019 様々の紙一重 または映画『キャリー』
先日某動画配信サービスで映画『キャリー』(1976年)を見た。近年リメイクもされた、スティーブン・キング原作のホラー映画である。
今更私が語るまでもない名作だが、「これ好きだわぁ〜いいわぁ〜」と見終わったあと連呼してたので、感想を書き連ねる。ネタバレしてるのでネタバレ嫌な方は読まないでね!
まずあらすじ。
極端に内気でめちゃくちゃどんくさいキャリーは、ハイスクールで同級生に派手かつ陰湿にいじめられている。家に帰れば狂信的キリスト教(※1)信者である母によって厳格な、殊に性に関しては異様なほど禁欲的(月経さえ「女になってしまった」「罰だ」「許しを請え」と否定するほど)な生活を強いられていた。
しかしにわかにキャリーは、テレキネシスの能力に目覚め始めていた。感情が昂ぶったり過度なストレスにさらされると、モノを動かしたり破壊したりできるのだ。
一方、キャリーへのいじめを問題視していた女性体育教師コリンズは、いじめていたクラスメイト達を集め「罰としてプロムパーティーへの参加禁止か、パーティーまで放課後体育の居残り授業」のどちらかを課す。
キャリーに対し罪悪感を感じていたクラスメイト・スーは、居残り授業の選択と、彼氏のトミーに「私の代わりにキャリーをパーティーに連れていってあげて」とお願いする。片や居残りを拒否しパーティーへの参加を禁止されたクリスは、キャリーを逆恨みし、彼氏ビリーと共にパーティーでのキャリーへの復讐を計画する。
トミーからのパーティーの誘いを最初は「からかわれている」と断ったキャリーだったが、押し切られるような形でOKする。そしてパーティーに向けてドレスを作ったり、メイクの研究をしているうちに、「自分はもっと他者と関わりたいのだ」という気持ちがあることに気付く。
母親は当然パーティーへの参加を猛反対し、「笑われるだけだ」と力づくで止めようとする。だがキャリーは、自分のテレキネシス能力をある程度コントロールできるようになっていた。呪いのような言葉を吐き続ける母親をテレキネシスで振り切ってパーティーに出かける。
見違えるように美しくなってパーティーに現れたキャリーに、同級生達は一目置く。そしていよいよパーティーはクライマックス、ベストカップルを決定する投票へ。しかしこの投票は、裏でクリスによって不正が行われ、必ずキャリーとトミーが選ばれるようになっていたのだ。名前を呼ばれたキャリーは幸せの絶頂の中、壇上へ上がる。そして感動のスピーチ……かと思われたその瞬間、キャリーは頭上から大量の豚の血を浴びせられる。クリスは事前にビリーと共に養豚場の豚を殺し、豚の血をバケツに入れて舞台上に仕込んでいたのだ。さらにトミーは落ちてきたバケツが頭に当たり、打ちどころ悪く意識不明になってしまう(ちょっと間抜け)。
この計画はクリスとその取り巻き数人によって実行されたものだったが、幸せの絶頂から突き落とされたキャリーは、会場すべての人間が自分を笑い、晒し者にしたと錯覚する。そして怒りと絶望に支配されたキャリーは、テレキネシスの能力を解放させ、会場にいた人間を皆殺しにするのだった。
あらすじはここまで。
ポスターやDVDのパッケージがすでに若干ネタバレなので、かなりきっちりあらすじ書きましたが、正直ストーリーなど「いじめられっ子が超能力に目覚めて、バカにされてキレて全員惨殺」というそれだけの話しだ。(原作未読なので詳しくはわからないが、映画版は原作とは少しストーリーの順番が違ったり、登場人物の心情の描かれ方が雑だったりするらしく、まぁ映画化あるある)
しかしキャリー役の女優さん(シシー・スペイセク)がすばらしい。ガリガリで不健康そうで、同世代の女の子たちが自然と共有する常識や感覚に疎くて、自信がないから誰かと話すときも挙動不審。そんで表情が、絶妙にキモチワルイんだよ……。キャリーは悪い子じゃないんだろうな、っていうのは感じ取れるけど、悪い子じゃないからこそいじめに歯止めがかからずエスカレートしていくし、いじめてる子よりもいじめを傍観してる子のほうが、「悪い子じゃないのに」とどんどん罪悪感を募らせていくという。
こんなこと独自考察でもなんでもない、映画見りゃわかるよって話しなんだけど、この見りゃわかる話しがすんなり頭に入ってくるのは、ひとえにこの女優さんの絶妙なキモチワルサゆえなんだよね……。誰もが程度の差はあれど「悪い子じゃないのに、外見や挙動不審さで無視されたりいじめられる」という状況には遭遇したことがあるでしょう。そのときのなんとも言えない、胃の奥あたりに湧き上がる不快感。または蒼白、あるいは。
おそらくどの立場で経験したかによって湧き上がる感情は違うと思うけど、それをごくごく自然に思い起こさせ、キャリーに投影してしまう。キャリーを単純にかわいい女優さんが演じてたら「可愛い子がいじめられる様を鑑賞する」映画になってしまいそうだが(それはそれで良いのだが)、美人すぎないシシー・スペイセクだからこそぐっと身近な映画として落とし込んでくる。そしてシンプルなストーリーだからこそ、異質な存在感を放つキャリーのキモチワルサが映える。
そしてここまでさんざんキモチワルかったキャリーが、パーティーに向けてオシャレをした結果、ほんと笑っちゃうくらいかわいく変身する。化粧で大化けするとかではない。見事にあのキモチワルかったキャリーの延長線上でかわいくなるのだ。幼いんだか老けてるんだかわからないかった(※2)キャリーが、未来に希望を見出した、美しい女性になっている。それをほぼ、表情や態度だけで表現してるのが本当に素晴らしい。
だから私は、この先の展開は知っていたが、「しょうもないシンデレラストーリーでいいから、キャリー幸せになってくれ……! この夜を、幸せの絶頂で終わらせてあげてくれ……!」と40年前の映画に結構本気で願った。つうか豚の血なんか2日前くらいに仕込んだんだから、もうカッピカッピになっててもおかしくないじゃんかよぉおうわあああああん!
しかしまぁ、ご存知その先はわりと有名なパーティー惨殺シーンである。
1976年公開なので、正直惨殺シーンは手作り感満載であるが、それでも十分見応えがある。さっきまで「幸せになってほしいのにぃいい」とか思ってたが、こうなった以上、もうキャリーどんどんやれ誰も許すな誰も逃がすな、である。超嫌なやつも「こいつはわりといいやつじゃなかったっけ?」も見境ないところが大変良い。もはやそこには葛藤も選択も存在しない。焼き尽くせ! 地獄の業火で!!
この惨殺シーンで異様にテンション上がってしまったのだが、なんとなく、当時の日本の特撮モノに通ずるものがある気がする。特撮モノというかゴジラ・ウルトラシリーズあたりだが、圧倒的な力を前に、為す術なく破壊されるしかない人間達、みたいな。いいやつも嫌なやつも、そこにいてしまったがために巻き込まれる無情。まぁ普遍的な破壊シーンと言えるんだろうけど、怪獣がどっかんどっかん街を破壊したりするシーンに「ふっふーーぅ!」とテンションあがる私は、同じものを映画『キャリー』に感じてテンション上がっていた。なんか、私って根本的には人間嫌いなのかもな……。
んで一通り殺ってから家に帰って母親に甘えるんだけど、その理由が「笑われたの」なところがまた良い。「大変なことをしちゃった」「みんなを殺しちゃった」という罪の意識ではないの。狂信的な母親から散々しょうもないことに「許しを請え」と言われてたのに、あんだけ人殺した今、許しを請わずに「笑われたの」。単純にカッとなって力が暴走したのなら、家に帰って母親の顔を見て落ち着けば少しは後悔の念が湧きそうなもんだけど、そうではない。つまり惨殺は復讐であり、力は暴走ではなく意図して使ったものであり、それほどの憎悪と怒りが密かに積み重ねられていたのだ、と想像させる端的で良いセリフだなぁ(と個人的には思ってる)。
てなわけで、散々ネタバレしてしまったので「もう見なくていいや」と思ってる方もいらっしゃるかもしれません。が、『キャリー』はホラー映画です。私が語ったのは『キャリー』におけるのアクション要素にしか過ぎない。テレキネシスバトルと考えると、アクション映画でもあると思うんだ『キャリー』は。
なのでホラー映画としての『キャリー』を見たい人は、ぜひぜひ、ここに書かれてない最後までの展開を見てください。気抜いてたから私は普通に「ひぃい!」って言った。
あと全編通して言えるのが、ホラーと笑いってほんと紙一重ね……。
※1
何派かはわからなかった。
懺悔部屋? にある像はキリストかと思ったら、矢の本数から聖セバスチャンらしい。
※2
実際、設定上キャリーは17歳だが、シシー・スペイセクは撮影当時25歳だったそう。
実際2013年公開のリメイク版『キャリー』はクロエ・モレッツがキャリーにしては可愛すぎると思うんだ私は。
(こっちは見てないのでイメージです個人の感想です)




