018 父が死んだ またはある娘の総括と弁明
長々と書いてきたこのシリーズも最終回である。父の話し全然してないな。まぁ、具体的なこと書くと特定されるから……。
最後は父との思い出とか書こうかなぁ、と思ったけど、書こうとして、自分の中でまだ全然整理がついてないことに気づいた。
亡くなってから結構経つし(納骨もだいぶ前に終わってます)、日常生活は普通に行ってるし、予定を「気分が乗らないからパス」みたいなこともなくなったけど、やっぱり父が亡くなる最期の2日間あたりのことを思い出すと、まだまだうるっと泣けてきちゃう。未だに週に1回くらいは父の夢を見て、その夢は亡くなる直前2日間の夢か、「あれ、死んだと思ったけど、生きてる。死んだのは夢だったんだ」と思う夢のどちらかだ。
葬儀にまつわる他人の愚痴は書けても、父の体調が悪化してからの結構大変だった数ヶ月は、まだ全然、単なる記録としてさえも書き出せない。まぁ、整理ができたらまた書くかもしれないけど、とりあえず今は書けないままにしておこう。
振り返れば、なんだかんだで私は父を尊敬していたし、影響を多大に受けていた。
私は弁護士にはならなかった(まぁ勉強できないので目指したところでなれたか不明)けど、数学を面白く思う視点や感性、問題解決に手段を選ばない(合法なやり方でやってますよ)ところは父から受け継いだと思う。
夕食時にラマヌジャンの話しを私がすれば、「そういう話題が自然に出てくる娘に育って嬉しい」と言っていたし、数年前に父が背骨の粉砕骨折をして、肋骨全体を覆っていたギプスが取れたはいいけど背中が曲がってしまったとき、
「お父さん、ノートルダムの傴僂男みたいになってる! ノートルダム・ド・パリよ!」
という私のツッコミ? に
「お前は何でもオシャレに言うなぁ……」
と笑っていた。
父は時代が時代ならアスペと呼ばれていたであろう、コミュニケーションのとり方にやや癖のある人だった。でもおかげで私は大抵の相手に対し、コミュニケーション能力の先にある人としての面白さに目を向けることができるようになった。だから友人には恵まれた。変な人ばっかだけど、一緒にいて楽しい人達ばかりだし、器用すぎない優しさは信用できる。そして私も、彼らの信用と信頼に適う人間でありたいといつも思う。
まぁ、ロクデモナイことばっかり考えてる人間的にはやや問題のある娘に育ってしまったが、お父さん的にはわりと理想の娘に育ったのではなかろうか、私は。品行方正であることだけが人間の魅力ではなかろう。
なので私も、あの人が父親で、あの人の娘で良かったなぁ、と思う。ありがとうございます、おつかれさまでした。
しかし病気はなんだって大変だと思うけど、肺を悪くすると、ほかが健康でも本当に一気に身体が弱くなるね。父は去年の8月くらいから「歩くと息がすぐに切れる」という自覚症状が出てきたけど、酸素吸入器は本人が「年寄りくさい、管に繋がってるのは嫌だ」と拒否したのでしばらく使わなかった。そしたら息切れするから動きたくない、動かないから筋力が弱る、もっと動けなくなる、どんどん体力が落ちる、動かないからお腹も減らない、ご飯を食べたくない、栄養状態も悪化……で風邪こじらして回復はしたけど、そのまま枯れるように眠るように、ある朝亡くなっていた。肺の自覚症状出てから1年持たなかったなぁ。
酸素吸入器をもっと早く使うようになって、リハビリしてればもうちょっと生きたと思うけど、本人が拒否したからねぇ。人間の機能としてはどうにかすればまだ生きられただろうけど、本人としては天寿を全うして亡くなったと思うわ。
そんなわけで、このシリーズ終わります。どうか皆様、家族との関係が良好、あるいは良好とまではいかなくとも普通であるならば、ご家族大事になさってくださいませ。




