄だぞ」
賢児が紗由の頭を撫でると、紗由はうれしそうに顔をくしゃくしゃにした。
「うん、そうだな。紗由はいい子だ」
保が上機嫌に微笑むと、紗由は少し照れたようにして、涼一の膝によじ登り抱きついた。
「幸せそうだな、澪さん」涼一が紗由を撫でながら言う。
「本当ね。蝶々、まるで生きているみたいだわ。淡い色彩が澪さんの雰囲気にぴったりね」
「見てるとジーンと来るよな。これこそヒーリングアートだ。正直なところ、初めて風馬の絵がすごいなって思ったよ」
「涼一さんは、その手のものには縁がないですものね」
周子がからかうように言うと、玲香がぽつりとつぶやく。
「その手のものに魅かれなくて済むというのは、満たされているからです」
「え?」不思議そうに玲香を見る周子。
「あ…すみません。あの、でも、健康な人が普段健康を意識しないのと同じだと思うんです。病気になって初めて体の役割を意識するのと同じで、癒しを必要とする人がいて初めて、ヒーリングアートは意味のあるものになりますから」
「そうだよな。兄貴には必要なさそうだ。精神的に追い詰められる前に、その状況を分析すること自体が、兄貴みたいな人種にとっては癒しだもんな」
「妻としては手間いらずで助かるわ」
「そんなことないよ。とうさまは、すんごくてまがかかるよ!」反論する紗由。「あそんであげないと、すぐなくし」
「いや、そんなことは…」小さな声でつぶやく涼一。
「困ったなあ、紗由。とうさまが泣き虫じゃ」ニヤリと笑う賢児。
「とうさま、ごめんね。紗由も僕も、明日はちょっとやることがあって忙しいんだ。動物園は、また今度連れてってね」龍がフォローする。
「あ、ああ…。今度いつ休みになるか、わからないけどなあ」
涼一が悔し紛れに紗由に言うと、紗由はちらっと涼一を見て、周子の耳元でささやいた。
「ね。さゆのいうとおりでしょ」
「本当ね」ささやき返す周子。
「あ、あの、でも本当に澪さん、喜んでましたよね。私なんて、彼女の…痕を見たとき、何も言えませんでした。紗由ちゃんの素直でやさしい想像力が、彼女の傷を癒してくれたんですよね」
玲香が紗由を見て微笑むと、紗由がまたうれしそうに顔をくしゃくしゃにした。
「あのね、しょうたくんのまねしたの」
「翔太の真似?」玲香が首をかしげる。
「そうか、匠くんのマークだ!」
「匠くんて、間宮先生のお教室の?」
周子が尋ねると、龍はこくんと頷いた。
「そうだよ。間宮先生にバイオリン習ってる、あの匠くん」
「梨本前総理のお孫さんの匠くんです」周子が保を見る。
「僕もあの時まで会ったことなかったんだ。有名人だから名前は知ってたけどね」
「じゃあ、龍も有名人だな。じいじが大臣なんだから」
賢児が言うと龍が首を振る。
「そういう意味の有名人じゃないよ。演奏はすごく上手なのに、コンクールにも教室の定期演奏会にも出てこなかったんだ。会った子も、無口で暗いって怖がってた」
「人見知りなのか」
「うん…。でも、この前、翔太くんがタキシードの衣装合わせに来たとき、友達になったんだよ。紗由はその時のことを真似したんだよ」
龍はその時の様子を説明し始めた。
* * *
龍たちがバイオリンのレッスン先に到着したとき、講師の間宮が慌てて待合室に出てきた。
「西園寺さん、すみません。20分ほどお待ちいただけないでしょうか。実は近所で小火騒ぎがあって、その関係で時間が押してるんです。もし、ご無理なようでしたら、次回にその分調整しますので」
「大丈夫ですわ、先生。こちらで待たせていただきます」にっこり微笑む周子。
「先生。僕、中で見学させてもらってもいいですか?」
「あ…ええ、いいわよ」
「さゆもしたいです!」
紗由が元気に手を挙げると、間宮はくすりと笑った。
「いいですよ。…そちらのお坊ちゃんもご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます!」翔太がぺこりと頭を下げた。
今日は玲香たちの結婚式の時に着るタキシードを受け取るために上京していた翔太だったのだが、ちょうどその後に龍のレッスンがあったので、見学させてもらうことにしていたのだった。
「では、私はこちらで待たせていただきます」
周子は龍たちと別れて、間宮が出てきた隣のドアを開いた。
ここの教室では、生徒は親と離れてレッスンを受けていても、ぐずらない程度にしっかりしていることが受講条件となっている。だが、レッスンを受ける部屋と親が待機する部屋とは、マジックミラーでつながっているので、親の側からは教室内の様子がよくわかる。最初は若干の抵抗を示していた親も、“こっそり”子供の様子を観察できるブースが楽しくなってくるのか、皆、食い入るように子供の様子を眺めているのが常で、逆にそのやり方が評判を呼んでもいた。
通常は3人の複数レッスンなのだが、龍も、龍の前の子も単独レッスンを受けている。龍たちがレッスン室に入っていくと、突然の来客にバイオリンを持った男の子がびっくりした様子で彼らを見つめ、慌てて自分の首を押さえた。
「匠くん、見学よ。さあ、続けるわね」
匠と呼ばれた男の子は、小さな声ではいと返事をすると、バイオリンを構えた。さっき手を当てた首には、付け根から顔のほうにかけて、大きくS字型のアザがあった。
匠が一曲弾き終えると、見学していた3人は大きな拍手を送った。だが匠は、3人のこと無視した様子で、淡々とレッスンを続けて行った。
レッスン終了後、龍が匠の傍へ近づき、声を掛けた。
「梨本匠くんだよね。僕、西園寺龍だよ。よろしくね」
「…よろしく」
匠は一瞬、龍の顔を見たが、小さな声で返事をし、すぐに目を逸らした。まだ話を続けようとする龍に、匠がくるりと背を向けると、その目の前には翔太の顔があった。
「うわあ!」驚いて思わず声を上げる匠。
「おお、かっこええなあ」
「な、何、君」
眉間にしわを寄せて匠が後ずさるが、翔太はまったくお構いなしだ。
「なあ、龍くん。匠くんの首のマーク、かっこええよなあ。天に登ってく龍みたいやわ。ほら、これとおんなじ」
翔太はポケットからキーホルダーを取り出した。清流で売っている、龍をかたどったブロンズのキーホルダーだ。
「あ。本当だ。おんなじ形だね。龍のマークなんだ」
龍が覗き込むと、匠は体を強張らせた。
「りゅうはね、すごいんだよ! つよくて、なんでもできるんだよ!」
仲間に加わろうとした紗由が、何度も飛び上がるようにして匠の首を覗き込むと、その様子がおかしかったのか、匠がくすりと笑った。
「龍くんは龍やろ。俺は清流の七代目やし、匠くんは龍のマークがあるから、龍つながりやな」
「あ、この子は高橋翔太くんて言うんだ。僕の…親友で、もうすぐ親戚になるの」
「よろしゅうに」
翔太は、がははと笑って自分の名刺を差し出した。“清流旅館七代目 翔太”の文字と、翔太が自分で描いた似顔絵がある。
「この絵、そっくりだね…」匠がぼそっとつぶやく。
「俺が描いたんや。あ、ちいと待ってて」
翔太はリュックから画用紙とクレヨンを取り出すと、その場で絵を描き始めた。その様子を見ていた間宮も興味深げに近づいてきた。5分ほどで絵を描き上げた翔太は、画用紙を切り取ると匠に渡した。
「でけたで!」
翔太が手渡した絵は匠の顔で、首のところのアザは、本物の龍のように目や口や角が描かれていた。
「あらあ、かっこいいじゃない、匠くん」
「…ありがとう」さっきよりも、少し大きめの声で言う匠。
「これからも、龍くんこと、よろしゅうに!」
「こちらこそ、よろしく。…どうもありがとう」
匠はそう言うと、少し恥ずかしそうにうつむきながら、バイオリンをケースにしまい、翔太の描いた絵を大事そうにバッグに入れると、小さく手を振って部屋を出て行った。
* * *
「匠くんね、定期演奏会出ることにしたんだって。コンクールも出るかもしれないって。先生がすごく喜んでた。僕もついでに褒められちゃったよ」龍がニッコリ笑う。
「そうか。匠くんは、アザを気にしてたんだろうな。翔太くんにそう言われて、コンプレックスから救われた思いがしたんだろう。…優しい子だなあ、翔太くんは」涼一が言う。
「そうだったの。それを見てたから、紗由は澪さんの背中の蝶々を見つけたのね」周子が紗由の頭を撫でた。「でも、そんなことになってたなんて気づかなかったわ。匠くんのレッスンが終わった時、ちょうど事務所から緊急連絡が入って席をはずしちゃったから…。龍も何も言わないんですもの」
「言ったよ、かあさま。匠くんと友達になったよって」
「それだけじゃあ…」
「あの、私も翔太から匠くんという子の名前は聞いてたんですけど…」玲香が口を挟んだ。「龍のマークがカッコいいとも言ってたんですけど、てっきりジャンパーのワッペンか何かだと思っていて…周子さんがわからないのも無理ないと思います」
「まあ、中途半端な情報を与えると、人間の脳というのは勝手に補足するか、無視して意味づけをやめるか、どちらかだからな」
涼一が言うと保が頷きながら言った。
「まあ、確かにそうだが、事の詳細がわからなくても、皆がいい子なのはよくわかる。紗由もいい子だったぞ。龍もだ。おまえが普段いい子にして紗由のお手本になってるから、紗由もいい子なんだ。なあ、紗由」
保が腕を伸ばして紗由の頭を撫でると、紗由は「おおきに!」と言って顔をくしゃくしゃにし、涼一は小さく溜め息をついた。
* * *




